殺害
なんだって……。
おかしな点?
明の言葉に、僕が困惑していると――
「あ、雨の中を歩かせて……こんな汚い村に連れて来るなんて、お、おかしいよ……変だよな?」
上條がうわずった声で、必死になって語る。
普段、クラスの中で大きな顔をして同級生をアゴで使う上條。だが……今の彼は僕の目の前で、明に必死になって媚びを売っているように見える。
それは、あまりにも滑稽な姿であった。哀れみさえ感じてしまうほどに。
しかし――
「それは違うな。あの状況で洞窟に残るのは、いい選択とは言えない。土砂崩れの可能性もある。たとえ雨の中でも、人家のある場所に行くのは……正解ではないかもしれないが、間違いとも言い切れない。お前は落第だ」
上條に向かい、冷たく言い放つ明。そして、僕に視線を移した。
「飛鳥、お前はどうなんだよ? さっきみたいに考えて、答えてみろ」
おかしな点?
そういえば、さっき高宮に抱いた違和感……。
何かがおかしい、そう思ったんだよ。
何がおかしかった?
高宮の違和感について、僕は必死で考えた。しかし邪魔が入る。
「村だって、おかしいよ!この村は変だ!」
上條が金切り声で、僕の思考を邪魔した。
おいおい……。
正直、僕は苛ついた。こんなことなら、さっき死んでいてくれた方が良かったとさえ思った。
必死で説得したことを後悔した。
「上條、どこがおかしいんだ? 言ってみろ」
明は逆に聞き返す。
「電気ないなんて、おかしいだろ――」
「お前、本当に駄目な奴だな……もう黙れよ。でないと殺す」
上條の言葉をさえぎり、明は冷たく言い放つ。その言葉を聞き、上條はようやく口を閉じる。
一方、僕はホッとした。よくもまあ、あんな下らない的外れな言葉が出てくるものだ。明が止めなかったら、延々と続いていたことだろう。
その時、僕の頭に閃くものがあった。
待てよ……言葉?
そうだよ。
あいつの言葉は……。
「おい飛鳥、お前も落第なのか――」
「言葉だ、言葉!」
今度は、僕が明の言葉を遮っていた。
「……」
明は黙りこみ、僕をじっと見ている。僕は話し続けた。
「あいつ、流暢な標準語を喋っていた。田舎の人間にありがちな訛りが、全くなかった」
言いながら、僕は明の反応を見る。だが明は、相変わらず無表情だ。何を考えているのか、まったく読み取れない。
これは……。
いや、まだだ。
喋り続けるんだ。
「高宮は、この村に住んでるって言っていた。でも訛りがない。それに、こんな山奥の村の人間にしては妙に馴れ馴れしい……そもそもあいつは――」
その瞬間、頭に閃くものがあった。僕は言葉を止める。
そうだよ。
おかしな点が、まだ他にもあったじゃないか。
大場や芳賀の体にベタベタ触れていた、あの手だよ……。
「どうした飛鳥? もうないのか?」
尋ねる明。その横では、上條が悔しそうに僕を睨んでいる。
だが、そんなものに構ってはいられない。僕は口を開いた。
「あいつ、林業をやってるって言ってた。しかも、こんな村に住んでる。それなのに、あいつの指は妙に綺麗だった」
そう、指が綺麗過ぎたのだ。
高宮に抱いていたもう一つの違和感、その正体がようやく分かった。体はいかついが……指がしなやかで長く、傷一つついていないことだ。林業なのに、あの指はおかしい。
絶対に変だ。
「飛鳥、お前は合格だ」
明はそう言って、ニヤリと笑った。
「まあ他にも色々あるが、あの高宮が嘘をついてるのは間違いない。で、何のために嘘をつくかだが……たぶん、物凄く嫌なことのためだ。こんな山の中なら――」
明はそこで言葉を止め、扉に視線を移す。
すると、入口で物音がした。扉が開き、高宮が入って来る。
「君たち、そろそろ食事が――」
「おい高宮! 俺たちをどうする気だ!」
僕は唖然となった。高宮の言葉の途中で、上條がいきなり吠え出したのだ。
「お前、言葉に訛りがねえだろうが! それに、林業にしちゃあ指が綺麗すぎるんだよ! お前の目的は何なんだ!」
なおも吠え続ける上條……僕は、めまいを起こしそうになった。
おいおい。
何を考えているんだ、このバカは?
