55.剣の乙女
なんか色々と変わってて予約投稿するのに戸惑った。
「では改めて条件の確認を行う」
ジェシカのその声を聞いて、周囲を落ち着きなく見渡していたシルヴィは慌てた様に真っ直ぐに正面を向く。
その際に自分の事をジッと見詰める男性騎士の存在が視界に入ったが、決闘の当事者に注目するのは別におかしな事ではないのですぐさま意識の隅に追いやった。
それよりも彼女は目の前で地団駄を踏むアバルキン宮中伯の事が気になって仕方なかった。
先ほど少しばかり「後ろの人達は保護者?」「んなわけあるかぁ!!」というやり取りをしてからずっと怒っているからだ。
「一つ、この闘いに於いて祝祷術は使用してはならない」
「二つ、それ以外の全ての力を双方は発揮すること」
「三つ、この闘いに於ける生死は問わない」
「四つ、シルヴィ及びユウキ両名が勝利した場合、アバルキン宮中伯は速やかに皇族への侮辱行為を認め、これを謝罪し、以降はシルヴィ及びユウキ両名を上位者として仰ぐこと」
「五つ、アバルキン宮中伯が勝利した場合、シルヴィ及びユウキ両名はアバルキン宮中伯への侮辱行為を認め、これを謝罪し、以降はアバルキン宮中伯に仕えること」
「六つ、双方の立会人はジェシカ・ザクセン・ローデンバーグとアルトゥール・ヴァイマル・アオスタが務める」
「七つ、これらの決まりを破れば即座に敗北と看做す」
アバルキン宮中伯は自らの部下に窘められ、ジェシカの声を遮らない様に怒りを抑え込んではいるが、それでもシルヴィを見る目には激情が宿っている。
「双方に異論が無ければ正々堂々とした闘いを神と皇族の方々に誓うがいい!」
「誓おう」
「ち、ちち、誓います……っ!!」
アバルキン宮中伯が手短に、優希が慌てて宣誓する中でシルヴィはただ一人その場に両膝を着き、そして祈るように手を組んで何処か遠くを見詰める。
【――主よ 旧き友よ どうか私の行いをご照覧あれ 私の所為に齟齬はなく 貴方の眼差しを無みする事はない 贏輸の誓いをここに】
それは正真正銘の神への誓い――唯の人如きが神へ語り掛けるなど何事か、神へ自らの声を届けられる者ですら片手の指で足りるというのに。
そう、シルヴィは神と皇族に誓えと言われた事を素直に受け取り、馬鹿正直に神に誓っているのだ。
そんな不敬が赦されるなど、それこそ聖女くらいなもので――
――あぁ、自分達は覗き見られている。
問われても証明など出来ない。けれども確かにこの場に居る全員が奇妙な感覚を共有していた。
今この瞬間、この場に――主の眼差しが注がれている。
「『――』」
絶句とは正にこの事であり、面白そうにニヤつくギルベルトと、何かが引っ掛かっている様子の優希以外の全ての人間がシルヴィが気安く起こした奇跡に言葉も出ない。
唯の人間ではなく、神が見届けるのだ……不正など誰であろうと絶対に出来る筈もない。
「お兄ちゃん見てて」
そんな偉業を成した当の本人といえば、誓いの祈りが終わったと見るやついでとばかりに皇族席へと手を振った。
彼女はきちんと、神だけではなく皇族にも誓いを行ったつもりらしい。
「ふっ、デタラメだな……」
珍しく口をポカンと開けて間抜け面を晒していたジェシカがハッと我に返り、そして最早言葉も出ないと頭痛を堪えるように頭を振る。
「……」
そんな彼女のすぐ隣りに立つアルトゥールの顔は全ての感情が削げ落ちたようでありながら、その瞳にだけは隠し切れない輝きが宿っていた。
「……それでは始め!」
隣りに立つ男の様子を気にしながらも、双方が誓いを行ったのだから良いだろうとジェシカは開始の合図を出す。
