幽霊になった友人
くすぐりやキスや昨夜はお楽しみでしたねはセーフだと信じたい。見どころがセクハラや百合展開ですが、それでもよろしければ、暇つぶしにどうぞです。
アタシの名前は森久保沙妃。日本人で黒髪黒目、髪型は癖っ毛の強いボブカット、そして地味目な顔立ちだ。根暗ではないが、目が悪いのでメガネをかけている。女子としての膨らみはあるものの、どちらかと言えば控え目だ。
年齢は中学を卒業したばかりの十五歳で、両親の仕事を手伝うために実家の田舎暮らしではなく、都会に引っ越すことになった。
だが今のアタシは夕焼け空を背に受けながら、広々とした公園に備え付けられている木製のベンチに座り、旅行用鞄を隣に置いて大きく溜息を吐いていた。
そのまま誰にも聞こえないほどの小声で愚痴を漏らす。周囲には自分以外に人影が居なかったのが幸運だった。
「はぁ…これからどうしよう」
少し前に両親の会社が大変なので、娘の手を借りたいと呼び出しがかかり、中学卒業後に実家の田舎から都会に出て、家族経営の歯車になることが決定した。
しかし中学を卒業してすぐ、荷物をまとめて両親の住んでいるアパートに向かうと、既に引っ越したあとだった。
急いで携帯で連絡を取ったが音信不通だ。携帯の電源を切っているか、電波の届かない場所に居るかの二択しかない。
仕方ないので両親の経営する小さな会社に行ったが、何やら暴力が得意そうな人たちが、建物内からダンボールを運び出し、外のトラックに次から次へと積み込んでいる。
正直話しかけるのは怖いが、事情を知らなければこれからの行動を決められないので、一番人の良さそうだと感じた大人に、思い切って話しかけてみた。
「ここの社長と夫人は昨日夜逃げしたんだ。俺たちにも何処に居るかは知らない。
実家もアパートも会社も、契約書通りに差し押さえられることになる。
だが娘のキミには関係はないから、その点だけは安心していい」
これで全て話し終わったとばかりに、親切に教えてくれた大人はまた作業に戻る。アタシは呆然としながらも一言お礼を返し、背を向けてフラフラと歩き出す。
それからのことは良くは覚えていない。何処をどう彷徨ったのか、気づけば時刻は夕方になっており、公園の木製のベンチに腰をおろし、大きく溜息を吐いていた。
「親戚か…知り合いを頼るべきだろうけど、両親は駆け落ち婚だしなぁ」
暴力が得意そうな人は、アタシをどうこうする気はないと言っていたが、あとになって態度が変わらない保証もない。仲のいい知り合いも数人程度なら居るが、面倒事に巻き込んでしまう可能性もある。
それ以前に十五歳の女性の面倒見てくれなんて、どの面下げて頼めばいいのか。絶対に揉めることになる。
「自立するのが一番いいんだけど。…でもなぁ」
「悩みがあるなら相談に乗りますわよ?」
透き通るような美声が突然聞こえたので、アタシは顔をあげると。目の前には、金髪碧眼のお嬢様が立っていた。
容姿は十人とすれ違うと全員が振り返るほど美しく、女性らしく均整の取れた素晴らしいプロポーションを維持しており、洋服もブランドは知らないが生地や装飾も高級そうだ。
年はアタシと同じぐらいで、長い金髪は夕日を受けて煌めきを放ち、雪のような白い肌はまるでおとぎ話の妖精のようだ。
こんな一流モデル顔負けの美貌を持つお嬢様が、そうそう居るわけない。しばらくはボーッと見惚れていたが、やがて彼女の名前を思い出してまた驚く。
「もしかして、エルザ=ベルトラン…さん?」
「あら、私の名前をご存知でしたのね」
彼女は世界有数の財閥の御令嬢で優れた容姿だけでなく、まだ少女の身ながら、神の寵愛を一身に受けたかのように、あらゆる分野で突出した才能を持っていた。
生まれた瞬間から将来が約束されていると言っても、過言ではない。そして年齢はアタシと同じ十五歳…だった。だがそれは六年以上も昔の話なのだ。
「でも、確か亡くなったって」
「ええ、私は亡くなりましたわ。それは事実ですわ」
しかし彼女の寿命だけはどうしようもなかった。普通の人よりもテロメアが短かったらしい。目の前の少女や親族がそれに気づいたのは余命いくばくも残されておらず、何もかもが手遅れだった。
そして大勢の人たちに惜しまれながらも、エルザ=ベルトランは十五歳でこの世を去ることになった。
「そっ…それが、何故ここに?」
