誘惑した理由
女王が部下に指示を出している間にも姉妹の説明は続く。まず最初にアタシのことを知ったのは、川の神から人間の盟友が出来たと報告が入ったからだ。
実はミズチは昔馴染みの人魚の住む隠れ里に遊びに来たとき、アタシのことを散々自慢しており、あろうことか写真や動画まで見せびらかしたらしい。
そんなまさかと思って川の神に視線を向けると、彼女はバツの悪そうな顔をして慌ててそっぽを向く。これで姉妹の説明が事実だと明らかになった。
ミズチに色々追及したいところではあるが、まずは原因究明が最優先だと判断して、相も変わらずベッタリとくっついている美人魚の二人に意識を向ける。
最初はミズチの盟友自慢はどうせ捏造だろうと、女王は話半分に聞いていた。だが二人の娘は違った。
姉妹は王宮の内から殆ど出られずに、同年代の子供の遊び友達も居ない。さらには人魚の隠れ里とは違う外の世界への興味は、人一倍強かった。
もし川の神と同じように人魚の自分たちにも人間の友達が出来たら、それはどれほど素晴らしいことなのだろうか。
しかし姉妹は王女であり、人魚の隠れ里どころか王宮さえも移動が不自由な身だ。自分たちの望みはきっと一生叶えられることはない。…そのはずだった。
やがて海の幽霊の数が増え、このままでは人魚の隠れ里にも影響が出そうだと女王が頭を悩ませていたとき、ミズチの盟友である森久保沙紀が颯爽と現れた。
彼女は海の平和を守るために、志を同じくする者たちを率いて無報酬で除霊を行い、幽霊船団を見事に打倒して見せた。
遠見の術で確認したが魔女や川の神と親しげに話していることからも、人外の存在を相手にしても全く恐れず、盟友になれる希少な人間だとわかった。
それに姿形もミズチの自慢話と全く同じだった。姉妹は彼女とどうしても直接会ってみたくなった。
しかし危険な外界に出ることは禁止されているため、ある手段を取ることに決める。
幸い周囲はまだ幽霊船団が作り出した濃霧に包まれており、それに紛れて霊力を乗せた歌声を聞かせれば人魚の隠れ里まで導くことが出来る。
女王も初めて愛娘の二人から熱心にお願いされ、噂の盟友が気になったのでこの提案を承諾する。
その際に隠れ里を守る結界によって守護霊が弾かれたが、そちらは最初からお呼びでない。姉妹は人間の友達を欲しがった。霊能力者でも人外でもない、一般人の森久保沙紀だからこそ、とても魅力的に見えたのだ。
水中でも活動可能にになる術をかけ、アコヤガイのベッドで幸せそうな表情で眠る彼女は、人目を引く程の美人ではないがとても可愛らしいと感じた。
遠見で調べたが小動物のように感情や言動が表に出やすく、それに伴い表情がコロコロ変わるため、見ていて飽きなかった。
かと言ってすぐ怒るわけではなく、困った人を見かけたら放っておけない根っからの善人である。もし人間と盟友になれるのなら彼女がいいな…と、姉妹と女王は心からそう思った。
過去に何度か練習はしたが、初めて人間に向けて合唱した。隠れ里に導いた沙紀がベッドの上で気持ち良さそうに寝入っている姿を見て、ウットリと聞き惚れるほど喜んでくれたのだと実感し、二人揃って笑顔が溢れる。
しかし目が覚めて目の前にいきなり人魚が居ると驚くので、目が覚めるまでは部屋の外で待つようにと女王に言われ、まだかなまだかなと彼女が起きる瞬間をソワソワしながら待ちわびていた。
姉妹で顔を合わせて起きたら何を話そうかと色々計画を練るが、まだ子供で知恵が足りないせいか思うように考えがまとまらない。
やがて彼女の目が覚めたので、女王と一緒にワクワクしながら部屋に入って対面する。そこから先はアタシも知っている内容だったので簡単にまとめる。
