七月の友亮
友子から丁寧にアドバイスをもらっているというのに、一文字も書かない日々が続いている。書いては消して、ではなく、本当に一文字も書くことができないのだ。
目標の文字数を設定するとツラいし、必要以上に自分を追い込むと、書くこと自体が嫌になってしまうような気がするので、毎日一時間だけ頑張ってみようとするけど、やっぱり書けないのである。
そこで、今月も『隠れ家』で友子に相談することにした。日付と時間指定をしているので会えないことはないけど、カホリに義理立てして、未だに連絡先を交換していないので、来るかどうか毎回不安になる。
でも、その日は先に来て一人で本を読んでいた。この場所をすっかり気に入ってくれたということだ。コーヒーが残りわずかだったので、約束の時間よりだいぶ早く来ていたのだろう。
「なに読んでたの?」
「教えない」
心の距離感は相変わらずだった。
「友子は紙派?」
「んん、電子でも読むよ」
「今日はたまたまか」
「うん。外出中はなるべくスマホのバッテリーを減らしたくないから」
「何があるか分からないもんな」
「うん」
「俺も両方だな」
友子がテーブルの上に置いてあるスマホを手に取る。
「スマート・フォンが普及してから、電子文字を読むことに慣れたのか、もう、その手の議論は聞かなくなったように感じる。抵抗を感じていた人も、スマホかタブレットに慣れた頃だから、案外と積極的に活用してるかも。そういう人って、基本的に読み物が好きな人たちだもんね」
うちの親は本を読まないクセに電子化に文句を言っていた。
「本の未来って、どうなるんだろうな?」
友子が顔をあげて、思いを馳せる。
「こんなこと言うと笑われるかもしれないけど、自分が投稿した小説も、ある日突然、何の前触れもなく、読めなくなってしまう日が来るんじゃないかって思ってしまうんだよね。データ保存してるけど、それすら読み取ることができなくなったらどうしようって、時々そんなことを考えては怖くなる――」
古典的なSFだ。
「だからっていうわけじゃないけど、絶対に大切な本はちゃんと保管してあるんだ。私が保管してどうなるって話じゃないけど、読めなくなってからでは遅いもんね。それと関係あるか分からないけど、やっぱり人間には、文字を紙で残さないといけないっていう、本能的な使命感みたいなものはあると思う」
それを俺たち世代が実感できるのか、不安ではある。
「友子も、やっぱり自分の本を紙にしたいと思う?」
「うん。単純に自分の本を紙で読んでみたいって思う」
「それは夢?」
「どうだろう? お金を払えば実現可能だし、印刷すれば自作できるしね」
「公募は続けてる?」
「やめた」
「諦めたってこと?」
「それもあるけど、やっぱり投稿サイトとの出会いが大きいかな」
「そんな違う?」
「全然違う――」
水を口に含んだ瞬間、目が輝いた。
「公募サイズで本を書いていた時は、それこそ映画のような話ばかり書こうとしてたんだけど、はみ出すことが許されないから、ものすごく窮屈で、ある日突然、『私が書きたいのは、こんなんじゃない』って叫びたくなったの。そこで自分はプロにはなれないと思ったけど、清々した――」
受賞が難しい年齢だったはずなのに、激しい心の変遷だ。
「それでサイトに投稿するために物語の構想を練って、実際に書き始めたんだけど、文字数を気にせず書いていいっていうことが、こんなにも気持ちがいいことだと思わなかったの。書くのが楽しくて楽しくて仕方がなかった。それが私の求めている感覚だったから――」
そこで前に聞いた動機に繋がるわけだ。
「読者の方を向いていないから、読まれなくて当然だし、他の人からしたら自己満足にしか見えないだろうけど、書くことで気持ちが落ち着いたり、救われたと感じる瞬間があるんだよね。誰も救ってくれないんだから、どうにかして、自分を救ってあげなければならなかったから――」
時が解決するのを待つではなく、自力で解決させたわけだ。
「書き溜めたものを投稿するのは、心の解放でもあった。本当にすっきりした。ただ物語を完結させるだけでは得られない快感があったの。小説に人生を変える力があるとしたら、それは必ずしも読者に限らなくてもいいと思う。悩みを吐き出すだけでもいいんだよね、私がそうしたように」
