ある人が語り聞かせた遠い昔のたとえ話。
とても遠い昔の話です。
あるところに、働き者で家族思いの青年男子がいました。青年は、両親の深い愛の中で育ち、家族三人で小さなオリーブ畑を営み、幸せに暮らしていました。
とても、とても昔の話です。
あるところに、働き者で家族思いの青年男子がいました。青年は両親の深い愛の中で育ち、家族三人で小さなオリーブ畑を営み、幸せに暮らしていました。
しかし、試練というものは何の前触れもなくやってきます。
ある時、隣の国が攻め入ってきたので、青年の国の王様は、国中の男たちに兵役を命じました。
王様の命令は絶対なので、拒むことは許されませんが、戦争に負けてしまったら、国中の人が奴隷になってしまうかもしれないので、争いを好まない青年の父も、心強くして戦場に向かいます。
「皆を守らなければならない。心配するな、必ず帰ってくる。母さんとオリーブ畑を頼むぞ」
「うん。任せておいて。父さんの分まで働くから」
青年は、父との約束を固く守って、畑の世話に精を出し、朝と夕には必ず、青年の信じる神様に向かい、「災いから父を遠ざけてくださいますように」と、祈りを捧げていましたが、今度は母が、心労もたたってか、流行り病にかかってしまい床に臥せってしまいました。
しかし、その時代には、病院も薬も無く、頼れるものは、薬草、祈祷師、奇跡を起こす者しかなかったのでした。
「母さん。具合はどう ?」
「まあまあだねぇ。でも、お前がそばにいてくれて安心だよ」
「父さんがいてくれれば、一番いいんだけれどね」
「父さんも、兵隊さんとして頑張っているんだから、わたしも負けていられないわ」
「そうだね。父さんも母さんも頑張っているのだから、僕も負けてはいられないね」
母は心配をかけまいと気丈に振舞っていました。青年もそれをわかっていたので、弱音を吐かずに畑の世話も、母の看病も頑張りました。
そのおかげで、収穫期には質の良いオリーブが沢山摂れ、市場に持ってゆくと思いのほか高い値で売れました。
青年はとても喜びました。なぜなら、流行り病によく効く薬草が、西の山を越えた先にある、王様の住む大きな街で売っている噂を耳にしていたからです。
「一刻も早く、薬草を飲ませてあげなければ」
そう決意した次の日の早朝、青年は薬草を買いに行くことを母に告げ、街へと向かいました。
見渡す限りの荒れ野には、マートルやカシャマツ、レバノン杉が所々に根を張っているだけで、他には何もありません。
歩む道は、人やロバ、羊達が踏み固めて出来た簡単なものでしたが、青年が幼い頃に、「この道は、よその国につながっていて、そこには、肌や目の色、知らない言葉を使う人たちが沢山住んでいるんだぞ」と、父が話してくれていたことを思い出し、まだ見ぬ知らない世界に想い馳せながら、軽やかに歩んでいきました。
小高い山の頂上まで行くと、荒野の中に城壁に守られた街が見えました。
近くには川が流れていて、城壁を囲うように作られた堀に水が引かれています。そして、城壁から、四方に細い道が伸びています。
山を下り、さらに近づくと、堅牢な城壁の上で見張りをしている兵士が、こちらに向けてにらみを利かせているのが見えました。
青年は、恐る恐る橋を渡り、城壁をくぐると、突然景色は変わり、沢山の人が行きかっていて、石作りの家と屋台が街の中心に向かって軒を連ね、遠い国から運ばれてきた見た事のない食べ物や、よくわからない物が売り買いされていて、街は活気に満ち溢れていました。
村から出た事のない青年にとって、見るもの聞くものすべてが新鮮でしたので、本来の目的を忘れ、流されそうになりましたが、心を強くして、道行く人に薬草の事を尋ね歩きました。
しかし、知らない言葉を話す人も多くいて、なかなか見つけることができません。
それでも青年は、あきらめずに粘り強く探し、尋ね、求め続けていると、親切な人と出会い、やっとのおもいで薬草を買うことができました。
目的を果たした青年は、母の病が治る事、父が無事を神様にお願いしようと、立派な宮殿の側に建っている神殿へ向かいました。
荘厳な神殿の中では、たくさんの人が祈りをささげています。青年も神殿の隅で、ひざまずき、強い信心をもって、
「神様、どうか母の病が治りますように、父が無事、帰ってきますようにお守りください」
と、お祈りすると、脇目も振らず帰路へついたのですが、またもや試練が訪れます。
青年は小高い山を越える途中で、運悪く強盗に出会ってしまったのです。
「金目のものは全ておいてゆけ。言う事を聞かないと、命がないぞ」
強盗はそう言って凄みますが、青年は怯むことなく心強くして、
「お前に渡すものはない !」
と、強盗に言い放ち、走り出しました。
しかし、腕っぷしの強い強盗は青年を捕まえ、容赦なく殴り掛かりました。
青年は必死に抵抗しましたが、腕力の差はどうすることも出来ず、ひどく殴られ、お金はもちろんの事、薬草や着ていた服まではぎ取られ、道端に置き去りにされました。
「なんで、こんなひどい目に合わなければならないんだろう・・・・・・」
痛められた身体では動くこともできず、助けを呼ぶ力もありません。
