他人のビジネス(こんとらくと・きりんぐ)(卅と一夜の短篇第12回)
ハイウェイがずっと伸びていた。
太陽と荒野を遮るものは何一つなく、アスファルトからは陽炎がのぼっている。
一台のクーペが砂塵を巻きながら走っていた。涙色の流線型、ボンネットには丸いライトがついていて、ワイパーが二枚にわかれたフロントガラスを忙しく動き、砂を落としている。
ハンドルを握っているのはショートヘアの少女、あるいは長髪の少年に見える殺し屋だった。
助手席には仕事道具――ショットガンが転がっていた。銃口にはビール缶大のサイレンサーがはまっている。
「ふいー、あつい、あつい」
殺し屋はちょっと情けないため息をついた。
汗でべたつき、肌が砂っぽい。もう三日間、こんな道路を走っていた。
閉じがちにした大きな目が道から左の荒野に不審な光をとらえた。
ハンドルを切って本道から外れた道を走ってみる。二百メートルほど走った空き地に銀色のクーペが停まっていた。ハザードランプはついていない。十メートルほど離れたところに土が盛ってあった。横には穴もあいている。
「誰かが穴を掘ってる」
殺し屋は車を止め、ハンドルにもたれた。顎をハンドルに乗せ、両手をダッシュボードに引っかけたまま、穴のほうをじっと見た。
穴から土がブンっと音を立てて十メートルくらい上空へ飛び、盛った土のてっぺんへ真っ逆さまに落下する。盛り土には土以外のものも混ざっていた。空っぽのウィスキー瓶や下着、なんだかよくわからない銀の蝶番。
殺し屋はショットガンを手に車を降りた。
ひどく嫌な臭いがした。
おえっ。殺し屋は喉を鳴らし、ハンカチで鼻と口をおさえた。
盛られた土から回り込み、穴をのぞいてみた。穴は梯子がかけられていた。
ひどく嫌な臭いも強くなった。よく見ると山の後ろに、羽虫がたかった大型トランクが放り出されていた。
殺し屋が穴を見つけてから、土が三十回放り出された。その度に空っぽの瓶だのパンツだのが山の中に埋没していく。三十一回目でシャベルが投げられ、山のてっぺんに突き刺さった。
麻のスーツを着た男が穴から這い出てきた。無精ヒゲに土ぼこりがこびりつき、日焼けした顔は汗と疑心暗鬼でぎらぎらしていた。
男の焼けついた視線がショットガンに集まった。男はベルトに差した四五口径の自動拳銃を殺し屋の鼻先に突き出し、親指で安全装置を外した。
「お前、ペドロの手下か?」
殺し屋は首をふった。
「じゃあ、誰だ?」
「ただの通りがかりです」
「証拠は?」
「去年、通りがかり認定協会の国際ライセンスを取りました。あの車のダッシュボードにあります。お見せしましょうか?」
男の顔色が警戒から無関心に変わった。
男は穴の脇に転がしたトランクを顎でしゃくった。
「中を見たいか?」
「いいえ」
男は撃鉄を戻して銃をベルトにさした。
「なあ、頼まれちゃくれんか?」
「なんですか?」
「俺がそこのトランクを埋める間、回れ右して道路を見張ってほしい」
「お安い御用です」
男はトランクを穴に蹴落とした。たかった羽虫も一緒についていく。男は盛り土を崩し、空っぽの瓶だのパンツだの羽虫だのと一緒にトランクを埋めた。
殺し屋は自分の車に戻り、道路の向こうに目をさまよわせた。褐色の荒野を二つに裂いたただ一本のアスファルトが、太陽に痛めつけられ、ヒビをいれられ、路肩から溶け出して、トランクの中身や羽虫たちと一緒に養分として草に吸収されるのを想像した。
車のサスペンションがきしっと鳴った。
男がフェンダーによりかかっている。殺し屋は頭をゆっくり左に向けた。
「ありがとよ」
男はタバコを勧めてきた。殺し屋が普段吸う銘柄ではなかったが、断ったら失礼だなと思い、一本だけ貰った。
吸いなれないタバコに窒息しながら、殺し屋は男と一服した。
