幼刀乱怒攻流
かなりの警戒心を持って庄司の家へと上がり込んだ紺之介と愛栗子。しかし、その引き締まった緊張感は庄司の家に飾られた数多の刀を前に霧散した。
特に広座敷の掛け軸前に飾られた木刀は彼の瞳に童の光を与えた。
「これは名刀『月砕』!? 樹齢1万年の大樹から作られ、真剣を上回る強度や硬度を誇り、それを捜し求めて刀狩りを行う者までいたとされている伝説の一振り……!」
「さすが! いやぁ某は分かってもらえる方に出会えて嬉しいですぞ」
「ふむ……俺ほどではないが、中々の刀蔵だな」
「ほう? それほどまでとは、某も貴方の収蔵刀に興味がありますな」
「俺も見せたいのは山々だが、何しろそれらには今都にて留守を任せていてだな……なんなら時間はかかるが俺の家までくるか?」
刀談義に華を咲かせる男共。
呆気に取られた愛栗子は紺之介の隣に立ち彼の袖口を軽く引いた。
「紺、わらわは花を摘んでまいる。そこの……庄司と言ったか? 口頭でよい、場所を教えてくれ」
「あ、はい。そこの廊下を行って突き当たりの右です」
「礼を言う。ではの〜」
(刀の癖に排泄を行うのか?)
紺之介は愛栗子がぺたぺたと廊下へ出て行く足音を耳にしながら一人不思議がっていると、次第に自らが何かを忘却しかけていることに気がついた。
「そうだ庄司。幼刀の話だが……」
そう口を開けた瞬間、廊下の方向で爆音に似た只ならぬ物音が響き渡る。音の方向からは埃吹き抜けて紺之介らの部屋にまでそれらが届いた。
「っ……! 何事だ!?」
すぐさま臨戦態勢になる紺之介。だがそれに対して庄司は妙に冷静沈着であった。
「ああー……また派手に暴れて……」
「は」
紺之介、怪訝な表情で彼を見る。
庄司は深くため息を吐くと、掛け軸裏から紅色の鞘を取り出し
「────納刀」
と呟いた。
すると瞬時に鞘口に光が集まり、それはやがて形となりて、柄と鍔として固まった。
その様子に全てを悟った紺之介。見よう見真似で碧色の鞘を握り「納刀」と口にする。すると幼刀愛栗子は再び刀の光となりてそこに納刀された。紺之助、これにて納刀の極意習得す。
「全く、幼刀愛栗子に傷をつけたらどうするんだ。乱怒攻流たん」
庄司が抜刀した刀からは、見慣れぬ形の紅背嚢を背負った少女が姿を現した。
それに合わせて紺之介も愛栗子の安否を確認するため再び抜刀する。
「愛栗子、傷はないか」
「まあの。簡単に斬られるほどわらわも貧弱ではない。……にしても乱よ、とても親友の再開とは思えぬ挨拶じゃのう」
愛栗子に乱と呼ばれたその少女こそ、大好木の創り出した第二の幼刀、乱怒攻流である。
「誰がいつ、どこであんたを親友だなんて言ったのよ! ……庄司、あたしにいい刀をくれるあんたには出来るだけ協力しようと思ってたけど……やっぱりコイツだけは無理! もうムカつくもん! 叩き折ってもいいわよね」
「ダメだよ乱怒攻流たん。愛栗子たんも某の収蔵刀としてこの家に飾るんだから」
庄司の妙な幼刀の呼び方に困惑しつつも紺之助、颯爽と彼の発言を否定する
「たん? 何だか知らんがそれは無理な相談だな。何しろこいつはもう俺の刀だからな」
紺之介が愛栗子の前に出て刀を構える。その姿は都の時と同様に愛栗子の瞳にはまたも勇ましく映ったが、片や乱怒攻流はその雄姿をみて鼻で嘲笑った。
「あんた正気? 人間が幼刀に勝てるだなんて、本気で思ってるの?」
「俺としては正気を疑っているのはそちらの男の方だ。折角自らが所有している幼刀と今から手に入れようという幼刀を擦り合わせて削るなぞ、俺にとっては言語道断だな」
紺之介の言葉に核心を突かれたかのように庄司、ハッと目を見開く。
「っ……煩い! 乱怒攻流たん! やっちゃってくれ!」
「はーい。まぁいいわ……そんなに死にたいなら愛栗子の前にあんたの背骨からへし折ってあげる」
庄司の号令に微笑を浮かべた乱怒攻流は、背から明らかにその背嚢には収まらぬ長さの刀を二本取り出した。そしてその様子を目の当たりにした紺之介の驚愕の表情が消えぬ内に、一気に畳をけって距離を詰める。
「くらいなさい!」
「っ!」
まず右の一撃を見切った紺之介は、刀を中央から殆ど動かさずに若干の傾きでそれをいなす。そして本筋と見た左側の刀を打ち返すようにして弾く。
「あっ!」
その太刀打ち見事なり。あっという間に乱怒攻流から一本を無力化すると、彼女が息を呑む間にもう一本も素早くはたき落とす。
乱怒攻流の両手が空いたことにより、もうはや決着かと刃を突きつける体制に入ろうとした紺之介だが、そこで彼女の余裕の表情が引っかかる。
『まだ何かある』と瞬時に判断し直した彼の決断はやはり正しく、乱怒攻流の背嚢からは新たなもう一刀が投げられるようにして振りかざされた。
間一髪それをかわした紺之介の横畳に、深く投刃が突き刺さる。
その意表を突いた一撃は、彼女が紺之助から距離を取るのに十分な時間稼ぎとなった。
「ふーん。なかなかやるじゃない」
そう言いながら乱怒攻流は背嚢から新たな二振を取り出す。ここまで見れば最初は驚きを見せた紺之介も、流石にその可能性を認めざる得ないとした。
(こいつの刀は何本はたき落としても背から生えてくるのか?)
