六月の友子
六月に入ってから、カホリは自転車通学を止めて、バス通学に切り替えてしまったので、友亮と三人で一緒に帰るのも止めてしまった。日焼けするのが嫌っていうのが理由らしいけど、本当のところは分からない。
この日は私の部屋で遊ぶ約束をしていた。部屋に入った瞬間、カホリが大笑いしたのは、小学生の頃と変わっていなくて、それが面白かったかららしい。カーテンをベージュからベージュに変えたので、昔のまんま。
それからベッドの上に寝かせたぬいぐるみを見て笑うのだった。
「なにこれ?」
「ウサギのぬいぐるみ」
「耳がないけど?」
「ある日突然、朝起きたら、耳が千切れてた」
「こわいこわい」
「寝てる時に引っこ抜いたんだと思う」
「こわいって」
「だから耳だけ供養して、傷口を縫ってあげた」
「こわいから」
「だって捨てられないんだもん」
「それが友子だもんね」
「どういうこと?」
「色んな物に心があると思っちゃうんだよ」
そこでカホリが思い出し笑いをする。
「どうしたの?」
「ネギは食べられるようになった?」
「ああ、うん」
「切られたネギが伸びてるのを見て、食べられなくなったんだもんね」
「ちっちゃい頃の話だから」
「動物なら分かるけど、ネギは友子だけだと思う」
「今でも、野菜は生きたまま店頭に並べられているんだ、って思ってしまう」
「かわいそうで食べられない?」
「んん、大事に食べさせてもらう」
「大人になったか」
「背は止まったけどね」
それから床にペタンと座り、向かい合うではなく、横に並んで、中学校の卒業アルバムを開いて、紅茶を飲みつつ、指を差して説明しながら、一時間は喋り倒した。喋り終わった後、カホリとはずっと喋っていられると思った。
次の日も、カホリが私の部屋に寄りたいと言い出した。こういう時って、自分からは話を切り出しにくい話があるものなので、仕方がないから、私が興味を持っているという体で、相談に乗ってあげることにした。
ドストエフスキーとか絶対に興味がないはずなのに、本棚から取り出してパラパラとめくるものだから、笑いそうになってしまった。たぶん、照れるような話だから、私としても恥ずかしがらずに聞いてあげることにした。
「友亮君と上手くいってないの?」
「どうしてそんなこと聞くの?」
と言いつつ、読みもしない本を閉じて、ベッドの上にちょこんと座った。
持っていたクッションを取られたので、枕を膝の上に載せる。
「なんとなく、ギクシャクしてるように見えるから」
「ギクシャクではないかな?」
「じゃあ、なんで距離を置いてるの?」
「そう見える?」
「見えるよ。襲われでもした?」
冗談のつもりだったのに、真剣に首を振るのだった。
「え? 嘘だよね?」
「いや、襲われてはいないけど、すごい、キスしたそうにしてる」
それを嫌そうに言うものだから、理解できない。
「キスしたくないの? 好きなんだよね?」
クッションをギュッとする。
「したいよ、っていうか、夏か秋にはすると思う。ほら、今がちゃんと付き合い始めてから三ヶ月で、九月で半年だから、友亮はそういう節目をちゃんとしたい人だから、今がキスするタイミングだと思ってるんだよ」
友亮がそういうことを考えている人だとは思わなかった。
「何が怖いの?」
カホリが否定する。
「怖いんじゃなくて、嫌なんだよ。キスとかしたら、男子って絶対に喋るよね? 友だちじゃない人にもペラペラ喋るんだよ。それは耐えられない。なんか、今まで感じなかった視線とか感じるようになるんだもん」
そんなことをする人には見えない。
「友亮君が喋ると思う?」
そこでカホリが少し考える。
「喋らなくても、質問されると顔に出るタイプだから」
それはある。
「でも、卒業まで順調に付き合うとして、三年もエッチしないの?」
クッションに顔を埋めてしまった。サバサバしているように見えるのは見た目だけで、実は私よりも乙女だったりする。私は本を読むから性に対して意外とドライで、カホリの方が初心だったりするわけだ。
「……したいけど、してしまうと後悔しそうなんだよね」
これは埒が明かない話だ。
「友亮君と話し合ってみたら? それしか解決方法はないと思う」
「そうだよね、分かった――」
そこで手を握られた。
「一緒に話をしてくれる?」
「え? なんで?」
「今みたいに質問してくれるだけでいいから」
「自分でしなよ。カホリのカレシなんだよ?」
「最初だけでいいから」
ということで、なぜか私も話し合いの場に同席することになった。
翌日の放課後、学校帰りに三人でよく立ち寄っていた公園で話をすることにした。ウチの近所だけかもしれないけど、今は子どもの姿を見掛けないので、二脚並んだ、庇のあるベンチを独占することができた。
一つのベンチにカップル二人が座って、私は一人で腰掛けた。下校中と同じように、並びはカホリが真ん中になるような形。久し振りに来たら、ナナカマドの木に白い花が咲いていた。
「で、話って、なに?」
友亮はカホリに尋ねたのに、彼女は私の方を見る。
「質問があるんだよね?」
ズルい。
「私なの?」
「友子でしょう?」
二人で私のことを見ている。
友だちのためとはいえ、こんなことまでするだろうか?
