二月の友子
どうしても先に書いておかなければならないことがあった。それは私が片方の手袋を失くした時、放課後一人で探している私に、来栖先輩が声を掛けてくれて、一緒に探してくれたことを。
結局、先輩が「先に職員室に行ってみるといいよ」と言って、実際にすぐに見つかったけど、困っている私を見て声を掛けてくれた先輩の顔を思い出すと、どうしても胸が締め付けられた。
それは数か月前、この日記にも書いたけど、友だちと二人で来栖先輩の悪口を言って盛り上がってしまったからだ。私は近い将来、困っているところを助けてもらった人の悪口を言ってしまったということになる。
そのことを思って、その夜、泣いてしまった。申し訳ない気持ちと、自己嫌悪と、自分の頭の悪さ、心の弱さ、そういったものを一度に全部感じてしまって、悔しくて仕方がなかった。
そのことをカホリにも話すと、一緒になって落ち込んでくれた。私のように一人で泣いたかどうかは分からないけど、悪いことをしたと思ってくれたことで、少しだけ救われた気になった。
それでも、二人で来栖先輩に謝りに行くことができなかったので、今も後悔はある。謝りに行かなかったのは、悪口を言ったことを、わざわざ本人に伝えるのも違うと思ったし、私たちが一生後悔し続ければいいだけだからだ。
それと助かったのは、悪口がネットの書き込みじゃなかったこと。削除はできても、本人の目に触れた可能性がゼロではない時点で、直接的に害を及ぼしたことになるからだ。
そうなると直接謝らなければ気持ちを落ち着けることはできなかったし、心の痛さは今の比ではなかっただろう。同じことのように見えて、公衆を巻き込むと大きな違いとなってしまう。
インターネットは常に公衆の面前であると教えられた。社会に出ているのと同じだときつく言われた。匿名が匿名でないことを教えてくれたのも、すべてお母さんだ。
私自身は人の悪口を言ってしまうタイプなので立派な人間ではない。恵まれていたのは、周りにちゃんとした大人がいたか、いなかったかの違いでしかなかった。それが大きな違いだったりする。
話は変わって、今年のバレンタインデーは月曜日ということもあって、クラスの一部の女子がうんざりしていた。日曜日だった去年は喜ぶ子が多かったので、その差が顕著に表れていた。
私はこれまでの人生で一度もチョコレートをあげたことも、あげようと思ったこともないので関係ないけれど、中には義理チョコをたくさん配る子もいるので、本当に大変そうだと思っていた。
今年は、なぜかカホリと友亮のデートに私も誘われてしまった。正直、この一年、普通のカップルがバカップルになる経過を見せられてきたようなものなので、二人のデートに付き合わされることに辟易していた。
だけど、カホリが「どうしても」と言うから、仕方なく付き合ってあげることにした。デートといっても、放課後の空き時間に付き合うだけだからいいけど、そうじゃなかったら断っていた。
外は寒いし、公園で話をするのは懲りたので、結局は誰もいない教室で話をすることにした。そこでカホリがカバンから包みを取り出して、友亮だけではなく、私にまで手渡してくれるのだった。
「で、わたしには?」
カホリからの、まさかの催促だった。
「ないけど」
「嘘でしょ?」
「嘘じゃないよ」
「嘘だよ」
「え? なんで?」
なぜか私よりもカホリの方が驚いている。
「だってバレンタインデーだよ?」
「だって、あげる人いないし」
「わたしは?」
「友だち同士で渡す?」
「渡すよ、『友チョコ』って知らないの?」
「知らない」
「嘘でしょ?」
「そういうの、もう古いでしょう?」
「古いとかじゃないから」
ほんと、しつこい。
「じゃあ、ホワイトデーにお返しするよ」
「うわっ、すっごい面倒くさそう」
「面倒くさいよ」
「言うんだ?」
「私ははっきり言うよ」
「信じらんない――」
と言いつつ、友亮にも同意を求める。
「バレンタインデーに約束してたら、フツーはチョコ用意するよね?」
「いや、俺は男だから、そういうのは分からない」
「え? わたしがおかしいの?」
「いや、変わってるのは友子の方だと思う」
友亮が雰囲気に流された。
「だよね」
それでカホリは満足するのだから、どうしようもない。
「まぁ、いいや、これでホワイトデーにお返しをもらえるのは、わたしだけだもんね。二人とも忘れないでよね」
そこで尋ねてみることにした。
「お返しは何がいいの?」
「そこは自分で考えてよ、ほら、わたしは手作りチョコをあげたんだし」
「自分で作ったんだ?」
「うん。開けてみて。みんなで食べよう」
結局、自分も食べたいから集められたわけだ。
友亮が包みを開封する。
「おぉ、スゲェ」
「ふふん」
カホリもカレシのリアクションに満足だ。
私も真似して大袈裟に驚いてあげないといけないから面倒だ。
「すごいね」
「それだけ?」
リアクションが不十分だったようだ。
「本当に凄い」
「昨日がんばったもん」
それから、たぶんトリュフだと思うけど、それを三人で食べた。友亮が絶賛するから、私も同じくらい絶賛しないといけなくて、それが本当に面倒くさかった。市販品の方が美味しいけど、流石にそれは冗談でも言えなかった。
私は奢られるのが嫌いだから断ったけど、友亮が売店の自販機に飲み物を買いに行ったので、束の間、カホリと無人の教室で二人きりになった。そこで改まった。照れ臭いのか、横を向いて座ったままだけど。
