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八月四日

 八月 四日






 僕はただひたすらぼんやりしていた。頭の中はすっかり濃霧注意報だ。勤勉な学生らしく机に向ってはいるものの、参考書は一ページも進んでいないし、ノートは真っ白なままだ。正確には真っ白ではなく、御木本さんの名前を何回も書いた跡が残っている。アイアイガサが五本立った跡もある。はぁ、と深いため息をつく。御木本さんに会えない現状と、勉強計画がまったく進んでいない現状、この二つに対しての溜め息だった。


一つの溜め息にも、同時に二つの属性が現れることを初めて知った。なにかの漫画で炎と冷気を同時に口から放射するドラゴンを見たことを思い出した、ははっ、あのドラゴンのようにツインブレス(ドラゴンの技の名前)が使えるようになったわけか、と、どうしようもなく、くだらないことを考えてしまうくらい重症だ。


 勉強しないといけない、そうは思っているものの、二十〇分ほどやると集中力が切れてしまう。昨日は十〇分で集中力が切れたので、昨日に比べれば好調と言えば好調だが、はっきり言って十〇分でも二十〇分でも、話にならないほど短い時間だという意味では変わらない。明日は三十〇分、明後日は四十〇分……という具合にどんどん増えていけばいいが、おそらくそんなことはないだろう。せいぜい三十〇分が限界だ。


 僕の部屋は集中力を高める空間としての機能を最大限に追求している。気が散らぬよう無駄なものは一切置いていないし、ベッドやカーテンなどの家具も、集中する際に効く「青」で統一している。そこまで準備をしていても視覚よりも脳内に眠っている情報の方が強いようで、僕は集中という概念を失ってしまったらしい。


 僕はあの日、図書室で御木本さんのことを夏樹と呼んでいた男子の声を思い返していた。あの声は間違いなく同じクラスの進藤健人だ。あぁ、と僕は思わずうめいてしまう。


 進藤健人は世間一般で言うイケメンというやつで、そのうえスポーツ万能の高身長、明るい性格でクラスを牽引するリーダーシップも持ち合わせている。そして勉強も……僕よりできる(勉強だけが取り柄の僕がそれすらも勝てないのだ!)。まるで少女漫画に出てくるきらきら光っている男のようなやつだった。詳しくはわからないが、僕でも理解しているくらいのクラスの中心人物であるし、御木本さん程ではないもののクラスの異性から好意的な目で見られているのは明確だ。


そしてこれはむしろ正確な釣り合いの結果からとでも言うべきなのか。あいつは御木本さんとかなり仲が良い。御木本さんもあいつと話している時はすごくうれしそうにしていた。あの顔が恋している女の顔というやつなのだろうか? もしかするとあの二人は付き合っているのではないだろうか? 僕の頭の中で映画のワンシーンのように御木本さんと進藤がキスをしている光景が浮かんだ。さらにその先の光景も目に浮かんでくる。僕は頭を抱え込んでしまう。溜め息しか出ない。


僕は外に出て、ぶらぶらと散歩をすることにした。こんな状態じゃ勉強なんてできるわけがない。この部屋は僕の溜息ばかりが充満していて、快適指数は限りなくゼロに近い。


 薄暗いそんな独居房のような部屋から外に出ると、真夏の日射しが痛いくらい僕のあまり外に出ない白い肌に照りつけてきた。ウルトラバイオレットの槍は僕の甲冑を貫いて痛めつける。今までクーラーのきいた部屋にいたので、そのあまりの温度の違いに早くも散歩をする意欲が衰えてきているのを感じながらも、懸命にそれに鞭を打ち、奮い立たせた。セミの鳴き声も日射しと同じように、強く僕の耳の中に入り込んでくる。容赦ないその音波の強襲は非常に耳障りで、一匹一匹に対して深い憎悪感がつのってくる。すべてのセミを掃除機で吸い込んでぐちゃぐちゃにしてやりたい。


僕の住んでいる場所は都会のビル群に比べてかなり田舎なのでセミだけでなく、夏には色々な虫が出てくる。中でもゴキブリが増えるのは耐え難いものがあった。


……それしても暑い……。近所の鈴木さん宅の庭に大きなヒマワリが六本も咲いている(花は~本と数えるのか? ちょっと自信がない)。この日射しをうれしそうに浴びているヒマワリは、正直、ちょっと頭がおかしいと思う。おそらくヒマワリというやつのもともとの姿はもう少し違っているのであろうが、暑さのあまり正気を失い、発狂の末にたどり着いたあわれな姿であり、進化なのだろう。そう思うとヒマワリのことが何とも愛らしい奴に見えてくるではないか。


