64.脱出
シルヴィ達も異変に気付いたぜ!
「……ユウキ、様子がおかしい」
「え?」
図書館で読書していた優希の肩を揺さぶり、シルヴィは警戒心を滲ませながら周囲へと視線を走らせる。
パッと見でおかしなところは何もないが、よくよく窓の先を見れば向かいの棟内を兵士が走り回っているのが確認できた。
二人して黙り込み、そっと耳をすませば争いの声や剣戟の音さえも聞こえてくる。
「ギルベルトさんとルゥールーが出立した直後に?」
現状では天使や悪魔といった存在を滅ぼす事なく、封印という形で抑え込めるのはシルヴィの祝祷術かルゥールーのちぃと能力しか存在しない。
そのため、古都コーポディアに居座るという天使をどうにかする為ルゥールーはギルベルトに同行していた。
古都コーポディアに居座っているのが偽情報であった場合に備えて、城内にも封印が出来る者を残しておいた方が良いだろうという判断で二グループに別れていたのが現状だ。
お互いの付き合いの長さ、優希が馬に乗れないこと、シルヴィが「約束だから」と優希の傍を離れたがらなかった事から二人は留守番組となっていた。
「天使は城内に? だとしても出立した直後じゃあ、ギルベルトさんも直ぐに戻って来られるんじゃない?」
もしくは第三皇子が単独で起こしたただのクーデターという線もあるが、流石にそんな浅慮な事は……いや、魔王の子が二人も居なくなったのだから気が大きくなったのではないか、天使が居るにせよ居ないにせよあまりにも急過ぎて相手の狙いが読めない。
そんな風に悩む優希へと、シルヴィは静かに言葉を零す。
「お兄ちゃん達は来れないかも」
「え?」
「結界が張られてる」
窓の外を見上げるシルヴィの視線の先を追ってみるが、残念ながら優希にはただの曇り空が見えるだけだった。
なんの変化も見受けられないし、目を凝らしてみてもいつもとの違いが分からない。
それでも神に祈る事で不思議な現象を起こすシルヴィが言うのであれば、そこには確かに結界と呼ばれるものが存在するのだろうと優希は現実を呑み込んだ。
「……ギルベルトさんなら壊せるんじゃないの?」
「守りじゃなくて、欺くための結界」
「……つまり壊すとか以前に城の状態に気付けない?」
「そう」
シルヴィ曰く、あの結界には魔力と聖気が混在しているため、極めてニュートラルな力で編まれているようなもの、性質としてはその辺の空気と何ら変わりないため気付ける人は私のお母さんくらいだろうと。
初めて会った時の天使には魔力しか感じられず、天使を騙る悪魔かと思っていたが、もしかしたら堕天使――より正確に言うならば、堕天したばかりの天使かも知れないと。
「堕天して日が浅い存在は聖気と魔力が混在し、使命感と自我の解放の狭間で揺れ動く」
「シルヴィちゃん?」
「つまりとっても危うい」
珍しく饒舌に長文を言葉にしたシルヴィの様子に、本当に危うい状況になっていると優希は察した。
恐らく相手は合理で動いていない。ならば相手の考えや動きを予測する事は困難だ。
人外という点で人とは価値観も考え方も異なり、その思考を読み取る事は難しい……けれど相手の狙いや目的を考えれば、自ずとそれを達成する為の最短距離、必要最小限の手数というものは推測できる。
人とは異なる精神をしている天使や悪魔の行動を読もうとした時に、優希が考える唯一の解だったが、それが通用しそうにない。
「シルヴィちゃんは結界をどうにか出来ないの?」
「……分からない、魔力は打ち消せると思う」
結界を構成する要因の一つである魔力を打ち消す事が出来れば結界の存在に気付く事のできる人物も増えるだろうし、魔力を打ち消された分綻んだ結界を解体する事も出来るかも知れない。
しかしながらシルヴィの祝祷術は神や天使に祈る事でその力を発揮するため、元々祈りの対象である天使の力を自分がどうこう出来るのかは自信が無かった。単純にやった事がないからだ。
「それよりもお姉ちゃんに連絡取ろう」
「どうやって――あぁ、皇都周辺の?」
「そう」
本当は城内にもルゥールーの力で成長させた樹木が欲しかったところだが、流石に城の中で魔王由来の力を行使するのは貴族達の反発が大きくて断念した経緯がある。
そのため事態をルゥールーに知らせるには皇都の周辺に、反乱軍の一部を沈静化させる為に配置された樹木へと語り掛ける必要があった。
皇都自体が端から端まで徒歩で移動しようとすると一日では終わらない規模であるし、それまでに第三皇子の手の者に見付からないように行動しなければならない。
「街の中でサバイバルする必要があるね、ジェシカさんとも合流したいけど……」
「ご飯は心配ない、任せて」
「それは分かってるし、頼りにしてるけど……前みたいに出し過ぎないでね?」
「……わかった」
とりあえず既にギルベルトに味方する者たちとは分断されているとみて行動した方が良いと、ジェシカとは合流できたら運が良い程度に認識する事にしたシルヴィ達はまだ見付かっていないのを幸いと図書館から脱出する事にした。
【――灯火の導き】
いつの日かの灯火を見て、優希は懐かしさに目を細める。
「先導する。肩に手を置いて離さないで」
「う、うん」
道に迷った時、何かから逃れる時、この祝祷術は最大の効果を発揮する。
術者の力量によっては必ずしも望みの場所に行ける訳でも、逃げ切れる訳でもないが、現状に於いて最善と思われる道へ導いてくれるのだ。
「居るね」
シルヴィ達は灯火が示す窓の前に待機し、眼下で走り回っていた兵士が見えなくなって数秒ほどした頃、灯火が先導を再開して窓を通り抜けていく。
外へと移動する灯火を追い掛ける形でシルヴィもガラス張りの窓を開放し、そのまま縁へ足をかける。
「ユウキ、捕まってて」
「まさか」
「喋ったら舌を噛む」
「ちょっ、まだ心の準備ひゃっ――!?」
その細腕の何処にそんな力があるのか、膝裏から抱え込まれるように持ち上げられた優希が制止の言葉を言い終えるよりも前に、シルヴィは人ひとりを担いで飛び降りた。
「〜〜〜〜っ!!」
自分が叫んで敵を呼び寄せる訳にはいかないと、優希は瞳に涙を溜めながら数十メートルの高さを自由落下する浮遊感を必死に耐える。
シルヴィの首に腕を回し、子コアラのようにしがみつきながら唇を噛み締めて言葉にならないくぐもった声を喉から発した。
「周囲に気配はない、行こう……ユウキ?」
静かに着地したシルヴィが優希を下ろし、周囲の気配を探って人気が無い事を確認してから灯火が導く方へ足を踏み出す――その直前で動く気配のない優希へと振り返った。
「――こ、腰が抜けちゃった」
大樹海ではもっと高い場所から飛び降りたりした事を思い出し、何故この程度でと首を傾げつつもシルヴィは暫く優希をおんぶする事にした。
シルヴィは知らない……あの時も優希は腰が抜けていて、しばらく膝の震えが止まらなかった事も、それを言い出す状況ではないと我慢していた事も、そして今現在も歳下の女の子におんぶされている状況に真っ赤にした顔を両手で隠している事も、シルヴィは知らないのだ。
「……ごめんね」
「? いいよ?」
飛び降りるのは一瞬なのでまだ耐えられますけど、優希ちゃんはジェットコースターとか乗ると失神するくらい弱いです。可愛いね。




