24.エルフの事情
お姉ちゃんは今!
「ラァーラーです、客人を連れて参りました」
世界樹の根元から内部へと入り、複雑に入り組んだ回廊や螺旋階段を渡って辿り着いた扉の前でラァーラーは跪く。
小さくとも複雑な紋様が彫られたその扉は、不思議と目を惹くような存在感があった。
『入れるがいい』
「はっ! ……失礼のないようにな」
二人というよりは、シルヴィだけを何とも言えない視線で見送るラァーラーに身に覚えのないシルヴィは首を傾げつつも、とりあえずは内側から扉を開けられて招かれたので進む事にした。
「――よく来たな、聖女の隠し子よ」
シルヴィ達が足を踏み入れた部屋は意外と狭く、木の洞の中に布を敷いただけの様な簡素な内装だった。
部屋の奥の一段高い場所には向こうが透けて見えそうな程に薄い垂れ幕で仕切られており、背後には人が居る気配がする。恐らくは声の主だろう。
「こんにちは、シルヴィ・ハートです」
「は、初めまして……篠田優希と申します」
「ほう、シルヴィ・ハートにシノダ・ユウキか」
二人の挨拶に嗄れた声の主は感心したように、そして何かを思い出すかのように懐かしむように喉を鳴らす。
「私はこのメリュジーヌ大樹海に住まうエルフ、銀月の枝の氏族を束ねる族長のガァーラーと申す――以後、お見知り置きを」
人々の上に立ち集団を導く者特有の厳かな気配を醸し出し、重々しく名乗り返すエルフの族長ガァーラーは、そのまま自らと客人達を隔てる布を取り払った。
見た目は人間で言う初老を少し過ぎた、という年頃であり、光を失い焦点の合わない銀色の瞳が二人が居るであろう場所へと向けられる。
「シルヴィ、君の訪問はダイナから聞いておる。手紙があるのだろう? まずはそちらを出しなさい」
「わかった」
一応母親達への紹介状という事であったが、族長という事は自分のお姉ちゃんの祖父であろうし、同じ保護者であるならば渡しても大丈夫だろうとシルヴィは荷物から手紙を取り出しガァーラーへと手渡す。
「……ふむ、やはり予想通りか」
手紙には文字は書いておらず、代わりに小さな凹凸の羅列があった。それをガァーラーさ指でなぞりつつ、納得したように頷く。
シルヴィは初めて見るそれに興味を引かれ、優希は点字がここにも存在する事に少しばかり驚いた。
「結論から言おう――ルゥールーをこの森から出す事は出来ん」
「どうして?」
「必要性を感じない事と、氏族の者たちが許さないからだ」
懐から煙管を取り出し、紫煙をくゆらせながらガァーラーは疑問を顔に浮かべる二人へと静かに語り出す。
「私達の國はルゥールーの力で護られている。他のエルフの國が、人間の国が魔王軍の侵攻で滅ぶ中で私達だけは未だに大きな損害もなく撃退に成功している」
ルゥールーが育て、ルゥールーの力の籠った木々を大樹海の各地に植える事で単純な防御結界、迷子の呪い、特定人物の排除、認識阻害、それらの力によりもうずっと防衛に成功していると。
未だに現魔王が前線に出て来たという報告もなく、仮に現れたとしてもルゥールーの力とエルフ達の総力で撤退くらいはさせられる。
そう信じてやまない氏族の戦士達は一族の姫をまた人間達の世界に行かせる事を良しとしない。魔王は世界の危機ではなく、人間達にとっての危機であると豪語する者も居る。
「特に妻の、ルゥールーの祖母のリィールーが頑なに首を縦に振らん」
ルゥールーの祖母であるリィールーは、娘のラァールーを愛していた。愛していたが故に厳しく育てていた。
しかし母親の厳しさが愛情とは分からなかった若いラァールーは、反抗期の訪れと共に家族に嫌気が差し、そして大樹海そのものが自ら囲う鳥籠のように思えた。
「そうしてラァールーは外の世界を見に行こうと、密かに旅の準備を始めた。若いエルフの考える事など手に取るように分かる我らは、それを黙認した。むしろコッソリ足りない道具などを鞄に詰めたりしていた」
