幕間.ドロン
一方その頃ダイナは――
「――ダイナ・ハートだな」
残っていた最後の村の住人が乗った馬車が見えなくなるまで見送っていたダイナは、背後から掛けられた懐かしい声に聖女の笑みを浮かべて振り返る。
そこには自分が聖女の肩書きを持っていた頃からの顔見知り――悪魔払いで異端審問官のジンが立っていた。
「散々方々を探し回って来たが、よもやこんな山奥に隠れ潜んでいたとはな」
「ふふっ、相変わらず私に向ける殺意が凄まじいですね……今でも許せませんか?」
「あぁ、赦せん。赦せる筈がない」
夜の森と見紛うような深緑の長髪を首の後ろで一つに束ね、死人のように青白く整った顔に浮かぶ憤怒と殺意に彩られた真紅の瞳。
悪魔払いである事を示す漆黒の制服とコートに身を包み、異端審問である証明の刺青が入った手には今にも砕けそうな刃が握られている。
「昔はあんなに情けない顔で私を頼り、優しい顔で話し掛けてくれましたのに」
「昔の事など知らん」
「そうですか、では目的はやはり?」
「あぁ、お前の処刑だ」
ギリギリと奥歯を噛み締め、ジンは眼光鋭くダイナを見据える。
顔の真横に刃を構え、今にも飛び掛りそうな気配を発しながら静かに言葉を紡ぐ。
「お前は理想の聖女だった」
「……」
「皆の期待、皆の憧れ、未来と希望を担っていた」
腹の底から溢れ、抑えきれない激情が手を通して刃に伝わる。刃先が震え、今にも暴発してしまいそうだった。
「――それを貴様は裏切ったッ!! ダイナ・ハートッ!!」
一拍置いて地面が爆ぜる。ただの踏み込みによる衝撃と言うにはあまりにも暴力的で、それを成した人物の膂力が窺える。
【――秩序の円】
「この俺に効くと思ったか?!」
ダイナが即座に最上級の結界を張るが――それはまるで暴風に散らされる砂埃のように容易く破られた。
「お前が敷く秩序に拒絶されるほど、俺の信仰は些かも衰えてはいない」
「やれやれ、人妻となった今でも異性に求められてしまうとは……私も捨てたものではありませんね」
何もない空中より取り出された細剣で攻撃を受け止め――直後にジンの振るっていた刃が砕け散り、破片が毒蜂のように四方八方から変則的な動きでダイナへと襲い掛かる。
それらを最小限の動きで躱しながらも、ダイナは軽口を止めなかった。
「……いえ、むしろ人妻という魅力が足されてしまった分昔よりもモテるのでは?」
「戯れ言を! 今も昔もお前は綺麗だ!」
「あら、ありがとうございます」
やはり昔からこの子は素直だなと思いながらも、ダイナはこの最凶の異端審問官から逃れる術を考える。
「でもだからといって、そんな身体になってまで私を追いかけ回すなんて……貴方に私への恋情は無かったと思いますが」
「俺の心に在るのは人類への慈しみと神々への信仰のみ」
「そうでしたね」
面倒な相手に見付かってしまったな、やはり中々首を縦に振らない村長が鬼門でしたかとダイナはぼんやりと考える。
この村が襲撃される事自体は予想していたが、まさかジンまで来るとは考えていなかった。次が来る前になるだけ早くジンを無力化し、そして即座に身を隠さなければならない。
【――眠りの霧】
ダイナがどんな存在であろうと抗えない睡魔を呼び起こし、同時に目眩しとなる霧を発生させるが――
【――軽く】
ただそれだけで、眠りの霧は質量を失い遥か上空へと浮上して消えていった。
「(やはり戦闘慣れした神官は厄介ですね)」
風で散らされるだけならコチラも風で対抗するまでだが、ただその存在を極限まで軽くされてしまうとどうしても狙いがズレてしまう。
重さの無い物を風で運ぶというのはそれだけ緻密な操作を余儀なくされる。強すぎる風では自らの手で眠りの霧を散らす事になるからだ。
そしてそんな緻密な操作を許すほど、ダイナと相対する者は優しくはなかった。向こうは軽くしただけで祈りを終えているのだから、肉弾戦に意識を十分に割ける。
「(ふむ、まぁこういう時はアレですね)」
振るわれる肉厚の刃を細剣で受け流し、直後に散らばる破片を叩き落としてダイナは何を考えているのか分からない顔から突然変顔をした。
「――」
予想だにしないその奇行にジンの動きが一瞬止まってしまう。
ダイナは知っていた。こういう戦闘慣れした手合いほど、戦闘の最中に絶対しないような奇行をすると高確率でフリーズする事を。
だからこそ気合いを入れた。きちんと自らの変顔を認識して貰えるように、女性は絶対にやってはいけないクオリティのものをお出しした。
「馬鹿にしている――」
無理やり作り出したその一瞬の隙を見逃さず、ダイナは即座に追跡を阻む為ジンの足を狙って細剣を振るう――直前で背後へと振り向き結界を張る。
「おっと、気付かれましたか」
そこには予想していた通りの悪魔が――場違いな道化師の格好をした悪魔が立っていた。
