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六月の友亮

 バレーボールを止めて小説を書くことに専念したいと気持ちが傾いたけど、日曜日を丸一日使っても、千文字も書くことができなかったので、執筆に専念することを諦めた。


 ダメだから諦めたという感じではなく、時間をムダにしてしまうと思ってしまったからだ。そういう負の感情は無視しないようにしている。それは「やめろ」というサインだからだ。


 そのことを友子先生に相談することにした。場所は、自分が頼んだ分は自分で支払うことを条件にして、クリームティーが美味しい『隠れ家』にした。人は居心地の良さに引き寄せられるということだ。


「悩んでいるわけじゃないんだけど――」

 この日もカップルシートで向かい合わせ。

「本当に書けないんだよね。友子には理解できないだろうけど、一行書くのに一時間も掛かる時があって、その一行も、結局は気に入らなくて消してしまうんだ。書き始めた時は気にならなかったのに、今は冒頭から何度も書き直して、しかも、また書き直そうと思ってる」


 友子が視線を落としたまま固まってしまった。

 本人である俺よりも悩んでいるように見える。

 親身になってくれるのが友子だ。

 それがいいのか、悪いのか。


「答える前に聞いてもいい?」

「ああ」

「友亮君が小説を書く目的を知りたい」

「目的……」

 と言われても、答えに困る質問だ。


「なんだろう? 俺の場合、それも人生と同じで、一つじゃないような気がしているんだ。『美味しい物を食べたい』っていう願望と、同じ頭で『その美味しい物を大切な人に食べさせたい』っていう願望も同時に持ってしまうんだ。それは似ているようで、まったく違う――」


 つまらない話を聞かせているかもしれない。


「小説も同じで、俺の場合はどうしても色んな目的を込めてしまうんだ。投稿がパッとしなくて、それで公募にも挑戦してみたかったから、受賞作を手に取ってみたんだけど、俺のは人に読んでもらうレベルじゃないって思って、そっから書けなくなって、投稿作も連載が止まったまま――」


 友子がちゃんと話を聞いてくれている。


「今まで普通に読んでいた本も、読み方が分からなくなって、いや、たぶん、集中できないだけなんだろうけど、今は何も読みたくないし、書きたくもないんだ。それと同じくくらい書きたいって気持ちがあるから、本当に困っているところなんだ。いや、困ってなくて、戸惑ってる感じかな」


 友子が確かめる。

「それで、どうしたいと思ってるの?」


 まるで問診を受けているみたいだ。


「今は、普通に小説が書きたいと思ってる。映画なら一本分でいいんだ。一回でいいから、終わりまで書き上げてみたい。書いた文章を、翌日以降も残せるように、ただそれだけでいい――」


 話しながら頭が整理されていく感覚を得た。


「たぶん俺は、最初から目標を大きくしすぎたのかもしれない。人によってはそれでいいかもしれないけど、公募での受賞って、それって基礎ができている人が持つ目標だもんな。なぜか自分でも、最初から傑作を書けるって思い込んでいた――」


 話を聞いてもらっているだけなのに、悩みが解消されていく感じがある。


「目標は小さくなったけど、今は一冊分の本を完成させてみたい、それだけだ」


 友子が何度も頷いてくれている。

「だったら、私でも力になれるかもしれないな。私は受賞したこともなければ、人気作品を生み出したこともないから、コンテストで受かる方法は分からないんだもん。分かってたら百パーセントの確率で受かってるもんね。だから『ウケる』方法を訊かれたら、返答に困るところだった――」


 そこを有耶無耶にしないのが友子だ。


「実績がないのに得意げに語ったら滑稽だもんね。私が教えられるのは、落選したことと、人気が出ないことの二点だけ。答えに困るというのは、反面教師にはなれるけど、手解きはできないから、それで先に友亮君の目的を聞くことにしたんだ――」


 自分を偽らないのが友子だ。


「ただね、世の中にはプロアマ問わず、教えるのが抜群に上手な人っているから、実績がなくても蔑んではいけないと思う。結局はどんな助言も、最終的に取捨選択するのは自分なんだから、一人でも多くの意見を見聞きした方がいいよね――」


