36.祖母と孫
キャラの内面を深堀りするのって楽しいよね。
「リィールー様」
未だに少し荒い息を整えながらシルヴィ達が去って行った扉を見詰め続けるリィールーに、側仕えの者が労るように声を掛けてくる。
その声でハッと我に帰ったリィールーはほんの一瞬だけ視線を彷徨わせ、そして力なく椅子に座り込んでから周囲の者達へと手を振った。
「大丈夫よ、少し一人にして頂戴」
「……畏まりました」
側仕えや護衛達が一斉に退出していくのを見送り、リィールーは疲れたように息を吐き出した。
「……」
ふと目を閉じれば思い浮かぶのは娘と孫の顔――大事な大事な家族で、自分が必ず守ると誓った存在。
そして彼女達に続いて瞼の裏に浮かぶのは先ほど追い出した聖女の娘の、その自分の全てを見透かしているかのような黄金の瞳。
「……っ」
身震い一つして頭から少女の顔を消し去る……相手の心を無遠慮に暴いてくるのは親子共々変わらないようだった。
だがしかし、だからこそ思うのだ――自分は本当に孫を守りたい、ただその一心で過ごして来たのかと。
あの瞳に見据えられ、自分さえ知らなかった本音を暴露されて内心穏やかではなかったが……それでも向き合わねばなるまいと、今一度自らの心の奥底へと手を入れる。
『お母さん見て? 私の子よ』
娘が無事に帰郷し、孫の顔を見せてくれた時――リィールーが最初に抱いた感情は「間に合わなかった」だった。
笑顔で帰って来た娘の無事に安堵する気持ち、沢山の心配をさせた事に対する怒り、娘を孕ませた異世界人を名乗る男への不信感、それらを含めた言葉に出来ない様々な感情を押し退けて何故最初にそんな事を思ったのか。
娘が無事な姿で――エルフ基準で未成年でありながら子を産んではいたが――帰って来たというのに、何が間に合わなかったのかと。
「……あぁ、私はもっと親子らしい事がしたかったんだわ」
母親の顔をする娘を見て、もう完全に自らの手を離れてしまったその姿を見て……失った年月の長さを理解してしまったのだろう。
親子として過ごす筈だった時間を取り戻したい、娘にしてやりたかった事や教えたかった事がまだ沢山ある、娘の初恋を自らの経験をもとに助けてみたかった、そして何よりも――
「――帰って来たら抱き締める筈だった」
娘の家出を黙認してはいたが、それはそれとして小言の一つや二つは言っただろうし、バツが悪そうな顔で「ただいま」を言う娘に「おかえりなさい」と抱き締める筈だった。
けれど娘は家出して直ぐに人間達に捕まり行方不明に、方々を探しても見付からず、そのうち心労が祟って一人では歩けない身体になってしまった。
そんな弱って老いぼれた身体で娘を抱き締められる筈もなく――いや、自分が抱き締めるまでもなく、娘は自らの子を抱きながら愛する男に寄り添っていた。そこに自分が入り込む余地はない。
それだけだったなら、まだリィールーは失った年月を想って一人寂しく死んでいくだけだっただろう。
しかしそんな彼女に転機が訪れる――娘婿が新たな魔王に成り、外の世界で暮らしていた娘が「魔王の子を産んだ魔女」として迫害されたのだ。
人間達から、かつての顔見知り達から命からがら逃げ延びて来た娘はまだ幼い孫を託して目の前で息を引き取った。
腹の底が煮えくり返った、心身共に弱りきった自分にここまで他者を憎む元気があるのかと思うくらいに外の世界へと憎悪を膨らませた。
『おばあちゃん、これからよろしくお願いします』
そんな憎悪も一瞬の後に萎んでいく……まだ幼い年齢の割に随分と大人びた対応をする孫が、幼い頃の娘と瓜二つだったからだ。
娘を失った哀しみよりも、娘に不幸ばかり齎した外の世界への憎悪よりも、リィールーの心を占めたのはただ一つ――失われた親子の時間への渇望である。
今、目の前に、自分が求めてやまなかったモノが在る――やり直しが、出来る。
「……私は、あぁ……そうか、孫を娘の代替品として……なんて事を……」
