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狼伯爵と豚令嬢

※悪役令嬢物ではありません

 ある月夜の晩、とあるパーティーで長年の婚約者から豚とは結婚できないと、男爵令嬢レティ・アートンはパーティー中の皆の前で罵られ、挙げ句婚約破棄されてしまった。


 度々周囲から体の事で罵られても、耳を塞ぎ気付かないふりをしてやり過ごしてきた。

 けれど、大好きだった婚約者にまで言われてしまえば、もはや傷つかない訳がない。ましてや、婚約者は毎回レティと逢うときにクッキーや、ケーキを大量に持ってきてくれていた。そして君は今のままで可愛いよと言ってくれていたのに。


 婚約から10年目にしての婚約破棄。まさに寝耳に水、とんでもない裏切りだった。


 その晩、レティは帰り道中に立ち寄った何処かの綺麗な湖で泣いた。湖に映る姿は涙でグシャグシャな顔で、体型も相まって自分でも服を着た豚に見える。


 なんて私は惨めなんだろう。

 そう思った矢先、狼の遠吠えのような音が聞こえ思わずビクリと体が跳ね上がる。


 (狼!?)


 周囲を目をこらしてみる。すると湖の反対側に月夜に照らされ白銀に輝く毛を靡かせ、目は赤く血走る一匹の狼がいた。

 それはとても神秘的で、神々しくて一目見ただけでレティは心をわしづかみにされてしまった。


 「なんて綺麗で神々しい狼なのかしら……」

 思わず呟き、悲しんでいた事を忘れうっとりと見てしまった。


 そうしてレティがじっと見ていると狼は顔を逸らして何処かへ行ってしまったのだった。

 

 

 そして、その夜から数日後。何故かレティあてに狼伯爵と名高いクラスター・ロック伯爵から求婚の手紙が届いたのだ。


 次の婚約者が早々と決まった事に疑問を持つ間もなく、喜びに包まれた両親は問答無用でレティを馬車に乗せて伯爵家へと向かわせた……もとい、出荷したのだった。

 

 出荷される直前に両親から聞かされた話だが、あの湖があったのはロック伯爵家の領で伯爵様は狼を飼っているらしい。

 らしいというのは、誰も真相を知らないから。伯爵は狼のように孤立し、人を寄せ付けず、冷徹で残酷、人を一切信用しないとも噂がある。それ故伯爵家の屋敷には人を寄せ付けず、使用人も殆どいないと。


 (狼の餌は肉)


 もしかして……

 無断で領に入りワンワンと泣いていた醜い(わたし)を伯爵

は狼の餌として償わせようとしているのかもしれない。


 婚約はただの口実。

 そんな噂の人だ。

 婚約とは名ばかりで、きっと勝手に敷地に入った罰を与えたいのだろう。傷つけ、餌として扱い苦しめたいのだろう。レティのこの体型でまともに扱って貰えるわけがない。

 なぜならこの体型のせいで婚約破棄されたのだから。


 そう思えば、レティの脳内で流れるBGMはかの有名な子牛が出荷されている歌になる。


 出荷されるのは子牛でもなく子豚でもなく、周りから豚と罵られる程にぽっちゃりとした私なのだが……。

 

 (詰んだわ……私の人生)


 自分の豚のような体型に後悔を抱きつつ、レティは馬車の窓から曇り一つない真っ青な空をながめた。



 

  

 伯爵の屋敷についてからは、仮にも婚約者だというのに伯爵の迎えはなかった。

 やたらと背の高い使用人一人に出迎えられただけで、レティは他の人と会うことなく用意された部屋へ案内された。

 しかも、案内されている間、その使用人からの言葉はない。


 (所詮、豚は餌よね。餌にしゃべりかけても無駄よね)


 部屋のベッドに腰掛けるとレティは、使用人の事を思い出しフッと鼻で笑ってしまった。


 「あーあー、最後くらいは人間扱いされて死にたかったわ」

 そう呟くと、レティはドスンとベッドに横たわった。

 目を閉じてゴロンと寝返りを打てば、ベッドがレティの重さが辛いと嘆いているようにきしむ。


 (……食べられて終わり、なんて虚しいの)

 

 その晩レティは悲しみでいっぱいで、珍しく夕食が食べられなかった。

 


 その後レティは無言の背の高い使用人に手伝ってもらい、そうそうと寝支度を整えたが身長差があるためか使用人の動きがとてもたどたどしく、結局レティは自分で支度を調えベッドに潜り込んで寝てしまった。


 

 しかし、その晩レティは部屋に何かが動く気配を感じて目を覚ました。


 (何だろう?)