「まぁ、良いでしょう――お迎えに上がりましたよ、王妃殿下」
「本当に今日は客が多いですね」
「と言われましても、コチラとしても逃げ回るアナタを散々探し回ったのですよ」
「そうですか」
異端審問官に本物の悪魔が一柱……もう十数年も前線から離れて久しい自分では少し荷が重い事を自覚しているダイナは、だからこそ間に合って良かったと安堵する。
目の前の彼らにシルヴィの存在が知られる前に旅に出せて良かったと、歴代で最も聖女の才能がある魔王の娘など、どの陣営にもバレて良い事など何もない。少なくとも娘に味方の少ない今は。
「――アッハ!」
そんな事を考えていたダイナの後方から、先ほどよりも凄まじい殺意を漲らせてジンが弾丸のように悪魔へと斬り掛かる。
その斬撃を喜悦の笑みでもって受け止めた悪魔は、直後に顔色を変えてその場から飛び退く。
「ほう、私に傷を付けられるほどの信仰心……ただの悪魔払いではない様だ」
改めて自らに傷を付けた男を観察してみれば、視線だけで人を殺してしまうのではないかという危険な気配の男が刃を構えながら立っていた。
「説明しろダイナ・ハート、なぜ悪魔がこの場に居るのだ」
「どうやら魔王陛下が私をご所望のようで」
「――ッ」
その答えがジンの逆鱗を逆撫でしたのか、ガリッと奥歯を噛み砕いた音がその場に響き、周囲に満ちる殺意と憤怒の気配が色濃くなっていく。
「抜け殻に成り下がったと思っていたが――やはりあの時この俺が殺しておくべきだった」
吐き捨てるようにそう言ったジンにダイナは肩を竦め、悪魔は面白そうにその顔に嘲笑を浮かべる。
「アハハハ! ただの人間のアナタには無理ですよ、悪魔祓いさん」
「堕ちた蛆が喋るな」
「言いますねぇ――っと、そうでした」
悪魔は笑い声を上げる途中で何かを思い出したかのように手を打ち、続いて懐から手紙を取り出した――
「――娘が居るんですってね」
「……」
その言葉にダイナがすっと目を細める。
「……娘とはなんだ」
「いえ? なに、ダイナ様に魔王陛下との間に生まれた娘が居たってだけの話ですよ」
「なんだと?」
悪魔はマイペースに手紙の封を開けては、その内容を読み上げ始める。
「『お母さんおはよう、こんにちは、こんばんは、アナタのシルヴィです。
きょうだい達を集める旅の途中でお兄ちゃんを見付けました。お兄ちゃんはお兄ちゃんではありませんでした。
お兄ちゃんじゃなかった人は悪い事をしていましたが、私がちゃんとめっ! って叱っておいたので反省しています。
お母さんは元聖女だって言ってました。ならこの人達が正しく罪を償えるよう、手助けして欲しいと思っています。
誰も殺めていません。ついでに何故か近くに居た魔王軍はきちんと地形に配慮して殲滅しておきました。褒めてください。
以上です。それではまたお会いしましょう。
アナタが愛してやまないシルヴィより』」
その内容にダイナは思わず愛おしそうな顔をして、やはりあの子は仕方ないと首を振る。
そんな元聖女の様子を見て、そして所々でふざけているとしか思えない文面に本当に娘が居たのだと確信したジンが息を呑む。
「いやぁ、きちんと愛情を注いで子育てしたのですねぇ〜」
さて、愛おしい我が子の手紙に頬を緩めている場合ではないと、ダイナは気を引き締め直す。
思いがけないところで娘の存在がバレてしまった。シルヴィが魔王の子を騙る賊の存在を知れば突撃するだろうとは予想していたが、まさかこんなにも早く接触しているとは思わなかった。
ダイナは知らない。シルヴィがその存在を知る前に、向こうからやって来た村人に騙されて牢屋に入れられてしまった事など。
この周辺に来ている魔王軍が去ってから、あるいは国軍が到着してから突撃するように敢えて教えずにいたが、この調子ではきちんと教えていた方が良かったか……いや、例え偽物のお兄ちゃんであっても興味を引かれて突撃していたかも知れない。
そこまで考えて、ダイナはもう過ぎた事だと、今は目の前の厄介事だと意識を切り替える。
「さて、色々と予想外の事が立て続けに起きました……少し早い魔王軍の襲来、思いがけないジン君との再会、娘の暴走とその存在の暴露」
いやぁ、頭が痛いですね……などと、シルヴィとよく似た何を考えているのか分からない無表情で宣ったダイナは続けて爆弾発言を落とす。
「やはり人生はままならないものです――なのでここは自爆しましょう」
「は?」
「え?」
何をするつもりなのか警戒していたジンが発言の意味を理解できず、何をしても無駄だと嗤っていた悪魔が虚をつかれたように間の抜けた声を漏らす。
「――ドロン」
その瞬間――ダイナが爆ぜる。
――ドロン
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