四月の友亮
前に一度、匿名でブログを開設したことがある。でも自己紹介をしただけなのに、コメント欄で「死ね」と書かれたので、すぐに閉鎖した。だけど活動を止めるのはシャクなので、違う場所で始めてみる。
感想欄に規約が設けられているサイトがいいと聞いたことがあるので、適当なところを探して投稿することにした。なぜ創作、いや、日記を始めようと思ったかは後で書くとして、まずは自己紹介からだ。
基本的に、出会った人の数だけ、それぞれの自分がいると思っている。気分が落ち込んでいる時の俺しか知らなければ暗い人だと思うだろうし、笑っている俺を見た人は、明るいとか、悩みがなさそうとか思うことだろう。
普段は一切怒ることがないのに、一度でもキレてしまうと、いきなり怒りだす人としてインプットされてしまう。全部自分には違わないけど、そのどれもが違うように思うのも確かだ。
だから自分の言葉で、自分を表現してみたいと思ったのかもしれない。しかも、下の名前だけだけど、ちゃんと本名を晒して活動する。それくらいしないと、つい嘘をついてしまいそうになるからだ。
それと友子の影響もある。実際に読んだことはないけど、ノンフィクションに近い形で、どこかのサイトに小説を投稿していると聞いたことがあるからだ。それを真似してみたいと思ったのが、一番の理由かもしれない。
友子と会ったのは、バレーボールの練習があった休日の夕方、具体的な場所の記述は避けるけど、ショッピングモールの中にある本屋だ。友子に似ている人がいると思ったら友子だったので、一人ですたすた歩く彼女を追い掛けた。
でも、自分から声を掛けることはできなかった。それはなぜかというと、なんて声を掛けていいのかまったく思いつかなかったからだ。思えば、出会ってから一度も二人きりで話したことがないと、今さらながら気づく始末である。
「あぁ……」
通路で目が合った瞬間、息を漏らして、友子が軽く会釈をした。たった、それだけ。すぐに目を逸らして、他のスペースに移動するのだった。遠ざかる背中を見つめるも、振り返ることはなかった。
正直、びっくりした。これほどまでに反応が薄いとは思わなかったからだ。奇跡に歓喜しろとか、再会に涙しろとか、流石にそこまでは思わない。でも、普通に会話するくらいはあっても良かったはずだ。
帰り道、自転車を漕ぎながらも考えていた。やっぱり、どう考えても、無言での素通りはおかしい。もう少し、俺に興味を持ってくれてもいいはずだ。妙に腹が立っているのは、それが理由かもしれない。
でも、しばらくしてから、ちょうどお風呂に入っている時に、思い直すことができた。よくよく考えてみると、友子に声を掛けなかったのは、俺も同じだからだ。
軽く会釈をして、無言で素通りしたのも同じなのに、俺は傲慢にも友子だけを責めてしまった。責めるなら自分も責めるべきだし、そもそも、責めるようなことではない。
心のどこかで、自分は相手から声を掛けられて当然の人間だ、という自惚れた気持ちがあったのだろう。そんな驕りがあるから、悪くもない友子に腹を立ててしまったのだ。
何者でもない自分に、どうして価値があると思ったのだろうか。黙っているだけで異性からモテるって、そんなはずがない。特に、友子のような可愛くて綺麗な人が、俺に興味など持つはずがないのだから。
友子を初めて見た時、正直、それまで見てきた女の人の中で、一番美しい人だと思った。でも、不思議と恋愛感情は抱かなかった。それはカホリの存在があったからだ。いや、過去形ではなく、今もそう。
互いに声を掛け合わなかったのは、やはりカホリへの気持ちがあるからだ。彼女への気持ちを断ち切れるほど、誓いの言葉を破るほど、俺は薄情な人間ではない。自分を見損なわないためにも、カホリへの思いは貫かなければならない。
翌週の土曜日も、バレーボールの練習終わりにショッピングモールに立ち寄ることにした。買い物は好きじゃないので、目的はそれじゃない。はっきり言うと、友子に会えるんじゃないかと期待してだ。
