夜如月
露離魂町から十里ほど離れた街、『夜如月』ここにて乱怒攻流の詳細な在り方を探るため紺之介ならび愛栗子は情報を集めていた。
紺之介ここでも茶屋せがまれて仕方なく休憩がてらにわらび餅を食む。
「ふむふむ、ここのきな粉わらび餅はなかなかのものじゃな〜」
「まことにございますか! あなたのような綺麗なお方に褒めていただき光栄でございます! ご無礼ながらお聞きしたいのですが、もしやあなたはどこかの姫君で……?」
茶屋の娘の絶賛にて愛栗子は得意げに懐の扇子を広げて見せた。
「ふふん。くるしゅうない」
因みにこの扇子、都散策にて彼女が紺之介にねだったものである。
「わらわの名が知りたいか? わらわの名は……」
とまで言ったところで紺之介の手が愛栗子の頭頂部を覆う。
「お前の名は面倒ごとの種になる。ばらまくな」
控え書き通りここに幼刀の噂があるならば、そもそも幼刀の存在自体がこの街の民にとっては周知の伝説。愛栗子がここにあると知られれば、その噂もまた瞬く間に広がり正確な情報源の妨げとなりかねぬ。
客観的にて紺之介の判断正しけれど、愛栗子は不満げに頬を膨らませた。
「それくらい分かっておるわ。故にわらわにふさわしき、新たな姫名を見繕うと思うておったのじゃ」
「なんなんだそれは……」
呆れながらにして茶をひとすすりした紺之介は、一先ずじゃじゃ馬娘との徒労話を切り上げ、そしてその傍ら少し残念そうな様子を見せる茶屋の娘に質問を振る。
「すまん。ここには幼刀の噂を聞きつけて遥々都からやってきたのだ。何か知っていることがあれば教えてはくれないか」
「幼刀……ですか。風の噂で耳にしたことはあったんですけど、私はあまり刀には関心がなくて……」
一度は心当たりを探る素振りを見せた娘だったが、直ぐに自分では力不足だとして頭を下げる。
(ここは外れか)
なら次を当たらねばと紺之介足早に腰を上げる。
「そうか、詰まらん話をしてしまったな」
横で「もう動いてしまうのか」とごねる愛栗子を無視して彼、腰巾着を開く。
「まあよい。ご馳走になった。ここはよい店じゃ。また来るからの」
だが紺之介が二人分の金額を置いて茶屋を後にしようとしたところで、娘は二人を呼び止めた。
「あ……! 待ってください!」
紺之介歩みを止める。
「? 銭が足りなかったか」
「いえ、夜如月に刀を進んで収蔵している人がいるんです。なんかここでは変わってる人という扱いなんですけど……その人だったら何か知ってるかもしれません」
茶屋での休憩のち、娘の情報を頼りに二人は例の刀趣味の住居を目指し、歩き始めた。
街中のがやが彼らの耳を触る。夜如月も中枢部ではないにしろ、都を取り巻く街の一つ。商いは都に負けず劣らずの盛んさを見せ、昼間は民で賑わっていた。しかしそれが起因して紺之介肩をすぼめる。
そう。またも視線の雨霰。幼刀愛栗子は刀からも只ならぬ異彩を放つが、刀に盲目的酔いを見せる紺之介ですらもうはや感づいてきている。
(どうにかしてこいつを刀の姿に戻せぬものか)
大多数の視線を避けることができるのはどう考えても刀の姿であるということ。
そのことを彼女にも間接的に伝えるため紺之介は愛栗子に相談を持ちかけた。
「一度魂を解放した幼刀は二度と刀には戻らんのか?」
「ん〜、それはあり得ぬ。幼刀の所有権は柄を握るものに常々移り変わるのじゃが……露離魂を持たぬ者が柄を握れば刀のままじゃ。あとこれはついでに言っておくが、魂を解放された幼刀は故意に所有者を傷つけることが叶わぬ」
紺之介歩きながらにして愛栗子の下から上を順に眺める。
「……柄とはどこだ」
「ん〜、足首かの」
なるほどと思いつつもそれではまだ根本的な解決には至らぬとして紺之介は次の質問に移った。
「所有権を持つ露離魂が任意で再び刀に戻す方法はないのか?」
その方法さえ分かれば視線を避けられ、愛栗子の駄々からも逃れ、美しき刀を腰に携えて歩く優越感に浸れる。紺之介からすれば良いことづくめであったが、ここでこの男しくじってしまう。
「……むぅ」
「なんだ。知っているなら早く教えろ」
「教えぬ」
「なっ……!」
愛栗子は扇子を前にして、首を露骨に彼から背けてみせた。
顔に出てしまっていたのである。紺之介の思惑、願望、そして欲望……その全てが。
「にしても刀好きの変人とはの……ぬしと一緒ではないか。『類は友を呼ぶ』とはよう言ったもんじゃのぅ」
彼女の首が前を向いた時にはもう話題すらすり替えられており、紺之介自身も今揺さぶりをかけても無意味と見てひとまず納刀を諦めた。
「案外そいつが乱怒攻流を持っていたりしてな。もしそいつが筋金入りの刀収蔵人ならば、こうして街に幼刀の噂が広まっているのに、居ても立ってもいられまい」
「分からぬのぅ……わらわは簪に封じられた方がまだよかったわ」
そう言って首を振る愛栗子の態度が紺之介の刀狂心に若干の火をつけるも、彼もそこは大の大人。熱く語っても分からぬであろう愛栗子には冷静に、簡潔に、分かりやすく伝えた。
「漢にとっての刀とは即ち、女子にとっての簪と同じということだ」
「そう思っておるのはもうおぬしら特異な人種だけじゃと思うがの」
(どこまでも生意気な小娘め……)
紺之介の簡潔な例えも虚しく逆に皮肉で返され、どうにかしていち早く愛栗子を納刀状態にもっていかねばと眉を歪ませる彼の元に、一人の恰幅の良い男が声をかけてきた。
「あの〜、そこの方……」
「ん、なんだ」
「失礼ですがその腰の鞘はもしや、愛栗子た……いえ、幼刀愛栗子の鞘では……」
その言葉を耳にした瞬間、紺之介は腰の柄に手をつけた。
その俊敏さ然る事乍がら、警戒する眼光には大狼がごとくの威が宿る。
それに睨まれた男は大変驚いた様子で手を前に出して頭を伏せた。
「ヒッ! す、すみません! 実は某、刀収集を趣味にしている者で……!」
そこまで聞けば露離魂町の丸刈り連中とさほど変わりなしとも思えるところだが、今の彼らにとってはわけが違う。
「何? ではこの街の刀を収蔵している変わり者というのは」
「へ? あ、はい……某以外他に無しかと。庄司と申します。某に何か用で?」
「この街にあると噂の幼刀の情報だ。愛栗子の鞘を一目見ただけで気がついた辺り、全く何も知らない……ということはなさそうだな」
紺之介が柄から手を離し要件を伝えると、庄司と名乗った男は先ほどの穏やかさを何処かに潜め目の色を変えて背を向けた。
「そういうことでしたら、こちらです。某も貴方のその鞘には興味がある」
紺之介は見逃さなかった。その際彼が一瞬だけ愛栗子に目配せしたことを。
(こいつ、今愛栗子を)
「のぅ紺。これはもう情報を聞き出すまでもなく当たりかもしれぬぞ」
「俺もそう考えている。くれぐれも気を抜くな。さて、行くぞ」