その話を聞かせてくれたことを嬉しく感じた。
「やっぱり俺も公募に挑戦してみようかな」
「うん。挫折を経験するのも悪くないもんね」
「落ちるの前提かよ」
「ごめんごめん」
「いや、落ちるだろうけど」
「でもエンタメ志向だから、私よりも向いてるかも」
「それが一文字も書けないんだよな」
「何が引っ掛かってるの?」
質問されると、考えをまとめやすい。
「友子に言われてたから、小説の書き方について自分なりに調べてみたんだけど、なぜかハリウッドの脚本術を参考にしたものが多くて、あとはマンガ家の言葉を参考にしてたり、小説家の創作術を見つけるのが難しいんだ。というか、語りはいいから、プロットを見せてくれって思うもん」
友子が微笑む。
「分かる。長々と説明されるより、プロットを公開してくれた方が、小説家志望にとっては何倍も役に立つもんね。建物の設計図や、料理のレシピに比べて、小説家のプロットって、公開されているものがあまりにも少なすぎる。見れば、こちらで勝手に勉強できるのに、その機会が少なすぎるんだよ――」
友子も同じことを思っていたようだ。
「小説を発表して自作のヒットを望む理由の大部分が、それなんだ。売れると売れないのとでは、説得力に違いがありすぎるもんね。今の私が創作論を語っても、美味しくないレシピを公開しているようなものなんだもん。人が寄りつかない建物の設計図とか、公開するだけでも危険だもんね――」
料理をしない人がレシピを語る時代だけど、友子には抵抗があるようだ。
「出版社に勤める編集者も創作に関するアドバイスを呟いてくれて、それは親切だし嬉しいけど、ヒット作がどのように生まれたのか、企画書の段階から公開してくれた方が有り難いかな。作家さんに取材費を払ってでも、やり取りした会話を公開してほしいけど、難しいんだろうな――」
そういった会話の中に、たくさんのヒントがあるに違いない。
「アニメーションだとドキュメンタリー番組で制作過程を見せてくれたり、ハリウッド映画ではDVDで制作の裏側を見せてくれているのに、小説は執筆過程が分からないもんね。私が目にしていないだけかもしれないけど、知りたいことを知ることができないから、本当にモヤモヤする――」
そういうのも大ヒットが条件なので厳しいのだろう。
「作品の中には、考察させることでリピーターを生み出すから、それがヒットを生む要因でもあるし、商売としては大事なことなのかもしれないけど、私は幼稚だと思われてもしっかりとした解説を聞きたい。だって分からない描写がある小説は、解決編のない探偵小説みたいなものなんだもん」
映画やドラマやアニメでも分かりにくいものがメガ・ヒットすることがある。そういう作品の方が大衆的というのも不思議な話だ。語ることで陳腐と思われるなら、語らない方が得のように思える。
「友子のプロットはどういう感じなの?」
「私の料理は不味いよ?」
「大丈夫、こっちで作り直すから」
「え? ひどい」
もちろん冗談だ。
友子も分かってくれている。
俺も信頼していない人には、こんなこと言わない。
「友子のプロットの書き方を知りたい」
「教えたいけど、そこは流石にヒットするまで我慢しないとね」
勉強熱心な友子のことだから、試行錯誤を繰り返しているに違いない。
「じゃあ、俺にアドバイスできることはない?」
そこで友子が小首を傾げて考える。
俺の一番好きな顔だ。
「調べてみると、プロットを書く人と書かない人がいるのは確かなんだ。でも、書かない人が、本当に書いていないかは分からない。だからこそ、そういう人に自作を詳しく解説してもらいたいんだけどね。だって先の展開が本当に頭の中にないのか分からないもんね――」
好きな本なら、作り方が気になるのも当たり前だ。
「勝手な推測だけど、小説家になるには公募が一般的だった時代があるから、それで必要以上にプロットを絶対視する人が、まだまだ沢山いるような印象を受けるんだ。でも、マンガ家さんが連載を頑張ってくれたおかげで、着地させない方法論も確立されて、見直される時代になったのだと思う――」
需要に応じてプロットの立て方も見直さないといけないということだ。
