45.寝坊助
ニアミス!
「……」
野営地から少し離れた場所でシルヴィは一人黄昏ていた。より正確に言うならば他の三人に叱られてしまったので反省の体を取っている。
真面目な話をするジェシカの頭の上にどこまで石を積み上げられるかチャレンジしたり、それを叱るルゥールーお姉ちゃんを高い高いしたり、優希を驚かせて彼女が集めて来た薪を散らかしてしまったり……シルヴィも「流石にやり過ぎたな」とは思ってはいるのだ。
人数が増えて賑やかになった事で、シルヴィも無意識の内にはしゃいでいた部分もあるのだろう。しかしながら三人から叱られて反省を促されてしまっては仕方ないと、こうして野営地から離れた場所で一人空を見上げているのだ。
「――お隣、良いですか?」
「ビックリした」
声を掛けられるその瞬間まで全く気配を感じられず、シルヴィはその無表情に驚きの感情を乗せて目を見開く。
シルヴィに声を掛けて来た青年は黒髪黒目という事しか分からず、顔を認識しようとしても覚えられない不思議な人物であった。
彼の足下では絶えず草花が芽吹いては枯れて、大地が乾いては潤うという事を繰り返しており、あまりに不気味な存在である。
「失礼、どこか懐かしい気配を感じたのもでね……思わず声を掛けてしまった」
「別にいいよ」
珍しい存在を前にして、シルヴィの視線は忙しなく青年の顔や足下を往復する。
どれだけ凝視しても顔を覚えられず、特に祝祷術や魔術を行使している様子もないのに、彼の足下だけ時間の流れが狂ってしまったのかと思うほど草花の成長と枯死が短い間に何度も繰り返されている。
あまりにも不思議で新鮮な現象に、シルヴィは相手の怪しさなど気にしていない様子で釘付けになってしまった。
「……ボクを怖がらないなんて、君も変わってるね」
「別に怖くはない」
確かに不思議で不気味な存在ではあるが、シルヴィは青年から強い神聖な気配も感じ取っていた。
これほど強い気配を発する人物は母であるダイナ以外に知らない。故にシルヴィは警戒が出来ない。
「へぇ? ……もっと近くで見てみる?」
「見る」
前のめりに自らの足下を観察するシルヴィを自然な動作で抱き上げ、そのまま自らの膝の上に乗せて満足気に彼女の髪を梳く。
「この黒銀、何処かで見た事があったかな?」
サラサラと手の上を滑るシルヴィの黒銀の髪を眺め、持ち上げ、顔に近付けながら青年は何処か遠い目で何かを思い出そうとする。
そんな彼の膝の上に座ったまま、生死を繰り返す草花を観察していたシルヴィがついでといった様子で疑問を口にする。
「それで、君は何者なの?」
「……何者なんだろうね?」
「うん?」
思っていたのと違った返答に顔を上げ、シルヴィは背後の青年を振り返る。
「何処から来たの?」
「さぁ? それも分からないんだ」
「むむっ」
シルヴィは「もしやユウキと同じパターンかな?」と、青年の境遇について想像を働かせる。
もしも仮に優希と同じで、この世界に迷い込んだ異世界の者ならば保護した方が良いだろうと。
しかし続いて青年から返ってきた答えはまたもやシルヴィの予想を裏切るものだった。
「寝起きでね、自分が何者なのか思い出せないし、寝惚けたまま出歩いたせいで此処が何処なのかも分からないんだ」
「……うっかりさん?」
「ははっ、そうかも知れないね」
シルヴィは思った――コイツ変わってるなぁと、自分の事は棚に上げて。
「本当に長い時間を眠っていた様でね……やっと適合する肉体を見付けられたのか、数千年振りにボクの人格が表に出られた」
「? 人間じゃないの?」
「さて、どうだったかな……人間だった様な気もするし、そうじゃない気もする」
「思い出せない?」
「そう、だね……まだまだ全然眠いからね」
「無理せず寝ると良い」
「君は本当に面白いね、懐かしい匂いもするし」
背後から抱き締める様に、左手でシルヴィの顎を掴んで振り向かせ、目が合った彼女に微笑みながら右手首を握り締める。