でも、大事なことだ。
「友亮君は、カホリとのセックスについて、どうしたいと思ってるの?」
「え?」
と言って、友亮がそのまま固まってしまった。
「カホリのことをどれくらい大切に思ってるのか聞きたいの」
それは本当に知りたいことだった。
そこで友亮が深呼吸した。
カホリが緊張している。
私は既に開き直っていた。
今は友亮の言葉を待っている状態だ。
その間にも、彼は何度も深呼吸を繰り返すのだった。
やがて、重たい口を開く。
「俺は、もう、しばらく前から、カホリとキスをしたいって思ってた。でも、それと同じくらい、まだ、したくないって思ってるんだ。どうしてかっていうと、これから一生付き合っていくのに、いまキスをしてしまうと、キスをしていなかった期間が、三ヶ月しか経験していないことになるんだ――」
声が震えているのは、勇気を振り絞っているからなのかもしれない。
「俺は、キスをする前のカホリを、もっと知りたい。もっと見ておきたいんだ。きっと、今しか見ることのできない表情がある。それを目に焼き付けて、心に仕舞っておきたいんだ。だから、まだキスはしない」
二人が見つめ合っている。
よく見ると、手を握り合っていた。
しかも指と指を絡めた恋人繋ぎだ。
カホリを見る友亮の目が優しい。
「俺は、カホリが望んだ時に、キスがしたい。それが一番、幸せな気持ちになれるから。それまで、百年だって、二百年だって、待っていられる。だから、怖がらなくていい。俺はカホリを傷つけないから」
正直、羨ましいと思った。
カホリが握られた手を振ってみる。
まるで固さを確かめるみたいに。
握られた手は解けなかった。
カホリが尋ねる。
「もしもキスをしたとして、みんなに言ったりしない?」
「言わない――」
即答した。
「誰にも教えてやらないんだ。カホリとキスやセックスができるのは俺だけなのに、どうしてわざわざ自分から、カホリが嫌がることをして、その許可を手放さなきゃいけないんだ?――」
カホリが『セックス』という言葉に照れる。
「俺は死ぬまでカホリとキスやセックスをしたいと思っている。そのためには絶対に、嫌がることや、怖がらせるようなことはしないんだ。カホリは俺だけのものだから、他の奴らには想像すらさせない」
カホリが頷いたということは、その説明だけで充分なのだろう。
友亮が続ける。
「他にも、変な書き込みなんかしないし、変な画像も撮らない。そういうのから、守ってあげるのが、付き合うってことだから。心配させるんじゃなくて、俺はカホリを安心させられるような存在でありたいんだ」
カホリのことを強い人だと思ってた。
だけど、違う。
カホリを強くさせていたのは、友亮だ。
「カホリは俺だけのものだけど、俺もカホリだけのものだから、何か不安を感じたら、ちゃんと口にしてほしい。話し合いもせずに、すれ違うのは絶対に嫌だから」
私を間に挟む必要はないって言ってるように感じた。
カホリがカレシの目を見る。
「友亮が友亮で良かった」
私には意味が分からなかった。
でも、言われた友亮は頷いている。
たったそれだけの言葉で気持ちを理解したということだろうか?
やっぱり私には理解不能だ。
「帰ろう」
そう言って、友亮がカノジョの手を握ったまま立ち上がった。
それに合わせて、カホリも黙って立ち上がる。
立ち上がる私に、友亮が声を掛ける。
「今日は俺もバスで帰るから、チャリを預かってくれないか?」
カップルが二人して私を見ている。
「いいけど、盗まれても弁償しないから」
「分かってる」
なんか、今日は納得いかない。
「荷物を預かるだけでもお金を取れる世の中なんだからね」
その言葉に、二人が同じような笑い方をするのだった。
今日は二人と一緒にいても、ちっとも楽しくない。
顔に出たのか、そんな私を見て、カホリがすまなそうな顔をする。
「今度、何か奢るから」
「じゃあ、駐輪料金として、ちゃんと計算しておく」
その言葉にも、なぜか二人して笑うのだった。
意味が分からない。
本当に、意味が分からなかった。
その日の夜、なぜか友亮のことを考えてしまった。ご飯を食べている時も、お風呂に入っている時も、歯を磨いている時も、考えたいわけじゃないのに、どうしても頭から離れない。
きっと、公園で彼の話を聞いている時、一瞬だけカホリのことを羨ましいと思ってしまったからだと思う。そんな風に思わなければ、こんなにも考えることはなかったはず。
私も付き合うなら、ちゃんと話し合いに応じてくれる男の人がいい。それだけで、ちゃんと向き合ってくれる人なんだって思えるから。そういう意味でも、友亮は理想的な男性だと思ってしまった。
考えてみれば、私とカホリは友だちで、友亮もカホリを大切に思っているのだから、むしろ私と友亮の方が似た嗜好や趣味を持っているということになる。よって好感を抱くのは当然だ。
それが高校一年生の六月の出来事です。思わせぶりに書いたけど、考えただけであって、カホリと友亮の仲を壊そうなんて思っていません。ただ、頭で思ってしまったことを書いただけです。