四
「熱い」
「熱いわね」
「喉が渇いたー」
「ノイ。なぜ君まで」
「良かった。一緒に来れて」
貫吾は周囲に顔を向ける。砂漠だった。熱砂以外に何もなかった。
「おい。次はここか?」
横に立つアサの方を見る。アサが顔を向けて来る。
「そうね。ここみたいね」
「喉が渇いたよー」
「オアシスを見付けないと危険だ」
「こんな世界があったなんて」
貫吾はその場に腰を下ろす。
「うげ。砂が熱い。オアシスなんてどこにあんだ?」
「分からないわ」
「このままじゃ死んじゃうよ」
「やみくもに歩かない方が良い。誰かが通りがかったりしてくれると良いんだけど」
「ちょっと。あそこ。あれ、人に見えない?」
ノイが遠くを指差した。皆が一斉に顔をノイが指差す方に向ける。
「何も見えないな」
「何かいるようないないような?」
「いるね。でも、人なのかな?」
「微かに人らしき何かが見える」
「向こうもこっちを見てるみたい」
貫吾は数回目を閉じたり開けたりした。
「やっぱ、何も見え」
貫吾は言い掛けた言葉を途中で飲み込んだ。
「こっちに来てるわ」
「うん。凄い速い」
「あれは人なのか?」
「なんか怖い」
砂塵を上げて、人らしき何かが近付いて来る。
「人……じゃない? トカゲ!?」
貫吾は目視できる距離まで来た何者かの姿を見て、大声を上げた。
「トカゲだわ」
「トカゲ人だ」
「言葉が通じるのかな?」
「皆。大丈夫だからね。私が守るから」
二足歩行で高速移動して来るどう見てもトカゲに見える何かが五人の目前まで来て急停止する。
「ようこそ熱砂の世界へ」
トカゲが当たり前のように人語で言い、慇懃無礼にお辞儀をして来た。
「おおお」
「は、はい。どうも」
「うわー。しゃべったー」
「君は何者なんだい?」
「トカゲの着ぐるみとか、じゃないよね?」
五人は戦々恐々となりつつ、トカゲを見つめる。トカゲが頭を上げた。
「トカゲ人類のシュと申します。散歩をしていましたら、皆様の姿が見えたものですので」
「おじさん。この人服着てない」
カンが貫吾の顔を見上げて来た。貫吾は咄嗟に言葉が出せず、カンの顔をただ見つめる。
「全裸で申し訳ございません。トカゲ人類は服を着るのを嫌うのです」
切れ長の鋭い感じの目を細め、シュが柔和な表情になる。
「おじさん。笑った」
「カン。黙ってろ」
貫吾は叱るような口調で言った。
「ええー? なんで?」
カンが唇を尖らせる。
「カン君、私とあっち行ってよっか」
ノイが機転を利かせカンの背後に行くと頭を撫でた。
「ノイ。行かないよ。あのトカゲ人の事もっと見てたいもん」
「皆様。お気にならさないよう。普通の人類の方々のそういう反応には慣れております」
シュルッと先が二股に分かれた舌がシュの口の先端から素早く出て素早く引っ込む。
「おじさん。舌出た」
「カン。静かにしてろ」
「カン君。行こうね」
「嫌だよ。ここにいたいー」
ノイがカンを少々強引に少し離れた所に引っ張って行く。
「あの、いきなりで悪いんだけど、俺達は何も持って来てないんだ。水とかって分けてもらえるかな?」
シカがノイとカンを目で追いつつ、口を開いた。
「もちろんです。良かったら我らが住む地下の町に来ませんか? 水だけでなく食べ物などもありますので」
貫吾はアサとシカの顔を見る。
「行ってみましょうよ」
アサが事もなげに言った。
「そんな風にホイホイついて行って平気か?」
貫吾はちらりとシュの方に目を向けてから小声を出した。
「そうだね。けど、ここにこのままいても、水と食料がないんだ。行くしかないんじゃないかな」
シカが貫吾の顔を見つめて来る。
「ここに運んで来ても良いのですが、向こうに行った方が皆様も楽ですよ。大丈夫です。何も心配はいりません」
貫吾の声が聞こえたのか、三人の表情から察したのか、シュがそんな言葉を口にした。貫吾は皆の顔を確認するように見てから言葉を出す。
「しょうがねえ。ノイ。カン。行くぞ」
「どこ行くの?」
「カン君待って」
カンが貫吾の元へ駆けて来た。それを追うようにしてノイも来る。
「シュの住む町へ行く事にしたんだ」
シカが言いながらノイを見る。
「ではご案内しましょう」
シュが言うと、その場でクルクルと回り出した。
