新しい同居人
全国放送で流れた、アタシのR18スレスレの恥辱で一躍有名になった森久保除霊事務所だが、それと同時に面倒事も増えた。
手段はどうあれ川の神と和解したので、褒められはしても怒られることはない。
それから数日も経たないうちに、家に尋ねて来る人が急増したのは驚いた。目的はGBとしての依頼、顔を見に来た、取材をしたい、お金が欲しい、芸能界への勧誘、言いがかりや無償の依頼の強制等、それはもう色々だ。
アタシはウンザリした顔でエルザ、真理子、ポーラの三人に相談した結果、森久保家を囲む結界を大幅に強化することに決めた。
これにより外からの干渉は玄関の引き戸を開けないと不可能になり、明確な害意を持つ者は入り口の門を越えることも出来なくなくなった。
そしてプールでの依頼達成から半月後、平穏を取り戻した森久保家に菓子折りを持って謝罪に訪れたミズチを見て、アタシは内心で頭を抱える。
涼し気な川が流れる様子を映した高級感溢れる振り袖を身にまとい、長く艷やかな青髪を後ろで丁寧に結ってある。
青の瞳も透き通っており、覗かれた者の心の底まで見通して人を惹きつける。
「…と言うことでじゃ。これは我の気持ちじゃ」
「はぁ…それはまた。わざわざ…どうも」
彼女が差し出した紙袋を両手で受け取る。だがそれ以上は会話が続かない。気まずい沈黙が玄関を広がり、すぐに痺れを切らしたミズチが強引に口を開いた。
「普通は神が家に来たときは、一族総出で歓迎するものじゃぞ」
「えっ? あー…、気が利かなくてごめんね」
「まあ沙紀は元々そのようなことに無頓着じゃし、怒ってはおらぬがのう」
確かにミズチを家にあげるべきなのだが、プールで出会ったときの全裸の印象が強いため、身なりを整えた川の神のまともな姿につい驚いてしまった。
取りあえずコホンと軽く咳払いをして、気を取り直す。
「ええと、古くて汚い家だけど。もし良かったらあがっていってよ」
「うむ、世話になろう」
そこでアタシは疑問に思った。あがらせてもらうとかお邪魔するのではなく、世話になると彼女は言ったのだ。
草履を脱いで綺麗に揃えて白足袋で静かに廊下を歩く川の神を見ながら、今のは自分の聞き間違いだろうと気持ちを切り変える。
そのまま居間に案内して、エルザに実体化してお茶を入れるように頼む。その間にアタシはちゃぶ台の近くに座布団を敷いて、どうぞ…と勧める。
「ところで、今日はどうして森久保家に?」
「その前に聞きたいのじゃが、巫女と魔女は留守か?」
「二人なら指名依頼を受けに行ったよ。
何だかんだで森久保除霊事務所も有名になったから、頼られることが多くなってね」
達成率だけ見れば優良な森久保除霊事務所なため、指名依頼の数が倍増して、最近は割りと多忙な日々を過ごしている。
元々インドア派のアタシは面倒に感じているため、近々指名条件を厳しくしようかと考えている。医者の不養生とも言うし、霊能力者が疲れた隙に祟られては本末転倒だ。
やがてお茶とミズチから受け取ったお菓子をオボンに乗せたエルザがやって来て、それをちゃぶ台の上に順番に置いていく。
「これはすまぬのう」
「あっ、これは近所の和菓子屋のだね。アタシ、これ好きなんだよ」
「それは何よりじゃ。
…で、この家に来た目的じゃが。沙紀、…これを受け取ってもらえぬか」
そう言ってミズチは、アタシに一枚の封筒を差し出す。かなりの厚さだ。そしてこのパターンは前にもあったので、中身を確認しなくてもこの先の展開は何となくだがわかる。
本当は拒否したいが神様の頼みなので断れずに、溜息を吐きながらも素直に受け取る。
「はぁ…ミズチもアタシの家に下宿するの?」
「その通りじゃ。差し当たって、切りよく百万を用意した」
「そのお金はどうやって?」
まさか川の神が不正を行うとは思わないが、これを受け取る前に念のために確認しておかなければいけない。
ミズチは自らの行動に恥じることは一つもないとばかりに、胸を張って堂々と発言する。
「沙紀が疑うのも当然じゃが、この金はGBとして我が自ら働いて手に入れたのじゃ」
「GB? 霊能力者じゃなくて?」
GBは国が試験を行い、合格したら免許証を発行する公務員のような職業だ。そして霊能力者は霊力さえあれば誰でも行うことができるが、最初の信用を築くのが大変だ。
てっきり川の神は後者のほうだと思っていたのだが、かなり意外だ。
「ミズチってGB免許証を持ってたんだね」
