スノーホワイトなんて柄じゃない
馬は古来より家畜だ。そして馬を操る際に、昔から用いられてきたのが馬の口に噛ませて意志を伝える道具、ハミである。
つまりハミあるところに人あり。
このまま森の奥で動物と歌って踊って、持ってきてもらえる果実で暮らしていくわけにはいかない。小人さんでもいいから人を見つけて何とかしなければ。
翼は馬の鼻面を撫でながら喋った。彼女は動物に無駄に話しかけるタイプの人間である。
「どうしたの、おまえのご主人様はどこに行ったの? 置いてきちゃったの? ……あら君、乗馬用の馬じゃないね? 馬車はどうしたの」
ハミと頭革はついているが、鞍や鐙がついていない。体格も良いことだし、輓馬だろうと翼は推測する。
馬は言葉を理解したかのようにぶるるると鼻を鳴らして――飛沫が彼女の顔に飛んだ――どこかへ歩いていく素振りを見せた。どうせ行く宛もないので、翼はそれについていく。
ちらっと振り返ると小動物がわらわらと列をなしているのが見えたので、彼女はもう見ないことに決めた。
がさがさと下草を掻き分けつつ馬の左横を歩く。剥き出しの脛やふくらはぎが少し痒い。
ほどなくして唐突に目の前が開けた。
「あ……あれ?」
間抜けな声が出たのは翼のせいではない。
大きな狼らしき生き物十頭ほどに、黄色い瞳でじっと見つめられていたら、日本人誰だってそうなる。現代人の頭は処理落ちしやすいのだ。
彼女は不気味さに後ずさる。
「……そうだ、そのまま、ゆっくり下がれ」
押し殺した男の声だった。翼は驚いて飛び上がった。
改めて見ると、開けた場所――円形ではなく、細長く伸びているところからして、道か何かのようだった――のちょうど真ん中あたりに、剣を構えた男が立っていた。そのそばに横倒しになった幌馬車と、倒れ伏した人間らしき影。
その人間らしき影が、赤い抽象画的な芸術感を醸し出しているのを確認して、翼は生唾を飲んだ。
……どうやら、狼の群れのごはんに行き当たってしまったらしい。
「それならちょっとは怯えてくれても……ひっ!」
平然とした様子でここまで先導してきた馬に文句を言いかけたそのとき、群れが動いた。
真っ直ぐ向かってくる巨大な捕食者。それも一頭や二頭の話ではない。慌てて下がろうとした足がもつれた。無様にしりもちをついて、すとんと視界が下がる。
「おい!!」
男の声が焦っている。それはそうだ。翼は痺れたようになった頭で考える。
あ、これ死ぬな。
何事も経験なのか、彼女はあっさりと二度目の死を覚悟した。
先頭の狼が牙を剥く。生臭い息の匂いが、やけにはっきりとわかった。
そうして、べろん、と。
五秒ほど、翼は頬がべとべとになった意味を理解しかねて硬直した。
ぺろぺろ、あむあむ、とその間にも服やら指先やらに他の狼が顔を寄せる。くぅん、と甘えるような高い鳴き声もする。
「……えと」
明らかに、懐かれて、いる。
現実を受け入れた翼は腹の底から叫んだ。
「いや臭っ!! 血塗れの顔で寄らないでくれる!?」
顔を押しのけられた狼は大人しく下がった。いい子。……じゃなくて。
とりあえず頬を拭って立ち上がる。振り返ると件の馬はリラックスした顔でそこに留まっていた。
……ふざけたスキルの効果である、と認めざるを得ない。馬が怯えないのもそうだし、今目の前にいる狼たちはただのでっかいわんこだ。
「あんた大丈夫か!?」
「あ、……はい」
翼の周りに集合した狼を掻き分けようと男が苦戦している。無傷の少女――と腹を見せてでろでろになっている狼を見て、男は力を抜いたようだった。
細かい傷はあるが、大怪我はしていないらしい。翼と同じような粗末な服を着ているが、なかなかの美丈夫だ。無造作に括った茶髪と青い瞳が目を惹いた。
「……あんた、まさか〈従魔師〉のスキル持ちか」
「飼い慣らす者? はい、まあ、たぶん」
「そうか……助かった。礼を言う」
いや一人死んでますけど。
そう突っ込むわけにもいかず、とりあえず翼は伸びている狼の腹を撫でた。
わあもふい。
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