吸血鬼の隠れ里で
私の名前はカーミラ。吸血鬼たちの真祖で隠れ里の主だ。昔から人間たちには恐れられており、邪神だと恐れらている。だがそれを煩わしいと感じたことはない。
悠久の時を生きて吸血鬼にとっては、定命の人間たちなど羽虫のようにしか思っていない。
だが何処からか情報が漏れたのか、ブラックダイヤモンドの噂を聞きつけて吸血鬼の隠れ里を探しに、境界の森を彷徨く輩が増えた。
沙紀を拾ったのはそんな羽虫をいつも通りに手早く駆除し、目的の物を取り返したときだった。
そして人間の娘を気まぐれで城務めにしてから、二年の月日が流れた。最初は失敗ばかりで、召使いとしては使い物にならないと思っていた。
しかし何度上司に怒られてもへこたれずに、叱った者を恨むのではなく自分で努力して悪いところを直そうとする。
ああいった前向きで諦めの悪い人間は嫌いではない。むしろ好きな部類だ。
吸血鬼は不死の存在であり、限られた時間を懸命に生きる必要はない。与えられた仕事を何十年も淡々とこなしていれば、自然に身につくのだ。
だが定命の人間である沙紀は故郷に帰るという目的があり、永遠に生きるわけではない。出来るだけ早く信頼を勝ち取りたいので、仕事を覚えようと必死になる。
そして彼女は、城内の宝物庫に安置されているブラックダイヤモンドを見たがっている。ニ年も身を粉にして働いてくれたのだから、見せてやるぐらいは構わない。
だがそれは私を含めた吸血鬼たちに、満場一致で却下されている。
何故ならそれを沙紀が遠く離れた故郷に帰るための、重要な手がかりになるからだ。何の成果も得られない場合もあるが、それでも城務めを辞めるかも知れない。
目的を失った彼女が召使いを退職して、私の元から離れて同じ人間の世界で生きることも考えられる。
二年が経った今では、吸血鬼の隠れ里で沙紀の存在は欠かせない。不死者ゆえに自分以外に関心が薄く、移ろいゆく時の流れに身を任せて退屈な時間を過ごす私たちにとっては、特にだ。
彼女はことあるごとに大げさに一喜一憂して、小動物のように表情をコロコロと変える。そんな可愛らしい沙紀の存在は癒やしであり、毎日の活力を与えてくれる。
私だけでなく城務めの者たちや城下町の住人の人気も高い。
町への買い出しを頼むと、余り物だと言われて両手に持てない程のおまけを押しつけられ、肝心の頼まれ物を買う前に困り顔で城に戻って来ることも珍しくない。
はっきりと断れば良いのにつくづく人のいい娘だ。これには買い物を頼んだ上司も怒るに怒れず、ただただ呆れるしかない。
さり気なく沙紀を慰めて癖っ毛を撫でているので、メイド長の大のお気に入りでもあるということだ。
しかも沙紀は他の人間たちと違って吸血鬼が相手でも、恐れも嫌悪感も持っていない。だからこそ隠れ里の者たちは皆彼女を受け入れ、沙紀も仲良くやっていけている。
もし悪感情を持って嫌々接していれば、数日経たずに森に捨てられるか、路地裏で血を吸い尽くされた干からびた死体で見つかる。
そもそも出会いからして手助けしたり、拾おうとは思わなかっただろう。
城務めになった初日からコウモリを一匹張り付かせている。遠くから気づかれないように四六時中監視しているので、沙紀の考えていることはお見通しだ。
二年が経った今でも彼女の突飛な行動には驚かされるし、愛らしくコロコロ変わる表情を眺めていると自然と笑顔になり、専属として引き抜いて近くで観察しているが、全く飽きる気配がない。
私を含めた隠れ里の者たちは吸血衝動は抑えられているが、もし彼女を自分の伴侶に選んだ場合、花嫁にするために沙紀の柔らかな皮膚に牙突き立てることになる。
見た目は妖艶な美女や綺麗系な美少女ではないが、それとは別の愛くるしさや可愛いらしさ、感情表現の多彩さといった魅力がある。
十八歳になった彼女は容姿は時が止まっている吸血鬼とは違い、少しは成長して大人の女性らしくなったと感じる。
沙紀と共に永遠の時を生き続けれられたら、きっと今まで通りに騒がしくて楽しい毎日を過ごせるだろう。
退屈とは無縁な幸福な時間が永遠のものになるのだ。そう考えると花嫁衣装の愛しい彼女と口づけを交わして共に歩むのも、悪くはないどころか最善の選択に思えた。
私は最初の吸血鬼だった。今では同族もかなりの数になり、城下町が作らられるほどに数が増えた。
だがその中から伴侶を選ぶことはなかった。名乗り出る者も毎年多く居るが、その全ての告白を断っている。
たとえ自分が作り出した吸血鬼だとしても、常に側に侍らせて昼夜をともにする気にはなれなかったのだ。