「ああ、最近修得したのじゃ。身元の保証人として沙紀の名前を使わせてもらったぞ」
「……はぁ!?」
長寿なのでずっと昔に免許を取っていたのかと思ったが、森久保家への引っ越しを決めてからすぐに、GB試験会場に出向いたらしい。
しかもアタシの名前を勝手に使うとは、とんでもない川の神も居たものだ。
「我も最初は窓口でどうしたものかと悩んでおった。
そこにとある試験官が、森久保沙紀の名前を記入したらどうか…と、強く勧めたのじゃ」
「そっかー…ミズチ、他には何かやらかしてないの?」
取りあえず震える手で湯呑みを掴んで緑茶を喉に流し込む。どうやらGB日本支部は危険物である川の神を、アタシに押しつけて管理させるつもりのようだ。
確かに彼女は基本的には人間の味方であり、お願い次第で神の奇跡さえ起こすことができる。…が、制御しきれなかった場合、まず一番最初に親しい者が被害を受ける。
だが誰がミズチの手綱を操っても、まともに言うことを聞くとは思えない。アタシに出来るのは無駄とはわかっていながら、ひたすらなだめすかすことだけだ。
「ふむ、…そうじゃな。悪いとは思ったが、我は沙紀の着替えを借りておる」
「にょわっ!? あっ…ああそっか。全裸だったもんね。仕方ないか」
プールでは服を一着も持ってなかったためか、人間化したミズチは素っ裸だった。彼女が言うには霊気を消して留守中の森久保家に侵入し、そこでアタシの部屋の引き出しから着替えや路銀を拝借したとのことだ。
自分は適当な性格をしているためか、少しぐらい物が減ったり家具の配置が変わっても気づかなかった。
「まあ止むに止まれぬ事情があったし、仕方ないよね。
それで、アタシの着替えは? あっ…菓子折りと一緒に紙袋の中かな?」
今の彼女は振り袖や和服一式を揃えているし、百万をポンと出すぐらいだ。GBとして相当稼いでいる。なので役目を終えたアタシの着替えも、一緒に持ってきてくれたはずだ。
ミズチは他に何かを持っているようには見えないので、きっとまたこっそりと自室の引き出しに返してくれたのだろう。
「実はのう。まだ我が着ておるのじゃ」
「えっ? なっ…何で?」
「一度着用したら、何だか愛着が湧いてしまってのう。
その分は費用は百万から差し引いてくれ」
その気持ちはわからなくもない。高い物でも愛着を感じるとは限らない。古くて安い物のほうが自分には合うこともあるのだ。
ミズチがその費用も込みというなら、何を持っていったのかを聞いて、その分をきっちり差し引いておかなければいけない。
アタシはちゃぶ台の上にメモ用紙を開いて、ミズチが持っていった物を聞き出しながら、ボールペンで順番に書き加えていく。
少し恥ずかしそうに川の神が頬を染めているが、気にすることなくリストを作成する。
「うーん、意外と多いね」
「そっ…そうかのう?」
着替えだけでなく布団や日用品等、色々と持ち出されていることに気づく。アタシの私物ばかりを持っていくのは、家の中で一番鈍くさくて多少家具が減っていても全く気づかないからだろう。
「ええと、家に引っ越すらしいけど。いつから?」
「今日からでは駄目か?」
「それはまた急だね。駄目じゃないけど荷物を運ばないと」
引っ越しの業者を手配して、ミズチの荷物を家に運び込まなければいけない。それに寝泊まりする部屋も片付けないと。
アタシがそう考えていると、川の神はおもむろに口を開く。
「沙紀の部屋の隣が良いのう」
「もう埋まってるから無理だよ」
「出遅れたか。…まあ良い。ではその隣を借してもらおうか」
アタシの部屋はエルザと真理子に挟まれている。少し離れてポーラで、今回のミズチはその隣だ。
平屋で広くて部屋数は十分なので、大家族でも十分住める。
居間から立ち上がってミズチの部屋に向かいながら、携帯電話をポーチから取り出す。引っ越しの業者は魔女っ子の私物を、山奥のホテルから運び込んだときにお世話になっている。
今回も同じところに頼むつもりだ。
「ミズチの仮宿は何処なの?」
人の姿で生活しているのなら、住む場所も必要になる。ならば森久保家以外の何処かの家に厄介になっているはずだ。
「水神の社じゃ。元の神は何処かに去ったあとじゃ。
我が仮宿にしても問題あるまい」
「確かに問題ないね。でもその理屈だと、わざわざ家に引っ越さなくてもいいんじゃない?」