といっても、変な気持ちはない。単純に聞いてみたいことがたくさんあったからだ。なんといっても、友子は中学生の頃から執筆活動をしていたというので、創作について、じっくりと聞いてみたかったのだ。
「ああ、友亮君」
本屋で顔を合わせると、この日は名前を呼んでくれた。名前といっても、本名は晒せないので、実際は苗字に君付けで呼ばれただけだ。それでも人類が二足歩行に移行したような進化を感じられた。
「あの、ちょっと相談したいことがあって」
返事をするまで時間があって、あからさまに断る理由を考えていそうだったので、先に「小説について教えてほしいことがある」と言って、「ちょっとだけなら」ということで、遊技場のある屋上ベンチに腰を下ろした。
フードコートやカフェに移動しなかったのは、小説の話を人に聞かれたくないからだ。恥ずかしがるような話ではないけれど、盗み聞きさせるには、もったいないと思ったからである。
「友子は今も小説を書いてるの?」
俺は彼女を下の名前で呼ぶと決めてきた。
「それは教えない」
ということは、現在も投稿を続けているということだ。
「人に読ませたくないものを書いてるってこと?」
「日記みたいなものだから」
「だったら、投稿する意味は?」
友子がゆっくり考える。その間というか、行為そのものが嬉しかった。ちゃんと考えて答えようとしてくれているからだ。答えを急かすなんて、もったいなくて、俺にはできない。
「今は投稿で溢れている時代だから、数十万、アカウントの数え方によっては数百万人はいると思うけど、全員が同じ動機を抱えているなんて有り得ないんだよね。特に、本を書いたことがある人なら、色んな理由を想像したり、察したりすることができるから、尚更そう思う――」
俺の質問は愚問だったわけだ。
「何か、一つか二つ、それらしい理由を並べて、例えば自己顕示欲とか、承認欲求とか、そういった分かりやすい言葉で、すべての投稿者の動機を決めつけようとする人は、断定することですっきりするからなんだと思う。つまり断定する行為には快感があるということ――」
軽く質問しただけなのに、答えが重い。
「快感というのは、すごく重要なキーワードだと思うんだ。なぜなら、それこそが他人には理解できない理由だと思うから。もちろん、快感の種類によっては多くの共感を得られるものもあるだろうけど、それでもやっぱり、他人には理解できないツボがある――」
動機を知るには、その人と深く向き合わなければいけないということだ。
「私の場合は、単純に自分の書いた文章がインターネット上で読めるっていうだけで、それだけで幸せな気持ちになれたの。投稿する理由の原点はそこ。自己分析すると、鏡に向かってブツブツと喋っていた自分が、カーテンを開けて、開け放った窓から大声で叫ぶような、そんな開放感――」
人間なのだから、苦しい思いがあるのは当然だ。
「別に歌声を聞かせたいわけじゃなく、気持ち良いから叫んでいるのに、『その叫び方は違う』なんて言われたら、息苦しくなっちゃう。その人がどんな苦しみを抱えて、何を望んでいるのか分からないんだから、よく知らない人にアドバイスなんてできない――」
信頼関係を築く手間を省いてはいけないということだ。
「今の世の中は、ネット検索をしたら大抵のアドバイスは網羅されていて、自分が思いついた指摘じゃなくても、見よう見まねで流用して誰でも簡単にアドバイスできるんだ。誰でも先生になれる時代だから、いい先生を自分で見つけないといけないんだよ。それが埋もれた良作を見つけるより大変なんだもん」
先ほどから友子は俺に心構えを説いてくれているわけだ。
「待ってて」
話が途切れたので飲み物を買うことにした。まだまだ寒い時期なので購入するのはホット飲料。何を飲みたいか尋ねてしまうと「いらない」と言われるので、こういう時は勝手に行動した方がいい。
「好きな方を選んでいいよ」
お茶とミルクティを購入して、友子はお茶を選んだ。
「ありがとう」
と言いつつ、購入代金を手渡された。
「小説の話だけど、友子はアクセス数とか気にならないの?」
喋ろうとしたけど、その前に彼女はお茶を口にする。
