導路港
潮風に撫ぜられる港町、導路港。その名の通り海原に浮かぶ数多の船に人々を乗せ、航路へと導いてきた国の扉である。南蛮の民との貿易航としても頻繁に機能するこの町は『この国で最も世界に近しい町』とも語られていた。
海と空、二つの青混じり合う空を滑空するかもめたちの鳴き声に連れられて、紺之介一行も無事この港に到着していたのであった。
「ほう。この刀なかなかだな……欲しい」
しかしこの紺之介、まともな散策もなしに情報収集建前刀屋に寄り道をかましていた。店内数多の鋼の煌めきが、そのまま彼の瞳孔を輝かせる。
実力、嗜好。二つ合わせて剣豪語る紺之介、呆れ返る幼刀二人をよそに気前良さげな店主に刀の値を問う。
「お客さんそれに目をつけるとはお目が高い。なんと今なら八十両!! ここで買わねばいつ買うんだい」
因みにここの店主、南蛮の民にも数多の刀を売りつけた百戦錬磨の商い匠である。
「ククク、口の上手い男よ。いいだろう……買った」
その商談、あまりにも円滑。
そのまま購入に至りそうになるところで愛栗子の小さな拳が紺之介の背を軽く押した。
「あほう」
さすがの紺之介も有り金の殆どを叩いてまで刀の購入を試みるなぞありえんと高を括っていた愛栗子だったが、彼の刀狂いは彼女の範疇をそれはそれは大きく超えていた。
「何だいきなり。まさか同じ刀として売り物に嫉妬を抱いたのではあるまいな」
しかしこの男、彼女に背を殴られてもなお己の愚行を疑わない。
「なわけなかろうが。なぜわらわが只の鋼板に嫉妬せねばならんのじゃ」
「……愛栗子、こいつって馬鹿なの?」
夜如月からここまでの道のりで薄々気が付いていた乱怒攻流だったが、ここでついに確信を果たす。
「刀狂いだとは知っておったが、まさかここまでとはのぅ。紺、おぬし今有り金は」
「九十二両一分三朱だ。あと銅貨が何文か〜……」
「なぜわらわを茶屋に連れてくのを渋りその鋼板に有り金を出せるのじゃ!」
愛栗子ついぞ声を荒げる。
だがそこに刀屋店長、ここぞとばかりに紺之介の肩を持つ。
「あらあらお嬢ちゃん、店内ではお静かに。刀の良さがわからねぇ小娘はこれだからいけねぇ」
その店主の煽りに乗じるかのように紺之介、下げ目の愛栗子の頭をなでる。子どもをあやすかのようなその仕草がさりげなく場の主導権を握るのにいやらしく貢献する。これぞ大人の我儘を通し方である。
「まぁそう吠えるな。いざとなれば乱の背負った庄司の刀がある」
「ちょっと何あたしの刀売ろうとしてんのよ! っていうかあたしが振ってるのはそんな安物よりよっぽど高いんだけど!」
「なるほどそれはいいことを聞いた」
紺之介の口元が緩んだのを見て乱怒攻流思わずまたも駆け出したい衝動に駆られる。震える肩ぐっと堪え、背嚢を守るようにして手を後ろに隠す。
「いや……おかしいでしょ。何? あんた実は良い刀の価値もよく分かってないの……?」
彼女の見下すような視線を物ともせず、紺之介顎に指を添え店内を見渡しながら悠々と語る。
「千両刀ともなればさすがに共通認識にもなりえるが、刀に対して真眼を持つ剣豪たる俺の眼は凡人とは異なるのでな……例え庄司が良しとした刀全てを、俺も肯定するとは限らんのだ」
「呆れた。もうあたしついていかないから」
乱怒攻流が紺之介に背を向ける。そのまま暖簾をくぐり外を出そうになったところで、刀酔の男が「やれやれ」と逆に呆れたといった素振りで店主に話を振った。
「……しかたあるまい。ならば今だけは価値観を揃えてやるとするか。店主、この店で一番の刀をくれ。俺が気に入ればそれを買うこととする」
「いやそういうことじゃないんだけど!」
暖簾手前で突っ込みを入れる乱怒攻流と延々と茶屋を強請ねだり続ける愛栗子をそっちのけに、男二人はまた商談に入った。
「一番の刀ですかい……実は昨日入ったばかりの曰く付きがあるんですけどねぇ」
店主の男は一人奥へと入っていくと、しばらくして両手に抱えた四尺程の木箱を紺之介の前に出して見せた。その中開けて覗き込むと、そこには鞘のない生身の太刀が一振り。……そして紺之介の刀狂心に稲妻駆け巡る。
(これは……!)
初めて愛栗子の鞘を見た時程ではないが、それに近しい衝撃が彼の中で木霊していた。
殆ど理性無くして思わず渇望を口に出す
。
「欲しい」
彼が刀に興味を示したことを確認すると店主は詳細を語った。
「いやぁやっぱり分かりますかい? これですねぇ……実は、妖の宿る刀らしいんですわ」
「ふむ、妖刀ということか」
幼刀とはまた違う興味に煽られ紺之介、じっくりと耳を傾ける。
「昨晩の話です。その日の店仕舞いをしようって時間に、突然ここいらを張る海賊共の船長が来店したんでさぁ」
(海賊だと……? なるほど有名な貿易港だからな。そういう輩も湧くわけか)
「もう何事かと叫ぶ準備に息を深く吸ったところで、その男の只ならぬ雰囲気に気がついたんです。……そして箱ごと差し出されたのがこれ。なんでも魚の水揚げをしていたら引っかかったんだと」
そこから刀屋の店主は露骨に声を潜め、手のひらを口の横に立てて話し始めた。
「でよ? なんでもこの刀の柄を握ったやつは死の呪いにかかるんだと。その船長もいつもは威張り散らかしたロクでもねぇやつ何ですがぁね? そのときばかりは浮かねぇ顔をしてたもんで、話を聞いたらこれを握った仲間の一人がポックリあの世に逝っちまったんだとよ」
「ほう」
退屈に耐えかねてか、木箱を触り回る愛栗子を制止させながら紺之助が相槌を打つ。
「んでまぁ『綺麗な刀だがもう船に置いとくには気味が悪い』ってんで、ウチに売りつけてきたんでさぁ。最初は迷いもしたんですがね、こんないい刀を百両ポッキリで売ってくれるってんで、店に飾っておくことにしたんですよ。勿論柄には怖くて触れませんがね」
軽く戯け笑いを浮かべ、店主は続けた。
「でもまぁ、お客さんがどうしてもって言うなら、二千両でどうだい」
「二千両、か……」
格好つけて顎に手を添える紺之介であったが、当然この男にそこまでの即金が用意できるわけもなく
「これ程の刀、二度も三度も出会える気はしないが仕方ない。今回は先を見送るとするか」
二十秒ほど考える素ぶり見せども当然のごとくそれを諦めた……ところであった。
「紺、これは幼刀じゃぞ」
「は……?」
彼の隣から、愛栗子が耳を疑う発言を口にした。
「そ、そうね……まさかこんなところにあるだなんて……」
紺之介が一度疑った己の耳に、追い打ちをかけるかのように乱怒攻流がそうこぼした。