17.皇子
( ゜д゜)ハッ!
「――ちゃん! シルヴィちゃん!」
肩を揺さぶられ、優希の焦ったような声がシルヴィ耳に入ってくる。
どれぐらい長い時間を祈っていたのだろうか? 深い無我の境地から脱したシルヴィは、未だにボッーとする頭を振って傍らの優希へと顔を向けた。
「どうしたの?」
「なんか、ちょっと揉めているみたいで……」
コソコソと小声でそんな事を伝え、そっ〜と視線を移動させる優希に合わせて、シルヴィもそちらを覗き見る。
「――余の言う事が聞けんと申すか!」
そこでは豪華な鎧を纏った長身の青年が、修道女に対して高圧的に怒鳴っているところだった。
彼の周囲には護衛や身の回りの世話をすると思われる者たちが付き従っており、必然的に一人の女性を大勢で囲んで詰問している状態である。
「申し訳ごさいません、皇子殿下の御要望には――」
「皇太子だ馬鹿者ッ!!」
「ひっ! 失礼しました! 皇太子殿下の御要望には応えられません!」
「だからそれを何とかしろと言っているッ!!」
漏れ聞こえてくるその会話の中に、聞き捨てならない単語があった事にシルヴィ達はすぐに気付いた。
二人して驚いたように顔を見合わせ、そしてまさかこんな所で出会うとはと困惑の表情を浮かべる。
「皇太子殿下って事は、もしかして……」
「私のお兄ちゃん」
「だよね、本当にキツい性格をしてるんだ」
二人は改めてその青年を観察してみるが、キラキラと輝く金髪を手で弄びながら新緑の瞳を吊り上げて怒鳴る様は、いくら顔が整っていようと決して相手に対して好印象は与えないだろうと思えた。
着用している鎧こそ豪華な物ではあるが実用性は低そうで、シルヴィから見てもその物腰は武術を習っているとは思えない粗末なもの。
けれどちぃと能力さえあれば小手先の技術など必要ないのかも知れないし、母親からも絶対に仲間に引き入れるべき戦力として認められている事からもシルヴィはそこは気にしない事にした。
「むぅ」
しかしながらシルヴィにはどうしても許せない事があった……それは、自分の兄にあたる人が祈りの場で騒いでいる事である。
しかも同じ神々に仕える女性を大勢で囲み怒鳴り散らすなど、とてもではないが善い行いとは言えなかった。
そして彼の周囲に居る人間達にこの場を何とかしよう、自分の主を諌めようという空気は皆無なのを見て取って……シルヴィは仕方なく立ち上がった。
「シルヴィちゃん?」
「一応身内だから、止めに入る」
「えぇ! いや、でも……うーん……」
シルヴィの言葉に驚き反対しようと思った優希ではあったが、これから一緒に旅を仲間になるかもしれないのだから、どのみち避けては通れないのかもと思い直す。
「余が直々に出向いてやったのにも拘わらず、まだ首を縦に振らんとは何事か! 上位者の譲歩を軽視するとは――」
「ねぇ」
意識の外から滑り込むように、すっと耳に入って来た心地の良い声に青年はギョッとする。
「な、なんだ貴様は……」
「ここで騒ぐの、やめよ?」
「なっ! 不敬だぞ!」
シルヴィの提案にすぐに顔を真っ赤に染め上げる青年に釣られ、周囲の者たちもシルヴィを侮蔑や嘲笑の籠った視線で見下し始める。
唯一青年のすぐ背後に佇む長身の女性だけが、先ほどからずっと無表情で何も言わない事が気になったが、シルヴィは彼女を一瞥だけして青年に向き直った。
「彼女も困ってる」
「あ、あのお客様……私の事は良いのでご自身の事を……」
「大丈夫、私が何とかする」
「あっ……」
まだ成人もしていない少女に庇われ、そして彼女が自分の代わりに皇子に処罰されてしまっては大変だと、修道女はその顔に心配と不安を色濃く乗せてシルヴィを下がらせようとする。
それに対してシルヴィは彼女の手を優しく握り込み、目を合わせながら淡く微笑んで魅せる。
たったそれだけで修道女は同性相手にも拘わらず見惚れて言葉を失い、やり取りを見ていたその場の全員も感嘆の息を吐く。
「よく見れば貴様かなりの美貌ではないか、特別に余の傍に侍る事を許す」
「……」
「……」
「……?」
「妾への誘いですよ!」
青年がシルヴィへと手を伸ばしそんな事を宣うが、シルヴィには何を言われたのか言葉の意味が分からず、伸ばされた青年の手をじっと見詰めて首を傾げる。
青年が段々と焦れてこめかみに青筋を浮かべ始めたのを見て取って、修道女が慌てたシルヴィに意味を伝えた。
「……ごめん、無理」
――ピシッ
やっと意味を理解したシルヴィから思わず漏れ出たその本音に、言葉を飾らぬその物言いに場の空気が凍り付く。