アタシは外の世界の面白いことや楽しいことをたくさん知っており、人魚が相手にでも物怖じせずに年相応の子供のように可愛がってくれる沙紀お姉ちゃんを、姉妹はすぐに大好きになった。
最初は友達になるのが目的だったのだが、それだけでは満足できなくなったのだ。沙紀お姉ちゃんは姉妹に好意的に接してくれるが、いつかは地上に帰ってしまう。
そうなれば一番仲の良い友人を失うことになる。
そして自分たちにとっては、人魚の隠れ里の王宮内だけが世界の全てだった。そんな寂しくて狭い世界の全てを、沙紀お姉ちゃんが居るだけで色鮮やかに飾り立ててくれる。
このままお別れするのは絶対に嫌だ。しかし向こうには川の神が居る。力尽くで取り返しに来たら太刀打ちできない。
今は女王が誤魔化してはいるが沙紀お姉ちゃんが地上に帰らなければ、すぐにでも人魚の隠れ里に乗り込んでくる。
そこで思いついたのが、沙紀お姉ちゃんが人魚の隠れ里でずっと暮らしたいと、心の底から望むことだ。
川の神とは盟友だが、彼女の意思を尊重している。本人がどうしてもと頼み込めば無理強いはしないだろう。
だが問題はどうやってその状況に持っていくかだ。誘惑の歌声で操って承諾させるのは簡単だが、強引な手段を取った私たちが嫌われてしまう可能性がある。
それとは別に沙紀お姉ちゃんの心を支配した私たちを、怒り狂った川の神が八つ裂きにするかも知れない。
なので強引な手段を取ることは出来ない。幸い沙紀お姉ちゃんは姉妹のことを嫌っていない。そして自分たちも彼女のことが大好きだ。
何せ勢い余って唾液の交換まで済ませたのだ。両思いで通じ合っているのは間違いない。あとは関係を一歩先に進めるだけだ。
子守唄を聞いて幸せそうに眠っている沙紀お姉ちゃんを見ていると、どうにも下半身の魚の部分がウズウズしてくる。
寝ている間に既成事実を作りたい衝動にかられて、姉妹揃って欲望が押さえられなくなる。
だが子供時代の夜は早く寝るし、沙紀お姉ちゃんとくっついていると母親である女王以上に安心する。
そのため起こさないように苦労して上着を脱がしたところで、二人揃って睡魔に完全敗北してしまう。
結局大好きな沙紀お姉ちゃんと夢の中で遊びながら、次の日の朝まで快適な眠りを堪能することになる。
目が覚めた私たちの前には女王と話す沙紀お姉ちゃんが居た。扉には鍵がかかっているので、姉妹が起きるまでは外には出られないはずだ。
母親がわざわざ娘の遊び場に顔を出すということは、川の神が人魚の隠れ里に乗り込んで来るまで、もうあまり時間が残されていないようだ。
昨日ずっと一緒に居てわかったが、やはり私たちには沙紀お姉ちゃんが必要だ。共に過ごす幸せな時間を知ってしまった以上、彼女が居ない生活は絶望しかない。
なのでこの際少しぐらい強引な手段を取っても、彼女をこちら側に引き込むことに決めた。
海底からの歌声でもウットリと聞き惚れてくれたのだ。すぐ後ろから愛情を込めて合唱すれば、沙紀お姉ちゃんは堪らずに腰砕けになってヘナヘナとへたり込んだ。
とても心地良さそうな表情をしている彼女に、せっかくなので昨晩の続きをしようと二人がかりでアコヤガイのベッドまで優しく運ぶ。
そのまま目と鼻の先の距離で沙紀お姉ちゃんに自慢の歌声を披露して喜んでもらった。フニャフニャに蕩けきった笑顔が本当に幸せそうで、眺めているこっちも嬉しくなってくる。
大好きな沙紀お姉ちゃんが恍惚とした表情を浮かべたことで、私たちも俄然やる気が出てくる。そのまましばらく合唱を続けて、抵抗の意思を私たちへの愛情で塗り潰す。
その際に完全に魅了したりせずに、ほんの少しだけ理性を残しておくのが重要だ。
やがて女王が頃合いを見計らい、沙紀お姉ちゃんに眷属にならないか…と、声をかける。断る選択肢も取れると思うだろうが、今の彼女は私たちのことが好きで好きで堪らなくなっている。
