五月の友子
学校の教室って、おもしろい空間だと思う。入学当初は同じ中学出身の子たちで固まるんだけど、元々それほど仲が良いわけではないから、すぐに気が合いそうな子たちで分かれてしまう。
見ていると、同じテンションというか、ノリが一緒であることが大事みたい。やっぱり大人しめの子は、大人しい人と一緒にいることで落ち着くことができているように見受けられるから。
男子も同じ。オシャレな男の子は、やっぱり同じ趣味を持つ人で固まる傾向がある。いつまでも小学生みたいな子は、やっぱり一緒にバカ笑いできる男の子と一緒にいたりするし。
一人だけ、朝から夕方まで、ずっと一人でいる男子がいる。休み時間も、机に突っ伏して寝るわけでもなく、ずっと床を見つめて考え事をしている。一言も声を発しないのに、実は一番目立っているという、不思議な男の子。
そういう、孤独でいることに抵抗のない人が教室に一人でもいると、ものすごく安心できる。グループに溶け込まないといけないという同調圧力を、その人が、たった一人でぶち壊してくれているから。
そういう人が、私にとってのヒーロー。たぶん、彼はそんな風に思われているとは思ってない。彼は彼で苦しんでいるかもしれないし、いつ学校を休みがちになるかも分からない。
だから私も、彼を応援するというわけじゃないけど、休み時間だけは一人で本を読むことにしている。私も独りで過ごすことで、彼の負担を軽減させることができると思うから。
教室って、そういう空間。ちゃんと作ろうと思えば、できなくはない。色んな人が普通に通える、それだけでいい。彼が卒業証書を受け取れるように、私も孤独でいることを怖がらないように過ごす。
カホリはというと、彼女はとにかく人気があるので、彼女を中心に輪ができる。二人か三人で固まっている人たちにも積極的に声を掛けて、体育の授業などを楽しく受けやすくする。
彼女のような人が、私にとってのヒロイン。私は彼女が、本当は気疲れしていることを知っている。疲れても社交的でいるのは、身近でイジメが起こって、それで悩むよりずっとマシだからで、小学生の頃からそうだった。
そんな彼女を、放課後の教室で独り占めできている幸せ。
「友子、知ってる?――」
五月に入って、やっと春光を感じられるのが北海道の教室。でも、朝夕は寒いので、まだまだ冬用のカーディガンを手放せない。カホリは淡いブルーで、私はホワイト。
「東京に進学するとね、ちょっと話しただけで地方出身だってバレるらしいよ」
「北海道は方言がユルい方だと思うけど?」
「逆だよ、逆、標準語がストレートすぎるんだって」
「どういうこと?」
「友子はテレビを観ないから分からないと思うけど、東京の人って、『ちがくね?』とか、『ヤバいんじゃね?』とか、語尾のイントネーションが上がるんだよ。たぶん、ウチらよりも訛りがキツいと思う」
カホリが時々おかしな言葉を使うのはその影響かもしれない。
「聞いたことあるけど、あれって、みんな使ってるの?」
「ああ、知ってたんだ?」
「テレビは観ないけど、まったく観ないわけじゃないから」
「みんなかどうか分からないけど、読モ系はよく使ってる」
「おそらくだけど、それは方言ではなく、若者言葉に分類されると思う」
「でも、三十過ぎたお笑いの人も使ってるよ?」
「使ってる人は、自分のことを若いと思ってるんだよ」
それが若者言葉の怖さであり、大人にとってはイタさだ。
「ああ、そっか、ウチらが使う頃には恥ずかしくなってるかもね」
「カホリはいいけど、私は似合わないかな」
「そう?」
「うん。言葉遣いって、コーデみたいなものだから」
「ああ、なるほど、ファッションにも合わせてるわけだ」
「うん。たぶん、着る服や場所によって、言葉遣いも変わると思う」
「変えなくちゃいけないんだよね」
「うん。だから、悪いっていうことじゃないんだよね」
「そうそう、色んな言葉を身に付けないと可能性を狭めてしまうもんね」
「うん。だから先生も私たちに言葉遣いを注意するんだと思う」
「待って、ぺーがそこまで考えてると思う?」
ぺーとは、似ている芸能人の名前で呼ばれている学年主任の先生のことだ。二十年前からそう呼ばれているらしく、それが現在まで変わらずに続いていると聞いた。
「考えてないか?」
「考えてないよ」
「考えてるわけないよね」
「考えてるわけがない」
カホリとは共感しながら会話ができるので、本当に気持ちがいい。
そこへ、悩まし気な顔をした友亮が教室に入ってきた。
「あれ? どうした? 練習は?」
カホリが尋ねるも、友亮は答えにくそうにしている。
彼女も不審に思ったのか、問い詰める。
「なに? どうしたの?」
「いや、あの」
と、はっきりしない。
カホリが急かす。
「ハッキリ言って」
友亮が大きく息を吐き出す。
「三年の先輩が、友子を紹介しろって」
「は? なに言ってんの?」
私の代わりに、カホリが怒った。
「『とりあえず走れ』って言われて」
「それで言われるがまま走ってきたんだ?」
「一応、先輩だから」
「ゴミだよ、ゴミ、そいつはゴミ!――」
本当はもっと酷い言葉で罵ったけど、変えておく。
「練習しないで、なにしてんの?――」
カノジョから子どものように怒られている友亮が面白かった。
「それで、友子をどうするつもり?」
カレシが即答する。
「どうもしないよ」
