幼刀愛栗子
幼刀保護の旅に出た紺之介と愛栗子は伝説の幼刀七本が内の一つ、幼刀乱怒攻流を求め、情報部隊の控え書きを元に都から十里ほど離れた隣街を目指していた……のだが
「紺、わらわは団子が食べたいぞ」
二人はまだ都すら出ておらず、茶屋を前に愛栗子は容姿相応の駄々をこねていた。
因みにその茶屋都一。昼間は毎日十人ほどの行列ができるほどだという。
茶屋から漂う甘たるい香りが愛栗子をそこに縛り付け、先を急がんとする紺之介の着物を引く。
「何故刀が団子をせびる。お前ら幼刀のその姿は、もはや可視できる霊体といっても過言ではない。食わずとも倒れぬだろう」
「霊体とはまっこと失礼なやつじゃな! このわらわの美脚が見えぬと申すのか!?」
『脚ならある』とその場で跳んだり跳ねたりを繰り返す愛栗子を見て、紺之介は口元を引きつらせた。
(まるで野兎だな)
紺之介には先を急ぎたい理由があった。まず、第一にしてこの愛栗子を一刻もはやく収蔵品に加えたいということ。そうしてもう一つは、今も浴び続けている町民の視線から逃れること。
大好木に魂を封印された第一の幼刀にして、その根拠から彼が最も愛した絶世の美少女と謳われる愛栗子は、茶屋に並ぶ者たちの視線すらかき集めていたのである。
その様子、まさに凝視の行列。まだ茶屋に並ぶと決めていない二人は並んだところで当然最後尾なのだが、そこに並んだ人々が皆、目的地の茶屋とは逆方向を向いているという異様な光景であった。
(流石伝説の一刀……)
さほど『女』というものに興味を示さない紺之介ですら、その光景を前に愛栗子の美を再確認した。
さてこれらの理由から延々と立ち往生する訳にもいかず、だからといって子供の躾のように置いて先を行ったところで愛栗子はここに残るであろうことを紺之介は予測できていた。
なんならこの娘、己の美とそれに向けられる視線を自覚していないはずもなく、放って行こうものならば今行列を構成している誰にでも団子をせびろうとするであろう。
愛栗子は紺之介の胸に肩から寄りかかると、手を口に小声で囁いた。
「そうけちけちするでなぃ。わらわは知っておるのだぞ? 紺おぬし今、確か羽振りはよいはずであろう?」
「っ、この小娘……!」
彼の目に映るは生ける伝説宝刀なれど、見た目は少女の他ならず。
生意気の過ぎたるその態度に、紺之介はさらに顔を引きつらせた。
仕方なく折れた紺之介は渋々茶屋へ並ぶも、顔には早くも旅疲れた表情が伺える。
幼刀愛栗子の鞘と共に腰に吊るした巾着に重々しくあるのは確かに百両。特に遊びと商いに手を出さぬならば何もせずとも暮らせる金額でもあるが、これには旅賃も含まれているのだ。
今までまともな仕事をしておらず、その上、刀の収集に手入れといったことを趣味にしているためか、財産の殆どをそちらに当てている貧乏侍はどのような些細な無駄遣いでも避けたいというのが本音であった。
「よかったのう紺。わらわのような絶世の美少女と共に団子を頬張れるのじゃ。このようなこと、どんな遊廓に転がり込んでも叶わぬことぞ?」
その一方で愛栗子はというと、久しき現代の露離魂町を満喫していた。その顔はとてもこれからどのようなことが起こるとも知れぬ幼刀収集の旅に赴こうという表情ではない。
愛栗子にほだされて旅の気が抜けぬよう、紺之介はめっきり彼女の高飛車冗句を無視し、並んでいる間に客人の控え書きに改めて目を通していた。
(幼刀は愛栗子を含め全部で七振り……)
『大好木に最も愛されたとされる少女が封じられし刀、愛栗子』
『舞うような剣さばきで怒涛かつ独特の攻め方と切れ味を持つ刀、乱怒攻流』『魚のように水に溶け、水さえ切る刀、透水』
『血で染まる赤い頭巾に身を包む刀、裵奴』
『刀身は平たく、その硬度はもはや盾に近しいと謳われる刀……俎板』(ただし、児子炉によって破壊される)
『相手の剣士を必ず屈服させ、相手剣士が刀身を力なく降ろす様が「まるで相手の刃を踏みにじるような制圧力」だと言われたことからその名がつけられた刀、刃踏』