右手だけ持ち上げられた格好になったシルヴィに対し、青年は蠱惑的な声で囁く――「一緒に来るかい」と。
「君が近くに居れば、ボクの目覚めも早まると思うんだ」
青年の瞳が妖しく輝き、シルヴィをして背筋をゾクゾクとさせる魔性の誘惑……生まれて初めての感覚に困惑しながらも、彼女は申し訳なさそうに、あるいはいつもの調子で切って捨てる。
「ごめん、他に用事がある……」
まるで先約があるのに友人に遊びに誘われてしまったかの様な、そんな気安さを感じさせる断り文句に青年は喉を鳴らして嗤う。
「いいよいいよ、気にしないで? また会えると思うからさ」
何が可笑しいのか、愉しそうに笑いながらシルヴィの髪に口付けを落とす青年に対して、当の彼女は「この人は寝起きでも機嫌が良い人なんだな」と全く関係のない事を考えていた。
「――シルヴィちゃん? そろそろ戻っ、て……?」
と、そんなやり取りをしている最中……薮をかき分けてシルヴィを呼び戻しに来たらしい優希が姿を現す。
彼女はシルヴィと、シルヴィを膝に乗せている青年を視界に収めるや否や息を呑み恐怖に震え出す。
「し、ルヴィ、ちゃん……その人、は誰……?」
「誰だろう、寝起きらしい」
相変わらず要領を得ず、何を言っているのか分からないピントのズレた答えではあったが、今の優希にはそれを指摘する余裕がない。
何故なら彼女の目には青年が悍ましい〝黒〟にしか見えず、視線を向けただけで魂の奥底が掻き乱される様な落ち着かない感覚に陥るからだ。
唇から色を失くし、小刻みに震え始める優希の様子を見て流石のシルヴィも「何かがおかしい」と気付き始める。
「あ、あの……すいません……シルヴィちゃんから、離れてください……」
「君は――なんだろう、この心の底から湧き上がる憎悪は……凄く気味が悪いな、初対面だけど、ボクと仲良くなれそうにないね」
優希からすれば気味が悪いのはそちらの方だと叫びたかったが、下手に敵意を向けても不味い事になるのは本能的に理解できた。
今の彼女に出来る事は穏便に、何とかシルヴィから距離を取って貰うようにお願いする事だけだった。
「ユウキ? 大丈夫?」
「シルヴィちゃん、早く離れて」
相手を刺激しないように、小声で発せられる警告にシルヴィは青年を振り返る――彼はシルヴィだけを見て笑っていた。
「……ごめんね?」
「いいよ、行っておいで」
青年は優希の怯えを無視し、そんな彼女に対する拒否感を顕にしたとは思えない程にこやかにシルヴィを送り出す。
「あぁ、また眠たくなってきたな……」
シルヴィが離れると同時に、青年の意識も段々と薄れていく。
「――また会おう、シルヴィ」
シルヴィの手を掴み、逃げる様に自らから離れていく優希へと隠し切れない憎悪を向けながら、しかし何処か懐かしそうな目を向けながら青年は愉しそうに嗤う。
「こんな所に居られましたか、魔王陛下」
ウトウトとしていた青年に、道化師の格好をした悪魔が跪く。
「……魔王? それってボクに言ってる?」
「はい。貴方様以外に魔王を名乗れる者は居りません」
「そっか、ボクは魔王だったのか……」
青年の意識が薄れていくにつれて、彼を包み込む不気味でいて神聖な気配も薄れていく。
「またご自分の事をお忘れになる前に、我々にお力を貸して戴きたく」
「……あぁ、うん……はいはい……」
寝ぼけ眼を擦り、気怠そうに青年は自らの小指を引き千切る――勢いよく零れ落ちた血液が次第に一点に集まり出し、一つの宝玉を形作っていく。
「感謝致します」
作成された魔血魂を両手で甲斐甲斐しく受け取り、道化師の悪魔は完全に寝てしまった青年へと深々と頭を下げる。
「丁重にお連れするように」
暫くそうしていたが、やがて暫くはまた起きる気配がない事を悟ったのか、道化師の悪魔は配下にそれだけを命じてその場を立ち去った。
通りすがりの大魔王!
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