八月十三日
八月十三日
昨日と同じように、僕は進藤健人のメールで目が覚めた。昨日もあの逃走劇のあとメールが来ていたのだがあんな風に逃げた手前返信なんてできなかった。僕は今日来たメールを、一体どんな罵詈雑言で溢れているのか少しびくびくしながら開いてみた。
「夏樹にそっくりのAV持ってるぞ」
僕はその文面を見て反射的に体を起こした。かぶっていた布団は僕の起き上がった勢いで吹き飛んで一瞬天井に張り付いて、落ちた。僕は携帯電話が壊れそうな勢いでボタンを力強くめり込ませながら返信をした。
「みせろ」僕はただその一言のみを返信したが、その一言だけというのが僕の必死さを逆に伝えたらしく、すぐに返信が返ってきた文面はこうだった。
「じゃあ俺の家まで来い。住所は×××。今すぐ来い」
僕はちっと舌打ちをした。何て卑怯な男なんだ進藤健人という男は。これではどう転んでも行くしかないじゃないか……待て、これは何かの罠か? 昨日の今日で進藤健人は変な餌を使って僕を呼びつけようとしている。なぜこんなにも執拗なまでに誘ってくる? どう考えてもおかしいじゃないか! おそらく、だ。僕がこの指定の住所に行くとする、そしてこの住所で待ち構えているのは進藤、そして村沢と御木本さんなんじゃないだろうか? 御木本さんそっくりのAVがあるとか言うデマに踊らされてのこのこでてきた変態野郎として笑いものにするつもりなんじゃあないだろうか? いやいや待て待てこれでいくと御木本さんもこの計画のメンバーになる、御木本さんはけっしてこのようなことをする人では断じてない。
ということは進藤と村沢の二人だけの計画か? いや、まてなぜカラオケメンバーだけに限定する? クラス規模での嫌がらせかもしれない……くそ! 一体どうすればいい? こんな風に色々考えている中で自分がもう「見せろ」というエロ丸出しの返信をしてしまっていることを思い出して、僕がもう計画の歯車のスイッチを自らすでに押してしまっていることに気がつく。目に見えない大きな悪と、その計画はすでに動き出しているのだ。もう行くところまで行くしかない。
「わかった、今から行く」僕はこう返信して外に出る支度を始めた。
さて、指定された住所は当然、町の南部地区のため、実際あまり近くなく、歩いて三十〇~四十〇分ほどかかってしまった。汗で当然べたべたである。途中自動販売機で水も買った。必要経費としてこの水代を進藤に請求してやろう、と心の中で悪態をつきながら、指定された住所の家、「進藤」という表札のかかっている家のインターホンを押した。
家は瓦屋根の木造二階建てで、庭も結構大きく、庭も含めると大体僕の家の敷地面積の四倍くらいだろうか? 南部地区はこんな感じの歴史ある昔からありそうな家が乱立していて、この光景は南部ではよくあるものだった。おそらく南部で暮らしている御木本さんの家もこんな感じなのだろうと想像できた。
僕は少しびくつきながら勇気を出してインターホンを押すと、それと同時に二階のカーテンが少し動いたような気がした、もしかすると二階から進藤健人が様子を伺っていたのかもしれない、そう思った瞬間、玄関のドアが開き、進藤健人がテクテクその広い庭を歩いて僕に近づいて来た。家の中だからなのか下はスウェットに上はスポーツテイストのオレンジ色の半袖Tシャツだった。
「おう、よく来たな、とりあえず入れよ」
「お、おう」僕はそう返事をしたものの、家に入る前に後ろを振り返ったりしてあたりを見回してみた。とりあえず外には誰もいないようだ、しかしまだ安心できない、まだ中に何人か控えている可能性が高いからだ。さてどうするか……、ここまで来てしまったからには入るしかないのだが……、この状況は本来であれば一人では攻略困難であるダンジョンに、最序盤にして間違えて入ってしまった哀れなレベル一桁の主人公と言った感じだ……。
「いいから早く入れよ」進藤の少し強めの語調に情けないながら反射的に体が動き、玄関の敷居をまたいでしまった。
中に入ると外から見た通りとても広い家で、目に見える範囲だけでもいくつもの部屋へ繋がるドアが見受けられた。柱の一本一本はよく見ると老朽化していて傷だらけだった。そしてその傷をよく見てみてると、よくある、小さい頃の身長を測った後のようなものもあって、おそらく傷ひとつひとつに色々な歴史が眠っているのだろうなと、僕に思わせた。「俺の部屋、二階だから。二階に上がったら右の部屋.先言っててくれ、俺飲み物とか持っていくから」進藤はそう言ってリビングと思われる部屋に入って行った。
「わ、わかった、ありがとう」僕はそうは言われたものの、単独で二階に行くなんてなかなか勇気のいるところである。僕は雑草の生い茂った地雷原を歩くように、一歩一歩確かめながら階段を上った。
上がりきると左と右にドアがある……さっき進藤は右の部屋と言っていた……もしかするとこの左の部屋に誰かしら隠れていて、ここ一番で僕を馬鹿にするために出てくるのかもしれない。そうはさせるか! 僕は勢いよく左側のドアのノブを握り締め、開け放った……その部屋はトイレだった、当然誰もいない。
「悪い悪いトイレ行きたかったのか、場所言ってなかったな」
いつの間にか進藤はもうお菓子の袋とオレンジジュースのペットボトル、またそれを入れるための紙コップを持って二階まで上がって来ていた。
