年の功は無敵
ヘイルスの街は開かれている。
その重厚な門はあまねく人を拒まず、追わず、ただその身のうちに飲み込んで、たとえ夜でも閉じることはない。
故に――検問も通行証も、〈冒険者の巣〉にはない。
ない。ない、のだが。
「こんにちはー」
通り過ぎながらそう挨拶したツバサを、門番は『え? 何でこのみすぼらしい女が馬車に乗って俺に挨拶するの?』みたいな顔で三度見した。
「……なんか、ちょっと傷つくんですけど」
「やっぱり目立ちまくったなくそっ……!」
「アル、もしかして意外とメンタル弱い?」
あがり症の亜種みたいなもんかな、とツバサは思った。
あとアルの言葉は正しくない。
現在進行形でめちゃくちゃ目立ちまくっている、が模範解答である。
問い詰めてくる人はいない。嘲笑う人もいない。ただ、好奇と猜疑の目は避けられない。
馬車は固く踏み固められた大通りをがたごとと進む。その周りに曖昧な人だかりができて、穴が開くほど馬車を――というか、ツバサを見つめている。何やら囁き交わす声も聞こえる。
さすがにとても気まずい。ツバサはだんだんいたたまれない気分になり、首を捻って荷台のアルに声をかけた。
「……ねえ、道これで合ってるの? とりあえず進んでるだけなんだけど」
「うーん……」
生返事である。うー、とかあー、とか茶髪の青年は下を向いて唸っている。
「ねえ、アルってば」
「あ?」
彼ははたと顔を上げて――顔色を変えた。
「ちょ、やべ、それ……!」
「どれ!?」
なんだか必死な顔で手を伸ばしてくるアル、思わず仰け反って避けるツバサ。
「痛てっ!」
「痛っ!?」
そして加減をミスったのか十代少女の鎖骨を突き飛ばす成人男性の掌。
結論、落ちる。
よじ登る、という形容ができる程度には高い御者台から、すってんころりんと可愛く――とは問屋が卸さず、普通に後ろにバランスを崩したツバサは腿の側面を削るようにして馬車からずり落ちた。
馬がひとつ嘶いて止まる。
「痛ってぁ」
JKが「痛ってえ」などと言ってはならない、という意地が彼女の口から奇声を捻り出させた。どっちがマシなのかは悩むところだ。
「わ、悪い。大丈夫か」
「一応……」
ツバサは派手に擦った腿を押さえながら立ち上がった。血は出ていないから許容範囲だ。
荷台から顔を突き出したアルは何やら葛藤と戦っている顔をしている。そんなに目立つのが嫌なのか。ツバサはデコイか。
「で、アル、何がやばいの」
「……ああ……いや……なんつーかもう手遅れというか詰んだというか……」
「やめて怖いんだけど」
アルの視線がすう、とツバサの後ろに動いた。
後ろ?
