11.姉のこと
お勉強は大事
「これが“林檎”で、これが“落ちる”」
「ふむふむ」
「文章にすると、こうなる」
旅の途中、休憩時間で優希はシルヴィから文字を教わっていた。
声を出しての会話では問題なく言葉は通じていたが、シルヴィの母親の手紙を見て文字は読めない事に気付いたからだ。
現代日本で育って来た優希にとって、文字が読めず、その世界で生きてきた人々が蓄積して来た情報にアクセス出来ない事の不利は痛い程によく理解できていた。
「単語も文法も英語に似てるね……これなら大丈夫そうかな?」
「エイゴ?」
「えっと、私の世界で一番よく使われていた言語だよ」
「なるほど」
どうやら優希が既に複数の言語を扱えるらしいと気付いたシルヴィは、これなら割と早くこの大陸で広く使われている広域汎用語も覚えるだろうと安心した。
シルヴィには別世界の事情など分からないが、それでも見るからに育ちが良くて教養も確かとなれば、優希は恐らく上流階層の人間だったのだろうと勝手に思っている。
「やぁ、二人で何をしているのかな?」
「あっ、どうも……」
と、そんな二人ににこやかに声を掛けてくる人物が居た。身なりからして旅商人だろうが、旅を始めてからもう何度も声を掛けられているのでこれが初めてという訳では無かった。そのためシルヴィ達にも特に警戒の色はない。
シルヴィと優希という見目の良い少女の二人旅というのは非常に珍しく、単純にすれ違う者たちの興味を誘うだけだ。
「ちょっとした休憩ですね。……アナタは?」
ここ数日の出来事から優希はシルヴィが人との会話があまり得意では無い――本人にそんな自覚はない――という事を知っているので、彼女がまた何か変な事を言う前に自分が対応すると密かに決めていた。
「私はほら、この近辺に魔王軍が出たって言うだろ? もう国中てんやわんやでね。国軍が動くまでに偵察と物資の運搬を依頼されたってところさ」
「なるほど、対応が早いのですね」
「いやなに、以前から魔王の子を騙る人物がここら辺を荒らしていただろ? 領主単独じゃ解決できないってんで、まさか本物じゃないかと疑われてたんだよ」
「あぁ〜」
つまるところはそういう事で、ゲルレイズは遅かれ早かれ国軍に討伐される運命にあったのだと優希は気付いた。
既に彼を討とうと水面下で動いてたからこそ、本物の魔王軍が登場した事に関する対応が早く見えるのだろう。
「にしても女の子が二人だけで旅なんて珍しいね? 何か目的でもあるのかな?」
「あ、はい、えっと――」
「魔王の子を集めて魔王討伐する」
優希が当たり障りのない事を言って誤魔化そうとしていると、その気勢を制するかのようにシルヴィがおもむろに立ち上がりドヤ顔で自らの旅の目的を言う。
「「……」」
優希は困ったように眉尻を下げ、旅商人の男は何とも言えない顔で押し黙る。
優希は何となく理解していた。シルヴィが大真面目に語る魔王討伐が、この世界の普通の人にとって有り得ない目標である事が。
そのため馬鹿正直に告げると、このように何とも言えない空気が場に漂うのだ。これで五回目である。
「あー、いや、それはなんというか……だったら大樹海の方にもいずれ行くつもりかい?」
ドヤ顔で頭のおかしい事を宣言した少女に目を泳がせながらも、冗談かも知れないと、言外に「違うよね?」という意図を含ませながら男がそう問い掛ける。
樹海というだけでも厄介なのに、魔王の子の一人が居る大樹海はエルフ達の領域だ。そこは彼らの狩場であり、決して人間が踏み込んで良い場所ではない。
特に今では魔王の子の力によって難攻不落であり、半ば外界とは隔絶されている。そんな危険な場所にまさか少女二人で向かう訳がないと男は考えていた。
「そう、今向かっている」
「……」
しかしあまり人付き合いの経験が無いシルヴィにそんな機微を読み取れる筈もなく、ただ馬鹿正直に何を考えているのか分からない顔で肯定を口にする。
何なら本人は「よく分かったね」などという場違いな感想を抱いていた。
「そっ、か……まぁ、大樹海は今大変だから気を付けてよ」
これ以上この頭のおかしい少女に関わってはいけないと思ったのか、旅商人の男はそれだけを言って立ち去ろうとする。
しかし彼の言葉に引っ掛かるものを覚えた優希が引き止める。
「すいません、今大変ってどういう事ですか?」
「おや? 知らないのかい?」
逆に聞き返されてしまった事で、思わずシルヴィと優希は顔を見合わせる。
「何かあったんですか?」
とりあえず代表しておずおずと優希が問い掛ければ、旅商人の男からはとんでもない情報が齎された。
「いやなに、今大樹海は魔王軍と皇国軍に攻められている真っ最中だよ」
「えぇ?!」
「わお」
その初めて聞く衝撃の情報に優希のみならず、シルヴィまでもが思わず驚きの声を洩らした。
「もしかして知らなかったのかい? だったら悪い事は言わないから諦めた方が良い」
「ど、どうしてですか?」
「大樹海は今魔王軍と皇国軍に包囲されてるからね、迂闊に近付こうものなら両軍から潜入工作を疑われて捕まっちゃうよ」
詳しく聞くところによると、どうやら大樹海はハーフエルフの魔王の子を狙って魔王軍と皇国軍がタイミング良く同時に攻め入っている状況らしく、さらには偶然時期が重なっただけでまさか自分達以外も侵攻しているとはは思わなかったらしい両軍が、お互いに牽制し合いながら相手よりも先に目標の人物を確保しようと競走の様になっているとの事だった。
そのためどちらかの軍に所属していない人物が大樹海の周辺を彷徨くと、すぐにどちらかの軍の偵察部隊に発見されて捕縛されてしまうという。
「な、なるほど……ありがとうございます、よく考えておきます」
「あぁ、くれぐれも気を付けてね」
旅商人の男にお礼を言い、彼が去った後ですぐさま優希はシルヴィへと小声で話し掛ける。
「た、確か皇国ってシルヴィのお兄ちゃんが居る国だよね?!」
「確かそう」
「なんで自分のお姉ちゃんの樹海に攻め入ってるの?!」
「なんでだろ」
慌てる優希とは対照的に、シルヴィは何を考えてるのか分からない顔で呑気な反応をする。
そんな彼女の様子を見て優希は「嘘でしょこの子」とは思いつつも、同時に「私がしっかりしなきゃ」と気持ちを改める事でどうにか少しだけ落ち着きを取り戻す。
「すぅー、はぁー……落ち着け〜、よしっ!」
深呼吸を一つして、優希は改めてシルヴィへと向き直る。
「今こそシルヴィちゃんのお母さんのメモの出番だよ! その皇国のお兄ちゃんについて調べよう!」
「おぉ、なるほど」
まさか忘れてたのかコイツ――などと優希が戦慄している事など露知らず、シルヴィは自分の鞄を漁って目当てのメモを取り出す。
おや? 早くも優希ちゃんに苦労人の相が……
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