若木を上から抑えつけても真っ直ぐに育たない。どうせエルフは世界樹の近くでないと生きられないのだから、外の世界を見て回るのも悪くはない。
その時になれば我らの気持ちや考えを理解できるだけの余裕が生まれているだろうと。
「しかし國を出たラァールーは人間達に捕らえられ、奴隷とされた。それも性奉仕ありきのな……若い女性である君達になら、その残酷さがよく分かるだろう?」
「……」
「……」
リィールーは深く後悔した。こんな事になるなら娘を外に出すんじゃなかったと、例え嫌われたとしても安全なこの場所に閉じ込めておけば良かったと。
ラァールーの行方を魔王軍の脅威に怯えながら慣れぬ人の地で探し、日に日に憔悴していくリィールーを慰めながら人の王とも交渉を行ったと。
「しかし人の王は知らぬ存ぜぬを貫き通し、さらには奴隷は民の財産であるからして、君主と言えども無闇に奪う訳にはいかないと宣った」
人の王からも協力を得られないと憤っていたところに、ラァールーがもう何処かの誰かに買われたという情報が入った。その時のショックでリィールーは寝込み、今も身体は弱くなったまま。
「そんなリィールーにとって、孫のルゥールーは愛おしい娘の忘れ形見だ。例え憎い人間の血を引き、今では魔王の子と呼ばれようと――いや、人間の世界で魔王の子と呼ばれ蔑まれるくらいならばこの手で今度こそ守り通してみせると心を閉ざした」
「……魔王の子って、蔑まれてるんですか?」
「おや、知らなかったのか? 人間達は特に感情的でな、それまで救って貰った恩も忘れてあの男も、あの男の血を引く子ども達も基本的に差別されて迫害されておるよ……一部例外は居るがな」
悲しげに目を伏せ、紫煙を吐き出すガァーラーを見ながらも、シルヴィはそういえばと思い出す。
『魔王化以前は人類最強と謳われ、常勝無敗の英雄であった彼と縁を結びたかったが為に各国の王も自らの娘を送り出したという面もあるのですが、その彼が魔王になってしまっては娘も孫も扱いづらい存在になってしまった』
自分の母親はそんな事を言ってなかっただろうか? 預かった手紙にもきょうだい仲良くとか、パーティーに誘ってあげてという言い回しがされていた。
自分が把握していない子ども達に関しても出来る限り、一緒に連れて行ってあげて欲しいとも書いてあった。
シルヴィは自分が思っていた以上に、自分のきょうだい達が酷い境遇だという事実を今この時になってやっと理解した。
「氏族の者たちについても同様だな。大事な姫君がまた人間達に辱めを受けては堪らないと、そしてルゥールーが居なくなったら魔王軍に滅ぼされるかも知れないという恐怖から、彼女の旅立ちには反対しておる」
これは困ったとシルヴィは少し思い悩む……自分の訪問目的も最初から知っていたようだし、目の前のガァーラーは以前から母親と交流があり、連絡を取っていたのだろうと推測できる。
だったら手紙にこの問題についても詳しく教えてくれていても良かったのではないか、とも思ったがあの母親は「自分で聞きなさい」と真顔で諭すだろう事も容易に想像できた。
「他に聞きたい事はあるかね?」
「……世界樹の姿について」
どうせなら一度に済ませてしまえと、これも世界の問題の一つなのだからシルヴィは質問をしてみた。
「あぁ、あれは今の魔王のせいじゃな」
「どういう事?」
「世界樹の役割は調律。世界が正しく循環できるように、要らぬもの、過剰なものを吸い上げ、必要なもの、足りぬものを放出する。お主の父親は異世界から不意にやって来た、言わばこの世界の異物じゃ」
今の魔王が魔王になる前から世界樹は男から不要な情報を抜き取り、そしてこの世界の情報を送っていた。それはひとえに原因不明の現象で、たった一人紛れ込んだ人物が世界に馴染めるようにという配慮でもあった。