「おれはバーテンダーだったんだ」男が言った。「毎日他人のジントニックばかり作らされる世界で一番みじめなバーテンダーだった。夜の六時から店に出て、一晩中トニック多めのジンをつくり、仕事が終わったら、街をぶらついて、朝にはダイナーで卵とコーヒーにありつく。そんな毎日だった。だけど、ひょんなことから運命が変わった」
「ひょんなこと?」
「ジントニックをつくるとき、いつもよりもジンを多めにいれたのさ。すると運命の歯車が変わった。――お前、いま笑ったな? ホントなんだぜ。おかげで、イイ女とカネを手に入れたんだ。どっちもワケアリだったがな。本当はペドロのものだったんだが、ま、今じゃどっちも俺のもんだ。いや、俺のもんだった。……ちくしょうめ、これだけはいっておくぞ。おれは札束なんかのせいで死ぬんじゃない。女のせいで死ぬんだぜ」
男は後部座席に転がされたサイレンサー付きショットガンに目をやった。
ひょっとしたら。
そんな目だった。
「お前、殺し屋なんだろ?」
まわりは誰もいない。特に隠す理由もないので殺し屋はうなずいた。
「フリーランスか?」
「はい」
「腕は?」
「いいほうだと思ってます。自分で言うのもなんですけど」
男は自分のクーペを顎でさした。
「バックシートに黒いカバンがある。中には札束がぎっしり。全部やるから、おれが国境を越えるまで用心棒をしちゃくれんか? そう難しいことじゃない。誰かを殺すのの逆バージョンだ。運命を変えるジントニックも作ってやる。ジン多めだぞ?」
「ごめんなさい。今は休暇中なんです。それにぼく、運命とかってあんまり信じてなくて……」
「まあ、気にすんな。言ってみただけだ。――ほんとはな、誰かにジン多めのジントニックを作ってみたいだけなんだ。運命の歯車がまた変わるかもしれないだろ?」
男は煙をはいた。煙と一緒に魂まで吐き出したようだった。
「俺はこの先の町にいる。町で唯一の三階建てホテルにいるから、もし覚えてたら寄ってくれよ」
男は先にクーペで走っていった。
巻き上げた砂がうっすら空にかぶった。
殺し屋は国境まで一マイルもない小さな町に入り、町を南北に区切る大通りをゆっくり流した。
途中で出稼ぎ労働者を乗せたバスに追い抜かれた。
タコス売りの屋台を探して、冷たいサイダーを買った。飲み終わるころには三階建てホテルが見つかった。駐車場には見覚えのあるクーペが停まっている。ホテル横の路地にはバスが停まっていた。浅黒い顔をした労働者たちがステップから降りてきた。みな作業場に行ったが、鋭い目をした四人の労働者だけは作業場に行かず、ホテル裏手にあるバーの脇で時間をつぶしていた。
「ぼくには関係ないな。ルールってもんがある。でも……」
さっき飲んだサイダーはもう干上がっていたし、タバコも切らしている。殺し屋は車を停めて、ホテルのガラス戸を開けた。
三階建ての場末のホテルだった。字が欠けたネオンサイン。砂を噛んだリノリウムの床。受付机とバーと雑誌の自動販売機がごちゃごちゃになったフロント――殺し屋はがっかりした。タバコの自動販売機はない。天井で扇風機がまわっていたが、これっぽっちも涼しくなかった。受付嬢は自分専用の小さな扇風機を独り占めしていた。
「なあに、坊や」
「部屋と冷たいサイダー」
受付嬢はバーを指差した。
「サイダーはあそこ。部屋はテレビつき、テレビと冷房、なんにもなしのどれか」
「テレビと冷房」
殺し屋は受付嬢の扇風機からこぼれてくる風に当たろうと立ち位置を変えた。
バーの奥が見えた。太ったバーテンダーがコンロで自分の昼飯を焼いていた。
カウンターのスツールにあの男がいた。作りかけのジントニックをかき混ぜようとしているところだった。ジンの瓶とトニックウォーターの缶、ビターズ・ボトルが見えるが、ライムはなかった。
「よお、お前か」
男は殺し屋に気づくと、長いスプーンを嬉しそうにくるくる回した。
「ジン多めだ。見てろ、このステアで運命の歯車を変える。ひょっとしたら――」