 のっそりとベッドから体を起こし、暗闇で目をこらせば2つの赤い光が目にとまる。

 よくよく暗闇の中で目をこらせば、その光はゆらりと動き近づいてきた。


 「っ!」


 部屋に差し込む僅かな月明かりが見せるその正体。レティはやっと気付く。

 赤く揺らめく光は目で、その瞳の持ち主はあの日みた美しい狼。

 僅かな光でもその毛並みは白銀に輝き神々しく見える。

 

 「やっぱり綺麗……」


 けれども、こんなにも綺麗な狼でも食べられたくない。

 

 レティは近づく狼に牽制の意を込めてニッコリと微笑みかける。

 (目をそらしたら食べられる!)


 「綺麗な狼さん、私は確かに貴方の餌には相応しい体格よね。けどね……食べちゃダメよ。もう少し待ってくれたらもっと太って美味しい肉になるかもね」


 そう言えば、狼はじっとレティの顔を見つめたのち、器用に前足を使って扉を開くと部屋から出て行った。


 「…………通じ、た?」

 それなら待ってやる。

 そう言われた気がしてレティはホッと息をつく。

 少なくとも狼がレティを我慢してくれているうちに痩せれば……。もしかしたら食べ応えがないと諦めるかもしれない。レティは少しだけ気分が浮上し、その日はそれからとても深い眠りにつけた。



 翌日レティが目覚めると、昨日の使用人が食事を運んできてくれた。

 その使用人の後には初めてみた身長の高い、しなやかな体つきの男の執事がたっていた。

 彼は執事らしく、全身を黒のスーツに身を包み白髪に近いシルバーの髪を後で丁寧に束ねていた。

 彼のレティを見つめる目は薄いブルーだ。


 「ご挨拶が遅くなってしまい申し訳御座いません。私はこの舘の執事のルカ・モドリと申します」


 ルカは丁寧に頭を下げると、食事を勧めてくれた。


 レティは進められるままに、煌びやかに輝く食事に手を伸ばすも、頭にふと言われた言葉がよみがえり手を止めた。


 『アートンのトンは(トン)を意味するんだな。食べ方まで汚い。何もかも食い尽くすその姿はまさに地べたに這いつくばる豚だ。豚とは結婚出来ない』

 

 さらにレティに追い打ちをかけるように蘇る、昨夜の狼。

 (やばい……。このまま食事をし続けると本当に食べられる。そんなのは嫌よ!)

 食事に伸ばした手はまた膝の上に戻って来てしまった。


 「アートン様、お食事はお気に召しませんでしたでしょうか?」

 「あ……えっと……いや」

 膝の上の手に力が入る。


 「ご遠慮なさらずに。主人からはアートン様の嗜好品で揃えるように仰せつかっておりますので」


 (私の嗜好品……餌としてもっと肥えさせたい、から?)