今にして思えば、上條は怖かったのだ。人間は恐怖ゆえに、必要以上に攻撃的になる。さらに、この状況で明に見放されたくない……その思いが、上條を過激な行動に駆り立てたのだろう。
だが、それは非常に愚かな選択だった。
上條の態度を見たとたん、高宮の顔から表情が消える。
「お前ら……」
高宮の手が、腰のベルトからぶら下げている物に伸びる。
包丁? いや、鉈だ。
高宮の右手に、大きな鉈が握られている――
だが、その直後……僕は何が起きたのか把握できなかった。その光景を見ていたはずなのに。
それくらい明の動きは早く、またスムーズで無駄がなかった。
・・・
明は、音もなく立ち上がった。
そして、すり足で一気に間合いを詰めていく。まるでローラースケートを履いているかのように、速く滑らかな動きで高宮との間合いを詰め――
次の瞬間、弾丸のような速さで左手を放つ。
明の強靭な四本の指は、鞭のようなしなやかさで放たれ、高宮の目を正確に打った。
すると高宮の手から、鉈が落ちる。その口からは、うめき声が洩れた。目を抑え、後ろにのけぞる。彼の眼球に、明の指先が当たったのだ。
そのがら空きになった喉に、今度は明の右手が伸びる。
明の掌が、高宮の喉仏を掴み――
一瞬で握り潰した。
直後、高宮の目から光が消える。
だが、明は追撃の手を緩めない。さらに高宮の頭を引き寄せ、首を脇で挟み、絞め上げる……フロントチョークだ。
明はその強靭な腕で、高宮が完全に絶命するまで絞め続けた。
・・・
呆然としている僕の目の前で、明は高宮の体を静かに横たえた。扉の方を気にしながら彼の体を調べ、所持品をチェックする。
「こいつ、ロクな物を持ってないな。おい飛鳥、準備しとけ。ここから、とっとと逃げるぞ。だが、その前に……」
そう言うと、明は立ち上がり上條に近づく。
一方、上條はただただ呆然としていた。目の前で何が起こったのか、未だに把握できていない様子だ。
そんな上條を、明は冷酷な目で見つめる。
「お前は邪魔だ。悪いがここに残ってくれ」
そう言うと同時に、明は上條の頭を掴む。
一瞬のうちに引き寄せ、首を脇に抱える。フロントチョークで瞬時に絞め落とした。
不思議に思う人もいるかもしれない。なぜ、あの状況を僕は受け入れたのかを……目の前で、明は一人の男をほんの一分足らずで殺したのだ。
冷静に考えてみれば――言動に怪しい点があり、鉈を手にしていたとはいえ――高宮はまだ直接の攻撃はしていないし、脅迫もしていない。
上條に至っては、それまで同級生だった男である。つまりは仲間のような存在だ。数時間前に明と揉めたとはいえ、あの時点では僕らに何も危害をくわえていない。
しかし、明は迷わなかった。即座に高宮を殺し、さらに上條を絞め落としたのだ。
一般常識に照らせば、やり過ぎである。ホラー映画なら、明の方がモンスターの役割を担うことだろう。
なのに、僕はその後もずっと明に従った。
無論、怖かったというのも理由の一つだ。それに明は強い。あの状況で頼りになるのは明だけだった、というのも大きな理由ではある。
だが、それ以上に……僕は、明という人間に魅了されていたのだ。
常識や良識、善悪、愛、友情、金、学校の勉強や運動、不良か否か、イケてるかそうでないか、クラスの人間関係、モテるモテない、将来の夢や展望。
そんな陳腐な概念を、明は超越しているように見えた。まるで、アクション映画の主人公のように。
たとえ行動が間違いであっても、その間違いすらも力ずくで正解に変えてしまえるようにも思えた。
明の姿は、僕の目にはとても眩しい……そんな人間に逆らえるはずがない。
結論から言えば、明の行動は全て正しかったのだ。
人は言うだろう。なぜ彼らを言葉で説得しなかったのか、と。
だが明は、その動物的……いや、怪物的な勘で悟っていたのだ。説得など通じる相手ではない、ということを。
もし明が、高宮を殺していなかったら……というより、何のためらいもなく人を殺せる明のような男が、あの場にいなかったなら……。
僕は今、生きていなかっただろう。確実に死んでいた。
明という怪物がいたからこそ、僕は生き延びられたのだ。
自分の判断に絶対の自信を持ち、さらに行動には躊躇がない。そして、凄まじい強さも併せ持つ……それが明という男だ。その性質は人ではなく、怪物のそれである。