轟音。窓ガラスが吹き飛び、男の右肩から腕がちぎれ飛んだ。腕はスプーンを握ったまま三回転し、受付嬢の扇風機にぶつかった。
悲鳴。受付嬢はひっくり返り、電話線に足をかけてちぎってしまった。太ったバーテンダーはコンロのハンバーグをそのままにして、身を伏せた。
労働者の作業着を着たガンマンが壊れた窓から飛び込む。手にはショットガン。
男はまだ生きていた。右肩から血を滝のように流し、左手で四五口径を抜きざまに撃った。回転のかかった弾がガンマンの胸に飛び、作業員バッジごと心臓にめり込んだ。
二人のガンマンが裏口から大口径のリボルバーを乱射した。漆喰と火花が飛び散る。二発が命中し、男の左膝から下が砕け散った。
ちぎれた足が打ち上げられた魚のように跳ねている。腕と足を失った男は椅子とカウンターの間に挟まって器用に体をささえながら銃を構えなおした。痙攣している足の残骸が黒いカバンに引っかかった。札束がこぼれる。扇風機が床に落ち、カネが天井まで舞い上がった。
それに気をとられ、二人のガンマンはうっかり身を起こした。
男が撃ちまくる。スライドが動き、薬莢が跳ねる。空っぽになった薬室から煙があがる。
顔、首、胸。二人のガンマンは手を振り回しながらズタズタにちぎれた。
男が弾の切れた銃を捨て、残った腕と歯を使ってカウンターによじのぼる。バーテンの九割はレジスターの下に強盗対策の銃を隠している。それを取ろうとしたのだ。
太ったバーテンダーもそれに気づいた。慌てて手を伸ばす。男のほうが早かった。
最後のガンマンが隠れていた机から飛び出した。銃身を切り詰めたショットガンを男に向ける。
一発目の鹿弾は男の左足をもいだ。
男はリボルバーを壁に撃った。銃の反動を利用して体を転がし、カウンターに寝そべる形で最後のガンマンと向かい合う。
ガンマンは素早く槓悍を動かし、二発目を撃った。弾は胸に命中し、男の体がコンロへ吹っ飛んだ。
男が生きたままバラバラにされている間、殺し屋はルールを守った。
他人のビジネスには口をはさまない。
なのに、作業着姿のガンマンはルールを破った。口封じで太ったバーテンダーと受付嬢を撃った後、殺し屋に銃口を向けた。
「おっと」
床に身を投げる。鹿弾が自動販売機に飛び込み、ガラス片と雑誌がふってきた。殺し屋は開けっ放しのドアから駐車場へ転がり出た。
そして、開けっ放しの窓から自分の車に飛び込み、手を伸ばす。ほっそりした指先がショットガンのグリップに触れた。
槓悍を動かして、ワイヤーカット弾を薬室に送り込んだ。
シートに寝そべったまま、ぐるっと身を返す。ドアを蹴り開け、シートにふんばって銃を支えた。
バシュ!――くぐもった銃声。ワイヤーソーは秒速三百メートルで飛び、ガンマンの首を切断した。
コンロでハンバーグと一緒に焼かれながら、男はまだ生きていた。
「ありがとよ」
殺し屋は困った顔で訂正した。
「ぼくはあなたのために殺したんじゃないんです。あの男がルール違反をしたので、それで……」
男はなくなった腕のかわりに頭をふって遮った。
「そんなことはどうでもいい。俺が思うにあんたはタダで動く殺し屋じゃない。なにか欲しくてきたんだろう?」
「お見通しでしたか。実はタバコがほしくて。この際、あなたのタバコでも我慢しますから一本分けてもらえませんか?」
男は血のぬけた顔で力なく笑い、吸殻でいっぱいの灰皿をしゃくった。
「悪いな、全部吸っちまった。だが、かわりに……」
パトカーのサイレンが聞こえてきた。
「結構です。時間もないので」
殺し屋は車に戻り、キーをまわした。
男は一人でしゃべった。
「……いいことを教えてやる………ジンを二……トニックを五……ライムスライスなしで………ビターズを、多めにたらすんだぞ……そうすれば……運命の……歯車、を…… 変えら、れ…… … 、… …