「その先輩にはなんて言うの?」
「『断られました』って」
カホリが小さく笑う。
「言える?」
「うん。『先輩のこと話したら、興味がないって言われました』って」
カホリが愉快そうに笑う。
「いいね。『顔面がムリ』って言ってやろう」
「うん、まぁ、そういうことだから」
と言って、友亮が教室を後にした。
いい機会だから、尋ねてみる。
「カホリは、友亮君のどこが好きなの?」
その瞬間、急に乙女の顔になった。
「もう、全部だよ――」
恥ずかしそうだけど、すごく真剣な目。
「さっきの見たでしょう? わたしが怒ってもね、全部受け止めてくれるの。聞き流して欲しい時は、ちゃんとそうしてくれるし、一緒にいたい時と、放っておいて欲しい時の気持ちを、全部分かってくれてるんだ――」
友亮が立っていた戸口を、いつまでも見ている。
「『ああ、この人と結婚するんだ』っていう人と、中一で出会った感じかな。嬉しい時や楽しい時だけじゃなく、苦しい時や悲しい時も一緒にいたから、『この人となら、ずっと一緒にいられる』って思った――」
そこで微笑む。
「それと、バカなんだよね。嘘がつけないの。本当のことしか言えない。ちゃんとね、相手に悪いことをしたって思える人なんだよ。人を傷つけたことに、ちゃんと痛みを感じられる人なの――」
それは意外と、当たり前じゃない。
「そういう人って、決まって損をする世の中だし、期待よりも不安の方が大きいんだけど、いざとなったら、わたしが何とかすればいいんだし、ただ、甘えさせるとダメ男になりそうだし、そこが難しいよね」
だからカホリは勉強を頑張っているわけだ。
友亮が所属するバレーボール部はテストが近くなると休部するらしく、だから同好会とも呼ばれているけど、そういうこともあって、テストが終わるまで時間的に余裕があるので、放課後に公園で話をすることにした。
私とカホリが二人掛けのベンチに座って、友亮は芝生の上であぐらをかく。そこは小学生の時に、引っ越す前のカホリと一緒に遊んでいた公園なので、とても懐かしかった。
「友子、探偵君のこと憶えてる?――」
カホリも昔を思い出していたようだ。
「わたしは今も、悪いことしたかなって思ってるんだよね」
「いや、私は感謝してるから」
「でも、向こうには嫌な思いをさせたかなって」
「探偵君って?」
尋ねたのは友亮だ。
カホリが説明する。
「小学校四年生の時に、学校帰りに友子の家までついて来る男子がいたの。たぶん好きだったんだと思うけど、ちょっと、あまりにも怖くて、それで、わたしがみんなの前で注意しちゃったんだよ。それで止めてくれたけど、それから『探偵君』って呼ばれるようになって、からかわれるようになったんだよね」
友亮が納得したように頷く。
「だから今も友子を家まで送るようにしてるんだ?」
「地方は良い人が多いけど、変質者も多いからね――」
そして、捕まりにくい。
「でも、探偵君にとっては初恋だったのかなって」
友亮が否定する。
「それは恋じゃない。相手を怖がらせている時点で、恋でも愛でもないから。脅しとか脅迫の類だよ。近所を意味もなくウロウロしている時点で犯罪行為なんだから、小学生とか関係ないし、カホリが悪く思うことはない――」
強い言葉で庇ってもらえたので、カホリが嬉しそうだ。
「悪くないどころか、いい判断だったと思う。これがみんなの前じゃなく、一対一で注意してたら、怪我を負わされていたかもしれないんだ。逆上したら、何をされるか分からないんだから、子ども同士でも油断しない方がいいんだ。だからカホリの対処は正しかった」
そこで妙な間ができた。
友亮がベンチに座るカホリを見上げる。
「なに、黙って見てんの?」
「いや」
「なに?」
「そういうこと考えてる人だと思わなかったから」
「バカにしてんだろ?」
「ごめん、本当に意外だったから」
「いや、でも、間違ってない――」
友亮がカホリを真っ直ぐ見つめる。
「カホリと付き合ってなかったら、何も考えてなかったと思うから。付き合ってから、本当に、カホリのことばかり考えるんだ。常に、いま何してるんだろうって。怪我をしたらどうしようとか、病気になったらどうしようとか、歩けなくなったらどうしようとか――」
少し間ができたけど、口を挟める感じじゃない。
「その時に、俺はどうすればいいかって考えるんだ。ありとあらゆることを考えて、実際に何か起こっても、ちゃんと冷静に動けるように考えておきたいんだ。だから、カホリの身に何が起きても平気だからな? 俺がカホリの力になるから、カホリは安心して生きろ」
カホリがジーンとしてる。
それを見て、友亮が今さら照れ臭そうにする。
「あの、でも、こういうのって、得てして反対になることがあるから、俺の身に何かあったら、その時は頼むな。どっちかっていうと、俺よりカホリの方が頼りがいがあるし」
カホリがふくれる。
「もう、台無し――」
と言いつつ、顔は笑っている。
「オチとかいらないから――」
嬉しそう。
文句を言われている友亮もニコニコしている。
「ホント、センスない」
芝生に座るカレシを見下ろすカホリが本当に幸せそう。
それが高校一年生の五月の出来事です。日記のつもりで書いているのに、気がついたら、友だちのことばかり書いています。特に何も起こらないと思いますが、これからもよろしくお願いします。