56.思慕
シルヴィちゃんの出自は下手に触ると火傷します
「――以上が決闘の詳細ですね」
それまで部屋の窓から外を眺めていた壮年の男性が振り返り、アルトゥールへと声を掛ける。
「報告ご苦労」
そう短く声を発した男性――ケルン候は真冬の湖の如き冷たい雰囲気を漂わせ、その鋭い視線だけで他者を従えるような威圧感を伴っていた。
ともすれば心の弱い者であれば反射で平伏してしまいそうな重く響く低音で、人を従える事に慣れ切った声を聞いてもアルトゥールの飄々とした態度は微塵も揺らぐ事はなかった。
「アバルキン宮中伯は体調が優れないみたいなので、暫く療養する事になるでしょうな」
「左様か」
アバルキン宮中伯は皇族も含めた多くの人間の前でまだ成人もしていない少女に複数人で襲いかかって返り討ちにされ、更にその相手は神から眼差しを向けられる特別な存在である。
現実を受け入れられず、また目に見えない天罰の存在に怯えて様子がおかしくなってしまったのだ。
彼からしたら派閥内での自分の存在感をアピールしようとしただけなのに、相手の予想外の行動で全く想像もしていなかった結果になったのだから当然とも言えた。
もちろん療養というのも表向きの話であり、アバルキン宮中伯は既にケルン候の手の者によって亡くなっている。
彼は決闘後も皇太子への謝罪を拒否し、「これは小魔王の陰謀だ!」と騒ぎ立てた結果派閥にとって害が大きいとケルン候によって判断された。
暫くしたら肉体の死と書類上の死が重なるだろう。
「……何故アバルキンなどという小物の挑発に乗ったのやら」
「ん〜、お披露目の意味があったんじゃないですかねぇ?」
「コチラへの牽制、示威行為も含まれていそうだな」
「そういえばここ最近決闘騒ぎなんて面白いイベントをありませんでしたから、観客は多く集まりましたねぇ」
「人を多く集めた上でなければお披露目などの意味はないが、衆人環視の中で大物に恥をかかせると後に引けなくなる――といったところか」
確かにそういった目的があるのなら理屈は通るが、しかしそれは同時に向こうの手札を幾つか晒す事にも繋がる。
あまりあの小さな魔王らしくはないなと、ケルン候は違和感を抱く。
「殿下の様子はどうだ?」
「それはもう荒れていますね。自分が先に目を付けた人材を横から皇太子殿下に掻っ攫われ、アバルキン宮中伯経由で手元に戻って来ると思えばそれも失敗し、皇族席で皇太子殿下にも何か言われた様子で」
「困ったものだ」
そうは言うが、ケルン候の表情や声色には大した変化はない。本当の意味で困ってはいないのだろう。
「下の者からしたら、もう少し落ち着いてどっしりと構えていて貰いたいものですけどねぇ」
アルトゥールのその言葉に思わずといった様子で失笑を浮かべたケルン候は、そのまま窓の外を……第三皇子が居るであろう皇城を眺めながらポツリと溢す。
「――担ぐ旗は軽い方が振り回しやすい」
「左様で」
短く応えるアルトゥールの声はいつも通り軽い物だった。
しかし今日の彼はそんな態度の中にも何処か隠し切れない興奮と歓喜がある事に気付き、ケルン候は短く言葉を発する。
「落ち着きがないな」
「はははっ、これは失礼を……」
口では謝罪しつつも改める気がないアルトゥールの様子を見てとって、ケルン候は無駄なやり取りを省き簡潔に問う。
「やはり、失踪した聖女の関係者だったか?」
「――聖女の帰還です」
答えは即座に帰って来た。それもケルン候が予測していた物と少し違うものであり、彼は真意を探るべくスっと目を細めてアルトゥールを観察する。
先ほどまでの飄々とした態度は鳴りを潜め、代わりに表に溢れ出したのは強烈な“信仰心”と呼べるもの。