 

 「あ……いえ……その」

 (食肉にはなりたくない)

 「その……お腹がいっぱいで。私……余り食べないんです。もっと少なめで良いかな」


 完全に嘘。

 今までだったらお腹がはち切れる程食べていた。


 けれど、また豚と罵られ、挙げ句餌になんてされて人生を終えたくはない。

 (私は……今度はちゃんと痩せてやる。餌になんてなってやるもんか)

 

 思わず俯いてしまえば、執事はかしこまりましたと一言言うだけで下がってしまった。

 

 (かしこまっちゃうんだ。この体型みて、信じてかしこまっちゃうんだ)


 けれど、レティが狼に食べられたくなくて、痩せたいなどということがバレたならば、きっとこの家の主にはそのうち追い出されるかもしれない。レテイを追求せずかしこまってくれて今は助かる。


 両親は、今やレティの顔を見るだけで呆れたように溜息をつく。今回婚約と言う名の出荷に関して両手を挙げて喜んでいたので、また屋敷に戻ると言えば今度こそ養豚場にでもやられるかもしれない。


 それでも食べられて終わりは余りにも惨めすぎる。

 レティの脱デブの決心は硬い。


 その後はレティの意向通り、食事は少なく用意されるようになった。

 (だけど、食事を減らすだけですぐに痩せるかしら?)

 ダイエットとは無縁に生きてきてしまったのだ。自分が本当に痩せられるかは不安で仕方なかったのだが、その夜再び狼がレティの部屋に来たことで考えが進む。

 

 そっと気配を消すようにやってきた狼は昨日よりは距離が近い。

 (……食べられる)

 いや、こんなところで断固として食べられたくはない。

 「狼さん……、狼さんまだ待って。私を食べないでね」


 空腹で辛いが、食べられて終わる人生はもっと辛い。

 

 再び狼はレティの言葉を聞いてまた、部屋を後にした。


 (餌の様子確認かしら……)


 レティは何とか瞳を閉じて朝を待った。そして、レティは朝食を抜いた。

 

 「アートン様。お食事を昨日からおとりになっておりませんが、お体の具合でも……」

 何も食べないレテイにルカが問いただしてきた。


 「あ、えっと……ほら。ここに来てから何も運動してないですし、部屋からも一歩も出てないですから……お腹すかないし……。それに伯爵様にご挨拶もしてないのに勝手にここで寛ぐのも、ねぇ?」


 我ながら分けがわからない言い訳を並べてしまったと、レティは滝のような汗をかきながら答えた。

 

 「さようでしたか。それなら気分転換も兼ねて我が領内の散歩などいかがでしょうか? それと、アートン様がよろしければこの後屋敷の中をご案内します。運動後は空腹になられると悪いのでおやつをご用意いたしましょう」


 (おやつ!!)


 その単語にレティは恐れおののいた。

 やはり彼は餌を育てる気だ。

 ルカが頭を下げて部屋を出ようとしていたので、レティは慌てて引き留めた。

 

 「おやつはいりません! あ、そ、それより! 伯爵、伯爵様にご挨拶は?」


 レティの言葉にルカが眉を顰めたのをレティは見逃さなかった。後で控えていた背の高い使用人までもが狼狽えて居る気配がある。


 「申し訳御座いませんアートン様。我が主人は今、大層お忙しくまだお会い出来るのは当分先になるかと」


 短く頭を下げるとルカと、使用人は今度こそ部屋を後にした。


 (彼らは言わなかっただけで、伯爵様は餌には逢う気もない……)


 そこまで卑下されたら、レティの今まで眠っていた反骨精神は刺激されてしまった。これを機会に絶対に痩せてやる。

 ここを追い出される時屋敷の主人に話が違うと思わせてやるとレティは心に追加して決めた。


 

 そして、その後ルカは朝の発言通り屋敷から領の散歩コース全てをレティに案内してくれ、全ての案内が終わる頃には夕食になっていた。勿論、昼とおやつはお腹が鳴っても頑なにレティは食事を拒絶していた。



 「アートン様。流石に夕食をおとりになっていただかないとお体を崩されます。アートン様が食べ終わるまでお食事はお下げ致しません」

 

 ここに来てから食事を取らないレティに、執事は流石に餌の様子が可笑しいと感じたのだろう。

 執事が使用人に目配せすれば、使用人は軽くレティに頭を下げると傍でかがみ、スプーンで柔らかくトロトロに煮込まれた野菜スープを口元にはこんできた。


 (む、無理矢理食べさせる気ね!)