「おお?」
「何? どうしたの?」
「おじさん。回り出した」
「一体何を?」
「変な事したら殴るよ」
最初はゆっくりだったシュの回転速度が徐々に速くなって行く。
「おおお!?」
「速い。速いわ」
「おじさん。凄い速い」
「砂に潜り始めた」
「地下に行くって、こうやって行くの?」
ドリルのようにシュの体が砂の中にどんどん潜って行き、周囲に掘り出された砂が土手のような物を形作って行く。
「おいおい。俺達にもやれなんて言わないよな」
貫吾は皆の顔を見た。
「お待たせしました。どうぞ、穴に入って来て下さい」
姿の見えなくなったシュの声だけが土手のような物の向こう側から聞こえて来る。
「穴だって」
カンが土手のような物に上り始めた。一番上に立つと、下を見たカンが好奇心を顔から溢れ出させつつ叫ぶ。
「穴だ。本当に穴があるよ」
「さあどうぞ」
シュの声がしたと思うと、カンがピョンッと跳んだ。
「とおっ」
「おい。カン」
貫吾は咄嗟に声を上げた。
「危ないわ」
「いけない」
「カン君」
皆も声を上げる。
「心配なさらぬよう。我がしっかと受け止めております」
「おじさーん。鱗がツルツルしてるー」
シュの声に続き、カンの元気な声が聞こえて来る。
「驚かせやがって」
貫吾は土手のような物を上る。上り終え、穴を見た貫吾はその深さに恐怖を感じた。
「これ、下りるのかよ」
「結構深いわね」
「カン君はよく跳べたね」
「これくらい全然平気じゃない?」
皆も上って来て下を見る。
「さあ。どうぞ。お一人ずつ跳んで下さい。我がしっかと受け止めます」
穴の中から貫吾達の方を見上げているシュが両手を上に向かって伸ばして来る。
「おじさーん。早くおいでよー。この穴、凄いよ。トンネルと繋がってる」
姿の見えないカンの声だけが穴の中から聞こえて来た。
「皆行かないなら私から行くね」
ノイがジャンプする。
「良い跳びっぷりです」
シュがノイを受け止めた。
「あいつ。ノイを抱き止めた」
シカが狂おしそうに声を上げる。
「シカ?」
「シカのキャラがまたおかしくなってるわ」
「ノイ。今行くよ」
シカが跳んだ。
「あなたもナイスジャンプです」
「あ、ありがとう」
シカがぎこちなくお礼を言う。
「さあ、次の方どうぞ」
貫吾とアサは顔を見合わせた。
「先いいぞ」
「私は後でいいわ」
「いやいや。俺こそ後でいい」
「怖いの?」
「は? 怖くねえよ。お前こそ、どうなんだよ」
アサが目を伏せる。
「ちょっと、怖い」
貫吾はアサの態度を見て驚いた。
「おま、どうした? そんな態度今までした事なかったろ?」
アサがはっとした顔になる。
「そんな態度って何よ? なんか変だった?」
「ああ。……。うん。そうだな。別に変じゃなかったか」
二人の間におかしな空気が流れる。
「しっかと受けとめます。さあ、どうぞ」
シュが笑顔を見せる。
「お前、先行けって」
「しつこいわよ。貫吾が行きなさいよ」
「いいから行けって」
「なんでよ。嫌よ」
「言う事聞け」
「何よ。偉そうに」
「俺が最後の方が良いんだよ」
貫吾は横を向く。
「はい? なんなのよそれ?」
貫吾は束の間沈黙してから渋々言葉を口にした。
「めんどくせー奴だな。一人だけここに残せねえだろ」
貫吾はクルリと体を回し、アサに背中を向ける。
「何それ? どういう」
アサが途中で言葉を切る。
「早く行きやがれ」
アサが黙ったまま何も言わなくなったので、貫吾は気になり口を開きつつ振り向いた。アサと目が合う。
「じゃあ、行くわ」
「ああ。行け」
お互いにぶっきら棒に言葉を投げ掛け合う。アサが跳んだ。
「大丈夫ですよ。お嬢さん」
シュが優しくアサを受け止めた。
「さあ。あなたが最後です。どうぞ」
アサを穴の中に下ろしたシュが貫吾の顔を見つめる。
「分かってる」
貫吾は心の中で大きくなって行く恐怖心と戦いつつ、跳ぶタイミングをはかり始める。
「行くぞ」
気合を入れる為に大きな声を上げ、跳ぼうとした。
「うわっとっとっと」
不意に襲った突風の為に体のバランスを崩し穴に転げ落ちそうになったので慌てて後ろに向かってわざと倒れた。
「危ねえな」