もし今自分の頭の中で考えたことが事実なら、目の前の彼女は生者ではない。アタシの声は恐怖で震えてか細くなってしまう。
きっと顔は真っ青になっていることだろう。
「何となくですわ」
「なっ…何となく?」
「ええ、貴女がこの世の終わりのような絶望した顔をして町中を歩いていたので。
何となく興味が湧いて取り憑いてみましたの」
と言うことは、恨まれてはいない。いつの間にかエルザはすぐ隣に座って話しているが、体に傷はないし怖い雰囲気も感じなかった。アタシは少しだけホッとする。
しかし、ならば何故彼女は、自分とここまで親し気に会話しているのだろうか。
「そちらは…何となくにしておきますわ。案外死んだ年が近いから、親しみが湧いたのかも知れませんわね」
「そっかー。ん…あれ? アタシ…今、口に出したっけ?」
「それは私が沙妃に取り憑いていた影響ですわね。考えていることは大体わかりますのよ」
アタシの名前まで知られている。つまりは進退窮まった現状も把握しているということだ。まさか幽霊が自分の一番の理解者になるとは思わなかった。
だが頭の中は大混乱中で、今の怒涛の展開についていけてない。
「沙妃、大丈夫ですの? 深呼吸をすれば多少は落ち着きますわよ」
「名前、よっ…呼び捨てなんだね」
「私のこともエルザでいいですわよ」
もう何がなんだかだ。この世界には科学では解明できない人外の存在が居ることは知っているが、まさか自分の前に現れるとは思わなかった。
名前の呼び捨てでも何でもいいが、アタシは見ての通り一般人なので、エルザが取り憑いても得るものが思い浮かばない。
それに生気とか奪われて衰弱死したらたまったものではないので、早く離れて欲しい。
「沙妃は取り憑いていると、暖かくて安らぎますの。
気に入りましたし、当分離れる気はありませんわ」
「あっアタシ、衰弱死は嫌なんだけど」
昔から幽霊に取り憑かれると次第にやつれていって、やがては死に至ると相場は決まっている。いくら人生に絶望しているとしてもアタシはまだ十五歳だ。自ら死を選ぶには早すぎる。
となると取れる手段は限られている。エルザを祓ってもらうのだ。何処かのお寺か教会、それか公務員であるGB…つまり、ゴーストバスターズだ。
「もうっ、私は沙妃の生気は必要ありませんのに!
でも、おかげで名案が浮かびましたわ!」
「はぁ…そうなの? それで名案って?」
取りあえず命に別状はないらしい。プンプンと可愛らしく怒りながら頬を膨らませる幽霊から説明される。
そしてエルザが何処から拾ってきたのか、一枚のチラシをアタシに手渡し、今さらながら彼女は物にも触れられるんだ…と、驚いた。
「ええと、これは…GBのチラシなの?」
「貴女も知っての通りGBは、類稀な才能を持つ者のみがなれる国家公務員ですわ。
常に人手不足ですが高給取りで。年齢も学歴も問いませんわよ」
つまりエルザはアタシの悩みを読み取ったうえで、GBになるように勧めているのだ。確かに国家公務員で給料はいい。
都会に放り出されて明日をも知れない中卒の自分でも、資格さえ取って仕事に励めば、その日の食い扶持を稼ぐぐらいは出来るはずだ。
「でもアタシ、今まで生きてきて霊力なんて感じたことないんだけど」
お寺のお坊さんや教会の神父、または修行僧でも、長年の厳しい訓練でようやく修得すると聞いた。だがアタシは勉強も運動も容姿も全てが平凡な、十五歳の女性だ。
生まれてこの方、幽霊は目の前のエルザしか見たことがないし、特殊な才能に関してもさっぱりだ。
年齢も学歴も問わないとはいえ肝心の霊力がなければ、資格試験は不合格待ったなしだ。
「大丈夫。私が付いて…いえ、憑いていますのよ。感覚を共有すれば霊体も見えたり触れたり出来ますし。
それに守護霊を宿して戦う者もおりますので、何の問題もありませんわ」
わけのわからない存在を、わけのわからない力で倒す職業だ。一般常識など当てはまらない。つまりアタシがエルザの力を借りても、誰にも咎められることはない。
しかしそうなると、わからないのが彼女の目的だ。自分に取り憑いたのは偶然でも、何故ここまで協力的なのか。
「それは私が、沙妃のことが大好きだからですわ」
「……はい?」
アタシの脳が理解することを拒んでいる。幽霊に好かれるとか、まるで意味がわからない。自分は平凡な十五歳だ。
思わず隣に座っているエルザの顔をマジマジと観察すると、彼女は頬を染めて恥ずかしそうに目線をそらす。