「進藤健人……、死ね!」


 暑さを誤魔化すように、恐ろしく唐突なタイミングで無駄に呪いの言葉を吐き出す。今日も昨日と同様最高気温三十七度まで上昇する見込みで、まして今は最高潮の日中である。まだ数分しか歩いていないのに、もう汗がじんわりとシャツを濡らしている。クーラーで冷えていた体が熱されていくこの状態は、まるで冷凍庫から出したアイスがだらだらと溶けていく過程のようだった。アイスと言えば


 しばらく歩くと商店街に着いた。


 暑さのためか人はあまりいない。この駅前の商店街が僕の住んでいる家から徒歩圏内で行ける中で唯一栄えている場所と言ってよかった。唯一栄えているとは言っても車で少し行った所にできた大きなショッピングセンターの影響からか僕の小さかった頃よりも明らかに活気は薄れ、多くの店舗のシャッターは閉まっている。


なので前言撤回をしよう。人がいないのは暑さのためだけではなく、普段からそういうものなのかもしれない。僕は自販機でコーラを買い、その近くにあった緑色のペンキが剥げている木製のベンチに腰かけた。こんな僕でもペンキ塗りたてに座ってしまうなどというベタな愚行はしない。間違いなくこのベンチは剥げている。アイスと言えば……何を言おうとしていたのか忘れてしまった。


「なんだかなぁ」


 僕はぼそりとそんなことをつぶやいてから、コーラをぐいっと飲む。暑い時に飲むコーラはどういうわけか異常においしい。朝起きてすぐに飲む牛乳にも言えることだけれど、すべての人体の器官が手を振って体内に入ることを祝福している気がしてならない。炭酸のしゅわしゅわとした、心地よい刺激が、その冷たさと相まって、とても爽快な気分にさせてくれる。あぁ、牛乳で思い出した、アイスと言えばバニラアイス一択だろう……って僕はどうしてこんなどうでもいいことばかり考えているんだろう。


……それにしても、と僕は思う。僕はこうやって馬鹿げたことをぐちゃぐちゃと考えている間にも、ほぼ無意識の中で、それがたとえ時には頭のすみっこであったとしても、一日中御木本さんのことを考えている、でもきっと御木本さんは僕のことなんてただ後ろの席に座っているさえない男子としか思っていないんだろう。いや、タオルを貸したのに返さないさえない男子、だろうか。


自分の内に存在する海がどんなに荒れていようと外の世界は何も変わらず、静かなまま。どうせ僕はクラスの人気者、進藤健人とは違う。僕は胸が締め付けられる感覚をごまかすためにコーラを一気飲みして、むせ返った。コーラは一気飲みをする飲み物ではない。ゴッホゴッホと咳をしていると、ヒマワリの絵が描いてある実に夏らしい看板が僕の目に止まった。




『八月九日~十日  夏祭り!』


 


そう思って見てみれば商店街にはたくさんのチョウチンが飾られている。町の夏祭りと言ってもあまり馬鹿にできないもので、この夏祭りは毎年かなり盛大に行われている。……そうか! これだ! 僕は思わず拳をぎゅっと握り、ガッツポーズを作った。実際に夏祭りが行われる場所はこの商店街ではないのだが、景気づけとでもいうのだろうか、とにかく町全体でチョウチンを飾りつけたいらしい。それだけ力が入っている夏祭りということだ。


僕の住んでいるこの町は、東西南北で地区が分かれており、今はひとつの町なのだが昔の合併する前の名残のようなものらしい。僕が住んでいるのは東部地区で、この祭りが行われるのは南部地区だ。合併して間もない頃は地区ごとで差別のようなものがあったらしいが、今ではまったくそんなことはない(ちなみに東西南北の中で、僕が住んでいる東部地区がこれでも一番栄えている)。協力して夏祭りを盛り上げているのがその証だ。


(これだけ盛大にやる夏祭りだ、きっと御木本さんも必ず来るはずだ。御木本さんに会うことができるし、もし御木本さんに付き合っている彼氏がいるとすれば一緒に来るだろう。これで僕の疑問も晴れるし、なによりも御木本さんに会うことができるチャンスだ! やった!)


 僕は何度も何度もガッツポーズを繰り返した。空になったコーラの缶を除いて、まだ何も手に入れていないのに、すべてを手に入れた気分だった。



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