穴がある方とは反対側の土手のような物の下まで滑り落ちた貫吾は立ち上がって砂を払うと、さっきいた場所まで戻って行こうとする。
「なんだってんだ。急に風が強くなって来やがった」
突風は吹きつけ始めた強風の前触れのような物だったらしく吹きつけ続ける強風が貫吾の前進を阻む。貫吾は強風に撒き散らされる砂に辟易しながら、土手のような物を上りきる。
「おいおい」
下を見た貫吾は呻くように声を出した。強風の為に土手のような物を形作っていた砂の一部が崩れ、それの所為で穴が塞がっていた。貫吾はその場にしゃがむと、穴を塞いでいる砂が掘り出されるのを待つ。だが、いくら待っていても砂が掘り出される事はなく穴は現れない。
「まさか、おいてかれたのか?」
貫吾は慎重に穴があった所まで滑り降りて行った。
「おい。俺だ。おい」
穴のあった場所をしばらく見つめてから声を掛けつつ砂を掘り始める。
「おい。どうしたんだ? 誰もいないのか?」
声が徐々に大きくなって行く。
「アサ。カン。シカ。ノイ」
叫ぶようにして皆の名前を呼んだ時、貫吾は馬鹿らしさを覚え、倒れるようにして仰向けに寝転んだ。
「なにやってんだ俺。なに必死になって叫んでんだよ」
虚空に向かって呟く。強風によって撒き散らされた砂が顔にかかって来たので貫吾は手を広げて顔を覆った。
「駄目だ。口にまで砂が入って来やがった」
唾を吐き出しつつ、貫吾は立ち上がる。
「とりあえず、風のない所か」
貫吾は幽霊のような足取りで進み出し、強風に煽られつつ歩き続けた。果てのない熱砂の中を貫吾は一人進んで行く。いつの間にか強風はやみ貫吾は疲れ果て、その場に崩れるようにして倒れ込んだ。
「もう歩きたくねえ」
仰向けになり空を見る。空は青く澄んでいた。アサ、カン、シカ、ノイの顔が目に浮かぶ。
「あいつら」
言ってからはっとする。
「あの穴の所で待ってた方が良かったか」
言葉を出すと、すぐに自嘲的な笑みが頬をひきつらせた。
「馬鹿らしい。俺は、なにやってんだ。人を殺そうって奴がなんで人恋しくなってんだ」
貫吾は皆と過ごしていた時間が自分を別の自分に変えていた事に気が付いた。
「俺よ。復讐はどうした? あいつを殺すんだろ?」
自分に問い掛けてみる。
「またそんなくだらない事言って」
アサの声が聞こえたような気がして、貫吾は飛び起き周囲を見回した。
「駄目だな、こりゃ」
貫吾は頭をガリガリとかきつつ顔を俯ける。アサの事があれこれと頭の中に浮かんで来る。アサの容姿、仕草、言葉遣い、態度。自分が今まで見て来たアサの事をなんとなくぼんやりと考えた。
「そっか。なるほどな。俺は、アサに英子の面影を見てたんだ。だから、アサの言う事を聞いちまってたんだ」
どこが似ているとか、そういう具体的な所までは考えなかった。ただ、なんとなく漠然と英子の面影がアサにはあるような気がした。
「惚れたのか?」
貫吾は顔を上に向けた。空はやっぱり青く澄んでいた。それは本当に綺麗で、けれど、とても無責任な美しさだった。貫吾は寝転んだ。
「まいった」
空から目を隠すように右腕を目の上に置く。視界が塞がり、闇しかなくなる。闇の中に皆の顔が浮かんで来る。貫吾は深いため息をついた。
「これはこれは。こんな所で何をしているのです?」
頭の上から声が降って来た。不意を突かれた貫吾はびっくりして、右腕をどけた。
「シュ? なのか?」
トカゲ人が頭のすぐ傍に立ち見下ろしていた。その姿はどこからどう見てもシュに見える。
「シュ? 違います。我はシャです」
貫吾は立ち上がると、シャから少し距離をとった。
「シャ? シュの知り合いなのか?」
トカゲ人が頭を左右に振る。
「シュは知りません。誰なのですか?」
「お前と同じトカゲだ。俺の仲間、いや、知り合い達がそいつの住んでる町に行ったはずなんだ。何か分かるか?」
シャが小首を傾げる。
「町にですか。我らが住む町はいくつかあります。我の住む町へ来てみますか? 何か分かるかも知れません」
シャが目を細め笑うような顔をする。
「穴を掘って地下に行くのか?」
「そうです。良くご存じで。地下にトンネルが張り巡らせてあります」
貫吾はシャの顔をじっと見つめた。シャの口の先から先の割れた舌が素早く出て素早く口の中に戻る。