理性はほんの少しだけ残っているが、まともに物事を考えることは殆ど不可能であり、完全に操られていないとはいえ、首を縦に振る以外はない。
案の定堕ちかけの沙紀お姉ちゃんは、私たちのために喜んで眷属になってくれた。そのはずなのだが、乱入した川の神により計画はあと一歩で阻止されたのだった。
大体の話を聞き終わったので室内をグルリと見回す。女王は政務があるので退室し、いつの間にかこの場から居なくなっていた。
アタシは水中でも器用に、はぁ…と大きく溜息を吐く。怒りを買えば命を簡単に奪う存在が居るのだ。姉妹が嘘を言っているとは考えられなかった。
「これはミズチが原因だね」
「何故じゃ! 我は知り合いに沙紀がどれだけ素晴らしいかを、広めただけではないか!」
「いやだって、アタシの変な噂が広まらなければ姉妹が暴走することはなかったし」
助けに来てくれたのはありがたいが、残念だがミズチは今回の事件の原因と言ってもいい。しかし風が吹けば桶屋が儲かる的に、この結果を予想するのは非常に困難であり、川の神にも責任は別にない。
「でもまあ、うん。原因だけどミズチは悪くないよ。
危ないところで助けに入ってくれたし、むしろ感謝してる」
「そうであろう! もっと感謝しても良いのじゃぞ!」
「ありがとう。でも、アタシの変な噂を広めるのは止めてね」
それは断る! …と、堂々と言い放つミズチに頭を抱えながらも、今回は助かったのだし多少は大目に見ようと考え直す。
しかし何故あれ程の幽霊船団が集まったのか。こちらはどれだけ頭を捻っても、まるで答えが出てこない。
「それはじゃな。海沿いの町の役所の連中が、毎年の除霊費を着服していたからじゃ」
口に出す前に答えたミズチを見て、そう言えば心が読まれていることを思い出す。今さら気にすることもなく、川の神からさらに詳しい事情を聞く。
何でも毎年の除霊費用を着服しており、低額で適当な仕事をする霊能力者しか雇えなかったため、地脈の流れが淀んで悪霊の数が増え続けて今年の大船団となったらしい。
だがそれも森久保除霊事務所の活躍でようやく正常に戻ったので、当分の間は幽霊に悩まされることはない。
町の人たちも前々から疑問には思っていたが証拠がなかった。だが今回の幽霊船団に遭遇して、明らかに異常だと感じて役所の強制捜査に乗り出した。
その後詳しく調べて除霊費の着服が発覚したとのことだ。それ以外の不正も山程出てきたが、そちらはアタシには関係はない。
「悪を正すなんて! やっぱりお姉ちゃんは凄いよ!」
「うん、沙紀お姉ちゃんは、すっ…凄い。それに、…可愛い」
「いや、だからね。アタシは凄くも可愛くもないよ。結果的にたまたまそうなっただけで」
ベッタリとくっついている美人魚姉妹に左右から褒められるが、ミズチが室内の霊力を無効化しているのでフニャフニャに蕩けることはない。
しかし身の丈に合わない評価にどうにも恥ずかしくなり、頬を朱に染めてしまう。そこをまた可愛いと言われて赤さが増して、完全に悪循環に陥ってしまう。
「ああもう! ミズチ! そろそろ帰るよ!」
褒め殺しに弱いアタシがジタバタと暴れても、両側から抱きつく姉妹はびくともしない。せいぜい美人魚姉妹の柔肌の間を、芋虫のようにモゾモゾと身動ぎするだけだ。
これはアタシが非力なのではなく、この子達が人外の身体能力なのだろうと結論付ける。なので目の前のミズチに躊躇うことなく助けを求めた。
「心得た。ではな、人魚の童子よ」
アタシにベッタリとくっつく二人を傷つけないように簡単に引き剥がす。流石は数千年生きた神様だけあり、凄まじい腕力だ。
それでも人魚の姉妹は諦めずにもう一度アタシに抱きつこうとするので、心は痛むが大きな声で拒絶する。
「もうっ! 駄目ったら駄目! アタシは家に帰るの!