「沙妃は子供の頃のことは、覚えていますか?」
「んー…少しだけなら」
「では小学生の夏休みに、都会からやって来た女の子と遊んだりとかは?」
「やけに具体的だね。うーん、おぼろげだけど何度かあった…気がする」
その子の名前も顔も今となっては思い出せないが、夏休み中にたくさん遊んだ気がする。虫取りや探検、秘密基地、実家でテレビゲームや花火、とにかく色々だ。
と言っても子供時代のあやふやな記憶なので、所々が間違っているかも知れない。腕を組んで考え整理していると、アタシはふとした疑問を感じてエルザに問いかける。
「もしかして、その女の子って」
「ええ、私ですわ」
即答だった。彼女は豊かな胸に手を当てて堂々と宣言する。アタシに気づいてもらえて嬉しいらしく、明らかに顔をほころばせている。
「両親の仕事と家族旅行を同時に済ませるために、とある村に滞在しましたのが始まりですわ」
静かに語るエルザを眺めながら、何とも数奇な運命を感じた。昔仲良く遊んだ女の子が、今は幽霊になってアタシに取り憑いているのだ。
言われてみれば目の前に居るエルザと、あの頃に出会った小さな女の子は、年の離れた姉妹ぐらい似通っている。
そして彼女は自分を幽霊にする気はないようなので、子供の頃と同じで優しい性格は変わっていない。
「これで私が何故協力するかは、わかっていただけました?
沙紀ったら、全然気づいてくれませんもの」
「ああうん、昔の友人が手伝ってくれて嬉しいよ。ありがとう。
それと、すぐに気づいてあげられなくてごめんね」
イタズラっぽくチロリと舌を出して、アタシに視線を向けるので謝罪の言葉を口に出した。
しかし友人として好きならまだしも、大好きとは言い過ぎではないのか。今さらながら純粋な気持ちを直接告げられたことに気づく。
アタシも急に恥ずかしくなり、顔を赤くして俯いてしまった。
「とっ…とにかく、GBだっけ?」
「ええ、先ほども言いましたが私がサポートしますので。
沙妃は大船に乗った気持ちで居てくれれば良いですわよ」
エルザの言うことは頼もしいが、それとは別の懸念もある。アタシの両親は連絡もなしに失踪したので所在不明だが、彼女の父母はまだ健在で住所もはっきりしている。
幽霊となってアタシに取り憑いていることを、報告したほうがいいのではなかろうか。
「私の両親への連絡は必要ありませんわよ。少なくとも今は沙妃に取り憑けて、とても幸せですの」
「そうなの? うーん、…でもなぁ」
彼女はそう思っていても、幽霊とはいえ愛娘と普通に話せるのなら、喜ばない親は居ない…とは言えないが、嬉しがる親族もきっと居るだろう。
アタシの考えが揺らいでいることに気づいたのか、隣に座っていたエルザが静かに距離を詰めて、こちらの手をそっと握る。
彼女の手に直接触れると温かな熱を感じ、とても死者とは思えなかった。
「私は沙紀と一緒に居られれば幸せで、両親への報告の必要はありませんのよ。
もちろん、…貴女も賛成してくれますわよね?」
「え…あ…うん、そう…だね」
エルザの青い瞳がいつの間にか赤く変わりアタシを真っ直ぐに見つめている。その視線に魅入られたかのように、一秒たりともそらすことが出来ない。そして何だか凄くいい気分だ。
彼女の言うことは全てが正しく、目の前のエルザは嫌がっている。ならばアタシが悩むことなど何もなかった。
「はぁ…こういう力は使いたくはありませんわね。
沙紀には自身の全てを好きになってもらいたいですし。
とにかく、まだまだこれからですわ!」
まるで甘い夢のような心地良いまどろみの外側で、エルザが興奮した表情で何かを喋っているが、アタシには何処か遠くに聞こえる。
抗いがたい多幸感が全身に広がっていき、次第に力が抜けてフニャフニャの腰砕けになる。すぐに彼女に向かってクタリと倒れ込んでしまった。
「うふふっ、幸せそうな顔をしていますし、せっかくですので膝枕をしてあげますわね。
それではお休みなさい。…沙紀、また明日ですわ」
公園に来たときは夕方だったのだが、今は夜の闇が広がっている。こんな場所で無防備に眠るのは、どんな被害に遭ってもおかしくない。
だが心地良くまどろんでいるアタシは常識的な考えよりも、エルザの言う通りに眠りに落ちることを優先してしまう。
実体化した幽霊の柔らかく暖かい膝枕にすっかり心を奪われ、結局次の日の朝まで、ぐっすりと熟睡してしまったのだった。