「連れてってくれ」
「喜んで。では、早速穴を掘りましょう」
シャがしゃがむと、両手を使って穴を掘り始める。
「足で掘るんじゃないんだな」
「はい。我らの一族は手で掘ります」
「そうなるとシュは違う一族って事になるのか? あいつは体を回転させて足で掘ってた」
「それを聞いて分かりました。シュという者は、恐らくヨスーの町の住人でしょう」
シャの頭が完全に掘った穴の中に入ると、くぐもった声が返って来た。
「随分簡単に分かるんだな」
「掘り方にはそれぞれの特徴があります。最初に言えば良かったですね。すっかり忘れていました」
シャが頭から掘った穴の中に入って行き、体を回転させて頭を穴の中から出す。
「行きましょう」
貫吾は穴に近付いて行く。
「これなら下りやすいな」
穴を掘った時に出た砂は、シュが掘った時とは違い穴の左右にだけつまれ土手のような盛り上がりを形作っていた。シャに手伝ってもらって穴の中に入った貫吾は前後に延々と伸びて行っているトンネルの一方の先を見つつトンネルの壁を手で触ってみた。
「硬いな。どうやって固めてるんだ」
貫吾は壁をまじまじと見る。
「これはちょうど良いです。お教えしましょう。我らの唾で固めるのです」
シャが口を大きく開けた。たくさんの尖った牙が口の中から現れ、長い舌がその真ん中に折りたたまれるようにして収まっているのが見える。
「食われちまいそうだ」
「ゴろるるるる。んべっ」
シャがおかしな音を喉の奥から出したと思うと、赤黒く半透明な塊を自身の両手の上に吐き出した。
「おお!? どうした?」
貫吾は驚きの声を上げた。
「これが壁を固める時に使う唾です」
吐き出した塊をグイーッと左右に伸ばす。
「水飴みたいだ」
「触ってみますか?」
シャが塊を差し出して来る。
「いや。いらない」
貫吾は頭を左右に振った。
「そうですか。それは残念です。けれど、はい」
シャが両手に持っていた塊を貫吾に向かって放り投げて来た。
「おおい」
咄嗟の事に貫吾は声を上げつつ、なんとか塊をキャッチする。
「すいませんが、あなたには食糧になってもらいます」
「は?」
シャが素早く唾の塊を貫吾の両腕ごと貫吾の上半身に巻き付けた。
「おいっ。なんだってんだ」
「ですから、食糧になってもらうのです」
シャが目を細め笑うような顔をする。
「ふざけた事言ってんじゃねえ」
貫吾は唾の塊による拘束から抜け出そうと両腕を動かそうとする。
「無駄です。その唾はとても頑丈ですので」
シャの口の先から先の割れた舌が出て来る。シャが顔を貫吾の顔に近付けると舌の先が貫吾の頬に触れた。
「じゅルルルルル。久し振りの人の肉です」
シャが嬉しそうに唸るように声を出した。
「くっそう」
いくら腕を動かそうとしても動かす事はできなかった。貫吾は拘束から抜け出る事を諦めると、今度は逃げ出す隙をうかがい始める。
「逃げても無駄です。ここはトンネルの中ですよ。どこに行っても我の仲間だらけですので」
シャの舌が貫吾の顔を舐め回す。
「気持ち悪いんだよ。触んな」
「皆考える事は同じです。あなたの考えは大体分かります。あなたのお仲間さん達も同じような事をしていました」
「なんだと? 何を言ってやがんだ?」
「あなたのお仲間さん達は我らがさらいました」
「そんな……。あいつらは無事なのか?」
「まだ生きているでしょう。我があなたを連れて戻るまでは食べないはずです」
「全部、罠だったのか?」
「その通りです。我らも生きる為に必死ですので」
シャの舌が貫吾の顔を執拗に舐め回し続けている。だが貫吾はその気持ちの悪い感触を忘れるほどに皆を心配する事に夢中になっていた。
「あいつらに手出ししたら殺すぞ」
貫吾はシャを睨む。
「怖い顔ですね。けれど、今のあなたに何ができますか?」
シャが舐めるのをやめ、貫吾の背後に回り込んだ。
「このクソトカゲが!」
貫吾は振り向くと、シャの股間を思い切り蹴り上げた。
「つうぅ」
シャの体の硬さに思わず呻き声が漏れ出る。
「何をしているのですか? 無駄ですよ。あなた達とは体の構造が違います。それに、その程度の力ではなんともなりません」
シャが貫吾の肩をつかむと強制的に回れ右をさせる。