単純に好みのタイプではなかったし、兄妹だし、魔王討伐の旅に出るというのにそんな事にうつつを抜かしてられないし……などとシルヴィは困った顔で考えていた。
「貴様、今なんと?」
「……ごめんね?」
頬を引き攣らせる青年を相手に何だか困ったような、ちょっと申し訳なさそうな顔をしたシルヴィが再度なんとなく謝罪する。
「くっ! ち、違う! 余は妾になど誘っていない! そちらが勝手に勘違いしたのだ! 余のような高貴な人間が、お前のような平民を相手にするか!」
「そうなの?」
「そうなのだ!」
修道女も青年の配下も瞬時に察した――あぁ、フラれた事実を無かった事にしようとしていると。
青年はシルヴィにフラれた事に対して怒るよりも先に、フラれたという事実があまりにも恥ずかしくて強引に誘い自体を無かった事にしようとしたのだ。
シルヴィは簡単に騙されたが、優希はそのあんまりな対応に眉を顰めて嫌悪感を露わにする。
「じゃあ、どういう意味?」
「それは、だな……そうだ!」
誘い文句に傍に侍る事を許す、という語句を使った事を思い出しては何とか誤魔化そうと口篭り、少し経ってから良い事を思い付いたという顔をする。
「貴様この教会に居るという事は祝祷術は使えるな?」
「ん? うん」
「ならば話は早い、明日より従軍せよ」
「ん?」
話が繋がらなくてシルヴィは再度首を傾げてしまい、それを見た青年がまた断られては不味いと早口で捲し立てる。
「エルフ共の抵抗が頑強でな、魔王軍の横槍も入って想定以上の負傷者が出ているのだ。そのため結界術か祝祷術を使える人材を集めているのだが、この教会の者共は――」
「私達は戦場に立つ事を赦されてはおりません。負傷者を退がらせて貰えれば、後は教会で世話をします」
「……と、このように言って聞かんのだ。しかしながらお前は客人であって、この教会の者ではないという……それならば戦場に立てるというものよ」
修道女に対して憎々しげな目を向けながら、呆れたように吐き捨てる青年にシルヴィは一つ頷く。
「……まぁ、お兄ちゃんの頼みなら良いよ」
「はぁ?」
「……」
その言葉に青年は片眉を吊り上げ、意味が分からないという表情を浮かべ……そして、これまでずっと無反応を貫いて来た長身の女性がここに来て初めてシルヴィへと意識と視線を向けた。
「まぁいい、詳しい話は……そうだな、ジェシカ、お前に任せる」
「承知しました」
青年は背後に立つ長身の女性に向かって「同じ女性同士の方が良いだろう」と軽く言って仕事を投げてその場を去り、ジェシカと呼ばれた女性はシルヴィ達に明日指定の場所に来る様にだけ言付けて青年の後を追って行った。
「……なんなの、あの人」
「本当によろしかったのですか?」
全員の背が見えなくなった頃を見計らって優希が不満を口にし、修道女がシルヴィに心配そうな目を向ける。
「大丈夫。もともと用があった」
「それなら良いのですが……何かあれば相談して下さいね、力になれるか分かりませんが一緒に考える事は出来ますから」
「ありがとう」
「ふふっ、良いのですよ……それでは私は司祭様に報告がありますので、これで」
早く報告しなければならないのだろう、修道女はそれだけを言って足早にこの場を去った。
「それで、どうするの? お姉ちゃんよりも先に説得する?」
「うーん、それはやめておいた方が良いかも?」
今回の大樹海侵攻に兄がガッツリ関わっていたのが確定したが、だからと言って自分達が説得しても聞き入れないだろうという意見は変わらない。
現在進行形で下剋上を喰らっているとはいえ、やはり先に顔見知りで影響力もある姉を頼った方が良いだろうとシルヴィは結論付ける。
「……じゃあ、時期を見て脱走?」
「うむり」
偵察部隊の多い外周ならまだしも、大小様々な木々が乱立する大樹海に入ってしまえばこっちのものだとシルヴィは考える。
単純に見通しは良くないし、交易の為に整備された道を使わないなら馬も入れず機動力もグッと下がる。大軍が一気に進軍するには向かない地形でもあるし、一人や二人が部隊から離れて姿を眩ませても大丈夫だろうと。
導きの祝祷術さえあれば迷子になる事もないし、食料は最悪聖餐の祝祷術で何とかすれば良い。シルヴィにとって大樹海に入ってさえしまえばこっちのものだった。
「大丈夫かなぁ」
「さぁ?」
自分の兄であるらしい青年の様子や、本当にこのまま予定通りに行くのかといった不安はあるが、それでも世間知らずで世俗の常識にも乏しい二人はこのまま突き進むしかなかった。
世間知らずの女の子二人じゃあ、これでも上手くやってる方よね。
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