九月の友子
春休みに書いて新人賞に送った小説が落選したので、カホリが泊まりに来て残念会を開いてくれた。落選したのはかなり前だけど、聞かれるまで黙っていたので、こんな時期になってしまった。
同級生の中にはお酒を飲んでいることをわざわざ吹聴して回る人がいるけど、私たちはそういうことをしないのでジュースで乾杯だ。というか、乾杯するようなことではない。
珍しくコンビニでお菓子を買い込むことにしたけど、好みに違いがあって面白かった。ただし心配なのが、しょっぱいのと甘いのをセットで買うことに拘っていたことだ。
そういう人は将来的に太るかもしれないので健康管理に注意しないといけないって、お母さんが前に話していたからだ。それでもカホリは背が高いので、「あの子は誤魔化せるタイプだ」とも言っていた。
「わたしは運動で痩せられるタイプだから」
カホリがポテチを箸で摘まみながら、そう言うのだった。
「いや、これもお母さんが言ってたけど、運動をしていて途中で止めちゃった人の方が太りやすいんだって。そういう人って、一回の食事の量が、運動していた時の量を目安の基準値にしてしまうから、食事制限に苦労するって」
あまり嬉しい話題ではないようだ。
「ほら、でも、落とそうと思えば、いつでも落とせるから」
箸を持つ手が止まったので、今日は安心させることにした。
「カホリの場合はね」
その言葉を受けて、また満足そうに食べ始めた。
こういう時は、長い話を聞いてもらえる。
「世の中がどんどんいい時代になったなって思えるのは、信じられない量の食事を摂ることが出来る人がいるって、しかも思う以上にたくさんいるって、知ることが出来るようになったことだと思う。私はあまり観ないけど、テレビが果たしてきた役割は大きいと思ってるんだ――」
カホリとは真面目な話ができる。
「痩せの大食いが確実に存在していると広く認識されたことで、代謝機能には個人差があるって言い切ることができるようになったでしょう? そうなると、遺伝的要素含めて、太り過ぎが、個人にのみ非があるとは指摘できなくなったんだもん。これは大きな進歩だと思う――」
話の終わりまで聞いてくれるようだ。
「世の中には過食症や拒食症で苦しんでいる人がいるって分かったし、代謝障害という病気があることまで分かってる。だから絶対に人の体型でからかったらいけないよね。自虐に付き合うのはいいけど、私は本の中で体型をバカにしないって決めてるんだ。だからキャラがみんな一緒になるんだけど」
カホリが口を尖らせる。
「そう言う割に、わたしには『食べ過ぎ』って注意するけど」
「大事な人は別だよ」
「そうなの?」
「カホリの場合は個人として向き合えるから」
「ああ、不特定多数だと、そうもいかないもんね」
「うん。直接話せる人だと決まりも変わるから」
「うるさいお母さんになりそう」
「なると思う」
「自覚してるんだ?」
「うん。健康を思ってあげるのが一番だから」
「娘じゃなくて、友だちで良かった」
その違いが分からなかった。
カホリと一緒にいると、話したいことがパッと思いつく。
「ちょっと違う話になるんだけど、テレビに限らず、アニメや映画とかでも、せっかく好きなお話なのに、どうしてこんな悪口を脚本に取り入れちゃったんだろうっていうのがあるんだ。それだけで繰り返し観ることができなくなるから、残念に思って――」
今回は同意する感じの聞き方ではなかった。
「毒舌キャラとか、自虐キャラとか、愚痴をぶちまける作品とか、差別を描かなければならない作品とか、そういうのは始めから客を限定しているから、潔くていいんだけど、せっかく美しい話なのに、なんで悪口を言わせるのかなって、観終わった後、そのセリフしか残らないことがあるんだ」
難しい顔をしているけど、頷いてはいる。
「悪口自体は否定しないんだ?」
「うん。娯楽の場合は『観ない』という選択ができるから」
「ああ、だから注意書きしてほしいわけだ?」
「うん。毒舌キャラを演じている人はものすごく親切だと思う」
「観ないという選択を、しやすくさせているから?」
「うん」
そこでカホリが安堵する。
「よかった」
「なんで?」
「わたしはテレビが好きだし、悪口でも笑うから」
それで最初は反応が悪かったわけだ。
そこでカホリが考え込む。
「でも、なんだろう?――」
考えながら喋る。
「笑える時と、笑えない時があるんだよね。不快感を覚える時があるの」
「例えば?」
「分かりやすく言うと店員への文句とか」
それなら理由は明確だ。
「なぜ不快になるかというと、それは欠席裁判になっているからなんだよ。普通の裁判なら、一方の証言だけを聞いて、話を鵜呑みにしないでしょう? テレビ番組での告発って、かなり危険な行為なんだけど、なくならないということは、指摘する人がいないんだろうね――」
もう少し詳しく説明する必要がある。
「これは個人名や店名を伏せているから問題ないわけじゃなく、テレビだと影響力が大きすぎて、職業従事者への偏見に繋がってしまうから、娯楽だけでは済まされない問題でもあるんだ。告発を行うなら、当事者を呼んで反論の機会を与えないと、発言に責任を持ったとはいえないと思う――」
そういう番組なら観てみたい。
「笑える悪口は、ビジネスの上で双方の合意が成立しているから成り立っているんだと思うよ。テレビがいじめを助長するって指摘を目にしたことがあるけど、それはきちんと説明できる人が周りにいないから問題であって、誰かのせいにしてはいけないことだと思う――」