しかしこの男、やはり剣豪を自称するだけはあり。後方で愛栗子がほくそ笑む。
乱怒攻流が彼の腕を見誤っている限り、紺之助はこれだけの手数不利さえもその気になれば瞬時に覆し、乱怒攻流の首を跳ねることなど容易い。だが、彼の目的はあくまでも保護であり破壊ではないこと。そのことがこの両者の実力を均衡とする重りとなっていた。
乱怒攻流がそのことにいち早く気づき真髄を発揮するか、その前に紺之介が彼女をただの童女に変えてしまうのか……この場でただ一人、愛栗子はこの勝負の肝を悟っていた。
(まぁ、いよいよとなればわらわが手を貸すがの……あの男には死んでもろうては困る)
座敷の中では早くも二度目の衝突が繰り広げられていた。
乱怒攻流の跳飛は二人の身長差を軽々と埋め、その中で上下段に行き来する怒涛なる剣先の軌道が多彩な攻め手を生み出している。その様相まさしく乱舞。さすがの紺之介も防戦一方となり攻めあぐねていた。
だが、嵐のような剣舞の中でも紺之介は含み笑いをこぼしていた。それが気に食わず乱怒攻流が吠える。
「随分と余裕そうな顔してるじゃない! それとも何? 自分の死を悟って笑うしかなくなっちゃったのかしら!」
「乱怒攻流、確か庄司はお前に刀をくれたと言っていたな」
「……それが何」
不敵に笑う紺之介を前に、彼女はもう一度距離を取った。
彼が己の底を見定めたのかと勘づいたからである。
そう、彼女の背嚢から出る刀の数は無数ではあるが無限ではない。あくまでその中に事前にしまわれた本数しか扱うことができないのである。もし紺之介がその事実に気がついたのであれば、如何に効率よく彼女の手から刀を奪うかの勝負となる。
ここまで負ける気など毛頭なかった乱怒攻流であったが、その顳顬からは微量の冷や汗が垂れ始めた。察し始めたのである。目の前の男の圧倒的技量に。となれば見せるしかない……己の真の力を。
「庄司……アレ、使っていい?」
それまで二人のやり取りをただ固唾を呑んで見守っていただけの庄司がハッとして反応した。
「だ、駄目だ乱怒攻流たん! ここでアレを使ったら部屋中がめちゃくちゃに……!」
「でも多分こいつ、アレ使わないと倒せない」
二人の会話に紺之介が割って入る。
「なんの話をしているのか知らんが、乱怒攻流……俺はお前が欲しくなった。保護対象としてではない。俺のものになれ、乱怒攻流」
「は……?」
乱怒攻流、唖然。
「紺、それは聞き捨てならん台詞だの」
後ろでは愛栗子が不機嫌そうに腕を組み眉を顰めていたが、そんなことはお構いなしに紺之介は続けざまに語った。
「お前がその姿で旅に同行してくれるのならば、刀収集を趣味とする者としてこれ以上はない。その不可解な造りの背嚢があれば、旅路にて見つけた素晴らしき刀を見限りをつけず購入、運搬することができる!」
いつになく静けさを消し興奮して語る紺之介だったが結局のところ幼刀たちには理解が追いつかず、一人は困惑の表情を浮かべ、もう一人は苛立ちそっぽを向いた。
だがその語りは意外にもここまで口数の少なかった庄司の心にだけ業火の炎を灯した。
「っ!!! 乱怒攻流たんは某の幼刀! 同志として紺之介殿には絶対に譲れんッ! 幼刀乱怒攻流! 紺之介殿を八つ裂きにしろォ!」
「よく分かんないけど、本気出していいってことね」
庄司の許可を得た乱怒攻流は両手の二本をその場に捨てると、背嚢から刀でも鞘でもない、いくつかの穴が開けられた棒を取り出してその先端を咥えこんだ。
(なんだ……あれは……)
もう一度両者互いに身構えた静寂の中に、甲高い旋律の音色が響く。
(縦笛……なのか?)
「紺! ボサッとするでない!」
愛栗子の声に反応して横に跳んだ紺之介の背後から全くの平行軌道で刀が横切る。
あわや串刺し。飛刀は紺之介の肩布を短く裂いた。その柄は誰にも握られていなかったが、明らかにして何者かが投げた軌道ではない。
紺之介が刀の軌道先を目で追っていくと、そこには信じられない光景が広がっていた。
(刀が……浮いている!?)
