3話:敗北
「元より無駄なことだ。俺は魔王を殺すまで生き続ける。生き続けさせられる。死のない俺に、お前達魔族は勝てん」
「げほっ、がッ! ふぅ、ふぅ……」
「それでも尚、戦意を失わぬとはな。見上げたものだ」
正面に立ち、僕を見下ろしながら、黒騎士は聖剣を振り翳す。
トドメを刺すつもりか。
今の僕にできる最後の抵抗は、内在魔力を搔き集めて束ね上げ、黒騎士の打ち込みに合わせて炸裂させてやることだけだ。
どの程度の効果があるかは分からない。だが僕の全てを犠牲にして、せめて一矢報いよう。
「抵抗は無意味。そう言っても納得はすまい。やりたいようにやってみろ」
「げはっ、ゴホッ……ああ、やってやるさ」
「ダメ!」
黒騎士の聖剣が動き出そうとする刹那、拒絶の叫びを上げて人影が飛び込んできた。
両手両足を広げて黒騎士の前に立ち塞がり、その背で僕を庇う小柄な少女。
背中で二つ結びにされた黒い髪と、纏っているのは東方由来の赤い着物。
僕は彼女を知っている。
「なにを、して……ミナト、離れるんだ」
「私は動かない。フユを殺すつもりなら、まずは私を斬れ!」
毅然とした声で告げ、少女は黒騎士と相対している。
彼女は、ミナトは、僕が使う精霊剣ミナトの本来の姿。数ある魔族の一傍系で、武器への変身能力を持つ精霊族の少女。
何があっても剣の姿から戻ってはいけないと言っておいたのに。僕の命令を破って、正体を現し割り込んできた。
このままではミナトまで黒騎士にやられてしまう。
駄目だ。それだけは絶対に。
「フユは私の恩人。パートナー。生きるのも、死ぬのも一緒」
「やめろ、黒騎士。彼女は、精霊族は、一人じゃなにも、ゲホッ……できない。武器化しても、使い手が、いなければ、無力だ。ごほっ、がふッ……お前の、脅威には、ならない」
僕が死ぬのはいい。魔王親衛隊として戦い、力及ばず負けるのなら仕方ない。
でもミナトを巻き込むことはできない。彼女は魔王軍と無関係だ。僕の剣として、成り行きで従軍していただけだ。
僕が敗死しても、剣のまま息を潜めていれば、逃げ出す機会もきっとあっただろう。なのに黒騎士へ正体を晒してしまった。
黒騎士が僕の言葉を聞き入れることはきっとない。邪魔者は全て斬り捨ててきた戦士だ。こうなってしまえば、ミナトも殺されてしまう。なんとか彼女だけは生かさないと。
「成程な。精霊族は使い手との絆、精神的な繋がりが強いほど強靭な武器になると聞く。聖剣と互角に打ち合えるほどの強さは、命を預け合う仲だからこそ、というわけだ」
黒騎士から送られてくる声は、一貫して感情を含んでいない。
死ぬことが出来ないまま、解放の見えない戦いを続けてきたことで、人間味が削げ落ちてしまったのだろうか。
なればこそ、相手が少女の姿でも躊躇いなく刃を振るう公算が高い。
僕は体に残る最後の力を振り絞り、背後から我武者羅にミナトへと抱き着いた。
両腕を彼女の腰へ回し、自分の側へ引き倒しながら、体を入れ替えて覆い被さる。
驚く少女を無理矢理組み伏せ、残り少ない魔力を体内で結集させた。
同時に黒騎士の動く気配がある。
風を切る鋭い音が鳴り、背中を激痛が灼く。ミナトを狙った斬撃は、間一髪で僕の背中が代わりに受けられた。
「フユ!」
叫ぼうとするミナトの口を、震える左手で押さえ付ける。
その時、肉を貫く音と共に、腹部に強烈な圧迫感を覚えた。
どうやら聖剣を突き刺されたらしい。体中の痛みが主張を繰り返すために、もはや何処が痛いかも分からない。神経が壊れてしまったように、感覚がメチャクチャだ。
それでも体内で練り上げた魔力を、防御結界にしておいてよかった。
打ち込まれた聖剣は僕の体を貫通したが、最後の防陣がミナトへの到達を寸前で止めている。
傷口から溢れ出る血液がミナトの着物を汚し、そのまま僕達の下で血溜まりを広げた。
「あとは魔王のみ。これで俺は、ようやく――」
聖剣が無造作に引き抜かれ、黒騎士が歩き始める。
全身鎧の具足を踏み鳴らし、遮るもののなくなった道を、玉座の間へと進んでいく。
次第に足音が遠ざかり、重々しく扉が開かれる音、次いで閉ざされる音が聞こえた。
そこまで待って、ついに僕の体は弛緩していく。気力も魔力も使い切り、もう僅かにも動けそうにない。
俯せに力尽きた僕の下から這い出して、ミナトが左手を握る。
細い指は細かく震えているけれど、温かく、命の脈動を感じられた。
「フユ、フユ! しっかりして。眠っちゃダメ。フユ!」
ミナトの声が聞こえる。鈴音のような心地よい声だけど、今は悲痛な揺らぎに満ちている。
だけど無事なようだ。それは良かった。
黒騎士は最後の攻撃で僕達を一緒に貫き、命を奪ったと思ってくれたか。それとも単に関心をなくしただけか。
なんにせよ、ミナトだけは助けられた。
「ずっと一緒だと、貴方が言った。約束した。そうでしょ、フユ」
ミナトが僕の手を握りしめ、叫んでいる。
首はもう動かないけど、目はまだ見える。
ミナトが泣いていた。気丈で落ち着き、いつも泰然としている少女が。感情をあまり出すことがなく、喜怒哀楽の表現が薄かった彼女が、両目から大粒の涙を零している。
強い意志の宿る瞳に、凛とした横顔。鼻筋が通る端整な容貌は、こんな状況でも美しく、変わることなく可憐だ。
僕から流れ出る血の中にへたり込み、か細く震える小さな唇が、僕の名を呼んでいる。
「お願いだから死なないで。私を一人にしないで。フユ」
ミナトに伝えなければ。
僕はもう助からない。放っておいて、キミだけでも遠くへ逃げろ。
言葉に出したくても、喉が上手く動かない。
微かに咳き込み、口の中へ血の味が広がるだけだ。
気付けば痛みや、それ以外の感覚が、徐々に遠くなっている。
頭の中にも靄がかかったようで、考えがまとまらない。
彼女の温もりが薄れ、視界も霞む。
ミナトの顔が、少しづつ見えなくなってしまう。
言わなければ、いけないことが、まだあるのに。
まだ……ミナトへ……
キミは、生きて