69.開戦
Q.シルヴィの影響下に入ったら洗脳は解けるのに、どうしてギルベルト派まで洗脳する必要があるのか、またはそうすると優希達は考えているのか
A.ギルベルト派を洗脳するだけで、元々本心から第三皇子に従っている戦力を全て投入できるからです。本来ならばギルベルト派を監視する為に皇都にお留守番しなければならない戦力も投入出来るようになります。
「来た――」
概ね優希と辺境伯の予想通り、その日の夜にはもう大きな音を立てながら大樹の根元へと軍勢が迫って来ているのが分かった。
暗くてあまり良く見えないが、それでも職業軍人の集団というのは人々の心に恐怖を植え付ける。
「予想より少ない? ……いや、とりあえず出撃できる者だけ派遣した感じかな?」
パッと見の概算ではあるが、黒く蠢く騎士の集団はどう見積もっても二千も居るとは思えない。
元々非番の者も居たであろうし、ギルベルト派の洗脳が全て終わっていないのもあるかも知れない。
どちらにせよ、全ての準備が終わるのを待つのではなく、行ける者から先に向かわせるという選択を堕天使は取ったと考えるべきだった。
「本当にシルヴィちゃんを得る為に突っ走ってるんだ」
ただ愚策であるかと問われると、そうでもない。
相手からすればギルベルトが戻って来るまでに数日間の猶予しかないため、ここで少しでもシルヴィ達の疲弊を狙い、間断なく攻撃を繰り返す事は効果的だと思われた。
それにどうせ時が経つにつれ全軍が揃うのだし、シルヴィ達からはわざわざ打って出るような事もしない。
少数をバラバラに派遣しても、そこまで被害は出せないと踏んだのかも知れない。
「シルヴィちゃん、大丈夫?」
「……ねむい」
意識はハッキリとしているが、シルヴィは非常に眠そうだった。
「来るぞ! 伏せろ!」
シェイエルン辺境伯の怒号が発せられるのと、結界に何かが衝突した破裂音が響き渡るのは同時だった。
方々で悲鳴が上がり、何も無いと思われた空中に波紋が浮かび上がる。
前方では結界の反撃を受けたらしい騎士達が隊列を崩しているのが確認できた。
「良かった……ビックリしたけど、やっぱりシルヴィちゃんの結界は突破できないんだね」
「それはどうだろう?」
「え?」
シルヴィの意味深な発言に疑問の声を上げた直後、隊列を崩していた騎士達が動き出す。
それまで取っていた密集陣形を崩し、結界の外周を沿うように薄く広がり始めたのだ。
「何を? あれじゃあ、まるで私達を逃がさないための――」
「私のお母さんは素通りできた」
「……」
シルヴィのその言葉が示す通り、外周を囲む騎士達の中から一部の者が前へと進み出る。
段々と姿がハッキリと見えて来るにつれて、結界に近付いてくる人物の中に騎士ではない者まで混じっている事に気付く。
「教会の戦力か」
聖職者、神官戦士、そう呼ばれる者たちである事は近くのシェイエルン辺境伯が漏らした呟きにより判明した。
皇都に在籍している総数から考えれば少ない人数ではあるが、シルヴィの祝祷術の影響下にあるここまで来れたという事は、彼らは堕天使の力など関係なく、自らの意思でシルヴィを奪還しようと馳せ参じた事は明白。
そんな彼らはシルヴィが張った秩序の円を容易く踏み越え、絶対的な安全地帯だと思い込んでいた領域に侵入した。
「ひっ!」
「な、なんで!?」
「ここは安全じゃなかったのか!?」
怯えの声が木霊し、動揺が伝播する。
優希は即座に不味い状況になった事を悟る……恐怖から混乱した避難民達が、各々好き勝手に逃げ惑い結界の外に出れば外周を囲う騎士達に捕縛され、人質となるだろう事は簡単に予想が付いた。
最初の攻撃は本当に結界を無理やり突破できないのか、突破しようとしたらどうなるのか、もしくは結界の外周が何処なのかの確認だったのだろう。
「お迎えに上がりましたよ、シルヴィ・ハート様」
「アルトゥールッ!!」
「おや、シェイエルン辺境伯ではないですか、こんな所に居たのですね」
結界内に侵入して来た者たちはざっと十八人ほど、対してコチラに彼らと対抗できる戦闘員は十人を下回る。
数の差もあり、更には彼らは避難民達を結界外へと追い立てるだけでも良いのだから状況は非常に宜しくない。
「ひっ! お願いします! 命だけは!」
「助かりたい者は自ら結界の外へ向かうが良い!」
「どうか、どうか! 聖女様お貴族様、我らをお助けください!」
恐怖と動揺が場に拡がり、混乱から悲鳴と泣き声が夜空に反響する。
聖女の護りさえあれば自分達は安全なのだと、そう自らに言い聞かせてきた事で抑え込まれていた不安が決壊するのに、これ以上の分かりやすいパフォーマンスは無いだろう。
「辺境伯も今は頼れない……何か、何か……状況を打開する術は……せめて皆を落ち着かせる事が出来れば……」
シェイエルン辺境伯はアルトゥールを詰問している様でいて、少しでも会話から情報を得ようと、そして時間を稼ごうとしている。
皇国最強の騎士を問答だけで釘付けにしているのだから、もう既に彼の功績は多大だ。
救いを求める民衆の叫び、今にも虐殺を始めそうな狂信者たちの圧力、そしてただそこに在るだけで人々の不安を掻き立てる夜の闇……優希自身も場の雰囲気に呑まれ掛けていた。
「――ユウキ」
そんな彼女の手を、シルヴィがそっと握る。
「――大丈夫だから」
月光に照らされ、ほんの薄く微笑んだシルヴィに数秒ほど見蕩れる。
「う、うん! ありがとう!」
我に返り、何度も頭を振っては両頬を自ら叩く。
「ユウキ?」
「大丈夫だよシルヴィちゃん、ありがとう」
ただそれだけのやり取りで優希の心に不安も恐怖も無くなっていた。
【――光を】
パパっと複数の光球が空中に打ち上げられ、その場が真昼のように明るくなる。
シルヴィに指導を受けた今の優希は、形も指向性も持たせない、ただ光量を強くした光球を複数同時に生み出すなど造作もなかった。
「これは……」
優希が生み出した光球は、ただその場を明るく照らしただけではない。
「あぁ……」
民衆の心に勇気の火が灯る――その暖かく、柔らかな光を目にしただけで恐怖にザワついていた心が凪ぎ、なんの根拠もなくもう大丈夫なのだという気持ちが湧いてくる。
反対に敵対する者たちの心に重い罪悪感が伸し掛る――あの〝光〟と敵対してしまったという罪の意識に戦意が削がれ、どうしようもなくその場に跪いて赦しを乞いたくなるのだ。
「不味い! まさか彼女が――」
「ユウキには手を出させない」
驚きに目を見張り、歓喜と敵意を滲ませたアルトゥールがシェイエルン辺境伯や周囲の状況を一切合切無視して優希へと突撃しようとする。
それを阻止するべく、シルヴィはいつの間にか抜き去った細剣でアルトゥールの目元スレスレを薙ぎ払った。
「っ、と……聖女様ではないですか!」
「私は聖女じゃない」
「あぁ、あぁ! ここにお二方が揃っておられる! 人類の未来がここに在るッ!!」
「……マイナスイオンは?」
「知りません」
そこだけ真顔で返されてシルヴィは少し面食らった。
そこに無かったら無いですね(某店員)