「放せこの野郎」
「落ち着いて下さい。ここで逃げてもお仲間さんの所には辿り着けないと思いますよ」
「うるせえ放せ。放せっつってんだろ」
「あまり大きな声を出さないで下さい。さあ。行きましょう」
シャが貫吾の肩を前に向かって歩かせようと押して来た。
「押すんじゃねえ。手を放しやがれ」
貫吾はシャの肩をつかむ手から逃れようともがく。
「しょうがないですね」
シャの手が肩から離れたと思うと、貫吾の胴に両腕を回して来て体を抱き上げた。
「何してやがる。放せ」
「思わぬ手間です。これは食べる分を増やしてもらわなければ駄目ですね」
シャが嬉しそうに言ってから歩き出した。
「くっそう、下ろしやがれ」
貫吾は足をバタつかせたが、シャはまったく動じる事なく進んで行く。
「皆は女性の方が身が柔らかくて良いと言うのですがね。我は男性の方が好きなのですよ。ちょっと筋張ってる所を噛んだ時の歯応えががたまらなく良いのです」
シャが嬉々として語る。
「下ろせつってんだろ。このクソトカゲ」
貫吾はシャの足を思い切り蹴った。
「あなたはあまり筋力がないみたいですね。我は筋張っている硬い肉が好きなのです。少し残念ですよ」
「うるせんだよ。とっとと放しやがれ」
貫吾は蹴り続ける。
「元気なのは良い事です。病気などで弱っている人類はまずいですので」
シャの歩く速度が急に上った。
「ジュるるる。早く食べたくなって来てしまいました」
「いい加減に下ろせボケ」
「足が当たるのが少々邪魔ですね」
貫吾は肩に担がれてしまう。
「下ろせこのトカゲ野郎」
貫吾は足をバタつかせながら怒鳴った。
「おや?」
シャが不意に足を止める。
「おかしいですね。町の近くまで来たのですけれど、やけに静かです。町を出る時はお祭りのような状態だったのですが」
シャが周囲を警戒するように顔を動かしつつ、止めていた足を動かし始める。
「アサ。カン」
貫吾は声の限りに叫んだ。
「大人しくして下さい」
シャの手が伸びて来て口を塞ぐ。
「ふがもごもごが」
放せこの野郎と叫ぶが、それは言葉にはならなかった。シャが再び足を止めた。
「音が聞こえますね。これは、声ですか。我らの仲間……。では、ないようです。どういう事でしょうか」
シャが自身に語り掛けるように呟いた。貫吾は足をバタつかせるのをやめ、耳を澄ませる。
「なるほど。そういう事ですか。どうやら、あなたのお仲間さん達が町を乗っ取ってしまっているようです。困りましたね」
貫吾はシャの言葉を聞いてマジかよ! と大声を上げたが、口を塞がれているのでそれも言葉にはならなかった。
「どうしましょうか。ここはいったん逃げておくとして……。あなたの事があります。連れて行っても良いのですが……。すぐに食べられると思っていましたからね。ここでお預けをされるというのも……」
シャがブツブツ言いつつ来た道を戻り始める。貫吾は言葉にならない叫びを上げ、足を激しくバタつかせる。
「決めました。その辺の陰に行ってあなたを食べてしまいましょう。それから町に行けば町がどうなっているかも分かりますし、お腹も既に満たされていますから何かあっても問題なしです」
シャがソワソワした様子になりつつ、顔をキョロキョロと動かし始めた。貫吾は必死に言葉にならない声を上げ足をバタつかせたがシャはまったく意に介さない。
「ここなら少しは見え難いでしょう。シュるるるる~。早く食べたいです」
シャが立ち止まり貫吾を下ろす。周囲の壁より少し窪んだ所に貫吾を押し込むと、ペロリと貫吾の顔を一舐めした。
「食べている最中に声を上げられると困りますからね。頭からガブリといかせてもらいますよ」
貫吾は叫び声を上げる。だが、口を塞いでいるシャの手が邪魔して言葉にならない。殺されると思うと、涙が滲んで来る。シャが大きく口を開いた。
「では。いただきま~す」
間延びした声がシャの口から出て来て、牙の並んだ口が貫吾の顔面目掛けて迫って来る。貫吾は恐怖に駆られ目を閉じた。何かが風を切る鋭い音が聞こえたような気がした後にドスッという鈍い音が顔前からはっきりと聞こえて来る。
「これは? まさか、見付かったというのですか?」
貫吾は目を開けた。