 我慢して口を閉じても、鼻からスープの美味しそうな香りが吸い込まれる。

 (や、ヤバイ……。良い匂い……)


 ここに来てから何も食べてない。

 スープの香りの誘惑に負けて、レティが口を開こうとしたときそれはレティの目の中に飛び込んできた。


 レティをなぜかうっとり見つめる使用人の瞳。


 初めて近くでマジマジとみた使用人の顔は、中性的な綺麗な顔立ちで、その瞳は真っ赤に揺らめいている。

 

 真っ赤に揺らめきながらこちらをうっとり見つめてくるその瞳は、レティにあの狼を思い出させた。


 「っ! や、やっぱり! いりません!」


 テーブルから、はしたなくもレティはバッと立ちあがる。その瞬間、突然の眩暈でレティの目の前は霞んでく。

 「ん。……っ!」


 

 しばらくして目を覚ましたレティが辺りを見回せば、窓の外が真っ暗だ。部屋にはうっすらと明かりがともされている。

 

 (頭が……重い)

 完全に食事を抜いている事による貧血だろう。

 レティは頭に手を添えようとして、自分の手が誰かに握られていることに気付いた。見ればあの背の高い使用人がベッドの脇で椅子に座り、レティの手を握ったまま寝ていたのだった。


 (傍にいてくれた……?)

 レティを心配して?

 それとも監視?

 それにしても……この人、割と手がなんかごついわね。


 働いているとそんな物かと思いながら、レティは使用人に握られた手をマジマジと見つめた。

 こんな風に手を握られたのはいつぶりだろう。


 例え監視だったとしても、少しレティは嬉しくなった。


 しばらく手を見つめてからレティが使用人を起こそうとしたとき、ん……と身じろいだ使用人のメイドキャップがずり落ちた。

 そして、サラサラで部屋の僅かな光でも白銀に輝く女性にしては短めな髪が零れ落ちる。

 

 「……綺麗」


 思わずレティが使用人の髪をサラサラと触れるように撫でれば、使用人はくすぐったいのかまた身じろいだ。

 「ん…………レ、ティ?」

 うっすらと目を開け、レティをボンヤリとみつめるその瞳は赤い。

 「……狼、さん」

 やっぱりその瞳をみて思わずおもいだし、レティが呟けば使用人はカッと目を突如開いて、立ちあがった。その拍子に盛大な音を立ててサイドテーブルは倒れる。

 

 「!! レティ! ど、ど、ど、どうしてわかった!? そんな、まさか……」

 慌てふためき、なぜか自分の体を何かを確かめるように触り出している使用人の声は男の人のように低い。


 (高い身長に、低い声、ごつい手……)

 もしや、

 まさか……

 

 使用人の服装は女性もののワンピースなのだが。


 そう言えば、改めてマジマジと見れば……。

 「…………お、男のひ、と」 

 「!!」


 レティの呟きが聞こえたのか、使用人らしき人は今度は真っ青な顔になる。

 「あ、あの……いや……その、れ、レティ。勘違いで……」

 わたわたと使用人はレティに近づきレティの腕を掴む。


 その力は間違いなく女性の物ではなくて、レティはさらに目玉を広げる。

 「や、やめっ! やめて!」


 レティがその手を振りほどこうともがけばもがくほど腕の力は強まり、遂には二人でドスンとベッドに倒れ込んでしまった。


 


 「アートン様! 如何しまし……た」


 多分、先程のサイドテーブルが倒れた音を聞きつけたのか、ルカが勢いよく入って来て……固まった。

 「…………、何を、なさって……」


 気のせいだろうか?

 固まったままのルカのこめかみに青筋が立っているようにレティには見える。

 それに、心なしか背後が黒いオーラで覆われているような気がする。


 「い、いや……。ルカ。えっと、これはその……間違いで、あの。事故で、事故なんだ!」

 レティの上で使用人が慌てたように叫ぶ。

 (いや、まず。私の上から退いて欲しい)


 レティはそっと心で思う。 

 口に出さないのは、今は何となくだまってこのまま下敷きにされていた方が今はいい気がするから。


 「なにが事故ですか! クラスター様! 貴方と言う人は、アートン様が心配だからと言うからおそばに居ることを許可したのに! だいたい、今日が月夜じゃないことを良いことにこんな事をして! 貴方は体だけでなく、心まで狼に成り下がったのですか!」

 「違う! それは違う! っていうか、ルカ! なんかここで今色々ネタバレすんな!」

 

 (ん? クラスター? クラスターって……伯爵、様? え? 体は……狼? 伯爵様は狼?)


