78.灰被り
新章開幕!
「こわいよぉ……こわいよぉ……」
カーテンも閉ざされ月明かりすら届かない暗い室内で、一人の幼い女の子が泣いていた。
その小さな身体には不釣り合いなほど広い部屋は、彼女にただ寂寥感ばかりを与える。
大きなベッドは幽霊が潜り込んでくる気がして眠れず、部屋の隅でガタガタと震えるしかない。
震えているのは恐怖からだけではない。彼女は高熱を患っていた。生まれた時から身体が弱く、ちょっとした事ですぐに体調を崩していた彼女はその日も悪寒に身を震わせていた。
彼女がどれだけ助けを求めても、涙を啜っても、その声と音は闇に溶け消える。咳をしても虚しく響くだけ。
貴顕の血筋である筈の彼女は使用人たちから忌避されたいた。その黒い髪は魔王を想起させると、誰も彼女の世話をしたがらなかった。
「ひぅっ……!」
時折聞こえる強風が窓を揺らす音に身を震わせ、姿の見えないナニカが自分を狙っているのではないかという妄想に取り憑かれ、自らの居場所がバレる恐怖から助けを求める声が更にか細くなっていく。
暖炉も使用せず、物の少ない広い部屋の深夜は彼女から休息に体力と体温を奪っていた。
彼女も薄々分かっていたのだ。自分がみんなから愛されていない事など。誰もがあわよくば彼女に死んで欲しいと願っている事を。
父は自分を見ると苦しそうな顔をする。母は自分を産んですぐに亡くなったらしい。使用人たちは怖がっている。
「うっ……ひっぐ……」
味方など誰も居ない。幼くしてその事を理解していた彼女の心に、薄暗い闇の炎が灯る。
私が何をしたと言うのか、どうしてここまで蔑ろにされなければいけないのか、なぜ必死に訴えているのに助けてくれないのか。
じわりじわりと火勢を強くする心に耐えきれなくなり始めた頃――不意に部屋の扉をノックする音が聞こえる。
「――お嬢様、まだ起きていられますか? 入ってもよろしいですか?」
聞き慣れない少年の声に、心の火が戸惑いに揺れる。
「入りますよ?」
「あっ……」
なにか、なにか言葉を返さなくちゃ……そうは思っても枯れた喉は上手く機能してくれない。
「失礼します」
部屋に入室して来たのは、灰を被ったような髪を短く切り揃えた知らない顔の少年だった。
明かりの灯されていない部屋で、彼女は一瞬だけ自分と同じ黒髪だと錯覚した。歳は彼女よりも幾つか上に思えた。
「お嬢様! いけません、こんな所で!」
ポカンと見知らぬ少年を見上げていると、彼は部屋の様子を見るなり慌てた様子で駆け寄り彼女を抱き上げた。
「ひゃっ……!」
「こんなにお身体が冷え切って……全く、他の使用人は何をしていたのか」
事態が呑み込めぬままにベッドに寝かせられ、かと思えば室内を暖かい暖炉の火が照らし出す。
照らされた少年の顔は、どこか異国を思わせる顔立ちをしていた。
「お嬢様、ゆっくりとお飲みください」
「あ、り……あと……」
今までしゃくり上げて泣いていたせいで上手く呂律が回らない。
それでも彼女は水差しからコップに水を注いでくれた少年に礼を言い、彼に支えて貰いながら水を飲んだ。
「あな、たは……」
水を飲んで幾ばくか落ち着いたのだろう。彼女は少年へと潤んだ瞳を向ける。
「申し遅れました。僕はたった先ほどよりお嬢様の専属となりました、オリバーと申します」
聴く者の心を安堵させる優しい声色で囁いた彼は、返事を聞くよりも先にゆっくりと彼女の身を横たわらせ、その手を取った。
「こわい……こわいの……ねむったらしんじゃう……」
「大丈夫です。明日もまた目覚められます」
「ひとり、は……さびしい……」
「僕はこれから先ずっとお嬢様と一緒におりますよ」
「くらい……こわいの……」
「手を握りましょう。暗くて顔が見えなくても、これなら寂しくはありませんね」
「ほんと、に……ずっといて……くれ、る……」
「えぇ、いつまでもお嬢様の手を引いて差し上げます」
「あり、あと……」
「勿体ないお言葉です」
疲れ切っていたのだろう。何度か言葉を交わすうちに彼女はいつの間にか寝息を立てていた。
「おやすみなさいませ――モニカお嬢様」
「この愚図! 私はエルフの奴隷が欲しいと言ったのよ!?」
シュヴァルガルト王国の南部に大きな領地を持つ大貴族――ナイトレイ侯爵の城に癇癪の声が響き渡る。
「しかしお嬢様、エルフの奴隷は条約によって禁じらて――」
癇癪を起こしている黒髪の令嬢を宥めようと声を発した灰被りの従者は、その頭に飲みかけの紅茶をカップごと投げ付けられた。
「煩い! 貴方は私の味方ではないの!?」
涙を滲ませた剣幕で怒鳴る令嬢。
「僕はモニカお嬢様の味方でございます」
顔色一つ変えずに言葉を返す従者。
「だったら私が欲しいと言った物は必ず用意して! 絶対だから! 約束よ!」
従者の返答を聞いて安堵したのか、幾分か声のトーンを落とした令嬢は幼子のように駄々を捏ねる。
「今のエルフには魔王の子が居ります」
「関係ないわ! こっちにだってちぃと能力はあるんだから!」
令嬢の掌に、一切の光を呑み込む闇の炎が灯る。
それを見た途端、周囲に控えていた他の使用人たちの顔が一斉に強ばった。
ナイトレイ侯爵家に仕える者たちは知っている――あの闇の炎があらゆるもの全てを侵食し、どんな結界だろうと容易く消滅させる事を。
「しかし、僕が長らくお嬢様の傍を離れるのは……」
「……それ、は…………とにかく何とかしなさい!」
「……畏まりました」
使用人たちは灰被りの従者へと同情の眼差しを向ける。
彼がお嬢様の癇癪に振り回され、無理難題を吹っかけられた事はこれが初めてでは無かったのだ。
「何をボケっとしているの?」
「……っ」
そんな使用人たちへと、令嬢の矛先が向く。
「何も言われずとも紅茶のお替わりを用意しなさい!」
「し、少々お待ちを!」
これが今のナイトレイ侯爵家の日常風景だった。
「オリバー様、ご報告が」
「なんだ?」
そんな日常が崩れる報告を、灰被りの従者は部下から耳打ちされる。
使用人たちを叱責するのに夢中で、自分たちの事に気付いていない主人にこの事を告げるかどうかほんの一瞬だけ迷って……従者は自分が味方するべき少女のもとへと歩を進めた。
「お嬢様、たった今入った情報なのですが――」
「なによ?」
今回のお嬢様の我が儘は一線を超えている……そうと分かっていても、灰被りの従者はそれを共に踏み越えるべく口を開く。
「――エルフを引き連れた者たちを領内で見掛けたと」
我が儘お嬢様だぁいすき♡