「ノイ。ナイス。命中だ」
「この道であっていたのね。貫吾。大丈夫?」
「探しに来て良かった」
「アサさんの言う通りだったね。本当に食べようとしてたみたい」
皆の声が耳に飛び込んで来た。
「アサ。カン。シカ。ノイ」
シャの手が口から離れていたので、貫吾の叫びがしっかりと言葉になる。
「おじさんの声だ。無事みたい」
「そうね。貫吾。今行くわ」
「急ごう」
「そこのトカゲ。その人に手出ししたら容赦しないよ」
四人の走る足音が近付いて来る。
「残念です。すぐにはあなたを食べられません」
シャが心底悔しそうに顔を歪める。
「ざまあみやがれ」
貫吾は勝ち誇った。
「まだですよ。我は諦めが悪いのです」
シャが貫吾を脇に挟むようにして抱え上げると走り出す。
「放せ」
「ああ。逃げた」
「待ちなさい」
「彼らの足は速い。まずいぞ」
「石。石。さっきみたいに投げられそうな石はない?」
皆の声と足音が追い駆けて来る。
「止まれこのトカゲ野郎」
貫吾は足を激しく動かしてもがいた。
「さて。どこまで逃げれば良いのでしょう。ん? んん? 待って下さいよ」
シャが小首を傾げる。
「待てー」
「駄目だわ。足が痛くなって来た」
「アサさん。無理はしないで」
「石がない。これじゃ逃げられる」
シャが急停止する。
「よくよく考えれば逃げる必要がないですね。ここで皆捕まえれば手柄独り占めです。というか、全員一人で食べられます。仲間達には逃げられたとでも言っておきましょう」
シャが回れ右をして皆の来る方に体の正面を向ける。
「何をして来るかは分かりませんが、我にはあなたという人質がいますからね」
シャが貫吾の顔に目を向けて来る。
「皆。気を付けろ。こいつ戦うつもりだ」
貫吾は叫んだ。
「おじさん。大丈夫だよ」
「そうよ。こっちにはノイ君がいるわ」
「俺だっている」
「止まってくれたね。それならやれる」
近くまで駆けて来た四人が足を止める。ノイが一人で皆よりも前に進み出て来る。
「あなたが一人で戦うのですか?」
シャが目を細める。
「そうだよ。貫吾さんを放して、こっちに渡して」
ノイがシャを睨む。
「そうはいきません。この人は人質です。皆さん。大人しくして下さい。抵抗すると、この人を殺します」
シャが貫吾を自分の前に立たせ、貫吾の頭の上に片手を置く。
「卑怯者」
「折角見付けたのに」
「彼から手を放せ」
「私が怖いの? そんな手を使わないで勝負してよ」
ノイが歩みを止める。
「怖くはありません。ですが、念の為です。町が乗っ取られていたようですからね。何をして来るのか分からないのです。用心に越した事はありません」
言い終えると、シャが口を大きく開いた。
「ゲゴろろろろろ。んべっんべっんべっんべっ」
シャが唾の塊を四つ地面の上に吐き出す。
「逃げろ。こいつお前らを捕まえる気だ」
貫吾は大声を張り上げる。
「僕らは逃げも隠れもしないよ。やってみな」
カンがスタスタと歩いて来てノイの横に並ぶ。
「そうよ。やってごらんなさい」
アサもノイの横に来る。
「そんな物全然怖くない」
シカも前に出て来て皆と同じ位置に並んだ。
「お前ら何やってんだ。逃げろって」
シャが空いている方の手で唾の塊を一つ拾い上げる。
「どなたからにしましょうか」
「僕からで良いよ」
カンがシャの手が届く距離まで近付く。
「おい。カン。やめろ。おい。カンに手を出すな」
「おじさん。大丈夫だよ。見てて」
「何言ってんだ。馬鹿野郎」
「それでは。失礼しまして」
シャが貫吾と同じようにカンの体に伸ばした唾の塊を巻き付ける。
「うわー。捕まっちゃった」
カンがなぜか嬉しそうな笑みを顔に浮かべた。
「カン。何やってるのよ」
アサがカンの元へと駆けて来る。
「次はあなたです」
シャが唾の塊を拾い上げ、アサの体に巻き付ける。
「ちょっと。どこ触ってるのよ。いやらしい」
カンに続きアサがあっさりと捕まってしまう。
「二人を放せ」
シカがカンとアサを庇うように二人の前に躍り出て来る。
「ではあなたも」
「これはいけない」
シカが一瞬にして捕まった。
「私が残ってるよ」
ただ一人拘束されていなかったノイがシャの傍に来る。
「あなたも捕まってくれるのですか?」