 まてまてまてまて。

 一度落ち着こう。

 うん。

 なんか色々ツッコミ所満載だわ。

 

 レティは大きく息を吸って吐く。

 そして、気付く。とりあえずレティに覆い被さりながら叫いているこの人に退いて頂こう。


 「……とりあえず、退いてください」

 レティが割と低めの声で呟くと、ルカと言い合いをしていたその人はハッと気付いたようにレティを見つめてきた。

 

 その瞳はやはり赤いけれど、不安で揺れていた。

 「あぁ……レティ、違うんだ。その……僕は」

 「いいから、退いてください」

 

 レティを組み敷いたまま言い訳をはじめようとしたその人の言葉をレティはぶった切り、再度退くように促した。


 「あの……貴方は使用人ではなくてクラスター伯爵様で男ですよね? 体は狼って、どういう事ですか?」


 やっとのいてくれたその人に、レティはゆっくり確かめるように声をかける。

 「いや……あの、レティ。あの……実は僕はその、人狼の末裔で、あの……」

 「は?」

 「……僕、狼になれるんです」


 (な、なんてこったい)


 レティは再び眩暈を起こして気絶してしまった。



 翌朝レティは誰も何も言わなくてもパチリと飛び起き、一人で何とか着替えながら、昨晩の事を思い出していた。


 (伯爵様は人狼……。使用人の振りをした男)

 使用人の振りを、し、た……。


 そこまで考え、レティはある事実に気付く。


 (もしかして……もしかしなくても! 私!)

 着替えの時体を、このワガママボディを……。

 「見られたぁぁぁぁ! この、この体をおぉぉぉぉぉ! 使用人の振りしてぇぇぇ!!」


 余りの恥ずかしさに身悶えしながらベッドに飛び込めば、入口から盛大な咳払いが聞こえた。

 

 「着替えの時はみ、見てない。見てないけど……ちょっと見えて、まぁ……美味しそうだなってちょっと噛みたくはなったけど……」

 「クラスター様、それは見たと言うんですよ」


 振り向けばそこには二人の美丈夫が並んでいる。

 一人はルカ。

 もう一人は昨晩まで使用人のカッコの女装をしていたクラスター伯爵その人だった。


 二人の手にはそれぞれ食事が載ったワゴンとやたらと甘い香りがするおやつが載ったワゴンが推されている。


 「そ、それは……」

 レティがゴクリと唾を飲み込めば、クラスター伯爵は困った顔で微笑んだ。

 「昨日色々ルカがネタバレしちゃったから、ばれてると思うけど……。僕……確かに人狼なんだけど、別に人食べないし。それに、別にレティをその、餌として迎えた訳じゃないからね。確かにレティは美味しそうだけど、食べたとしてもちょっと噛むだけだし、あぁ……レティは美味しそうだよね」


 何を想像しているのだろうか、何時の間にかうっとりとした顔になっている伯爵にレティはドン引きしていた。


 (私、やっぱり食べられるんだ)

 

 「クラスター様、アートン様がひいていらっしゃいます。そのだらしない顔を辞めてください」


 ルカはクラスターを嗜めると、レティに席に座るよう促した。

 「アートン様」

 席に着いたレティに、ずいっとルカの顔が近くなる。


 「な、なんですか?」

 「アートン様。やはり昨日も何も食べられていません。お顔の様子が優れないので、きちんと今度こそお食事を召し上がってください。我が主人はたしかに人狼でございます。しかし、彼は別に人を食べたりなぞしませんよ。私は人間ですがかじられた事などありません。まして、貴方を餌には致しませんので後生ですからお食事をお願い致します」