陶酔したように、何かの幻影を追い求めるかのように、まるでそこに想い人が居るかのように普段の彼とは全く違う様子で、瞳を輝かせながらシルヴィという名の少女についてアルトゥールは語り出す。
「その御姿は正に聖女様の生き写し! 容易く主の視線を引き寄せる深い祈り! その身から溢れる聖法気はまるで生きた聖遺物のよう! それでいて剣の腕に衰えはなく――」
「それで? お前の結論はなんだ?」
段々と熱が籠り始めたアルトゥールを制するように、ケルン候はさっさと要点のみを話せと促す。
「すぐさまお迎えに上がるべきです」
そう断言するアルトゥールの目は真剣そのものだった。
「恐らくシルヴィ様はダイナ様の愛娘であり、我々人類に遺してくれた最後の希望――次代の聖女でしょう」
「突如として失踪したとしか聞かされていないが、父親は誰だ? ……やはり魔王か?」
それが一番可能性として有り得ると思った。姿を晦ます前の聖女ダイナは魔王と共に行動していたし、歳の離れた魔王に随分と執心していた様子だった。
そのシルヴィという少女にしても魔王の子と共に行動し、自国の皇太子やエルフの姫君を兄や姉と呼んでいる姿も目撃されているからだ。
故に警戒するように懸念を口にしたケルン候ではあったが、それを聞いたアルトゥールの顔からは全ての感情が削げ落ち、その瞳からは一切の光が失われていた。
「シルヴィ様はちぃと能力なる異界の異能をまだ見せた事がないため、魔王の子である可能性は低いでしょう。もしもそんな事があってしまったら……それこそ我らが聖女が魔王に穢されていた証明になってしまう。シルヴィ様の存在がその証拠となってしまう。消さなければならなくなる。今すぐに」
息継ぎを挟まず述べられた主張に思わずケルン候は苦々しい表情を浮かべてしまう。
今のアルトゥールの様子から、シルヴィという少女の存在自体に秘められた爆弾に気付いたからだ。
下手に彼女の出自や能力を暴けば皇国のみならず、世界中を巻き込んだ騒動に発展しかねないと。
「そんな事よりも早くシルヴィ様をお救いせねばなりません。どうやってあの方を騙したのかは分かりませんが、早く誤解を解いて今度こそ我々で保護しなくては」
「……シルヴィという少女をコチラ側に引き抜くというのは必要だろう」
ケルン候もそれ自体に異論は無かった。魔王の子達はこの世の理を超越した力を振るうと言っても、その力を振るう肉体自体は人間そのもの。
反魔王派閥に協力してくれている天使と異なり、やろうと思えば毒殺だって出来るかも知れない。
しかしここに神から愛された稀有な祝祷術の使い手が居ればどうか? 数多の警戒や警備を潜り抜けて毒を盛ったとしても浄化され、天使との正面対決で重傷を負っても癒される。
天使や悪魔を封印する術はあるが、人間を封印する術は無い。最後に物を言うのは武力のぶつかり合いである為、シルヴィを味方に出来なければ天秤が自分達の敗北に大きく傾く。
少なくとも今はエルフの姫君が滞在しており、国内の魔王の子が一時的に増えているのだ。
ケルン候は暫くは大人しくしているつもりで居るが、相手がそれを許してくれるとは限らない。
むしろアバルキン宮中伯の挑発に乗ったところ見るに、既に自分達を失脚させる為の陰謀が蠢いていると考えるべきだった。
「備えなければ――」
そう呟くケルン候の元に少し焦った様子の執事が顔を出す。
「御館様」
「どうした?」
「カルステッド殿下がシルヴィ様のもとへ」
それだけで事態を察したケルン候は重々しく溜め息を吐く。
「軽すぎる旗も考えものですね」
アルトゥールのその呟きが、ケルン候には酷く煩わしかった。
ちなみに決闘において剣まで禁止されなかったのでアバルキン宮中伯の真人間化は避けられました!やったね!(なお命)