自らの醜い感情を自覚した後で孫との日々を振り返ってみれば、自分はなんと愚かな事をしたのかと後悔ばかりが蘇る。
孫は人との混ざり物だ。身体と違ってその精神はもう立派に成熟している。それなのにリィールーの口癖は「貴女にはまだ早い」だった。
同じ年齢の頃の娘には出来なかったのだから、孫が出来てはいけない……せめて娘と同じ成長速度でないと取り戻したかった日々は戻って来ないと無意識に思っていたのだろう。
上から抑えつけ、隔離し、娘と同じ物を与え、孫の人格を殺してはいなかったか……一度でもその事に考え至ってしまうと自らの所業に怖気が止まらない。
「それでも、私は……」
酷く、寂しい……それが娘と時間を失った老婆の、偽らざる本音だった。
「――おばあちゃん、今いいかな?」
と、そんな自らの邪な本音を自覚して打ちひしがれていた彼女の下へと大事な孫が顔を出す。
ある意味でシルヴィよりも、今一番会いたくない人物でもあった。
「ルゥールー……」
「あらら、その様子だとコテンパンにされちゃったみたいだね」
「……」
苦笑しつつフードを脱ぎ、透き通るような美しい千草色の髪の毛をサラリと流しながら近付いて来る孫に一瞬だけ身構える。
聡明で大人びた孫の事だ、自分のこの醜い本音の事も察していて今まで付き合ってくれていただけなのだろうと、すぐに察せてしまったからだ。
「――大丈夫だよ、私はおばあちゃんの事が大好きだから」
「……っ」
そんな怯える祖母の手を、孫が優しく小さな両手で包み込む。
「貴女はこの私が……森の中へと縛り続け、自由と挑戦の機会を奪った私が憎くないのですか……」
「うーん、多少は思うところがあったけど……それでも私を心配しての事だって本音の内でしょ?」
「それはそうかも知れませんが」
「お母さんはなんていうか、放任主義? だったからさ、おばあちゃんの厳しい優しさは嫌いじゃなかったよ」
リィールーは孫の顔を、目を……その奥に潜む本音を探ろうとじっと見詰める。
自分を気遣っての発言ではないかと、そんな感情を込めて。
「も〜、本当だってば……お父さんみたいに心配性で、少し懐かしく思ってたんだから」
「……そうなのですか?」
「そうだよ? 私のお父さんったら、私が何をするにしても心配そうにオロオロしてたんだから」
何かを思い出したのか、可笑しそうにクスクス笑う孫の顔を見て……リィールーは安堵すると同時に「私はアレと同類ですか」と少し複雑な心境になる。
「でもね、やっぱりおばあちゃんにはそろそろ子離れっていうか、孫離れして貰いたいなぁって思うんだ」
「……っ、やはり、そうですか……」
「も〜、そんな辛そうな顔をしないでよ〜? これは私の我が儘でもあるんだからさ」
「我が儘?」
成熟した子が独り立ちしたいと願う事の、何が我が儘だと言うのか。我が儘というのならばそれは自分の方ではないかとリィールーは訝しげに声を出す。
「ほら、私って割と早くに両親が居なくなっちゃったでしょ? だからさ――」
言いづらそうに、それでいて困ったように笑いながら孫は自らの恥ずかしい本音を口にする。
「――そろそろまた、お父さんに甘えたいなって」
今も苦しんでるお父さんを解放して、兄弟みんなで甘えて、それで今まで娘を放ったらかしにした事をおばあちゃんに叱って貰うんだと、指折り数えながらやりたい事を挙げていく。
「もしもお父さんを助ける事が出来てさ、外の世界で生きづらい様だったらこの森で一緒に暮らすもの良くない?」
「ルゥールー、貴女は……」
父親を殺す為ではなく、救う為に旅に出ると言うのかと……驚きの表情で祖母に見詰められたエルフの少女はほんのちょっとだけ気恥しそうに笑う。
「親殺し――それも、おばあちゃんは心配してたんだよね?」
「……」
「でも安心して? 私はそんなつもりはないし、多分だけどシルヴィちゃんもお父さんの命を奪おうなんて思ってないから」