 可能性を狭めないのが友子だ。


「それでも注意しないといけないのが、特に安易にアドバイスできてしまう投稿サイトだと、責任を取らずに書き逃げできるから、自分の好みを押し付けたいだけの書き込みになってしまう場合があるんだ。教えるのが上手な人がいるということは、下手な人もいるわけだから、やっぱり取捨選択が大事なんだよね」


 注意点を忘れずに教えてくれるのも友子だ。


「あの、実は、いや、こんなこと言うと、情けなく思われるかもしれないけど、ほら、メンタルが弱いとか? だから言えなかったんだけど、感想欄で批判コメントを残されて、それで書けなくなったってのもあるんだよな。言葉遣いは丁寧だけど、『慇懃無礼』って言葉がパッと思いつくくらい、失礼なの」


 こんなこと話せるのは友子だけだ。

 考え込ませてしまった。

 そういう時は慎重に言葉を選んでいる時だ。

 愚痴っても良かったのだろうか?

 甘えているだけのようにも思う。

 自分で乗り越えなければいけなかったのではないだろうか。

 励ましてくれることを期待したのかもしれない。


「批判は世の中になくてはならないものだと思う。それは社会の浄化に繋がるから。だからこそ、取り扱いが難しい。正義感が強い人は、批判することで世の中の役に立っていると思うから、正義の鉄槌を下すかのように、誰彼構わず、突撃しちゃうんだよね――」


 間を置いて、慎重に話す。


「批判する人って、自分の正しさに自信を持っている人だから、聞き入れない人を見ると、正しくない人間だと思ってしまうの。正義感が強すぎると、悪いことをしていないのに、反省させたいと思ったり、自分の批判が役に立ったと認めてもらいたくなるんだよね――」


 批判自体は大事だけど、行き過ぎる人は問題というわけだ。


「小説の世界って、すごく複雑で、エンタメと芸術が同居しちゃってるから、エンタメ作品に芸術性を求めるトンデモ批判する人や、芸術作品にエンタメ性を求める人もいて、作者と批判者がマッチしてないことがよく目につく。おそらくエンタメと芸術のブレンド作品が批判者を混乱させてるんだけどね――」


 その配分は作者にしか分からない部分だ。


「でも基本的には、自由に創作できる社会が望ましいように、感想も自由であるべきだと思う。大事なのは、批判する相手を間違えないこと。書き込む前に、自分の批判は見当はずれじゃないか、否定するほどのことなのか、書いた文章を一日寝かせて、それから書き込んでも遅くないと思う――」


 最後の言葉を聞いて分かった。友子の言葉は、俺への忠告だ。おそらくだけど、俺みたいな執筆経験者が、他の作者へ嫌がらせをするようになるかもしれないと、それを彼女は危惧して、前もって注意したのだろう。


「一番いいのは、面白い感想を書く人にも評価、つまりはお金だけど、そういう人たちに正当な対価が支払われることなんだけど、それがうまくいってない。お金を払って評価してもらうことを『ステマ』と呼ばれず、それも効果的な方法と確立された上で、堂々と宣伝できるようになったらいいんだけどね」


 友子はコーヒーがよく似合う。六月だけど、まだホットを飲んでいる。ストローを差したアイス・コーヒーを飲む友子も見てみたかった。ストローは人を愛らしく見せるからだ。


「それで、小説の書き方だっけ?」

「あっ、ああ」


 正直、忘れていた。

 それは、なんとなく、書けると思ったからだ。

 いつの間にか鼻づまりが治っている感じだ。


「小説の書き方か――」

 俺の相談なのに、友子の方が悩んでいる。

「さっき『書いては消して』っていうのを聞いて、羨ましいと思った」


「どういうこと?」

「私はもったいなくて消せないから」

「消さなくていいなら、そっちの方がいいんじゃないの?」

「納得できればね」

「じゃあ、どうするの?」

「書き上げるんだけど、公開せずに、作品ごと封印しちゃう」

「公開しないんだ?」

「自分でも基準が分からないけど、公開に踏み切れない本があるんだよね」

「どんな風に自己分析してる?」


 小首を傾げて、虚空を見つめる。


「引っ掛かる部分があるんだと思う。前に『エタ』の話をしたでしょう? 連載して、自分もエタ作品を持って初めて分かったんだけど、どうしても続きが書けないっていうことがあるんだよね。たぶん、小説投稿サイトって、思った以上に制限が厳しいからだと思う――」