縦笛を吹く乱怒攻流の周りをいくつもの刀が魚のように宙を泳いでいる。
彼瞬時に周りを見渡すも、先ほどまで畳に突き刺さっていた何本かも完全に姿を消している。恐らく宙を泳ぐその一本一本がそれらなのだろう。
「面白い。その笛の音色もさることながら、まるで美刀の展覧会ではないか」
(まだ笑えるのね。ならその減らず口にぶっ刺してあげる!)
紺之介が駆け出したことにより、ついに二人の最後の攻防が幕を開けた。
宙を舞い的確に紺之介を狙う刀に対して、彼は出来るだけ低い姿勢を保ったまま接近し、襲い来る刀をぎりぎりの間合いまで引きつけてかわす。時には髪先と共に、時には微量の鮮血と共に、飛刀、ザクリザクリと音を立てては畳に突き刺さる。
再び畳を裂いた刀を、今度は紺之介が抜いて振り上げた。
また一刀、また一刀と宙を舞う刀がはたき落とされていく。
その景色を前に乱怒攻流の表情からは余裕が消え、次第に旋律も乱れいく。
(あ゛ーもう!)
徐々に距離を詰めた紺之介の刃は、ついに乱怒攻流に届く間合いを捉えた。
接近した低い姿勢のまま、身長差のある彼女にも確実に届く超低空の下段払いが乱怒攻流の足首を打つ……かに思われたが。
(ばーかっ!)
跳飛を取り入れた剣術を操る乱怒攻流にとって、瞬時にそれをかわすなど容易いことであった。
再び旋律にのせ浮遊させた拾い刀の雨が、天井で紺之介の背に狙いを定めた瞬間だった。
(えっ)
なんと浮いた足首を紺之介が素早く掴み取ったのだ。
それにより姿勢を後ろに崩しかけた乱怒攻流の背を、刀を捨てた彼の手が支えた。
「おっ、と」
その場で乱怒攻流を抱きしめた紺之介の背に、天井で浮いたまま行き場を失った刀共が襲いくるも、それらは二人の真上に展開された見えない壁に遮られるようにして全て弾き飛ばされた。
焦った庄司が鞘を握りて何度も「納刀」と叫んだが、その言葉は乱怒攻流の身体に届かず、無意味に座敷に響くだけとなった。
「どうやら、所有権が移ったようだな」
「あ、ぁ……ちょっとぉ!」
乱怒攻流に両手で突き飛ばされた紺之介だったが、彼はそのまま庄司の方を向いて高らかに宣言した。
「俺の勝ちだな。この刀もその鞘も、この剣豪紺之介が貰い受ける」
庄司の家を後にした紺之介は、興味本意に乱怒攻流の背嚢をいじり倒していた。
「ちょっと! 将軍様に貰ったあたしの大切な鞄にベタベタ触らないでよ!」
彼女の怒声を無視して紺之助、欲望の赴くままに背嚢の構造を調べ続ける。
「中は深い井戸のような暗闇だな。これを取り外すことはできないのか?」
「これを自由に出現させられるのはあたしだけよ」
その様子をまだ不機嫌そうな顔つきで見ていた愛栗子は紺之介の興味を乱怒攻流から遠ざけるためか、自らの口でその詳細を語った。
「それはそやつの『刃』じゃ。幼刀はみなその名を授かるにあたった力を持っておる。先ほどの縦笛も乱の『刃』の一つじゃな。一つだけの奴もおれば、複数持っておる者もおる」
そこまで耳にして紺之助、愛栗子に問う。
「お前も持っているのか」
「まぁそうじゃの。見てみたいか?」
「興味はあるが、お前は暫く納刀だ。連れて歩くのはそこの赤背嚢だけで十分だ」
膨れる愛栗子をよそに乱怒攻流は吠え続ける。
「は? 言っとくけどあたしはまだあんたに付いて行くだなんて一言も言ってないから!」
「あ、おい!」
紺之介の手から背嚢をきり離すように振り返った乱怒攻流はそのまま彼の横を走り抜ける。
「悔しかったらまた捕まえてみなさい!」
颯爽と逃走を図る乱怒攻流の後ろ姿にため息を吐きながら彼女の鞘を握った紺之介であったが、彼が『納刀』と口に出す前に何処からか飛んできた謎の黒紐が乱怒攻流の身体を巻くように絡みつき彼女を往来に転かした。
「ふぎゃっ」
「ん……?」
黒紐の出所を目で探るとそこには黒手拭いを頭から外した愛栗子が得意げに構えていた。
「どうやらそやつを縛って歩く係が必要なようじゃの」
「そうか。なら頼んだ」
「ちょっとぉ! 愛栗子これ……! 外しなさいよぉ」
いがみ合い騒ぎ合いつつも、三人は幼刀透水ようとうすくみずの在り処を求めて港を目指す。
少しだけ愉快になった幼刀保護の旅は、まだ始まったばかり。