21.駆け抜ける
駆け抜けろ〜!
「……」
馬を走らせながらシルヴィは横目で優希の調子を確認するが、青白い顔で意識を飛ばしかけている彼女の様子を見て「また顔色が変わってる」と呑気な事を思った。
折を見て幾度か癒しの祝祷術を飛ばしてはいるが、どうにも優希は荒事自体に縁が無かったのだろうと想像する。
「チッ、足でまといは――」
「置いて行くなら許さない」
「……ほう? この我に逆らうと?」
「……」
並の騎士すら耐えきれない程の殺気を滲ませて世界最強さんはシルヴィを睥睨するが、彼女はそれを凪いで澄んだ瞳でジッと見詰め返す。
時間にして数秒ほどしか経っていないが、それだけであってもジェシカは冷や汗が止まらず、手綱を握る手が震える始める。
「ふっ、面白い――ならば貴様がフォローせよ!」
小馬鹿にするように嗤い、じゃあ自分が何とかしろと命令を下す世界最強さんに対してシルヴィも真似して「ふっ……」と笑い返す。
「その必要はない」
「ほう?」
片眉を吊り上げ、面白がるように無表情に戻ったシルヴィと今にも死にそうな顔をした優希を見比べ……ならば魅せて貰おうと黒髪の青年は面白がるような喉を鳴らして笑う。
「おぅふ……」
自分の前でそんなやり取りが行われていた事にすら気付かないほど、馬上で揺られる優希は余裕を失っていた。
慣れない乗馬に三半規管を揺さぶられ、気を抜けば吹き飛ばされそうな強風が周囲を吹き荒れてけたたましい音を鳴らし、コチラの命を狙うエルフと魔王軍からのプレッシャーは彼女の心身を虐め抜く。
「ぅあ"〜」
何とも言えない声を出して気を紛らわせ、自分が振り落とされないように後ろから支えてくれているジェシカの負担を減らす為にも、優希は視線だけを動かして周囲を確認しながら半分も働いていない頭を必死に働かせる。
エルフの矢も、首無し鴉も強風に遮られてコチラには届かない。エルフが風の結界に一瞬でも穴を空けて突破しようと爆弾のような物を投げるが、爆炎が風に煽られて一部の木々を燃やした事で投げなくなった。
つまりこれらは放置しても良い。問題はエルフ達の祝祷術なのか、魔法のような物なのか、周囲の木々が生き物のように動いて行く手を遮ろうとする事と、風の影響など何も問題ないとばかりに地面や空中を滑るように転がって来る大量の目玉、そしてエルフ達と違って火事など気にしないであろう燃え盛る粘液だろうか。この粘液が起こす火事に対処するため、エルフ達が部隊を分けて攻勢が弱まったのは幸いか。
たまにシルヴィが祝祷術で、世界最強の男を自称する黒髪の青年が空間を叩く事でどうにもならない物を処理するが、大樹海の中心地まで何日も掛かる事を考えると二人にも休息が必要になるだろう。
「……」
背の高い木々が織り成す枝葉の屋根の隙間から覗き見える空は今にも雨が降りそうな曇天で、それもあってか大樹海の気候はまるで熱帯雨林のように湿度が高い。
気温は燃え盛る粘液のせいで上昇を続けていが、湿度の高い環境で大きな生木を発火させる程ではない。しかしこれは粘液が直に触れればその限りではない。
風向きや風量は……シルヴィの祝祷術のお陰で考えるだけ無駄だ。
「……シルヴィちゃん」
「何をすればいい?」
そこまで把握して、優希はシルヴィへと声を掛けた。ただそれだけで全て察した、打てば響くような返事が帰って来る。
シルヴィは知っていた、優希の知識量とそれらを扱える頭脳を。
優希は知っていた、シルヴィの起こす常識外の奇跡の数々を。
そんな二人の様子を黒髪の青年は興味深そうに、ジェシカは不安そうに見詰める。
「空気は急激に圧縮すると、熱を持つ……から、あの炎の周囲を結界で囲んで圧力で爆破する……この時、タイミングよく結界を解除して……」
「は?」
「火が拡散して、エルフもこっちを狙えなくなる……と、思う、から……今度は熱くなった空気ごと、湿気を天高く舞い上げて……スコールを呼ぶ……」
「待て、何をするつもりだ?」
「火事がコントロール出来なくなる前に、消す……と、同時に……全員をずぶ濡れにして、最初とは逆に……空気を膨張させて冷やして動けなくする……」