「プロになったら企画書を立てて、それを会議に通さないといけないらしく、だからプロット作成能力は必須らしいけど、小説投稿サイトが『パイロット版』と呼ばれる試作作業の役割を果たしている以上、作り手側の意識を変えなくちゃいけない時代になった気がするんだ――」
確実に状況が変化したということだ。
「読み手側の意識も変えなくちゃいけないと思っている。完結は望ましいけど、どう考えても、連載を続けている作者の方がお金持ちになってるもんね。収入が絶たれるっていう現実を知っているのに、作者に完結を望むのは、私としても、あまりに自分勝手だと思ってる――」
作者を好きになった経験があると、何も要求できなくなる。
「小説投稿サイトができて良かったのは、全員が全員、山あり谷ありの物語を好んでいるわけではない、っていうことが分かったこと。ストレスフルな作品よりも、リラックスできる作品の方がネットとの相性がいいもんね。結局は、お金を使う読者に市場の流れを決める権利があるんだし――」
ライトノベルがライトと思えない俺のためにあるようなものだ。
「ネット小説はプロットの在り方も変えたと思う。これはマンガ家さんが与えた影響でもあるけど、ドライブ感を楽しむ、っていうのが、エンタメの新たな要素として確立されたからだと思うんだ。週刊で楽しんでいたものが、ネット小説では日刊で楽しめるようになったんだもんね――」
友子が難しい顔をする。
「ハリウッド映画や、アメリカのドラマなど、すでに続編を前提に企画が作られているし、プロットの書き方も含めて、古臭い創作論は、もう、捨てなければいけない時代になったと思う。ハリウッドの脚本術も変わってるはずだし、大昔の出版物は、参考にしてもいいけど、信奉するのは危険かな――」
俺のことを考えてくれてのアドバイスだ。
「私はディズニーが好きだから、『シンデレラ曲線』を取り入れている起伏のある物語を好む傾向があるけど、世の中にある全ての創作物の主人公がシンデレラというのもつまらないもんね。だから『好き』を伝えてもいいけど、『嫌い』は表明したくないんだ。だって、それは誰かの『好き』だから」
表明という言葉を使ったということは、嫌いなものについて話す分にはいいけど、第三者には訴え掛けないということだ。『○○が嫌い』発言を喜ぶ人たちは、所詮は人生に関わりのない人だけだ。そんな人を喜ばすことはない。
「で、俺はどうすればいいんだろうな?」
「それも人称のチョイスと一緒で、何を書きたいかによるんだと思う」
実は、それがよく分かっていなかった。
友子がヒントをくれる。
「ナビのない気ままなドライブをしたいのか、目的地を決めつつ寄り道もしたいのか、山に入って峠を攻めたいのか、平坦な道を気持ちよく走りたいのか、地図のない世界で冒険がしたいのか、設計図通りに家を建てたいのか、すべて自分次第だと思う――」
自分が決めていいんだ。
「小説投稿サイトには『テンプレ』と呼ばれる初期設定があるけど、それに乗っかって遊ぶのも悪くないと思う。腕試しでもあるし、人気があるから『テンプレ』になったわけで、読者のことを考えるなら、素直に需要を満たすために供給するのは大事だと思うから――」
ほんと、友子は否定しない人だ。
「長編が書けないなら、短編を書いてみるといいかもよ? ただし、難易度は変わらないんだけどね。結局、なんでもそうだけど、面白いものを作る難しさって全部同じなんだよ。優劣を語れるのは、すべてに挑戦して、そのすべてで結果を残した人だけ。その人しか比べることができないんだもん」
だから友子は謙虚なのだ。小説を書くことに挑戦して良かったのは、尊敬する気持ちを抱けたからだ。好き勝手に感想を言えなくなったけど、書いてこそ知る、技巧の凄さがある。それを知ることができただけでも儲けものだ。
それよりなにより、小説は友子と出会わせてくれた。ただ知り合うということではなく、同じ趣味で一生語り合うことができるような、そんな出会いだ。これはカホリとは違う出会いである。
願わくば、友子も同じ気持ちでいてくれたらと思う。男女で同じ趣味を持つこと自体は珍しくないけど、こんな田舎じゃ出会えないからだ。だからこそ、大切に思える。