しかし男の魂は強く情報量は多かった、世界樹であってもそう短時間での調律は難しいものだったという。
そんなある意味で世界樹との繋がりが強固となっていた最中――男が魔王となった。
「魔王も世界樹も元を正せば同じ存在――いや、元の格で言えば魔王が遥か上か」
急激に膨れ上がった情報量に世界樹は耐え切れず、むしろ自分達が異界の影響を受けるに至った。
「ユウキよ、今の世界樹の姿をどう思う? あの形は、君達の世界で言う何かを受け取り、発信するものなのだろう?」
「……はい、そうです」
「そういう事よ。そして姿形が変わり、不調をきたしていても世界樹の役割は終わらない……かの存在は今や異界の情報を世界へとばら蒔いておる」
「どういう事ですか?」
「世界樹の若木達の姿を見ただろう? あれらはルゥールーの力によって、被害を最小限に抑えた結果なのだよ」
例えルゥールーが居なくとも大きな問題が出て来るのには時間が掛かるだろうが、それでも既に影響を受けた存在は確かに居るという。
「神代の頃より生きる龍種は世界樹と同じく、その姿形を変えてしまった。自らの身体が別物に変わるのだ、アレらの自我がいつ崩壊するか分からん」
「崩壊したらどうなる?」
「……さてな、知性なき獣に成り果てるのか、発狂して暴れ回るのか……そういった意味でもルゥールーを國から出す事に反対する者が居るのだろうな」
「なるほど」
さてさて、これは困ったとシルヴィも優希も頭を抱える。
彼女達が割と軽い気持ちであったのは否めない。シルヴィの母親の言う通りに、シルヴィの姉を旅に誘いに来たというそんな認識だったのだ。
それがどうだ、蓋を開けてみればかなり根の深い問題によって旅に誘うのが困難となっている。
元よりきょうだい達を集める旅にルゥールーの存在は必須だったが、話を聞いてその力の一端を垣間見るにつれて戦力としても無視する事は出来なくなった。
「ふっ、まぁ、そうさな……妻を説得するのが近道じゃな」
「……応援してくれる?」
「あぁ、私は魔王災害に当事者意識を持っておるし、あの気持ちのいい婿殿を解放してやりたい気持ちもある」
「ありがとう」
「構わんよ」
シルヴィの素直な言葉に優しく微笑みつつ、ガァーラーはそういえばと声を出す。
「そういえば君達はあの男と一緒に来たのだろう? 何か預かってないかね?」
「あっ、そういえば」
「忘れてた」
その言葉にシルヴィと優希は焦ったように声を出し、世界最強の男と名乗る青年から預かった新書を取り出す。
「……ふむ、これは後でじっくり読むとしよう」
やはりあったかと、微妙な顔でそれを受け取ったガァーラーは続いて言葉を発する。
「さて、これで粗方必要な情報共有はできたかね? 部屋を用意しているのでな、今日はもう休むと良かろう。妻を説得できるまで滞在しても構わんし、諦めて別のきょうだい達の所へ旅立つのも良かろう。だが今日はもう休みなさい」
「分かりました。ありがとうございます」
「ありがとう」
礼儀正しい優希にニコニコと笑みを浮かべ、相変わらず何を考えているのか分からない抑揚で話すシルヴィに苦笑しつつ、ガァーラーはラァーラーを部屋に呼んだ。
「失礼します。何用でしょうか」
「客人達を部屋に案内してあげなさい」
「……かしこまりました」
やはり良い顔はしないのだなとは思いつつも、シルヴィ達はガァーラーに改めてお礼と挨拶を行ってからラァーラーの後をついて行って部屋を出た。
先ずは親戚のおばあちゃんを説得しなければいけません。
ちなみに人の王が奴隷解放を拒否したのは、奴隷を所有する貴族や富裕層からの反発があるからというのもありますが、交渉を行った時には既に名を上げていたシルヴィ達の父親に配慮しての事です。下心ありきの忖度ですね。
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