 それは俺も感じている。


「エタる理由は人それぞれだけど、私の場合は、どうしても性描写が必要な展開になったのね。書き始めた時にはなかった展開だから、規約で掲載できないの。そこだけカットすればいいだけなんだけど、どうしても書けない。きっと登場人物に感情移入しすぎるからだと思う――」


 俺にはそこまでの感覚はない。


「他にも小さな女の子が死んでしまう展開を書かなければならなくなった時、途中で書くのを止めちゃった。ネット小説じゃなければエタることはなかったんだけど、傷つく人がいると思うと、書けなくなっちゃうんだ。これが仕事なら書けるけど、お金を払っていない人には、とてもじゃないけど読ませられないから――」


 仕事と割り切ることができないのが素人小説の難しさだ。


「サイトだけではなく、インターネット上で活動していること自体が気を遣うわけでしょう? もう、それだけで人によっては過度なストレスを抱えて生きていることになるの。学校のことを考えると、注意深く活動しないといけないし、連載を続けられるのは、生活に余裕があって、順調な時だけ」


 友子の話を聞いていると、本当に気分が楽になる。これが同じ趣味を持つことの喜びかもしれない。しかも友子は先生だ。俺みたいな生徒でも親身になってくれるから優しい。


「友子は今、どんな本を書いてるの?」

「教えない」


 まったく距離が縮まってなかった。


「読んでもらいたいとか、ないの?」

「ない」


 絶対に踏み込ませないという、強い意志が感じられた。


「友亮君はどんな話を書きたいの?」

 先生には内緒にできない。

「コナンの映画みたいな」

「コナンは私も好きだけど……」

「なに?」

「コナンはコナンとして書かないといけないものだから」

「じゃあ、やめとく」

「うん。他には?」

「ミッション・インポッシブルみたいな」

「そういうのが好きなんだね」

「うん。ムリだろ、ってところから、できる、みたいな」

「どっちも映画だね」

「うん。映画みたいな話を書きたいから」

「それは大変だと思う」

「ムリかな?」

「んん、できる」


 かっこいい顔をした、その表情が最高に可愛かった。


「でも、まったく書けないんだよな」

「ちょっと訊くけど、一人称で書いてないよね?」

「一人称だよ。一人称でしか書いたことないから」

「それは難しいよ」

「ダメなの?」

「ダメじゃないけど、映画のノベライズには向いてないもん」

「そうなんだ?」


 友子が説明する。

「まず前提として知っておかないといけないのは、一人称と三人称に優劣や難易度の差はないということ。あるのは、作品に適した人称をチョイスできるかということ。一人称と三人称はまったく違うのに、異なるものを単純比較する人は、根本的な部分で理解できていないと思った方がいい――」


 どちらも極めるのは至難の業だ。


「早い話、一人称は日記で、幼稚園児でも書けるから、特別な技量は必要ないと思われがちだけど、実際に書いてみて、書けないことがあると知った瞬間、そこで打ちのめされるの。あまりにも制約が多いから、縛りプレイが得意な人か、好きな人しか向いていないと思う――」


 日記は書けても、小説は無理そうだ。


「三人称は正確な描写が求められるから、それだけでハードルが高く感じられるけど、『自由間接話法』という天才的な技術が発明されてからは初心者にも易しくなったと思う。おそらくその発明のおかげで、一人称と三人称でケンカさせる必要がなくなったんだよね」


 そこから先は、一度自分で勉強するようにと言われた。調べてみて分かったのは、どちらも難しいということだ。書くのが簡単だと言える人は、今ごろ大金持ちになっていることだろう。なっていないとしたら、その認識は間違いだ。


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