「そうだね。そうしようっかな」
「では」
ノイまでもが捕まってしまう。
「これは良い眺めです。思わず涎が垂れてしまいます。皆様と我の仲間達には悪いのですが、皆様には我のご馳走になってもらいましょう」
「お前ら何やってんだ」
貫吾は怒鳴った。
「おじさん一人じゃかわいそうだもん」
カンが笑う。
「そうね。一緒に食べられてあげるわ」
アサが微笑む。
「旅は道連れ世は情けってね」
シカが格好付ける。
「折角シカに告白されたのにここで食べられたらつまんないなあ」
ノイが悪戯っぽい視線をシカに向ける
「ちょっ、ノイ。恥ずかしいよお」
シカが顔を朱に染める。
「お前ら。どうしたんだよ? 食われちまうんだぞ」
貫吾は信じられないという風に皆の顔を順々に見ながら大声を上げた。
「どなたからにしましょうか。じゅルル」
シャが目を細め、口の端から流れ出る涎を拭いつつ皆の顔を見回す。
「僕からで良いよ」
カンがクスクスと笑う。
「先ほどから子供なのに勇気がありますね。ジュるる。いけないです。涎がまた出てしまいました。子供のお肉は柔らかいのですが嫌いではありません。どうしましょうか。一番でも良いのですが」
シャが顎に手を当てた。
「くっそう。何かあるんだろ? 早くしろ。お前らが食われるところなんて俺は見たくない」
貫吾は必死に声を上げる。
「あんまりもったいぶると貫吾がかわいそうね。本当はもっと焦ってる姿を見てたいんだけど」
アサがしょうがないわという顔で貫吾の方に目を向けて来た。
「なんでもいい。この状況を早く変えてくれ」
貫吾が叫ぶとアサが頷く。
「じゃあ私からやるわ」
アサが真剣な顔になった。
「ううう~」
アサが唸り始める。
「おい。どうした? なんだ?」
「大丈夫だよ。おじさん。見てなって」
カンが笑顔を向けて来る。
「アサさん。頑張って」
「唾は出す人によって硬さが違うからね。この人のは結構硬いよ」
シカとノイが口々に言う。
「フンッ」
バチンと大きな音がして、アサの体を拘束していた唾の塊がひきちぎれた。
「おお! すげえ」
貫吾は状況を忘れ、ただ驚愕した。
「僕もっと」
カンも唾の塊をひきちぎる。
「俺もだ」
「私も」
シカもひきちぎり、ノイもひきちぎった。
「お前ら……。どうした?」
貫吾は皆の顔を見回す。
「どういう事ですか? 今まで普通の人類がこの拘束から逃れ出る事なんてできなかったはずです。皆様は何者なのですか?」
シャの貫吾を抱える腕から力が抜け、貫吾の体が地面の上に落下した。
「ってえ。いきなり放すなよ。……はっ」
貫吾は立ち上がると、一目散にアサ達の傍まで走る。
「おじさんナイス」
「逃げられたわね」
「これを切ろう」
「私がやる」
ノイが唾の塊をひきちぎってくれた。
「本当になんなんだ? これ、凄い硬いぞ」
貫吾はノイが地面の上に放り捨てた唾の塊を見つめた。
「理由は、たぶんだけど、私達がこっちの世界の人間だからよ。貫吾は向こうの世界から来ているでしょ。その違いだと思うわ」
アサがなぜか冷めた表情を見せながら口を開く。
「そんな理由なのか?」
貫吾はアサの表情の変化に気付いてはいたが、言葉を出した途端にその事を忘れてしまった。
「そんな理由だと思うわ。私は案内役という特殊な立場だからなんとなく分かるのよ」
貫吾は皆の顔を見る。
「これからどうする? このトカゲの人やっつける?」
貫吾と目が合うとカンが無邪気な声を出す。
「これはまずいです」
シャがまったく困っていない様子で言葉を出した。
「外に出る道は分かってるんだ。このまま君が逃げるなら何もしない」
シカがシャに告げた。
「そうですか。うーん。ここは思案のしどころです。どうしましょう」
シャが難しい顔をする。
「やるならやっても良いけど、怪我しても知らないよ」
ノイが皆よりも一歩前に出る。
「僕にやらせてよ」
カンも一歩前に出た。
「カン。こっちに来なさい。ノイ君がこの中で一番強いのよ。任せた方が良いわ」
アサがカンを嗜める。
「俺がやる。ノイに何かあったら困るから」
シカが一歩踏み出し、ノイの横に並んだ。
「余裕ですね。では一番強いというあなたに相手をしてもらいますか」