腫れた瞼からうっすらと見える青空には、円を描いて飛んでいるハゲタカの姿が見えて、このまま死んでしまうかもしれない。母はとても心配して待ってくれているのにと思うと、身体の動かない絶望感に、涙があふれてきました。
すると、そこへ司祭様と呼ばれる人が、お付きの人と共に、坂道を下ってきました。司祭様は先ほど青年が祈りをささげた神殿に向かっているようです。
「神のご加護だ。助かった」
青年は安心しましたが、司祭様は彼を見るなり、なぜか避けるように道の向こう側を通り過ぎてゆきます。
不審を抱いた青年は思いました。「地上にいる民全てが、聖なる者に近づくことが出来る。救いを得ることが出来るというのは・・・・・・、嘘なのか」と。
太陽は容赦なく照り続け、渇いた風は砂ぼこりを傷ついた青年の身体に積もらせてゆきます。喉もカラカラになり、ハエもどこからともなく集まってきました。
それでも、希望をもって救いを待っていると、今度は位の高い人が、坂道を下ってきました。彼もまた、神殿に向かうようでした。
青年は、思いが伝わるように位の高い人の方を見ましたが、その人もまた、司祭様と同じように通り過ぎてゆきました。
「信頼していた人達なのに、なんて無慈悲なんだろう」
たいそう信心深かった青年は、心まで傷ついてしまいました。
しばらくすると、今度はロバに乗って旅をしている男が坂道を下りてきました。
服装からすると、異邦人である事が分かりました。腰には剣を携えています。青年は、もうダメだと悟りました。
しかし、その異邦人は青年を見つけるなり、近寄ってくると、
「大丈夫か。酷い怪我だ。今、助けるから少し待っていろ」
と、言って、ロバの鞍に結んである皮の袋から、オリーブ油とぶどう酒と布を取り出し、手当てを始めました。
青年は驚きました。
「司祭様やその人に仕える人は私を避けていったのに、身も知らない異邦人が私を助けてくれるなんて」
感謝の言葉を言おうとしましたが、声が出せず涙を流しました。
それに気づいた異邦人は、
「なにも言わなくていい。安心しろ」
と、言って、羽織っていた布を脱ぎ、青年を包むと、抱え上げてロバの背に乗せました。そして、異邦人はロバを引き、歩み始めました。
ゆれるロバの背で青年は考えていました。
道すがら兵士に出会ったら、この状況だけで罪人扱い扱いするかもしれない。そうしたら、自身の命も危うくなるというのに、なぜ、私を助けたのだろうかと。
青年の心配した通り、門の前で兵士に止められましたが、異邦人は兵士の耳元で、なにかをささやき、金貨を渡すと、無事に通ることができました。
そして、宿屋につくと、異邦人は宿主に事情を話して、一晩中、青年の介抱にあたりました。そのおかげで、命は救われましたが、異邦人は旅を続けなければならない為、翌朝、
「安心して休んでいろ。金の事なら心配いらん。君の神に感謝しろ」
そう言い残し、名前も告げずに立ち去りました。まだ、声が出せない青年は心の中で何度も感謝し、こう思いました。
「本当に、本当に、神の御心に叶う行いというのは、律法を雄弁に語る事でも、神や神殿に仕えることでもなく、困っている人を助ける事ではないのか・・・・・・」
何日か休んでいるうちに元気を取り戻した青年は、世話になった宿の主人に支払いの事を尋ねると、
「あんたを連れてきた旅人が、すべて払ってくれていったよ。だから安心しな」
と、言いました。驚いた青年は、「せめて、旅人の名前だけでも教えていただけないだろうか」と、尋ねると、
「名乗らなかったから、わからねぇが、どこか遠い国のお人らしい」
青年は心の底から異邦人に感謝し、主人に何度もお礼を言って、宿を出ると、再び神殿に向かい神様に祈りました。
「命を助けて下さりありがとうございました。私の命を救ってくださった旅人が、無事に旅を終えますように。神の守りが、旅人から離れませんように」
神殿を立ち去る際に、知らないふりをして通り過ぎて行った司祭様に出会いました。
軽く会釈をすると、司祭様は、「神のご加護があらんことを」と、唱えました。
司祭様はたくさんの人たちから慕われていましたが、青年の事は覚えていないようでした。
帰り道は強盗に合う事もなく、歩み続けることが出来ました。そして、家が見えてくると、戦いが終わって、戦場から戻ってきていた父が家から飛び出してきて、青年を抱きしめました。その後からは、元気になった母が、涙を流しながら歩んできました。
「よく帰ってきた。心配したぞ。 どうした、ひどい怪我の痕じゃないか !」
「父さんお帰り。母さん、病気は良くなったの」
「父さんがね、良い薬草を買ってきてくれたの。それを飲んだら、たちまち治ったのよ」
青年は安堵し、涙がこぼれました。そして、祈りが通じたのではないかと思いました。
「父さん。怪我はない ?」
「ああ大丈夫だ。二人の祈りが神様に通じたのかもしれんな。でも、戦場には神様はいなかった・・・・・・」
少しつらそうに語った父はそれ以上何も言いませんでした。
「話はあとだ、さあ家に入ろう」
青年は、この旅のおかげで本当に大切ものがなんであるのかを知りました。そして、試練を乗り越えた家族に、また幸福が戻ってきました。