8.聖女の娘
剣聖+聖女にしたくて武器を剣にしました
もしも神官にはメイスだろ派閥の方が居たらごめんね
――シャン
鈴が鳴るような軽やかな音を立てて、鞘から抜き放たれた白銀の細剣がその刀身を現世に晒す。
上段からの振り下ろしを受け止めると見せ掛け、そして同時に力を抜く事で刃を滑らせ体勢が崩される。
あまりにも滑らかで、刃が擦れる音すらも耳に心地良く――ゲルレイズが認識できたのはそこまでだった。
「――」
前方に重心が傾いたままのゲルレイズの顔を剣の腹で強く打ち上げ、晒された胸部を逆手に持ち替えた柄頭で突きながら魔力を浄化する。
突然の頭部への衝撃に意識が朦朧としたところに胸部を突かれ、肺の中の空気を強制的に全て吐き出されたゲルレイズは訳も分からないまま、呼吸もまともに行えない状態で膝を着く。
大男が少女に襲いかかっていた筈なのに、瞬きの間に状況は正反対の構図に置き換わった。
「アッ、……がっ……はぁ、ぁあ……」
「……」
大きく開けた口から涎を垂れ流し、胸を抑えて蹲るゲルレイズの眼前へとシルヴィが剣先を突き付ける。
中空に浮かぶ光球の灯りを反射して精緻な飾り彫りが鈍く輝き、見た者に美術品としての価値の高さを否応なしに理解させるその細剣。
ゲルレイズが振るっていた魔剣からは先ほどまでの禍々しい気配は鳴りを潜め、まるでシルヴィと細剣に怯えたように刀身を曇らせ錆び付かせる。
手にしている得物の現状が、お互いの格差をそのまま表しているかの様だった。
「もう、おしまい……ね?」
緩く小首を傾げ、たどたどしくシルヴィがそう告げる。
ただそれだけで、ゲルレイズから反抗の意思が失われていく。
頭ではなく身体で理解したのだ……この目の前の少女はその気になれば自分など容易く葬れるだけの力を持っている事に。
さも当然かの様に魔剣という凶器を振り回す自分を一瞬で叩き伏せ、その後も汗一つ搔いていないシルヴィの底知れなさを。
「――降参だ」
気が付けばその言葉が口をついて出ていた。
「しる、ヴぃ……ちゃん……」
細剣を鞘に戻しながら、シルヴィは優希の声が聞こえてる方へと振り向き口を開く。
「どうして――」
ここに居るの? と言い終えるよりも先に、シルヴィの耳に何やら異常な呼吸音が聞こえて来た。
「ぜェーッ……ゼェーッ……」
「……おぅ」
そこには息を切らせ、胸を抑えて苦しそうにしながら今にも死にそうな顔でヨタヨタと歩いて来る優希が居た。
もうとっくに下山し、近隣の町や村に避難していたと思っていた優希がボロボロになって現れたものだから、思わずシルヴィから変な声が出てしまう。
「ヒィ、ヒイッ……こ、れ……荷物……シルヴィ、ちゃんの……」
「……ありがとう」
「ゼェ、ゼェ……ヒュー、ヒュー……」
「……大丈夫?」
「だいじょっ、おえっ……ぶ……し、下に……やばいの、ひてる……」
「わかった」
わざわざ剣や荷物を届けてくれた事にも驚いたが、それよりも満身創痍の優希の状態の方が心配であった。
そもそもどうして彼女が今この場に居るのだろう――そう、疑問を浮かべたタイミングで優希の頭上を浮かんでいた灯火が消える。
それを見てシルヴィはなるほどと勝手に一人で納得する。これが一番生存確率が高いのだろうと。
そして下にヤバいのが来てるという優希の発言を聞いて、シルヴィは瞬時に深い祈りの境地に達し、自らとその周囲へと迫る危機の啓示を得る。
そうする事でこの山村を目指して山の麓から魔物の群れが近付いて来ているのを把握した。
「なんか、いっぱい来てるね……?」
なんでこの山村に大量の魔物が迫って来ているのかが分からず、シルヴィは思わず眉根を寄せる。
「……あぁ、そうだ、すぐ近くに魔王軍が来ている。真夜中にこれだけ派手な灯りを付けて大騒ぎしたんだ、もう間もなくここまで辿り着くだろうな」
そんなシルヴィへと、もう立ち上がる気力すらないゲルレイズが静かな声で反応した。
「お兄ちゃん、知ってたの?」
へたりこんだ優希の細かな傷を祝祷術で癒しながら問い掛けるシルヴィに対し、ゲルレイズは苦笑しながら言葉を返す。
「俺はお兄ちゃんじゃねぇ、魔王の子を騙った臆病者だ……多分だが、魔王の子が暴れてるって聞いて確かめに来たんだろうぜ」
それを聞いてシルヴィは顎に指を当てて考え込む。
「確証は無いがな」
「わかった」
確証は無いとは言うが、今ここに魔王軍の一部が迫って来ているのは事実である。
であるならば、シルヴィがやる事など一つしかない。
「どうする? 俺達を見捨てて逃げるか?」
「いや……」
面白がるような、自棄になったような何とも言えない表情を浮かべるゲルレイズを一瞥して、それからシルヴィは軽い口調でこう答える――「今から退治してくる」と。