あまりにも現実味がなく、一度魔王化した人間をその呪縛から解き放つ方法なんて聞いた事もない。
確実にただ倒すよりも難しいだろうという事が想像付き、場合によっては魔王を倒す意思が無いとして人間達から非難されてしまうのでないかと、また別の心配が生まれてくるものだった。
「それは……」
「難しいっていうのは分かってるけど……ね? 我が儘だって言ったでしょ?」
「……」
「それに今回の戦いで分かったでしょ? 引きこもってるだけだと、遅かれ早かれ私達は滅びるって」
今代の魔王は幾つものちぃと能力という、悪魔の権能に匹敵する超常の力を振るう。
そんな最悪の魔王が完全に覚醒してしまう前に、まだ一部の配下にのみしか魔血魂が配られていない内に決着を付けなければいけない。
「でもね、私はおばあちゃんの心配する気持ちも蔑ろにしたくない」
「ルゥールー……」
「だからね、おばあちゃんには心の底から私達の旅路を祝福して貰いたいの」
ダメかな? と、不安そうな顔で見上げる孫をリィールーは思わず強く抱き締めていた。
「わわっ!」
そこにある小さな命を、トクトクと鼓動を刻む心臓をより感じられる様に強く。
「……絶対に、死にませんか?」
「それは分からないよ」
「外の人間達は不誠実で、決して信用できません」
「そんな人ばかりじゃないよ、お母さんと私を逃がそうと助けてくれた人も居たよ」
「見目の良い女性だけの旅は危険ばかりです」
「途中でギルちゃんを拾うよ」
「あの生意気な者なんて特に信用できません」
「そうかなぁ〜? ギルちゃんって意外と分かりやすいけど」
「貴女の兄弟はみんな気に入りません」
「まぁ、癖の強い子達ばかりだよね」
「そんな者達に囲まれて、貴女が苦労する姿が目に浮かぶ様です」
「ははは……それはまだ確定した訳じゃないから……うん、ユウキちゃんも居るし……多分、きっと……大丈夫……と思う……」
「ほら、自信が無いではありませんか……こんな、こんな小さな身体で……常識の通じない親族を引き連れて……方法があるかも分からない父親救出の旅なんて、私は……」
「うん、うん……分かってるよ……」
「まだこんなにも小さな貴女がっ……頑張る事ではっ、ない……」
「分かってるから、ほら泣かないで」
「みんな、みんな嫌いです……貴女達子どもに頼らないといけない大人も、國の者達も……あの男に頼っておきながら、その子ども達を迫害する人間達も……」
「うん……」
「貴女を引き留められない、私自身も……」
「ごめんね……」
「どうして、どうして貴女達はすぐに私の下を離れるのですか……もっと、もっと庇護されていても良いではないですか……」
「おばあちゃんは良くしてくれてるよ」
「貴女達を守れず! そのくせ我が儘に縛り付けようとする私の何処が! ……私の何処が、良いと言うのですか……」
「この歳になるまで、シルヴィちゃんが迎えに来てくれる歳になるまで守ってくれたじゃん」
「……私は、貴女を危険な旅に出す為にここまで育てた訳ではありません」
「もっ〜、分かってるって、ごめんごめん」
仕方ないなぁといった様子でルゥールーは自らの祖母の背中を、その小さな手でポンポン叩きながら慰める。
身体の大きさも、年齢も、何もかもが相手よりも小さいのにも関わらず、これではどちらが歳上か分からない。
「数日ほど時間をちょうだい」
「……無理しなくて良いからね」
「いいえ、もう貴女に負担を掛けないように覚悟を決めます」
自らの心の整理を付けるべく、そう言い切ったリィールーは今一度……自らの大事な孫を強く抱き締める。
「――その代わり、ばぁばの話を沢山聞いてちょうだい」
恥ずかしそうに付け足されたその言葉を聞いて、ルゥールーは嬉しそうに頷いた。
人間って色んな内面があるよね。
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