そんなに遊びたいなら、貴女たちから森久保家に来ればいいじゃない!
お茶菓子を出したり、遊び相手ぐらいにはなってあげるから!」
とにかく断固として帰宅することを伝えて、今なおアタシと遊びたがる姉妹を黙らせる。もう二度と人魚の隠れ里に来ることはないだろう。
彼女たちは王女なので外出は難しいと思うが、何も一生外に出られないわけではない。王宮の生活が寂しいのなら、とにかくあちこちに目を向けて楽しいことを探すべきだ。
アタシの自宅は目標の一つであり、たとえ叶わなかったとしてもその過程で様々な経験を積めるだろう。
「本当に? お姉ちゃんの家に行ってもいいの?」
「おっ、お友達の家にお呼ばれするの。はっ…初めて」
「いいよ。まあ、それでもすぐ来るのは難しいだろうけど、もし来たら歓迎してあげるよ」
人魚の下半身が変化することは知っているので、地上での活動は問題ない。もし来たらお客として歓迎することも約束する。
そしてアタシはミズチが手を差し伸べてきたので、躊躇せずにそっと握り返す。
「では沙紀よ。しばし目を閉じるのじゃ」
「えっ? あっ…うん」
彼女の言うことを疑う理由もないので、アタシは黙って手を繋いだままそっと目を閉じる。その瞬間に妙な浮遊感を覚えたが、それもすぐに落ち着いた。
時間にして数秒程度だったが、ミズチはもう目を開けても良いぞ…と言われたので、その通り瞼を開く。
「えっ? ここは家のお風呂場?」
「水に縁のある場所として、風呂場と人魚の隠れ里を繋げたのじゃ。
依頼も終わって沙紀が居らぬのに、海沿いの町に留まる理由もないしのう」
川の神が言うには、人魚の隠れ里は人間界とは別の次元に存在する異世界らしく、そこに繋がる裂け目があの海域に在った。
そういった特異点は世界各地に存在しており、ミズチには縁がある物を使って裂け目を捻じ曲げることが可能とのことだ。
神様のやることは何ともスケールがでかい。アタシは大きく息を吐いても泡が出ないのでここが地上だと確認する。
ついでに肺の中から水が出ることもないので、どうやら呼吸困難にならずに済んだらしい。
その様子を不思議そうに見ていたミズチは、何かを思い出したように口を開いたところで、脱衣所と浴室の間の引き戸が外側から勢い良く開かれた。
「沙紀、帰ってきましたのね! 怪我は大丈夫ですの?」
「本当に帰って来て良かったです!」
「心配で昨日はあまり眠れなかった。だから今日は一緒に寝る」
「にょっ……にょわ!?」
守護霊のエルザ、巫女の真理子、魔女のポーラの三人が勢いをそのままに飛び込んできた。当然アタシに支えられるわけなくバランスを崩すが、すかさずミズチが自分の背後に回ってしっかり押し留めてくれた。
「狭い! 家のお風呂場は狭いから!」
「皆が心配していると伝えようとしたのじゃが。すまん。少し遅かった」
狭い風呂場に五人も入れば当然寿司詰め状態となり、少し息苦しい。しかし皆は再会出来たことが嬉しいらしく、一向に離れようとはしない。
アタシはこれも皆を心配させた罰だと溜息を吐きながら受け入れ、しばらく熱い抱擁をされるがままになったのだった。




