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十月の友子

 十月の初旬、ナナカマドの実が真っ赤に熟した頃、誰もいない放課後の教室で、私はカホリと一緒に秋の空を見ていた。しかし、空を見ても彼女の気持ちは分からなかった。


 昔から「女心と秋の空」という、移り気な女の気持ちを例えた言葉があるけど、北海道は滅多に台風が来ないし、全国比で降水量も少ないし、だからズレた表現だと感じていた。


 そんなことはどうでもよくて、カホリのことだ。最近は一緒に帰っても家に寄ることはなく、二人とも勉強がしたい人間だから、そちらを優先して、挨拶だけして別れることが多いけど、この日は違った。


 お昼までは普段通りだったのに、午後から暗い顔をしていたので、それで私の方から声を掛けて、相談に乗ることにしたわけだ。いつもカホリがみんなにやってることを、反対にしてあげたくなったのが理由だ。


「何かあったの?」

 廊下が静かになったところで声を掛けることにした。


「待って」

 そう言って、わざわざ廊下に顔を出して、誰もいないか確かめるのだった。


 戻ってきても、椅子に腰を落ち着けることはなかった。

 そういう私も窓際で立ったままだ。


「別にどうでもいいことなんだけどね――」

 なぜか必要のない前置きをした。


「お昼に売店に行った時に、他のクラスの子から、『カレシと別れた?』って訊かれて、『別れてないよ』って答えたら、『でも友だちがカレシ君と栗栖くりす先輩が並んで歩いているところを見たって言ってたよ?』って言うわけね。それでその場では笑って誤魔化したんだけど、ちょっとだけ気になって」


 どうでもいいって前置きしたのに、やっぱり気にしてるようだ。


「本当に見たの?」

「うん、見掛けた子の名前を教えてくれたから、嘘ではないと思う」

「でも、又聞きは又聞きだね」

「だけど、友亮と栗栖先輩が並んでたら間違えないよね?」

「うん」


 栗栖瑠璃子は三年生で、小柄で、顔が小さくて、可愛くて、人気がある、有名な人だ。体育館で集会があると、退場の際に男子がニヤけて噂するような、学校で一番モテる女の子。


「でも、一緒に並んで歩くわけないよね?」

「失礼な」

「そこは怒るんだ?」

「カノジョだし」


 友だちである私にカノジョアピールとは、余裕がない証だ。


「でも、接点なんてある?」

「ほら、先輩はバドミントン部だから」

「練習場は別でしょう?」


 ウチの高校には立派な屋内練習場が二つもある。


「……うん」


 不安を煽るつもりはなかった。


「友亮君から聞いてないの?」

「今日聞いたばかりだから」

「でも、目撃されたのは今日じゃないよね?」

「……うん」


 不安に陥れるつもりもない。


「栗栖先輩って、カレシいるでしょう?」

「今は分かんないよ」

「カホリと付き合ってることは知ってるだろうし」

「それも分かんない」


 それもそうだ。


「友亮君に訊いてみたら?」

「……うん――」

 煮え切らないのは、らしくない。

「訊くのも、どうかなって思って」

「だよね」


 そこで、いいことを思いついた。


「私が訊いてみようか?」

「同じだよ」

「私が目撃情報を聞いたことにするの」

「ああ」

 ということで、バレー部の練習が終わるのを待った。



「なんか、ものすごく久し振りな気がする」

 友亮の率直な感想。

 カホリが素早く返す。

「懐かしいね」

「懐かしさを感じるほどのことではないけどね」

 そして、私が真面目に返した。


 友亮を交えて三人で会話をしたのは二か月以上も前のことだ。一緒に下校したのもそれくらいだから、かなり前のこと。カホリはバス通学だから、自転車は友亮だけ。通学路を三人並んで歩く。


「ここの公園もしばらく来ないうちに小さくなったな」

「そんなはずないでしょ」


 そんなことを言って笑い合う二人は幸せそうなカップルそのものだった。カホリから経験したことを聞かされたけど、聞いていなかったら、以前と変わらぬままだと思っていただろう。


 ヘンに意識しているのは私だけかもしれない。下品だと思っていても、ジロジロと観察してしまう。表情とか、距離感とか、言葉遣いとか、色々。それで一人で勝手に妄想する始末。


「はい、どうぞ」

 友亮がベンチをタオルで拭いてから、座るように促した。

 カホリが座らない。

「それ、汗拭いたタオルだよね?」

「そうだよ」

「そういうのって、ハンカチを敷いてあげるんだよ」

「持ってないもん」

「きれいになったのかな?」

「親切が仇になっちゃったよ」


 そこで三人ともベンチに腰掛けて、紅葉に染まった公園で、カホリが彼に「びちゃびちゃの手でトイレから出てくるのやめて」と訴えて、私が激しく同意して、友亮が「男だと洗うだけマシだから」と開き直るという、そんな話をした。