「気にはなる。サイトによっては評価システムがあるし、アクセス解析もできるもんね。でも、投稿するために小説を書き始めたわけじゃないから、読まれていなくても、書くことを止めるってないんだよね。公募での落選もそうだけど、落ち込んでも、つらくても、苦しくても、それでもやっぱり書き続けられるのは、書かずにはいられないからなんだと思う――」
その感覚は、俺にはない。
「でもね、私はPVが跳ねたことがないから分からないけど、人によっては、人気が出て、たくさんの応援をもらったことで、却って、それがプレッシャーになる人もいるんだろうなって思ってる。優等生ほど『期待に応えなくちゃ』って自分を追い込むから、心配になるんだ――」
俺にも無縁の話だ。
「『エタる』ってネットスラングがあるけど、私は、誰一人として、エタってしまった人を責めたくはない。書き続けるって、本当に大変なんだもん。気持ちの問題だけじゃなく、軽いめまいとか、頭痛とか、身体に痛みを感じるだけで書けなくなってしまうから。好きな本がたくさんあるけど、連載中のまま更新が途絶えても、私は、ただ、生きていて、とだけ願ってしまう――」
無理して身体と精神を壊すな、っていうことだろう。
「作品を当てるまでエタを繰り返す人も非難されない世の中になってほしい。なぜなら世の中には様々な人がいて、人気作を書くという目標を持つことでしかモチベーションを維持することができない人もいるだろうから。それくらい、本を書き続けることって、簡単にやっているように見えて、苦しいからね――」
書かずにはいられない友子でも、苦しんでいるということだ。
「それぞれのサイトの規約を守っていれば、それだけでいいと思う。それ以外の不満を作者にぶつけるのは、作者を死なせる行為なわけで、結局は、自分たちが最終的に損をしてしまうと思うんだ。だから色んな人を、色んな形で応援してあげたい――」
サイトの規約をちゃんと読んでなかったので、後でしっかりと読もう。
「ああ、それと、アクセス数は気にしなくてもいいけど、ネットに上げる以上は、問題になるかどうかの判断は大事。外国では言論統制によって逮捕・拘禁されるなんて当たり前だし、日本でも言論を取り締まる判決が出始めている。もう、確実に、時代は変わったと思った方がいいから――」
やらかしたら大変なので注意しろっていうことだ。ただ、そのことに関しては、SNSをやっていないので、今のところは心配無用だ。地雷を撒いていたことを忘れて、自分で踏んづけることもない。
「だからって、やらない方がいいっていうわけじゃないと思うんだ。SNSにも色々あって、何事も経験してみなくては分からないし、やってみて初めて分かることもあるから。それに、書く人によっては小説に役立つだろうし、注意はしても、禁止を求めるのは違うかなって」
友子は同い年だけど、彼女は俺にとって理想的な先生だ。
「あっ、そうだ――」
言うタイミングは今しかない。
「連絡先を交換してほしい」
友子が俯いた。
正直、ショックだった。
でも、躊躇している場合じゃない。
「何が小説に役立つか分からないし、禁止するのは違うと思うんだ」
友子が笑った。
目を見て笑ってくれた。
それが嬉しい。
「そういう意味で言ったんじゃないから」
もうひと押ししてみる。
「連絡先を交換しよう」
友子が困っている。
「カホリに悪いでしょ」
俺たちの間には、カホリという大切な存在がある。
「そうだね、やめとこうか」
友子がホッとした表情を見せるのだった。
その顔を見て、俺もホッとすることができた。
嫌いで拒否されたわけじゃないということが分かったからだ。
「でも、二人で会うのは止めないよ?――」
表情を曇らせたので、友子には後ろめたさがあるようだ。
「先生として、これからも小説の書き方を教えてほしいから」
「言い方が、ずるい」
友子先生には言葉の真意が全部伝わってしまう。
「教えてくれる?」
「うん」
渋々といった感じだが、友子が頷いてくれた。
それから彼女に文体などの指導を受けて、俺も実際に友子の文体を真似て、彼女好みの本を書けるように努めた。まずは先生である友子に褒めてもらいたい。それが動機といえば、動機だからだ。