別に心にやましい物がなくとも、唯の人間は主の視線に長時間耐えられるものではない。
彼女の本音としては早くこんな茶番は終わらせて、不敬と思われうようとさっさと主にはお帰り願いたかったのだ。
「……む、無理だ……」
しかし両者動かない。正確に言うならばアバルキン宮中伯の私兵がシルヴィを畏れて動けなくなっていた。
最早シルヴィが神にとって特別な存在である事は誰の目にも明らかであり、そんな存在と敵対して自分は地獄に堕ちないかと心配なのだ。
そしてシルヴィはというと、優希から「先ほど何をしたのか」と問われていた。決闘は既に始まってしまったが、相手が動かない内に情報共有しようという考えだ。
優希の目は決闘に関わる事なのに何も聞かされていないとどんより曇っていた。
「えぇい、怯むな! やれ!」
「し、しかし!」
「この決闘の最中はあのような奇跡は起こせん! 神の前で誓いを破る事など出来ん!」
そんな部下の様子に気付いたアバルキン宮中伯が怒声を上げて指示を出す。
(アバルキン宮中伯は想像以上に冷静――いや、現実から目を逸らしたいだけか)
ジェシカはこの愚物にも考える力があるのかと一瞬だけ思ったが、よくよく見ればアバルキン宮中伯自身も動揺が隠しきれておらず、部下への指示というよりは自分へと言い聞かせている様な有様だった。
自らが神に愛されている者と敵対していること、その存在が実際に目の前でとんでもない奇跡を起こしてみせたこと、この決闘に勝たねば自らの貴族生命は完全に終わるが、勝ったとしても後が怖いことなど、それらから必死に目を逸らしているのだ。
今回はたまたま状況に対して最適解の動きになっただけである。
「つまり、ただ神様に誓っただけでやる事も出来ない事も変わらないんだね?」
「そう」
「そっか、なら良いんだけど……」
ちょうど情報の擦り合わせが終わったらしいシルヴィと優希へと、未だ隠し切れない畏れを滲ませて男達が殺到する。
彼らは執拗に自らに言い聞かせる――
「――奇跡を封じられた聖者など囲んで叩けば終わりだ!」
誰かが発したその言葉こそが、アバルキン宮中伯とその私兵達の願望だった。
「「愚かな」」
ジェシカとアルトゥールの声が重なる。
前者は自らが敬愛する主人がその程度で敗北する者を妹だと認める筈がないだろうと、何をしでかすのか分からないまでも信頼があった。
そして後者はただ知っていた――歴代最優と謳われた先代聖女ダイナ・ハートの別の名を。
「――ユウキ、下がってて」
シルヴィが使い古された数打ちの細剣を構える。
業物でも魔剣の類いでもない、今回の決闘に合わせて用意された有り触れた安物であっても、銀色の少女がその手に持てばそれだけで周囲の空気が張り詰め、対峙する者達は自らの死を幻視してしまう。
鞘から抜き放ち、正眼に構える動作に淀みはなく、剣先がピタリと動かずブレない様は彼女の剣士としての確かな積み重ねを感じさせた。
アルトゥールの口元が知らず知らずの内に緩む。
「ひ、怯むなァ! 全員で一斉に――」
アバルキン宮中伯が全て言い終えるよりも前に、先頭を走っていた五人が崩れ落ち、その後ろの三人の獲物が宙を舞い、後方に陣取っていた八人が持っていた弓の弦がプツリと切れる。
「――終わり、ね?」
「……ッ」
そしてアバルキン宮中伯の顔を間近に見詰めながら、彼の開いたままの口にそっと剣先を添えるシルヴィの姿は正に――
「――剣聖、剣の乙女」
誰かが囁いたそれは、先代聖女ダイナ・ハートを畏れた人々が付けた名と同じである。
シルヴィちゃん「逆さの悪魔の猛攻に比べたら、別に……」
ルゥールーお姉ちゃん「人と悪魔を比べてはダメだからね?」