「よう、アル君? ちょっとおっさんと話をしようか」
やたらと名前にアクセントを置いたバリトンが飛んできた。
うわあ、と悲鳴を上げた声は二人分。顔を引き攣らせるアルは放置して、ツバサは素早く振り向いた。
人垣を抜けて歩いてくる褐色の壮年男性がいる。ツバサからすれば見上げるほど長身で、素人目にも非常に体格がいいのがわかる。
ずんずんと歩いてくる男性から目を離さないまま、ツバサは小声で訊いた。
「知ってる人?」
「……できれば会いたくなかったタイプの」
「え、どうすればいいの」
「……よし逃げようそうしよう手綱を取ぐおっ」
普通に距離を詰めた男性が、濃い褐色の手を伸ばして荷台からアルを文字通り引きずり出した。
「……えと、こんにちは」
もう何が何だかわからなかったので、とりあえずツバサは挨拶をした。
「おう、嬢ちゃん。こいつの連れかい?」
「……あ、はい」
「宿は決まってんのかい?」
「……いえ」
「よし、うちに来な。アルは昔馴染みなんだ、悪いようにはしねえよ。馬だって見てやれる」
「あ、えっ、はい……」
何だか力づくで捕獲してるように見えるけど大丈夫かなあ、と彼女は思った。思ったが、そのまま男性に連行された。
『知らない人について行ってはいけません』という幼い日の教えを思い出すのは、目的地に着いてからである。
汐原翼は押しに弱い。
◆
「まあ! まあまあまあまあ! そんな格好で……こっちにいらっしゃい、確かここに、ほらちょうどいいわ、これに着替えなさい。いいのいいの遠慮なんて! 着替え終わったら食堂で何か頼んでいいからね、サービスだよ、お代なんて貰わないから! ――そこのボウズはちょっと来な」
以上、辿り着いた宿の女将さんに出会ってから姿を消されるまでの一部始終。アルは引きずられるように消えていった。
「……」
ツバサは渡された服を握りしめたまま、たっぷり三分は唖然として立ち尽くした。
それから諦めて近くの個室で着替えた。
異邦人たる彼女には知らないことが多すぎる。怪しんでも仕方がない。性善説で行こう。
渡された服は質素だったが、綿でできているらしく肌触りは今までの麻布より格段にいい。スカートの裾に入った刺繍が可愛らしかった。
脱いだ服を畳んで小脇に抱え、ツバサは食堂と思われる広いスペースを覗いた。
太陽は今から中天にかからんとするところ。食堂は書き入れ時だろう、出入りする人の数は追いきれないほどで、森ばかりを旅していた耳に喧騒が新鮮だ。冒険者らしい格好の客とは別に、忙しく立ち働く人々の姿も見える。
……書き入れ時に、「うちの宿」と言ったあの男性と、女将さんがいなくていいのだろうか。ツバサは心配になった。
「お嬢ちゃん! お使いか?」
「いえ……人待ちです」
「お腹空いてない? 何か食べる?」
「お構いなく」
「ほれ! これやるよ」
「あえっ、あっ、ありがとうございます……?」
この混み具合で座るわけにもいかず、端でぽつねんと佇むツバサに掛けられる声、声、声。あと押し付けられた串焼き。
やたらめったら親切な冒険者たちに挙動不審になる。ツバサは熱々の串を見つめて食べるべきかやめておくべきか葛藤した。
美味しそうだ。絶対美味しいが、赤の他人から貰ったものだ……!
「食え食え」
「うひゃあ!?」
悪魔の囁き――ではなく、ツバサたちをここまで連行してきた男性の声に、彼女は五センチほど飛び上がった。
「貰ったんだろ? 食え食え。むしろ何か頼んでたってよかったんだぞ」
「いえ流石に、持ち合わせがないですし……?」
疑問形になったのは、男性の隣に女将さんがいて、さらにその後ろにどんよりした表情のアルがいたからである。
視線の意味を察したらしく、男性が手を差し出した。
「挨拶が遅れたな。俺はギース。女房と二人でこの宿を切り盛りしてる。そこのガキとはひよっこの頃からの付き合いさ」
「妻のマーシャよ、よろしくね」
「ツバサです。よろしくお願いします」
つい反射でよろしくしてしまったが、これはこの宿にお世話になるということでいいのだろうか。
ツバサはアルに目線で問う。やけに疲れ果てた顔で青年は頷いた。
女将――マーシャが柔らかい笑顔でツバサの肩を叩く。
「安心して。ボウズの無謀と浅慮と臆病はしこたま叱っておいたからね。この宿〈一番槍〉はあんたらを全力で応援するよ」
流石に察する。
アルの『会いたくない知り合い』とは苦手とか険悪とかそういう意味ではなく、会うとお節介な両親に説経されちゃうなやだなあ的な、しばらく実家に帰っていない大学生と同じようなニュアンスであったことを。
ぐったりした顔で彼が近寄ってくる。至近距離でツバサを見下ろして、一言。
「……ギルド行くぞ……」
「……うん」
ちょっとどうやって慰めればいいのかわからなかったので、串焼きを握りしめたまま彼女は頷いた。
褐色ハゲが王道だってせんせいゆってた。
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