カホリが私のことを変な目で見ている。
「なに?」
「いや、友子って、ほんと色んなことを考えてるんだと思って」
そこは正直に答えないといけない。
「たぶんね、それはお母さんの影響だと思う。高校に上がるまでリビングで勉強をやらされてたんだけど、お母さんはテレビが好きでずっと観てるのね、それでテレビと会話するんだもん。コメンテーターのように喋っていて、それで聞いてなくても頭に残ってるの」
カホリが何度も頷く。
「お母さん、ヘンな人だもんね」
「お母さんはカホリのことを『ヘンな子』って言ってた」
「嘘でしょ?」
「ソックスが左右お揃いじゃないから」
「それ、オシャレだから」
「小学生の時、坊主にしてたし」
「それ、ベリーショートにしようとして失敗したんだよ」
「あれ、失敗だったんだ?」
「当たり前でしょう?」
「海外のスーパーモデルの間で流行ってるって言ってたよ?」
「そう言うしかなかったの」
地方でオシャレを追及するのは難しい。
それから小学生の時のフォト・アルバムを見ながら昔話をした。
それでも話題が引っ張られる。
「悪口って難しいよね――」
カホリがクラス写真を見ながら呟いた。
「同じ価値観を共有すると、すごく仲が良くなるんだけど、超えてはいけない一線みたいのがあって、特定の人の陰口になると、後で必ず後悔するんだもん。それで、会話に参加しなくても、その場にいただけで、一緒に陰口を言っていたことになるんだもんね――」
人付き合いがいい人ほど、そういうのに巻き込まれる。
「同じクラスに友子がいてくれて良かったよ。もしもいなかったら、確実に暗黒面に堕ちていたと思う。クラスに一人でも一緒にいてくれる人がいたら、それだけで救われるんだけど、話せない子は本当に大変そうだったもんね。無視されてるわけじゃなく、声を掛けても、学校に来なくなる子もいるし」
それで責任を感じてしまうのがカホリだ。
「中学の時は大丈夫だった?」
「うん――」
そこで、すぐに首を振る。
「いや、いま思うと、友亮のおかげかな。中一の時から背が高くて、カッコイイから、すごく女の子にモテていて、それで仲良くしていたから、嫌われるところだったんだけど、ある日突然、友亮が丸坊主にしたのね。それから嘘みたいに関心を持たれなくなって、平和に過ごすことができたの」
らしいエピソードだ。
「友亮君、今は伸ばしてるけど、妬まれない?」
「分かんない」
「分からないってことは、大丈夫なんだね」
「うん。でも、逆は分かんないけど」
「逆って?」
「友亮が嫉妬されてることだってあるでしょ?」
「あっ、うん」
「いや、そういうの、今はいらないから」
そこで笑い合う。
よくあるパターンだけど、こういうのは返しの早さが大事。
間で二人の心の距離感が分かる。
カホリのは笑える間だった。
「真面目な話、二人ともお似合いだと思ってるんじゃないかな?」
カホリの顔が嬉しそうになった。
「ホントに?」
「うん。でも、どこかに失恋してる人はいるかもしれないけど」
「嘘?」
「仮定の話ね」
「ああ」
「仮定の話だから、考えても仕方ないもんね」
「うん。告白はされたことないって言ってたし」
「隠れて付き合うようなこともしてないしね」
「芸能人じゃないんだから、隠す意味ないから」
「うん。良心的だと思う」
カホリが首を傾げる。
「うん? 良心的?」
「ほら、浮気するタイプの男は色んな理由をつけて隠すでしょ?」
「ああ、そういう意味ね」
「堂々としない人って、絶対浮気するタイプだよ」
「でも、結婚しても浮気する人はいるし」
「ああ、そっか」
「ナチュラルに嘘をつける人っているんだよ」
「『寝取り』とか『寝取られ』の方が、より興奮する人が一定数いるんだろうね」
「性癖は直らないっていうし」
「うん」
そこでカホリが私の顔を凝視する。
「友子はそういうタイプじゃないよね?」
「私はそういうことしないって、前にも話したでしょ?」
「どこかで失恋してる人がいるって」
「私のことじゃないから」
「仮定と言いつつ、自分のことだったんじゃないの?」
「ほんと怒るよ?」
「ごめん」
私が怒るはずないのに、落ち込ませてしまった。
「何かあった?」
それには答えてくれなかった。
その夜更け。
今日はカホリが私のベッド。
私は床に敷いたお布団。
電気を消して、おやすみの後。
しばらくして、カホリがボソッと呟いた。
「友亮とエッチした」
返事ができなかった。
でも、何か言ってあげなきゃ。
「言って良かったの?」
「友子にだけはね」
会話が続かない。
だけど、気まずいのは嫌。
「そっか」
「うん」
尋ねていいかも迷う。
「まだしないって、言ってたのに」
「ムリだった」
「迫られた?」
「そういうんじゃない」
安心した。
「カホリがいいなら、良かった」
「うん」
表情は分からない。
でも、ホッとしたような声。
「全然分からなかった」
「隠してて、ごめんね」
「言わなくちゃいけないことじゃないから」
「話せて良かった」
それ以上は、聞かないことにした。
それが高校一年生の九月の出来事です。友だちが初めて経験したことよりも、それに気づかない自分の鈍感さに戸惑った。それと、想像したらいけないのに、想像してしまう自分にも嫌悪感を抱いた。