「バレンタインデーは恋人の日だけど、こういう時でもなければ、ちゃんとお礼も言えないから言うけど、友子には本当に感謝してるんだ。来栖先輩のこともあるけど、それだけじゃなくて、色々と相談に乗ってもらったり、お家に泊めてもらったりとかね――」
それは私も同じだ。
「でも、一番は、三角関係にならなかったこと。友子も自分で言ってたけど、恋愛って分からないもんね。なのに、友子は本当に友亮のことを好きにならなかった。他の人の話を聞くと、人間不信になるようなことも平気であったりするもんね。だから友子には感謝してるんだ。ありがとう」
説明がすごく難しい問題だ。
「それはね、実際に三角関係で悩んでいる人がいて、傷ついている人もいるだろうから、そういう人には聞かせられないけど、こんなことを言うと、傷口に塩を塗ることになるから、本当は言ってはいけないことなんだけど、結局のところは、カホリのおかげなんだと思ってる――」
彼女とはちゃんと話しておきたい。
「正直に言うとね、羨ましいと感じた瞬間は何回かあった。でも、カホリと友亮君を比べた時に、常にカホリの方が大切だと思っているから、好きにはならないんだよね。恋愛映画を観て『いいな』って思う感覚で終わってしまうの。やっぱり私にとっては友だちのカレシなんだよ――」
恋愛感情はない。
「だからこっちが感謝したいくらいなんだ。カレシができても話をする時間を作ってくれたり、今日みたいな大事な日でも誘ってくれたり、カホリの中に私がいるんだって、ちゃんと思わせてくれるもんね。だから、こちらこそ、ありがとう。……って言っても、少しだけ面倒なところがあるけどね」
そう言うと、カホリが笑ってくれた。
「わたしたち、十年後も変わってなさそう」
「予定より早く子ども産んでそうで心配になるんだけど」
「友子はカレシを作らなそうで心配だけどね」
「お母さんにも言われた、それ」
「あのママが原因だと思うけど」
「じゃあ、そう言っとく」
「ダメダメ、コワいから」
笑っていると、そこへ友亮が戻ってきた。カホリにホットココアを手渡して、自分用に買ってきた黄色い炭酸飲料を飲んだ。チョコを食べた後に飲むものじゃないと思ったけど、口にはしなかった。
「なに話してたの?」
カホリが悪戯っぽく微笑む。
「三角関係について」
「誰の?」
「わたしたちの」
「はっ?」
そのリアクションを見て、カホリが喜ぶ。
「『は?』じゃないよ、周りからはそう思われてるかもしれないんだから」
そこで友亮が登壇した。それからカップを机の上に置いて、チョークを手にして黒板に向かう。そこで線で繋げば正三角形になる点を三つ書いて、私たちに向き直り、語り出す。
「三角っていうのは見ての通り、点を直線で結ぶと三角形になるから、文字通り角ができる。『角が立つ』って言葉はいい意味で使われることはないから、三角関係に対して良いイメージを持ちにくいのは当たり前だ――」
そこで三角形の隣に、同じ点を三つ書く。
「だけど人間というのは、伸ばした腕をいくらでも丸めることができるんだ。そして、その曲げて伸ばした腕を隣の人間と繋ぐことも可能だ。そうすると、角のない円を描くことができるんだよ――」
話しながら、三角形の隣に円を描いた。
さらに、人間に見立てた丸を三つ並べる。
「こうして線上に並べてあげれば、一緒の道を目指すことだってできる。人間というのはいくらでもバランスが取れるし、いくらでも身体の向きを変えられるんだ。三人だからって、必ずしも三角形になるわけじゃない――」
三つ並んだ丸を見て、下校中の自分たち三人を思い出した。
「それは四人になろうと、五人になろうと変わらないことなんだ。角が立つようなら、伸ばした腕を曲げてやればいいじゃないか。角を作らない方法なんて、いくらでもある――」
そこでチョークを戻して、机に手を置く。
「つまり何が言いたいかというと、俺はカホリのことが好きだ」
カホリが恥ずかしがる。
「いきなり、なに言ってるの?」
友亮の方は平然としている。
「一回、教室で思い切り気持ちを吐き出してみたかった」
「なに、そのプレイ? みんなの前では止めてよね」
「いや、全校生徒の前で叫びたい欲求がある」
「もう、ほんと止めて」
と言いつつ、嬉しそうにするのだった。
いい雰囲気を壊して申し訳ないけど、私には気になることがあった。
「三角の話だけど、誰からの引用?」
「全部アドリブだよ」
私よりも物書きに向いているかもしれない。
「自分流の方程式だ」
すかさずカホリが突っ込む。
「式と解の繋がりがメチャクチャだけどね」
「人間は時々超越してしまうということだ」
「意味が分かんない」
私は友亮の言葉にショックを受けた。私には、どう頑張っても、発想を飛躍させることができない、何かがあるからだ。蓋をされているような、閉じ込められているような、そんな閉塞感だ。
でも、友亮にはそれができる。なぜできるのかは分からない。私もいつか、「アキレスの亀」を軽々と飛び越えていけるような跳躍ができるのだろうか? それともパラドックスに縛られたまま人生を終えてしまうのだろうか?
それが高校一年生の二月の出来事です。日記ブログを書き始めてからもうすぐ一年になりますが、振り返ってみると、自分のことよりも友だちのことばかり書いていたような気がします。
一年生最後の一か月は、春休みに入るので時間もありますし、もう少し自分のことについて書いてみたいと思います。読んでいる人がいるか分かりませんが、これからもよろしくお願いします。