「おい、コイツは何を言っている?」
「丁度いい祝祷術があって、過程を省ける……なら、それでも良い……」
吐きそうになる口元を抑え、優希は何とか最低限の説明を行う。
燃え盛る粘液の周囲を結界で囲み、その中の空気を一気に圧縮して温度を急上昇させながら爆破する。
同時に結界を解除する事で周囲の首無し鴉や目玉を巻き込みながら火を拡散させ、エルフ達に対応を強いる。
そうして今度は温めた空気を上空に移動させ、一気に冷やす事で雨雲を作る……既に空は曇天で、大樹海の内部も湿度が高いため水分量は申し分ない。局地的にごく短時間の雨を降らせる事ができる。
敵を一箇所に纏めてずぶ濡れにしたところで、今度はガンガンに冷やして体温を奪う事で身動きを取れなくさせて完了だ。
一応作戦の過程で目玉の水分が蒸発したり、凍えたりとするだろうが……あれらが通常の目玉なのかは判別が付かないので、まだ処理できない様であれば別の手を考えるつもりだった。
「……できるよね?」
「もちろん」
シルヴィには細かい原理などは分からない。だが優希が自分なら出来ると、信じて考えてくれたのなら成功すると心の底から思えた。
【――空気を縛れ】
わざわざ結界で囲み、密閉空間を作らずとも見えざる手で丸ごと圧縮して――直後に大爆発が起きる。
周囲の枯葉や落ち葉が燃え始めたかと思えば、急激に圧力を加えられた粘液が爆散したのだ。
「……ほう、まさか本当に……これは面白い」
【――風よ】
そして爆散した燃え盛る粘液の残骸を、シルヴィは程々に拡散させていく。
「なっ?! 何を考えているのだ!?」
わざわざ森の中で火の手を拡げた事にエルフ達が驚き、慌てたような声が頭上から漏れ聞こえてくる。
今まで正確な場所を悟らせないように立ち回っていた彼らも、さすがに森の中で意図的に火事を起こされるのは想定外だったらしい。
火事だけが原因ではない、高温多湿の環境に顔を顰めながら必死に消火活動を開始する。
【――風よ】
二度目の風の奇跡を発動させたシルヴィは、そのまま熱せられた空気を上空へと巻き上げ、そしてそれらを起点として新たな祝祷術を発動させる。
【――雨】
雨乞いの祝祷術を発動させながら、シルヴィはなるほど確かにいつもより楽に行え、しかも水量が多いと感心した表情を浮かべる。
後は範囲を火事が起こり、エルフ達が集まっている場所に限定すれば良い。
「ぬおっ?!」
「今度はなんだ!?」
一歩先すらも見えなくなる突然のスコールにエルフ達の混乱が広がっていく。
大量の水を含んだ服は重くなり、それだけで彼らの身体の動きを妨げる。
【――凍えよ】
そこに追撃の祝祷術である。シルヴィには圧縮ならまだしも空気を膨張させる、引き伸ばすといった事が上手く理解できなかった。しかし冷やせば良いというのは分かったので独自の判断で過程をシンプルなものへと変えた。
そして後に残ったのは身体中に霜が降りて震えるエルフ達と、凍り付いてピクリとも動かなくなった首無し鴉と目玉の残骸のみ。
「――クハッ! ハハッ、ハーッハッハッハッ!!」
堪え切れぬといった様子で黒髪の青年は高笑いを上げ、ジェシカは本当に優希の言う通りになったこと、そしてそれらを成し遂げるシルヴィの規格外さに言葉を失う。
魔王軍の尖兵を殲滅し、同時にエルフ達の追っ手を無力化したのだから当然というものだった。
「良いなお前達! 我の部下になれ!」
今日で一番機嫌を良くした青年はそう言うや否や後ろの二人を振り返り――
「……すいません、ユウキ殿は気絶しておられます」
「……締まらん奴だ」
まるで魂が抜けたかのように真っ白に燃え尽きた優希を見て、シルヴィは誰にも気付かれないように小さく笑った。
火事を起こすぜ!→消化する為に集まって来たな?消せなくなっても困るし、ついでにずぶ濡れにしてやるぜ!→ずぶ濡れになったな?じゃあ凍えろ!
っていうのが優希の作戦()
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