葛藤
その夜、真剣な表情のバズがムネチカの部屋へやってきた。
「わるいな。何があったのか知らないが、モイラの強い希望だ。おまえには一か月やる。そのあいだに次のフラットを見つけて、出て行ってくれ」
ムネチカはあっけにとられて、言葉に詰まった。
「おれにもよくわからないが。あんなに暗いあいつを見るのは初めてだよ。腹を刺された時でさえ、ハッピーだったのにな」
ハイドパークでの口論以来、ムネチカとモイラの接点はなくなった。
もちろん、キッチンや廊下で顔をあわすことはあるが、唐突に、なんの気遣いもなしに、ムネチカの部屋の扉をあけるようなことは完全になくなった。
ムネチカは、徐々にドラッグに手を出さなくなった。
恐怖がそうさせたといっていい。
ドラッグのせいでリストカットをしなくなったのかもしれない。
しかし、ドラッグのせいで人間関係が崩れようとしているのも確かだった。
幸運にも、ケタミンは依存性の低いドラッグだったので、禁断症状も体験せずに済んだ。
そして、煙草やアルコールのほうが、よっぽど止めづらい、ということを知った。
同じころから、スクアットパーティやウィルアックスのところにも行かなくなった。
一度、学校から帰宅したとき、仕事前のモイラと階段でばったりはち合わせたことがあった。
モイラの目は焦点があっておらず、真夏でもないのに汗をかき、おぼつかない足取りで壁にぶつかりながら歩いていた。相当量のケタミンを摂取しているようだった。
そんなモイラを見ても、ムネチカは「おはよう」ということば以外、何もいわなかった。
しかし本当は、さけび出したいくらいに孤独を感じていた。
それでも、ドラッグをやって部屋にひとり閉じこもっているよりは、腕を刃物で切り裂いて悦に入るよりは、このクソッタレな孤独と共に生きるほうが、よっぽどマシだと心底おもっていた。
だからバイトのない日は、シラフで学校へ行き、語学を学んだ。
今は将来なんて、どうでもよかった。
ただ、同じ日々を繰り返して、生きることだけを考えた。
モイラはどうなのだろう。今日も客を相手に愛の存在を実感しようとしているのだろうか。
二週間が経ったある日、ムネチカは、キッチンで食事をしているバズに、
「次のフラットは探さない。ぼくは日本へ帰る」
と、伝えた。
バズはさほど驚いた様子もなく、
「じゃあフェアウェルパーティ(送別会)をしなくちゃな」
と、いった。