人間の代替わりと同じように水神が川の神に変わったと考えれば、今は使われていない社に住み続けてもいい。
実体化しているエルザに、沙紀の名前を出して業者を手配するように頼むと、アタシはミズチの部屋の扉を開けながらそう考えた。
「沙紀は我と共に暮らすのは、…嫌か?」
「うーん、別にそんなことないよ。
神様全般が恐れ多いのは確かだけど、
ミズチは気安く話しかけても怒らないから好きだよ」
神を名乗る存在はいつも偉そうで、失礼な態度を取るとすぐに罰を与える。そんな印象があるのだが、ミズチはアタシが砕けた言葉遣いをしても怒らなかった。
プールで出会ったときには過度な可愛がりを受けたが、痛いことはされなかったので悪い神様ではないのだろう。
あとは自分以外に僅かでも気にかけてくれれば、必ず皆に慕われる川の神になれるはずだ。
そんなアタシの言葉を受け、頬を染めて口元を緩めながら嬉しそうに答えを返すミズチを何となく眺め、不覚にもドキリとしてしまった。
「我も沙紀は好きじゃぞ!」
「えっ…あっ、うん。そっ…そうだね。アタシも嬉しいよ。あは…あははっ」
川の神は顔立ちが整っているだけではなく魔性というか神秘性を内包しており、それが今、好意に形を変えてアタシ個人に向けられている。
真正面からの恐れ多いミズチの愛情に、同性にも関わらず胸が高鳴ってしまう。
プールではあくまでも仕事だったので妙な気持ちになる前に、とにかく交渉をまとめなければと考えていた。それにミズチはその他大勢の人間たちにも注意を向けていたので、こんな事態には陥らなかった。
だが今のアタシの顔は茹でダコのように真っ赤なっており、このままでは不味いと警鐘を鳴らす。
ミズチは完全に無意識での行いだが。神様から溢れんばかりの好意を向けられれば自分のような一般人は身も心も容易く絡め取られる。
そして瞬く間に籠絡され、都合の良い人形に作り変えられてしまう。
「何じゃ、照れておるのか? ほほほっ、沙紀は初い奴じゃのう」
今この場には二人っきりであり、目の前のミズチがアタシに向かって微笑んでくれた。それだけで自分は満たされ、他には何も要らなくなる。
川の神に奉仕することだけがアタシの生きる意味であり存在理由なのだと、いつの間にかそれが、もっとも正しいと思い込んでいた。
「他に、あっ…アタシに、して欲しいこと、ある…の?」
「むぅ…そうじゃのう。我を抱き締めてくれんか?」
「うん、わかっ…た…よ」
照れ笑いを浮かべるミズチの言う通りに両手を広げて彼女を正面から抱き締める。向こうから望んだのに、最初はとても驚いていた。
だがすぐに川の神もアタシの背中に両手を回し、そっと身を寄せ合う。お互いに何も喋らない。
家の庭から聞こえてくる風の音と虫の声だけの、静かで穏やかな時間が過ぎる。そこに退屈や不快はなく、言いようのない幸福に満たされていた。
しばらく女の子同士の優しい抱擁を楽しんでいたが、やがてミズチが切なそうにモジモジと身動ぎして、すぐ近くのアタシの顔を真剣に見つめる。
彼女は唇を固く結んで何かを決断したのか、こちらの腰に回した両手に力を入れてそっと抱き寄せ、澄んだ青い瞳が段々と大きくなってくる。
これはミズチの顔が近づいているのだと感じた。この先に待っているのは接吻というものだろう。アタシは初めてだと思うが、彼女は長生きだし経験豊富かも知れない。
軽く触れるだけなのか、それとも舌を入れてくるのか。どちらにせよ、そこまでされてしまえばもう引き返せない。あとは目の前の美少女と一緒に光も届かない水底に、気持ちよく沈んでいくだけだ。
なのでアタシはまだ人間でいられるうちに、最後の理性を振り絞って言葉を発した。
「みっ…ミズチ、それ…止めて。アタシ、おっ…おかしく、なっちゃう…か…ら!」
今のアタシの心臓は早鐘のように鳴り、頬は紅潮している。抱き合って心も体も許してくれている神様のことが、どんどん好きになっていく。
それが自分の偽りのない本当の気持ちなのだと、思いの全てがミズチへの愛情で塗り潰されていくのがわかる。
川の神に奉仕できることが、堪らなく嬉しく感じてしまうのだ。
「こっこれはいかん! …っと、もう良いか?」
「はぁ…あっ、ありがとう。おかげで落ち着いたよ」
力を意識して抑えたのか、先ほどまでのミズチに向けた異常な好意は収まり、アタシは肩で息をしながらようやく落ち着きを取り戻す。
「それは何よりじゃ。しかし、これではちと不便じゃのう。