普通の人間だったなら、あの異常な世界で生き延びる事など絶対にできなかった。
「飛鳥……まずは、そこにあるジャージを、カバンの中に詰められるだけ詰めてくれ。あと、ヤカンの中身は捨てておけ。喉が渇いても、絶対に飲むなよ」
そう言いながら、明は上條の体を調べていた。所持品をチェックしている。
「まあ、こんなもんか。じゃあ、そろそろ逃げるとしようぜ」
上條の所持品を調べ終わると、明は立ち上がった。そして扉の隙間から外の様子をうかがう。
「明くん……どこに逃げるの……」
僕は声をひそめ、明に聞いた。
「ここ以外のどこかだよ。おあつらえむきに雨はやんだが、山の中は進めない。地図もコンパスもないのに、下手に山の中を歩くと危険だからな。かと言って、ここにとどまっていたら殺される。少なくとも、その可能性は非常に高い」
明は外の様子を窺いながら答えた。だが、思い付いたように付け加える。
「飛鳥、荷物の中に食い物はあるか? あるのなら、今のうちに食べておけ」
そう言われ、僕は初めて自分が空腹だったことに気づく。
カバンの中をあさり、持ってきていた菓子をむさぼるように食べた。
美味い。
涙が出そうなくらい美味しい。
「静かだな。女たちは今頃、どっかに売られる最中かもな。それとも、もっとひどい目にあってるか……今さら確かめようがないけどな」
そう言いながら、明は干し肉のような得体の知れない何かを口に入れている。
「売り飛ばされる? それって何なの? どういうこと?」
僕は不思議に思い、尋ねる。売り飛ばされるとは、どういう意味だろう?
「あいつらは三人とも、顔も体も悪くない。金持ちの女子高生好きの変態だったら、結構な額を出すんじゃないのか? 俺は知らんけどな。興味もないし」
そう答える明の表情は、完全に冷めきっている。心の底から、関心の無さそうな様子だった。彼女たち三人がどのような運命を迎えようが、明の知ったことではないのだろう。
売られる、だって?
じゃあ、いわゆる性奴隷って奴か。
やっぱり、あいつらは普通じゃない。
創作物の中でしか見たことのない、性奴隷などという言葉。そんなものが現実に存在し、かつ僕たちの人生に関わってくるのか。
もしそうであるなら、三人はこの先……人権も与えられることなく、奴隷として扱われることになるのだ。
誰に知られることもなく闇の中で生活し、奴隷として死んでいく人生を送ることになる。
恐ろしいと思った。また哀れだとも思ったが、かといって助けようなどという気も起きなかった。そもそも、僕に彼女らを助けられる力はないのだ。自分自身のことさえ、面倒みきれないのだから。
いや、それ以前に……奴らは、僕たちをどうする気なのだろう? 女は性奴隷にして売り飛ばすのだとしたら、男の僕たちのことはどうする気なのだろう?
「明くん……奴らは、僕たちをどうする気なんだろうね?」
僕は思わず、明に尋ねていた。だが、返ってきたのは違う言葉だ。
「ちょっと待て、外を誰かが歩いてるみたいだ。あいつは何者なんだろうな」
小声で呟くように言いながら、扉の隙間から外の様子を窺う明。
だが、不意にこちらを向いた。
「さて飛鳥、そろそろ出るとするか。逃げるなら今のうちだぞ……ん?」
もう一度、明は外に視線を移す。すると、その表情がみるみるうちに曇っていった。
「おいおい、いきなりウジャウジャ出てきてるぞ……ゴキブリみたいだな。あれは面倒だぞ。もう気づかれたのか?」
呟く明。外を覗きながら、何か思案しているような表情だ。
横にいる僕は、とても不安になってきた。
ウジャウジャいる、だって?
何がいるんだよ……。
「明くん、ウジャウジャいるってどういうこと? 外はどうなってるの?」
「なんか知らんが、人があちこちから出てきてるんだよ。ウジャウジャは言い過ぎだが、少なくとも外に五人いるのは間違いない。恐らく、全員が男だな。しかも、武器らしき物も持っている。武装した五人か……えらく厄介だな」
そう言うと、明は僕の方を向いた。
「おい飛鳥、選択肢は今のところ二つある。奴らと戦いながら、無理やり強行突破するか……それとも、しばらく様子を見るか。お前はどう思う?」