 面と向かって言われると、肯くしかできない。

 レティは一度チラリと伯爵様を見れば、伯爵様は力強く肯いていた。

 「うん。僕がレティに求婚したのは、湖で初めてレティと会ったとき、レティが僕の姿をみて逃げなかったからだよ」 


 むしろと、さり気なくレティの隣に伯爵は座ると、ぷくぷくしたレティの手を優しく持ち上げ手の甲に唇を落とした。

 「あの時の涙で瞳を潤ました君は凄く美しかった。美しいと思ってしまって、あの日から君の顔が頭に焼き付いて離れなかったんだ。僕は君に一目惚れしたんだ。それに、逃げないでくれたのも、君が僕を綺麗だと言ってくれたのも凄く嬉しかった。」


 そして、伯爵はレティの手を優しく膝の上に戻すと今度はスプーンをとり、スープをすくってレティの口元に運ぶ。

 「だからレティ。お願い、食べて。僕は君を餌としてなんて見てないから」


 その言葉と、見惚れてしまうくらい優しい伯爵の微笑みと、連日の断食による空腹でレティは遂に誘惑に負けスープを3杯飲み干してしまった。

 スープを飲み干す時に、伯爵からやっと事の真相をレティは知る事になった。


 あの日レティが湖のほとりで泣いていた時、ちょうど満月が空を照らしていた。

 満月は伯爵にとって姿を狼に変えてしまう忌まわしき日。満月から何日かは夜になると狼になってしまう彼。

 昼間はかろうじて人の姿を保ててはいたものの、月に何日かあるその日の夜のせいで恐れられ、いつしかロック家の周りに人はいなくなった。

 

 そうして代々人狼が生まれるロック家は使用人等増やさず、無駄に交流せずひっそりと生きながらえていた。

 ちなみに伯爵が最初からレティの前に伯爵として姿を現さなかったのは、ひっそりと生きすぎてきたせいでいきなり女の子との接し方が分からないけれど、近くに居たかったための変装だったとのこと。

 これにはさすがに話の途中でルカがため息の合いの手を入れてきて、レティも思わずスープを吹き出し掛けてしまった。


 まあ、そんな時にレティがクラスターの前に現れたのだった。


 あの日、自分の人生に悲しみ苦しんでいた伯爵はレティが言ってくれた「なんて綺麗で神々しい狼なのかしら……」の一言が、まるで自分を受け入れてくれるように聞こえたらしい。

 「レティは、やっぱり、僕が……怖い?」

 瞳を悲しそうに伏せ、話し終えた伯爵はつぶやく。

 「ま、まあ。話はそう簡単に全て受け入れられはしないかもですが、私だって……見た目豚だし。人の事とやかく言えないっていうか……。」

 それにとレティは伯爵の手を握る。

 「私を食べないんですよね? それなら、きれいだからいいんじゃないんですか? 私を食べないんですよね?」

 「っ! レティ!」

  

 餌として扱われていなかったことの方が話を聞いていたレティには重要だった。

 しかし、伯爵はレティの言葉で顔を染めていた。 




 「だけど、レティって本当に美味しそうだよね。きっとかじったら甘いんだろうね」

 それから、やたらとレティの手を見つめ指を絡ませたりなぞったりしてしばらく遊んでいたクラスターはポツリと言葉を零す。


 女の子との接し方が分からないという割には、心なしか距離が近い。そうレティが思っていた矢先に、伯爵のそれを聞き逃さなかったレティはやっぱり食われると心底脅えた。


 (やっぱりこのままじゃいけないんだわ!)


それからレティが痩せて、狼伯爵は麗しい妻を隠している為に狼を買っていると噂が出回るのには早々時間はかからなかった。ある日珍しくその妻を伴った麗しい美丈夫なクラスター伯爵が、かつてのレティの婚約者にざまぁ見ろと言わんばかりに目の前でイチャイチャぶりを披露するのはそう先の話でもなかった。

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