7話:魔女の弟子
ジナイさんと話している途中、小さな足音が近付いてきた。
元気よくも急ぐ駆け足。パタパタと軽快な靴音を立てながら、ジナイさん家の敷地を迷いなく抜けてくる。
「お師匠さま!」
やや乱れた息遣いと共に叫ばれた声へ、僕は振り返った。
視線の先には青い髪を持つ十代前半の子供が、薬草籠と一緒に大きな魔領大根を抱えて立っている。
その子はミナトよりも一回り小柄なため、立派な大根は半身に達するほどの対比を見せた。
ジナイさんの弟子、薬師見習いのアキリだ。
「あ! 兄さま、いらっしゃっていたんですね」
僕の存在に気付くと、薬草籠と魔領大根を地面に置き、アキリは上品に一礼する。
着ているのは髪色と合わせた青地を基調とし、リボンとフリルを多くあしらった可愛らしい女中服。外側に膨らむスカートの端を軽く摘まんで、片足を一歩引き、恭しく腰を折る。
挨拶を終えて顔を上げると、屈託ない笑顔を浮かべた。
アキリは僕と同じ、魔族傍系の一つ戦牙族だ。青い髪と赤い瞳が特徴で、魔族の中でも特に生命力が強い。見て分かるほど大柄でも頑強でもないけれど、打たれ強さと生存能力はずば抜けている。
この集落に暮らす戦牙族はアキリと僕だけ。そのため親近感を抱いたのか、ジナイさんの元へ治療に通ううち、アキリは僕のことを兄さまと呼ぶようになっていた。
別に咎める理由もないし、好きなように呼んでくれてかまわないけど。
「やあ、アキリ。今日もお邪魔してるよ。それでジナイさんにお話しがあるんじゃないかな?」
「そうでした。お師匠さま!」
「なんだい、騒々しいねぇ。薬草は沢山採れたのかい」
「はい、籠いっぱいに。それで薬草採りの帰り、ジューローさんから立派な魔領大根をいただいたんです。お師匠さまは大根が大好きですものね。だからお報せしたくて」
「ヒッヒッヒッヒ、確かにそいつぁ朗報だぁねぇ。今夜の夕食は大根づくしとしゃれこんどくれ」
「はい!」
ジナイさんは竈に掛けた鍋へ依然として向き合ったまま。僕へそうしたように、アキリとも背中越しで会話している。
ただこの師弟にとっては当たり前のようで、何の問題もなく話は進んでいった。
生活環境もあるだろうが、オーダン師匠とは大分違う。アキリはジナイさんの身の回りの世話を一手に担い、薬草の調達や料理まで手伝いに奔走している。一方で僕達の場合、私生活は完全に分離していた。師匠からは純粋に戦技の手ほどきのみを受け、暮らしの世話を焼くことは一切ない。
だから余計にジナイさんとアキリのやり取りは新鮮で、見ていて飽きないし微笑ましくもある。二人が祖母と孫のように心許し合っていることも一因だろうか。
「だけどジューローさん、心配事もあると仰ってました」
それまでにこやかに笑っていたアキリが、視線を落として表情も曇らせた。
地面に置いていた魔領大根を拾い上げ、白い表皮を見詰めている。
「アイツも気苦労の多い男だねぇ。それで、なんだって?」
「あの、大根畑を害獣に荒らされるそうなんです。折角できた野菜を食べられてしまって、だからすごく困っているって」
「この辺りにいる野生の獣といえば発狂オオカミだねぇ。でも妙な話じゃないかい。以前も食害に遭うと言うから、獣が避けるようになる嫌忌薬を作って渡してやった筈だよ。相当な量だから、まだまだ尽きやしないがねぇ」
「お師匠さまの嫌忌薬は今も欠かさず撒いているそうです。以前はそれで害獣が寄り付かなくなっていたそうですが」
「最近になって、また畑へ侵入されるようになったってぇ?」
「はい。そう仰ってました」
ジナイさんはローブの中から取り出した薬草を鍋の中に散りばめながら、何事かを思案している様子だ。
その背中を、アキリは魔領大根を抱き締めて、期待と不安の入り混じった目で見遣っている。
伝えた情報を師がいかに判断分析するか、弟子として待っている。
「発狂オオカミが嫌忌薬に慣れてしまったか、そうでなければ別の獣が現れて、畑を荒らしているんじゃないですか?」
ジナイさんの沈黙は長い。
返答を待つアキリの顔へも、不安の色が濃くなってきた。
差し出がましいとは思ったけれど、小さな同族が可哀そうなので、僕の私見を述べてみる。
発狂オオカミは魔族領の各地に生息している野生動物。人族の勢力圏で生きている狼よりも大きく、俊敏で力御強いうえ、なにより非常に狂暴だ。
危険な暴れっぷりから発狂の名を冠することになったが、群れで狩りをする連携能力と、自分達より強い相手には近付かない慎重さを持ち、知能自体はかなり高い。
かつては頻繁に害獣駆除の対象として山狩りもされていたが、人族との戦争が激しさを増したことで戦力の中央集中が続き、地方の問題処理は殆ど行われなくなってしまった。
弊害として特に手の及び難い辺境は、危険な野生動物が爆発的に増えている。この集落近郊も状況は芳しくなく、魔族の生活圏内でも獣達の侵入事件が多い。
生来、肉食の狼が畑を荒らすというのは、魔領大根が栄養価豊富で、滋養強壮にもよく効き、そのうえで美味且つ潤沢な魔力を蓄えているという、完全栄養食っぷりに起因する。
野兎を追い回すより植えられている魔領大根を食べる方が、労力と得られるエネルギーの割合がいいと、覚えられてしまっている可能性も高い。
「野生動物の本能的な忌避感を衝くように調合したんだ。慣れてどうこうなるもんじゃないさ。発狂オオカミ以外の獣にしたって同様。何者であれ嫌忌薬の塗布された領域には近寄りゃしない。雨で流れちまわないようにもしてあるがねぇ」
ジナイさんは僕の素人見立てを否定して、緩く腰を叩いた。
短く息を吐くと、鍋の掻き混ぜ作業を再開する。