自分にワインを注いでいる専属召使いの沙紀が、カーミラはモテそうなのに勿体ないと口に出したが、人間とは違う吸血鬼の私にはそういった欲求は希薄だ。
それに自分と共に永遠の時を生きて欲しい者を選ぶのは、それ程重いのだ。…と、もっともらしく返答しておいた。
しかし私は沙紀と接する毎日の中で、初めて花嫁が欲しいと思った。自分に向かって微笑みかけ、私だけの沙紀になって欲しい。そう心の底から渇望したのだ。
たとえ彼女はそれを望まずに人間のままでいたいと思っていても、自分の欲求がどうしても抑えられない。
あと一年か二年、肉体の成長が止まったら眷属にする。そして愛しい沙紀に花嫁衣装を着せて式を挙げようと、心に決めたのだった。
一般人のアタシが吸血鬼カーミラに召使いとして雇われて数日が経過した。実は彼女は隠れ里の主で真祖や邪神といった肩書を持っており、人間たちに恐れられているとんでもない存在だと聞かされたときは、川の神で慣れていてもとても驚いた。
だがまあ、自分と接しているときは優しくて良い人なので、すぐに普段通りの対応に戻った。
しかし隠れ里は物凄い広さで、森だけでなく美しい城下町と白亜の王城まであり、大勢の吸血鬼たちが平和に暮らしていた。
何でも皆は元人間らしくその名残りで人間らしい生活をしているらしい。そして吸血衝動は抑えられるので。敵対的な行動を取らない限りは襲われる心配はないと説明を受けた。
出合い頭にいきなり噛まれなくて良かった…と、ホッと胸を撫で下ろす。
続いて召使いの仕事だが最初は支給区のメイド服を着て、見習いからの出発だった。隠れ里の主であるカーミラが雇い入れたので、仕事に慣れるまではメイド長からの付きっきりの熱血指導を受けさせられた。
これには正直参った。上司は召使いからの叩き上げなので親近感が湧くが、見た目が二十代後半のベテランメイドの教育はとても厳しかった。
平和な日本で温々と育ったアタシが、耐えられるものではない。
しかしそのたびにメイド長は菩薩のように慈愛の表情に変わり、甘い物でアタシの機嫌を取る。
この時代の甘味は高級品だと知っている自分に、与えられた仕事を達成したら貰えると言われれば、俄然やる気が出ると言うものだ。
だが初めて食べたときにはあまり美味しくなかったので、次からは食材だけを受け取って調理場を借り、自分でお菓子を作らせてもらった。
火加減や千年前の調理器具の扱いには苦労したが、初めてにしてはなかなか美味しくできたと思う。
すぐ後ろで救急箱を持ってハラハラしながら見守るメイド長と、一挙手一投足を油断なく観察する料理人たちが気になるが、甘味を食べたいという誘惑には勝てない。
なお、アタシの作った料理は城内だけでなく町中にもあっという間に広まったが、元々自分で考えたわけではないので、どうにも肩身が狭く感じた。
ともかく面倒見の良い部署に当たって良かった。関係者は皆優しい吸血鬼なのだ。もし厳しい部署に配属されれば、アタシは一週間も保たずに逃げ出していただろう。
見習いとして様子を見るのが上司の方針なのだが、半年過ぎて仕事に慣れても手取り足取りの指導は続いた。
それどころか見習いの物置部屋ではなく、メイド長の大部屋に荷物が全て移動させられており、働き始めて数日後には共に寝起きしていた。
寝ても覚めても上司と一緒なので普通なら気が休まらないが、二人っきりやお酒が入るとベタベタと甘えてくる構ってちゃんで、仕事の指導も真面目で面倒見がいい。つまり悪い人ではないのだ。
皆の前でアタシを叱ったことを部屋に帰ったあとで謝られたこともあったので、自分が大切に思われていることは理解できた。
しかしお風呂やベッドで躊躇なくボディタッチしてくるのは、少しばかり過剰ではないだろうか。
メイド長の言い分としては、お風呂では沙紀は目が悪いので代わりに体を洗ってあげる。ベッドでは吸血鬼の隠れ里で唯一の人間で不安だろうから慰めてあげる。
家族や友人との接し方ならわからなくもないが上司は明らかに度を越していた。あと少し天秤の重りを増やすだけで、簡単に恋人同士のニャンニャンに傾いてしまう。
アタシが貞操観念での危機感を抱いて思い悩んでいたそんなある日のこと。
隠れ里の主に呼び出されて、カーミラの専属召使いに大抜擢された。メイド長から距離を開けられるので助かったが、これは相当風当たりが強くなるのではと恐怖した。
しかし実際にはそんなことはなく、皆は暖かく送り出してくれた。
良い意味での可愛がりが過剰な以外は、何とホワイトな職場だろう。アタシは心の中でそう強く感じたのだった。