それはまるで、ちょっと散歩に行ってくるかのような軽さであり、そしてその言葉のすぐ後には村全体を覆う巨体な結界が生み出される。
「は?」
「朝には戻って来る」
口をポカンと開けて驚くゲルレイズを他所に、シルヴィは未だに立ち上がれない優希の前髪をサラりと撫でる。
「しる、ヴぃ……ちゃん……」
「待ってて」
それだけを言って立ち上がったシルヴィは、そのまま村の外へと歩き出した――
「……一人で逃げたに決まっている」
無理だ。ちぃと能力も使わないで、人間が一人で相手に出来る類いのモノではないとゲルレイズは独り言ちる。
魔王軍を構成するのは魔獣、怪物、妖魔……そう呼ばれる異形の悪である。
魔王の瘴気より生まれ出ずるそれらはたった一体でも人の手に余る存在だ。それが徒党を組んだのが魔王軍だ。
魔力と呼ばれる、禁忌の力を内包した魔物達には通常の手段ではマトモなダメージは与えられない。
「……いや、それでも無理だ」
一瞬だけ近くに転がる魔剣を見て、あの量の魔力を瞬時に浄化してみせたのなら可能性はあると思い掛けて……いや、それでも無理があるとゲルレイズは首を振る。
「ふぅ、ふぅ……シルヴィちゃん、大丈夫かな……」
「おい」
「! な、なに?!」
怖い顔の男性に話し掛けられ、優希は上擦った声で返事をする。
「お前昨日捕まった女の一人だろ、何故逃げなかった」
今そんな問いをして何か意味がある訳ではなかったが、何となく気になった事をゲルレイズは尋ねる。
あの規格外の聖者の【灯火の導き】なら魔王軍に気付かれず脱出できたかも知れないのに、それを不意にしてどうして戻って来たのかが分からなかったのだ。
自分を捕え、怖い目に遭わせた者達と心中するつもりなのかと。
「……」
そんな事を急に聞かれても優希は困惑するしかない。
強面の大柄な男性に、それも先ほどまでシルヴィに襲いかかっていた山賊達のボスと思われる男に声を掛けられて恐怖も湧き上がる。
「どうなんだ?」
焦れたように答えを急かすゲルレイズに、優希も仕方なく口を開く。
「――だって、一人だけ助かる事なんて出来ない」
「……」
その、あまりにも純粋過ぎる本音はゲルレイズの心の深い場所にある柔らかい部分を撫でた。
戦友の死、祖国の滅亡、英雄の魔王化による混乱……それらに絶望し、恐怖して逃げて来た彼の心を乱す。
「ごほっ……そうか、わかった」
「だ、大丈夫ですか?」
口から血反吐を吐き出しながら返事をするゲルレイズに、優希は思わず心配の声を掛ける。
そんな彼女に対して、ついさっきまで怯えていた相手の心配をするのかと苦笑して、口元の血を拭いながら「問題ない」と返す。
「それよりも、何をしている?」
「えっ?」
「まさか助けに行く気か?」
今まさに、一人で異形の集団に向かって行ったシルヴィを助けに行こうと震える足に力を入れていた優希は驚きの表情を浮かべる。
「だったら止めておけ。もうお前に出来る事は何もないし、むしろ足でまといになるだけだ」
「それ、は……」
「逃げずに奪われた武器を取り戻しただけで満足しておけ」
「……」
優希は俯き、唇を噛み締める……確かに自分にとって出来る事はもう全てしたとも言えるし、普段の自分からは考えられないくらい頑張った方ではある。
自分一人だけなら逃げられたかも知れないのに、わざわざ引き返して、それだけじゃなくて怖い大人と戦うシルヴィの為に武器と荷物まで取り返した。
平和な国で暮らすただの学生でしかなかった優希の功績としてはこれ以上は無いだろう。
「ま、一人で逃げただけかも知れねぇがな」
「シルヴィちゃんはそんな事しない!」
自分を逃がす為に囮になった彼女が、今さらそんな事をする筈がないと優希は心の底から思えた。
「だったら信じて待っとけばいいだろ」
「……」
そう言われればもう黙るしかない。
そんな魔剣の代償で一気に老けた大男と、育ちの良さが窺える一人の少女の元へと村人がおっかなビックリといった様子で歩み寄る。
「お、お頭ぁ……俺たちはどうすれば?」
「知るか、自分で考えろ」
「そ、そんなぁ……」
この期に及んでまだ自分を頼る村人達に苛立ちが募る。
村人達の足では魔王軍の行軍速度に勝てないのだから、逃げ遅れた時点でもう出来る事などない。
俺の八つ当たりをボケっと突っ立って見てたのが悪いとゲルレイズは吐き捨てる。
「助かりたけりゃあ、聖女の娘にでも祈ってろ」
「? そこは神様じゃないんですかい?」
「俺は神には祈らん」
それだけを吐き捨てて、ゲルレイズは黙ってその場に座り込む。
自分達のボスがそんな様子だからか、村人達もどうして良いのか分からず、ただ途方に暮れた様に現状が変わるのを黙って待つしか無かった。
優希ちゃん、死にそう
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