シャがノイを見る。
「そうこなくっちゃ。二人とも、離れてて」
ノイがカンとシカから離れて前に進み、シャと対峙する。
「ずるいよー」
カンが不満そうな声を上げる。
「ノイ。俺がやるよ」
「シカ。シカと同じように私もシカの事が心配なの。だから、ね」
「ノイ。……。くれぐれも気を付けて」
シカが祈るような声を出す。
「大丈夫なのか? 逃げた方が良くないか?」
貫吾は横にいるアサの顔を見た。
「大丈夫だと思うわよ。シュの時も圧倒的だったわ」
「圧倒的?」
「さっきみたいに皆一度捕まったのよ。ノイ君が真っ先にあの唾をひきちぎって戦ったわ。トカゲ達は見かけはあんな風で強そうだけど、ノイ君にはまったく歯が立たなかった」
「本当かよ。俺はその逆だったぞ。あのトカゲ野郎、凄い強いと思うんだけどな」
「そう? 私達も少し戦ったけど、大した事なかったわよ」
「私達ってお前も戦ったのか?」
「戦ったわ。パンチしたりキックしたりしたのよ」
アサが得意気な顔になり拳を握ると、二、三度拳を突き出す仕草をして見せる。
「本当に戦ったのか?」
貫吾はその仕草があまりにも様になっていなかったのであきれた。
「信じないの?」
「ん、ああ。だってお前」
「フンヌッ」
アサの拳が貫吾の頬を打った。
「おわっ。いってぇ。何してんだよ」
貫吾はアサを睨み付ける。
「どうよ?」
アサがこの上なく鬱陶しいドヤ顔をした。
「どうよ? じゃねえ。全然効いてねえよ」
「痩せ我慢はしなくていいわよ」
「してねえよ。本当に痛くない」
アサが疑いの眼差しを向けて来る。
「本当? いってぇって言ったじゃない。まあ良いわ。じゃあ、もうちょっと強く」
アサがまた拳を握ると今度は腕を大きく振りかぶる。
「おじさんにアサ。何じゃれあってるんだよ。もう終わったよ」
カンが二人の間に飛び込んで来て二人の上着の裾を引っ張った。
「なんだと?」
「楽勝だったのよね?」
「うん。一発KOだよ」
貫吾はカンが視線を向けた方を見た。地面の上にシャが俯せになって倒れている。
「マジかよ」
「ね。弱いでしょう」
「僕が戦いたかったのにな」
「ノイ。無事で良かった。お疲れ様」
シカがノイに声を掛ける。
「この人、特に弱かったよ」
倒れたシャを見下ろしていたノイがシカの方に顔を向けた。
「おいっ」
シャが突然むくりと起き上がったので貫吾は声を上げた。シャの口が大きく開き、ノイを襲う。
「あいた」
ノイの右肩にシャが喰らいついたが、ノイは小石に躓いたくらいの反応しかしない。
「平気なのか?」
貫吾はそれでも心底心配しつつ声を掛ける。
「何やってんだよ」
「油断大敵よ」
「ノイ。大丈夫かい?」
「うん。平気」
ノイが言いながら、シャの顎を両手で開いてはずずとシャの脳天をチョップした。
「ブシュりっ」
シャが喉の奥から呻くようにおかしな声を出し、その場に崩れ落ちる。
「やばかったかな。ちょっと強くやっちゃった」
ノイがしゃがみ込み、シャの顔をじっと見つめた。シャは白目をむいて口から泡を吐きつつ、体をピクピクと痙攣させている。
「死んじゃうのかな?」
カンがノイの横まで駆けて行くと、腰を曲げてシャの顔を指でつつく。
「カン。あまり近付くな」
貫吾は先ほどの事があったのですぐにカンに声を掛けた。
「カン君。離れよう」
ノイが立ち上がり、カンの肩に手を当てると二人してシャから離れ貫吾達の方に歩いて来る。
「これで終わりね」
アサがほっとしたように言う。
「終わりって、また別の世界に行くの?」
カンが笑顔を見せる。
「そうよ。試練は無事乗り越えられたわ」
「本当かよ? 俺何もしてないんだけど」
アサが貫吾の顔を見て来る。
「本当にそうかしら? 私達の事心配しなかった?」
「そりゃ」
貫吾は言い掛けた言葉を飲み込んだ。ううんと咳払いをしてから、貫吾は改めて口を開く。
「心配なんかしてねえっての。自惚れんな」
アサがあきれたという顔をする。
「ふーん。そういう事にしておいてあげるわ」
アサが真面目な表情になる。
「次が最後。行くわよ」
貫吾は意識が遠退き始めたのを感じながら、次が最後なのかと思った。やっと終わりかと安堵するより先に、皆との別れの事を考えていた。