至急我の力を抑える装飾品を作成することにしよう」
川の神の言う通り感情が高ぶるたびに周囲に影響を与えるようでは、人の姿での生活は難しい。霊能力者なら多少は抵抗出来るかも知れないが、残念ながら自分は一般人だ。
専用の道具があるなら、ぜひ身につけてもらいたい。でなければ神様との同居生活は、気が休まる暇がない…と、アタシは心の中で大きく溜息を吐いた。
「ところでミズチ」
「何じゃ?」
何とか問題が解決しそうなので気を緩めたが、そこでふと疑問に思ったので目と鼻の先の距離に居るミズチに質問する。
「いつまで抱き合ってるの?」
「もう少しだけこのままでいたいのじゃが、駄目か?」
感情の高ぶりは意識して抑えてもらったが、まだアタシとミズチはお互いに抱き合ったままだ。
接吻は回避したので過ちを犯さなくて済んだが、いつまでもこのままの体勢で居るわけにもいかない。
「別に、…いいけど」
先ほどのミズチがアタシに要求したことは冗談であり、気の迷いだった。その場の勢いで唇を重ねようとしたが、それも長い年月が経って人間に忘れ去られ、姿を見せたら即立ち退きを迫られ、断れば問答無用で襲いかかられた。
そんな人恋しさを僅かでも埋められるなら、しばらくの間は彼女に付き合ってあげてもいいだろう。
「やはり落ち着くのう」
「それはどうも」
こちらに身を寄せているミズチの青い長髪を、アタシは暇なので適当に指でといていく。相変わらず枝毛の一つもなくどれもサラサラで綺麗な色艶をしている。
「沙紀よ。我と永遠の契りを交わすつもりはないか?」
「アタシ一般人だから、ミズチよりも先に死ぬよ」
多分三国志の桃園の誓いとか、そんな感じだろう。川の神は何百、何千年も生きるし、死の概念がそもそもないかも知れない。それに地上に飽きたら天界に引き篭もる神様も居るらしい。
だがアタシは何の力もない一般人なのでずっと地上で、どれだけ長生きしても百年がせいぜいだ。
「我の眷属になれば、永遠に生きられるぞ」
「慈善事業で人間やってるわけじゃないから、それはちょっと」
「むぅ…そうか。では、死後の魂は我がもらおう」
別に眷属としての力が欲しいとは思わない。アタシは今の生活が気に入っているのだ。それにせっかく天寿を全うしてもすぐ二周目が開始されることを知らされると、何となく気が重くなってくる。
「アタシの魂は自分のモノだから、ミズチにあげる予定はないんだけど」
「それは肉体に宿っている間だけじゃ。死後の魂は誰のモノでもないぞ」
アタシから権利を放棄するつもりはないが、幽霊に人権はないのが大昔からの決まり事だ。
それに彼女に引き取られなかった来世が幸福とは限らない。獣や虫に生まれ変わったり、地獄に落とされて未来永劫苦しんだりするかも知れない。
「まあ、知り合いと一緒に暮らせるなら、それでもいいかな」
「うむ、同意を得たぞ。それと我のことは知り合いではなく、盟友じゃ」
「盟友? ああ、友達かぁ。でも神様とそういう関係はちょっと恐れ多いね」
今はお互いに抱き合った状態だが、それには長年の人恋しさを一時的に紛らわせるためだ。普段から同性でイチャつくような親密な関係ではない。
アタシは神様とは距離を取ったお付き合いをしたいと、最初はそう考えていた。
しかしなし崩し的にこうして同居することとなった以上、二人の仲が深まり、いつかは知り合いから友達に変わるかも知れない。
その先には絶対に踏み込むつもりはないが、別にミズチのことを嫌っているわけではない。
「うーん、…まあいいか。よろしくね。ミズチ」
「こちらこそじゃ。沙紀」
こうして熱い抱擁を交わしながらアタシとミズチは友達になり、川の神は森久保家の新しい同居人になった。
正直霊気が抑えられていても神秘的な美しさを持つ少女と密着していると、どうにも落ち着かずに変な気分になってくる。
精神的な支配は抑え込まれても、今度は肉体的にグイグイ迫ってくるのだ。アタシのことを大切に思っているのか乱暴はせずに、逐一こちらの反応を見て手管を変える。
あれは良くてこれは駄目とアタシに嫌がられない範囲で、一歩ずつ心と体の距離を詰めてくる。
結局引越し業者が家の前に到着するまでミズチは抱擁を続けた。なので、自分の同性に対する防衛線は崩壊寸前に追い詰められ、耳まで真っ赤になったアタシは川の神が満足するまで、好き放題に愛でられてしまうのだった。




