9.聖女の娘その2
誰かの為に単身で大軍に立ち向かうのってええよね
「……空が白み始めたな」
気が付けばもう空が明るくなり始めていた。
ゲルレイズが思わず漏らしたその声に、うとうとしていた優希がハッとしたように顔を上げて自らの頬を叩く。
同時に、シルヴィが張っていた筈の村全体を覆っていた結界が溶けるように消え始める。
その様子に村全体がざわめき、優希とゲルレイズもまさかと緊張に身体を強ばらせ――
「――ただいま」
まるで散歩から帰って来たかの様な調子のシルヴィを見て、全身から力を抜いてしまう。
「シルヴィちゃん! ……大丈夫なの?」
「ん? うん」
顔を出した朝日に照らされて輝く黒銀の長髪に、シミどころか傷一つない綺麗な柔肌。
一人で魔王軍を相手にしたらしいというのに、目立った変化は何も無く、強いて言うなら衣服が少し汚れているだけ。
そんなシルヴィの様子を見て、ゲルレイズはもう笑うしかない。
「なぁ」
「ん?」
「……信じて、いいか?」
「? ……うん、いいよ?」
シルヴィは何のことを言われているのかさっぱり分からなかったが、それでも自らを信じて頼ってくれるのであれば全力で応えるだけなので了承した。
「お兄ちゃんじゃなかった人は……これから、どうするの?」
「自首するさ」
「村は?」
「最後まで面倒見るから安心しろよ、ここら辺の安全が確認されてから自首するからよ」
その返答にシルヴィは少しだけ考え込む。自首して自ら罪を償おうとしているのは良いし、その言葉にも嘘は感じられない。
遅かれ早かれ魔王軍を討伐せんと国軍がこの近辺まで進軍してくるだろうし、その時にでも村の防衛を頼み、自首を行うのだろう。
しかし元犯罪者、それも魔王の子を騙った者が支配していた村で、村人達も脅されていたとはいえ犯罪に加担してしまっている。
「……私のお母さんを頼るといい」
「は?」
「この近くの村に住んでる。悪いようにはしない」
「……はっ! まさかこんな近くに隠れてやがったとはな」
そうと決まれば話は早いと、シルヴィは自分の荷物の中から紙と筆記用具を取り出すと簡単に事態の詳細と、村人達が雑に全員処刑とならない様に正しく罪を償える手助けをして欲しいという旨を書き記す。
最後に本人確認の為の聖印で封をすれば完璧だ。
「あげる」
「……本当に良いのか? あの聖女だって、こんな厄介事をわざわざ引き受けたくはないだろ……娘のお前に八つ当たりだってしたんだぞ?」
訝しげな表情を浮かべるゲルレイズに対し、シルヴィは特に何でもないかのように軽い口調で言う――
「――困ってる人は助けないといけない」
ただ、それだけなのだ。彼女にとっては。
横で聞いていた優希も「あぁ、私の時も同じ事を言っていたなぁ」と感心した様に、けれども少し困ったように苦笑していた。
「……そう、か」
「もう、悪い事したら……ダメだよ?」
「……あぁ」
了承の返事を得られた事に満足したシルヴィは一つ頷くと、そのまま荷物を持って立ち上がる。
「もう行くのか?」
「うん」
「理由を聞いても良いか?」
その問いに対して、あまり長文での会話が得意ではないシルヴィは少しだけ頭の中で文章を整理してから返答する。
「魔王軍の狙い? が、魔王の子なら……多分、私がここに居たら、ダメ……だと思う、から?」
「確証は無いと言っただろ」
憮然とした顔で吐き捨てるゲルレイズに対して、シルヴィは何を考えてるのか分からない顔で「気にしないで」と一言だけ発する。
「――」
この時、ゲルレイズは漸く理解した――コイツは正しく“あの”聖女の娘なのだと。
「……お前は魔王の子じゃねぇ」
「?」
「……聖女の娘だ」
「? そう、だね?」
確かに聖女の娘でもあるなと、シルヴィは困惑しつつも素直に頷く。
「達者でな」
「わかった」
それだけを交わして、もう話は終わりとばかりにシルヴィは踵を返す――前に優希へと手を伸ばす。
「一緒に来る?」
「え?」
思いがけない誘いに優希は驚きのあまり勢いよく顔を上げる。
「故郷に……帰りたいんでしょ?」
「……いいの?」
「もちろん」
誘ってくれるのは嬉しいが、けれども自分は旅の邪魔になるのではないかと考えてしまい、シルヴィの手を取るのを躊躇ってしまう。
「私、戦えないよ? 足も遅いし、体力も無いよ?」
「別にいいよ?」
「ほ、本当に?」
「うん……えっと、私のお父さん、魔王だけど異世界の人なの……だから、優希の故郷も知ってる……かも?」
「な、なるほど」
傍から見ていて大丈夫かと言いたくなる会話である。
「それに、一人だと寂しいし」
「……わかった」
ここまで言われたら遠慮するのも逆に失礼だろうと、優希は困ったように笑いながらシルヴィの手を取る。