『依頼の発端の刀、児子炉』
「ふむぅ……懐かしい名ばかりじゃのう」
控えを持つ紺之介の腕を、愛栗子が掴んで下ろす。
「この控えは封じられた幼刀の順に書かれているらしいな。やはりお前が一番大好木に可愛がられていたのか」
大好木が幼刀を作ったのは少女たちの魂を永遠のものとする為……故に最も愛した愛栗子を最初に封印するのは妥当だと考えた紺之介であったが、愛栗子からの返答は予想外のものであった。
「はてさて、それはどうじゃろうな〜」
「は?」
紺之介眉を顰める。
「好かれておったのは事実じゃろう。大事にされておったのも事実じゃろうて。しかしそれは他のやつらも同じ……そしてわらわは美し過ぎたが故に最も将軍様の愛からは遠い存在じゃったのではないかの」
またも高飛車冗句かと一瞬呆れかけた紺之介であったが愛栗子の表情が先ほどのものと全く違うことに気がつき思わず詳細を求めた。
「どういうことだ?」
「絵画と同じじゃ……わらわは他の者ども以上に美しく着飾られたが、同じく他の者以上に触れられることはなかった。それでも将軍様はわらわを愛してくださっておると自惚れておったわ。じゃが、一番最初にこの身にされてようやっと気付かされた。将軍様はただこの世で最も美しかったわらわを手中に収めておきたいだけじゃったのだと。それと同時にわらわの将軍様への想いも幻想だったと気付かされたのじゃ。わらわも同じじゃった……美しき己と釣り合う男は、将軍様ただ一人だと思い込んでいたに過ぎんかったというわけじゃ」
そこまで語ると、愛栗子は掴んでいた紺之介の腕を更に引き寄せ、抱いてみせた。
「のぅ、紺……もしこの身体でもまだ叶うならばわらわは真の恋愛というものをしてみたい。心から人を愛してみたいのじゃ……おぬし露離魂の持ち主なのであろう? ならばここは一つ、刀集めなぞつまらぬことはやめてわらわと駆け落ちしてはみぬか?」
一時は興味本位で愛栗子の話に耳を傾けた紺之介であったが、その根本に潜むものが恋に恋するうら若き乙女心であったことを知り適当に受け流すと再び控え書きに目を落とした。
「のぉ〜」
それでも袖を揺さぶる愛栗子。
駄々こね少女鬱陶しく紺之介、はやる黒手ぬぐいに蓋をして言ってきかせる。
「それは劇場の見過ぎというやつだ。それに俺には少女を愛でる趣味どころかもはや女を抱くことすら十一のときに飽きている」
「なんと!」
ここまでの会話で彼を淡白な人間と捉えていた愛栗子にとって、紺之介のその発言はそれはそれは意外な一面と映った。愛栗子は思わず聞き耳を高く立てる。
「俺が子どもの頃はまだ武士が刀を握るだけでそれなりの地位を保てていた時代でな……父は護衛業一本で銭を重ね母が無理することもなかった。そのとき父は何人かの妾を雇っていて、その内の三人くらいを十のときに俺も頻繁に抱かせてもらっていた」
新たな客の出入りに一歩列を詰めながら紺之助は続ける。
「俺が女に飽きた頃に丁度時代も移り変わり、父は仕事が減ったのと同時に趣味だった収蔵品の刀だけを残してある日ぱったりと姿を消した。そこからは母に育ててもらったが恩も返せぬ内に病気で亡くなった」
女に飽きた理由以降は完全な自分語りであったが、その時紺之介はなんとなく饒舌となっていた。彼は全てを話した後、誰かに自分の話をしたことが初めてだったことに気がついたのであった。
(唐突に刀嗜好や剣術を買われたり、誰かに自分語りをしてみたり……俺もまた慣れん風に乗せられているのか。何十年ぶりにこの地に足をつけたこの小娘とさほど変わらんな)
紺之介が若干煩わしきに浸る一方で、愛栗子が微笑う。
「ほぉ〜? しかしそれを聞いて確信したわ。おぬしやはり、露離魂じゃの」
意気揚々としたり顔。だがそれを紺之介はあっさりと否定する。
「俺は刀には酔っても女には酔わん。お前を解放できたのはお前に惚れたわけではなくあくまで幼刀愛栗子に惚れたからだと考えている」