「だ、大丈夫だよ、自力で見つけだせたから!」僕はそう言ってしたくもないトイレに入った。さてここからどうするか。僕はトイレの便座に座りながら、頭をかかえた。完全に「考える人」になっている。いくら考えても有効な対策は思い浮かばなかったし、そもそもすでに敵の本拠地の中枢まで来てしまっているのだ。僕は恐怖で震える足を両手で抑えた。怖れるな、怖れるな……! と僕はぶつぶつとつぶやいた。
トイレから出て右側の部屋に入ると、ベッドとテレビと机と、少々の本が入っているだけの本棚しかないシンプルな部屋だった。これが進藤健人の部屋か、と見渡してしまう。
「昨日は悪かったな」進藤健人は紙コップに持ってきたオレンジジュースを注いで僕の足元に渡してきた。僕はちょうど喉が乾いていたのでそのオレンジジュースを一飲みで飲み干すと、暑さの中汗を垂らしながらここまで来た体に、ようやく一心地ついたような気がする。この部屋はクーラーも効いていて外の世界とはまるで快適感が違った。
「ってかお前、昨日も思ったけど歩きで来たの? 自転車とか持ってないのか?」
「い、いや持ってるんだけど、今壊れてて使えないんだ」
「なんだよ、そしたら言ってくれれば俺んちじゃなくて、お前んちとかでもよかったのに」と言いながら、僕の飲み干したコップに再びジュースを注いだ。「すげぇ暑かっただろ?」
「それより」と僕は切り出した。何だか妙に優しい進藤健人の口調が怪しすぎる。僕は警戒心をそのままに次の言葉を放った。「それよりメールの件は?」だらだらと相手の出方を伺うのはやめて、いきなり本題に入り、相手の動きを見る、それが僕のトイレで得た唯一の戦略だった。
「あぁ、これだよ、これ」
進藤健人が僕に渡してきたAVのパッケージはまさしく御木本さんそのものだった。僕はあまりに似すぎていることにびっくりしてそのAVを思わず落としてしまった。
「めちゃくちゃ似てるだろ?」
「たしかに、これはすごく似てるね、思わず落としてしまったよ」
しかも名前すらも「なつみ」で、ここまでうまくできていると笑ってしまう。
「違う点はあるけどな、その女優はスレンダーだけど、夏樹はもっと胸がある。劣化夏樹といったところだな。見てみるか?」
え、ここで? 僕は何を隠そう生まれてこの方、あまりAVを見たことがない。それもそのはず僕の家にはリビングでしかDVDを再生することができず、たまに親が仕事の都合で夜遅くまで帰ってこない時に限定して、こっそりと以前僕が勇気を出して購入したそれを見ることしかできないからだ。そんな僕だ、こそこそしてきたゴキブリのような性生活だったのに急に誰かと一緒に観賞するなんて、一体どうしたらいいのかわからない。
僕の動揺も何のその、進藤健人はパッケージからDVDを取り出し、DVDプレイヤーにそれを入れ、手際よくカチカチと操作をして、再生を始めた。さすがにパッケージの写真は現代の素晴らしい職人技とも言える技術で修整がされていて映像の女優はちょっと印象が違っていたが、角度によっては御木本さんに見えなくもなかった。しかし、そんな映像を見ても僕は何も感じなかった。
「どうだ、高原? 欲しかったらこれ、お前にやるよ。昨日のお詫びとしてな。俺も買ったはいいものの、いつまでもこれを持っているのは罪悪感があって、丁度どうしようかと思ってたところだし」
「進藤、お前はこれを何回くらいみたんだ?」
「あ、ああ。まぁ五回くらいかな?」
「僕はたしかに御木本さんのことが好きだ、御木本さんのことを考えて日々妄想を繰り返している。それはもう頭が焼けるくらいに。病気かと思うくらい、御木本さんのことを考えると妄想が止まらないんだ。特にこの間、カラオケに一緒に行ったあとなんてやばかった、やっぱり実物を見たあとだとイメージが鮮明になるからね。でも、どうしてだろう。このAVでは何も感じないんだ、この女優は御木本さんに似ているのはたしかだ。十分さ。でも何でだろう、本当に何も感じないんだ」
僕が淡々と心境を語ると「お前、やっぱりすごい変わってるな」と言ったあと「まぁとにかくこれはお前にやるよ、不要なら捨ててもらってもいい」と進藤健人はDVDプレイヤーの停止ボタンを押したあと、丁寧にディスクをパッケージの中に戻した。そのパッケージはあらためて見ると何も魅力を感じなかった。進藤健人は僕の顔見るなり、はぁ、とつまらなそうに溜め息をついて言った。
「なんだ、お前ならもっとすごい食いついてくると思ったのに。何かつまんねぇな」
「進藤、君は一体僕のことをどんな奴だと思っていたんだ?」
「どう思っていたって……別に普通じゃないか? 好きな子にそっくりのAV女優に興奮したりそれで喜んだりするなんてこと」
「僕はそんなもので喜んだりなんてしない!」
「おいおい、でも妄想はしまくってるんだろ?」
「それとこれとは違う!」
「なにが違うんだよ? 全然意味わかんねぇ」
「うるさい! うるさい!」
僕はその場から立ち上がりドアを開け、転びそうになるくらいのスピードで一目散に階段を駆け下りた。
自分でも驚くくらい小刻みに足は回転し、瞬間的に玄関のドアまでたどり着いた。進藤が慌てて追いかけてくるのを階段の、僕よりも明らかに効率の悪いピッチで進んでくる騒音で確認した僕は、急いで玄関のドアを開け、駆け出した。靴はちゃんと履けておらず、中途半端な状態のまま僕は自分でも信じられない速度が出ていることを冷静に認めた。追いかけてくる音は聞こえなかった。