優希は自分が遠慮しない様にわざと一人は寂しいなどと言ったのだと思っているが、なんのことは無い、シルヴィ自身はただ本音を言っただけである。
「もう騙されねぇように気を付けろよ」
二人の話が終わったのを見計らって、ゲルレイズは一つ言い忘れていた忠告を投げ掛ける。
確かシルヴィは酷い騙され方をして牢屋に入れられたんだったと思い出しながら、自分が言えた義理ではないと自覚しながらも。
それでも、自分の八つ当たりを全て受け止めた上で何でも無かったかの様に赦したこの少女が誰かにまた騙されるのは何となく嫌だった。
「わかった」
「え、えっと……お世話になりました?」
「……本当に大丈夫かよ」
シルヴィの本当に分かってるのか分からない返事に、優希の気の抜けた別れの言葉にゲルレイズはもはや何かを言う気力も失い、さっさと行けと手を振る。
「じゃあね」
「あぁ」
徹夜明けに朝日は厳しいと、そんな言い訳をしながらもゲルレイズは去っていく二人を眩しそうに見送った。
「……さぁ、お前ら! 村を捨てる準備をしろ!」
二人の姿が見えなくなるまで見送ったところで、ゲルレイズは重い腰を上げて村中に響き渡る大声で指示を出す。
あの聖女の娘が付近の魔物達を殲滅してくれたからといってまだ安心は出来ない。近くにはまだ魔王軍の他の部隊が居るかも知れないからだ。
そんな事をつらつらと説明すれば村人達は慌てたように駆け回り、持って行けるだけの家財なんかを集めだした。
「お、お頭……」
「お前らは確か……あぁ、あのガキを連れて来た奴らか」
村人達の行動を監視していたゲルレイズに話し掛けて来たのは、シルヴィを騙して連れて来た二人だった。
彼らは互いに言いにくそうにしながらも、今しか聞けるタイミングが無いのだと自らに言い聞かせて勇気を出す。
「お、俺たちの娘は何処に居るんでしょうか?!」
「チッ、うるせぇな」
「ひっ! すいません……」
思いの外響いた声に周囲の視線を集め、お頭にも顔を顰められてしまった事に震えながらも男達は答えを聞くまでは動きそうにない。
その様子を見てゲルレイズもどうしかものかと思いながらも、真実を口にする。
「あの娘達なら出て行ったよ」
「……は?」
「別の村に想い人が居んだろ? チャンスだからソイツの所に行くと書き置きを残して牢屋から消えたよ」
「……え?」
「父親に反対されるから今しかないとさ」
思えばあの娘達もそうだが、若い女ってのは意外と侮れないものだとゲルレイズは遠い目をする。
「な、なんで教えてくれなかったんですか?!」
「そうする事で俺に何か利点があったか? 当時は領軍の相手もあったろ? これ以上人手を奪われる訳にはいかなかった」
「それは……! そう、ですけど……」
まだ納得していない男達の様子に溜め息を一つ吐いて、それからゲルレイズは慰めの言葉を掛ける。
「これから向かう先の途中に娘の村はある」
「!」
「お前らの為だけに足を止める事はしないが、好きにしろ」
「ありがとうございます!」
ゲルレイズはむしろ余所者の俺よりも土地勘にも、周辺の村の地理にも詳しいだろうから後で追い付けるだろうと投げ槍に答える。
「分かったらさっさと準備を進めろ、なるべく早くここを離れたい」
何時ここで軍の一部が消えた事に魔王軍の本隊が気付くか分からないのだから、さっさとこんな村からはおさらばしたいのが本音だった。
「早くしねぇと魔王軍の奴らが――」
「――貴方が魔王の子ですか?」
突如としてゲルレイズの背後から酷く粘ついた声が掛けられる。
「――ッ!?」
直前まで気配も何も感じられなかった事に驚きながらも、ゲルレイズは即座に錆び付いた魔剣を振り抜く――
「アナタは違う様ですね」
胴体から切り離されたゲルレイズの頭部を手で弄びながら、その悪魔――場違いな道化師の格好をした存在は訝しげに顎を撫でる。
「引き連れて来た軍の一部が全滅したので本物かと思ったのですが……錆び付いているところを見るに魔剣も死んでいる様ですし、いったい誰が?」
そんな独り言を漏らす合間に村人は一人残らず目玉をくり抜かれる。
この場に居た誰もが認識できない間に行われた凶行により、村には悲鳴や叫び声が木霊する。
「おや? これは……」
くり抜いた目玉の一つを飴玉のように口内で転がしながら、悪魔はつい先ほど首をもぎ取って殺した男が所持していた手紙を手に取る。
ただの聖印であるにも拘わらず触れるだけで鋭い痛みを発する封を無造作に破り、中身を確認していくにつれ悪魔の口角がドンドン吊り上がっていく。
「――クヒッ」
思わず漏れた嗤い声を聞いた者は誰一人として居なかった。
聖女に娘が居た事がバレました
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