「それはありえぬ。露離魂を持つ者はみな例外なく童女を好む。昔抱いたのがどのような美女だったかは知らぬが『少女』の味はまだ知らぬであろう……?」
愛栗子が崩し浴衣の肩を更に露出して見せる。その姿少女といえど花魁顔負けの色香であったが、紺之介はいたって冷静な語り口で彼女をたしなめた。
「そんなに俺を『お前に惚れている』ことにしたいのか。とんだませ娘だな」
紺之介がため息をついて愛栗子の肩を戻そうと浴衣に手をつけたときだった。
「っ! 伏せろ!」
紺之介反射的に愛栗子を抱き寄せ地に伏せる。
すると彼らの頭上を短いドスのようなものが通り抜けていきそのまま地に落ちた。
刃物が通り抜けたその後には不穏な緊張感だけが残り、彼ら以外の茶屋の客列は皆悲鳴嬌声を上げ散り散りとなる。
「お、おぉぅ……? 思ったより大胆にきたのぅ……」
「ぬかせ」
二人が刃物の飛んできた方向を向きながらおもむろに立ち上がってみると、そこには顔に古傷を走らせた丸刈りの男とその取り巻きだと思われる何人かのならず者が低い笑い声をあげながら立っていた。
「そいつ、幼刀なんだろ? ウチの宝刀好きがその兄ちゃんの腰につけた碧色の鞘に目ぇつけてよ……それを大人しく譲るってんなら痛い目には合わせねぇぜ?」
丸刈りの後方で「ケケケ」と各々に嗤う取り巻き。
周りの人々は気味悪がりて次々にそこらを立ち退き、結果紺之介らだけがそこにとどまった。
「いかにもといった連中だな。白昼堂々、しかも民の集まる茶屋でとは……直ぐにでも警備隊が飛んでくるぞ?」
「それまでに終わらせるだけの話よ」
「なるほど。俺としてもそちらの方がありがたいな」
紺之介が腰につけたもう一つの鞘から自前の愛刀を抜刀し構えたと同時にならず者たちも活気を増す。
「調子こいてんじゃねえぞゴラァ!」
「テメェら! 久しぶりの血祭りだ!」
正面泣く子も黙らせる勢いの怒号咆哮の嵐であったが、愛栗子はそれらを物ともせず紺之介に問いかけた。
「……紺、こやつらもわらわに見惚れた連中か?」
「知らんな。愛栗子、お前は先に茶屋で団子でもはんでいろ」
後ろ目で愛栗子に避難を促した紺之介であったが、それに対して愛栗子本人は大層不思議そうな顔をしていた。
「わらわを使わぬのか?」
紺之介はその問いに対して目を合わせることなく返すと勢いよく前へ駆け出した。
「収蔵品を傷つけるわけにはいかんからな」
晴天直下の露離魂町。ならず者らと紺之介の野良喧嘩は大通りで大胆に幕を開けた。
見た目数にて圧倒的に勝る丸刈りの男は増長しながら後方に号令をかける。
「シャア行くぞてめえら!」
取り巻きが我先にと前方へと躍り出て相対する。
早速紺之介が振り上げた刀は取り巻きの内の一人が持つ得物をかち上げた。
続けて大振りに振り返り背後から襲い来る輩の脇を峰打ちする。
「コイツ!」
その隙を突かんと左を遮る影に紺之助は裏拳を叩き込み、最後に丸刈り男の吠え面に刃を突きつけ新たな浅傷を作ると、男たちはその場で尻もちをついて降伏した。
「ヒエ……」
「終わりだな。愛栗子、警備隊が来る前に茶屋に隠れるぞ」
「おお〜」
流れるように決着をつけた紺之介に対し、愛栗子感服をもらし手をたたく。
再び納刀し自分の元へと戻ってくる自称剣豪の男……そんな彼の雄姿をしっかりと瞳に焼き付けた愛栗子は小さく呟いた。
「……なるほどの」
「? これはなんだ」
紺之介の口元には三色団子の一番上が差し出されていた。彼にその串を向けた愛栗子はそれを褒美と語った。
「ほれ、はよう食わんか。このわらわが三つしかない内の一つをおぬしにくれてやると言うておるのじゃぞ?」
いまいち理解できず困惑した表情の紺之介だったが、団子がそのまま唇に押し付けられたことを機にその顔のまま団子を口に入れた。
「紺、わらわはぬしが気に入ったぞ」
「ならばこの先は駄々をこねず大人しくついてこい」
「そうじゃのぅ……この後は共に劇場にでも行かんか?」
「……頼むから話を聞いてくれ」