「あっ、そうだ――」

 会話が途切れたところで本題を切り出す。

「友亮君、栗栖先輩と仲良いの?」

 さり気なく尋ねたつもりだ。

「なんで?」

「一緒にいるところを見掛けた人がいて噂になってるから」


 友亮が視線を落とした。

 ちょっとだけ不機嫌になったように感じた。

 それは今まで見たことのない表情だった。


「ひょっとして、それを訊きたくて待ってたの?」

 その問い掛けに、カホリが答える。

「わたしを心配してくれたんだよ」


 そこで友亮は優しい、いつもの表情に戻る。だけど、心模様に変化があったのは確実だ。でも、それは、きっと悪くないこと。人生の彩りが豊かになっていくということだから。


「栗栖先輩は親切なんだよ――」


 友亮が言葉を選びながら説明する。


「失くした自転車の鍵を一緒に探してくれたことがあって、それから廊下で会った時はきちんと挨拶するようにしてる――」


 ゆっくりと、思い出しながら喋る。


「この前は、部活の先輩から買い出しを頼まれた時にバッタリ会って、『いいです』って言ったんだけど、荷物を運ぶのを手伝ってくれたんだ」


 今度はカホリが、微妙に不機嫌な顔になった。

 長い付き合いになるけど、見たことのない表情だった。

 カホリにも心境の変化があったことが分かった。


「それだけ?」

「それだけだよ」


 なんとなく、気まずい雰囲気。

 二人も同じように感じているかもしれない。

 急に自分が場違いな存在に感じられた。


「俺、疑われてる?」

 そう言って、努めて笑顔を見せる。

「何を?」

「浮気」


 一瞬、間ができる。


「疑ってないよ」

 カホリが不機嫌なまま答えた。


 友亮が深く息を吐き出す。


「正直に話すけど――」


 重たい雰囲気だけど、声は優しい。相手に恐怖感を与えない口調だ。それでいて、真剣さを失っていない。今どきの優しくて頭のいい男の子は、怒鳴るだけでもDVになるって理解している。


「浮気を疑われるだけでも心外なんだ。身に覚えがないことを追及されるだけでも、かなり心の負担になる。なぜなら、俺はカホリのことしか考えてないから。他の女の人の話はしたくないんだ――」


 口調がずっと優しいのは、気持ちをコントロールできているからだろう。


「できれば、カホリの前では他の女の話をしたくないんだ。さっきは栗栖先輩のことを『親切だ』って言ったけど、それも、できれば褒めたくなかった。同じように、貶したくもない――」


 考えながら、ゆっくり喋ってる。


「カホリには、例え芸能人のことだろうと、可愛いとか、綺麗だとか、言いたくないんだ。悪くも言いたくない。俺の中ではカホリだけが女だし、他の人のことは考えたくもないから――」


 そこで苦悩する。


「だけど社会に出たら、先輩や、同期や、後輩と一緒に仕事をしなくちゃならないし、女性の上司の下で働くことになるんだ。その時に二人きりになったとしても、全部は報告できないと思う――」


 心構えができているだけでも偉い。


「社内恋愛をする人はすればいいし、禁止するのも違うだろうし、職場の人に恋愛感情を抱いても異常じゃない。むしろ普通だと思う。でも、俺にはカホリがいるから、意識したくないんだよ――」


 友亮は、やっぱり友亮だ。


「ただ、意識しないっていうのも難しくて、親切を断るのは違うと思うんだ。好意を素直に受け取るのも礼儀だと思うし、異性だからと断る方が、逆に意識しているように思うから――」


 これも難しい問題。


「これからも、こういうことはあると思う。でも、話題にしないのは隠しているとかじゃなくて、他の女の人の話をしたくないからなんだ。それでもカホリがわだかまりを抱えるようなら、またこうして話し合おう」


 カホリがコクリと頷いた。



 その日の夜、勉強した後、いつもなら執筆に充てる一時間を、ただ何となく考え事をするだけの時間として無為に費やしてしまった。まとまりのないことを、繰り返し考えるだけ。


 思っていたのは、カホリのことではなく、友亮のこと。ふと、無理をしているんじゃないかと感じたからだ。しかも相当な無理をしているような、そんな圧迫感だ。


 いい人を演じてしまうと、どこかで無理が祟り、潰れてしまう。学校に行くことができなくなった優等生を何人か思い出してしまい、そういう人たちと友亮を重ねてしまうのだ。


 悪かった人が更生すると褒められるけど、いい人が悪くなると、いい時のことは忘れ去られる。露悪の方が真正直に思われて、いい人は偽善だと揶揄やゆされ、いい人を演じる芝居の部分は評価されない。


 私自身も、露悪的な人が、ちょっと優しさを見せただけで、本当はいい人なんだと思い込んでしまうことがある。本当はどんな人かも分からないのに、分かった気になってしまう。


 暴力を振るう人が時折見せる優しさとか、そんな感じだろうか。私もDV男を庇ってしまうという、負の連鎖に巻き込まれる可能性が充分に考えられるわけだ。


 だから自分を賢い人間だとは思わない。そう思わないことで、潰れずにいられるからだ。自惚れないことが自己防衛になっているのだろう。それだけに友亮のことが心配になる。


 言動不一致に悩んだり、自分で上げたハードルにつまずいたり、偽善と揶揄されることに耐え切れなくなったり、優等生を演じることに疲れ切ってしまったり、どこかで叫びたくなるはずだからだ。


 その時、私は彼に何をしてあげられるだろう? 私にできることといったら、独自に編み出したストレス発散法を伝授してあげるくらいしかない。それが他人にはストレスになることもあるから難しいけど。


 ベッドに潜り込んでからも、そんなことばかり考えてしまった。他者のことを考えられるのは、それだけ今の自分には余裕があるわけで、そのことに感謝しながら眠りに就いた。


 それが高校一年生の十月の出来事です。お母さんの言葉を借りているだけの私だけど、まとめたのは私だから、パクリではない。それでもちゃんと感謝したいと思います。※ちなみに栗栖先輩の名前は仮名です。


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