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怪物

 明の父ペドロは現在、レイカーズ刑務所にて服役中の身である。

 このレイカーズ刑務所は……アメリカでも屈指の矯正施設であり、極悪な凶悪犯ばかりを収容している重警備の刑務所だ。収容されている受刑者のほとんどが、生きたまま出所することは出来ない。囚人のうち九割が、刑務所の中で人生を終えることになる。

 そのほとんどが、囚人同士の殺し合いだが。


 そして今……明は父のペドロと、強化ガラス越しに向かい合っていた。

 明の横には、温厚そうな看守が一人いるだけだ。

 一方、ペドロの周囲には屈強な看守が三人控えている。まるでゴリラのような体格の看守たちだ。しかし、ペドロから片時も目を離そうとしない。三人の顔には緊張の色がある。明らかに、ペドロを恐れているのだ……。


「まさかお前が来てくれるとはな。いやあ、嬉しいねえ。何人殺したんだ? 幾ら稼いだ? 何人の女とヤった? そういやお前、女にはあんまり興味なかったな。実は男の方が好きなのか?」

 ペドロは看守がすぐそばで聞いているにもかかわらず、ニヤニヤしながらそんなことを聞いてきた……流暢な日本語で。

 それに対し、明は何も答えない。座ったまま、ペドロの顔をじっと見つめていた。

 その反応に、顔をしかめるペドロ。

「お前は本当に暗いな。そこは母ちゃん似だ」


 ペドロの身長は百六十センチ強である。欧米人から見れば小男だ。しかし、その体躯からは想像もつかないほどの身体能力を秘めている。

 しかも……高い知性と、いかなる状況においてもヘラヘラ笑っていられる図太い神経、そして何者にも屈しない反抗心の持ち主なのだ。

 人間離れした、という形容詞がこれほど似合う男もそういないだろう。事実、ペドロはこの刑務所で最も恐れられている男なのだから。


 その人間離れした父ペドロを、明は静かな表情でずっと見つめていた。

「なんだ? 日本の遊びのにらめっこでもしに来たのかよ? わざわざアメリカまで、随分と暇な奴だな。まあいい、お前がやりたいなら付き合うがね」

 一人で喋り続けるペドロ。その時、明はようやく口を開いた。

「親父……俺はな、あんたの事が大嫌いだ。あんたは最低の人殺しだ。あんたの両手両足をぶった斬り、スープにしてあんたに喰わしてやりたいよ。あんたは、世の中に害毒を撒き散らすだけの存在だ」

 明は静かな口調で、ペドロの目をまっすぐ見ながらはっきりと語った。

 しかし、ペドロは表情一つ変えない。

「おいおい、そんな事をわざわざ言いに来たのか? 本当に暇な奴だな。まあいいさ、俺も暇だ。もっと言え、どんどん言え」

 そう言って、ペドロは笑った。クックック……という不気味な声が響き渡る。

 だが――


「でも親父、俺はあんたに感謝している」


 その言葉を聞いた瞬間、ペドロの笑い声が止まった……。

 一方、明は静かな表情で語り続ける。

「親父、あんたは俺を強くしてくれた。あんたから受け継いだ血と、あんたにさせられたトレーニング。そのお陰で、俺は友だちを守ることが出来たんだ。もし、あんたが俺の親父じゃなかったら……俺は友だちを守れず、目の前で死なせていた。もちろん俺も死んでいたよ。だから、その点についてだけは礼を言う」

 そう言うと、明は立ち上がる。そして看守たちの見守る中で、ペドロに向かい頭を深々と下げた。

「本当にありがとう……俺を育ててくれて。あんたのお陰で、俺は友だちを守れた」

 だが、ペドロは何も言わなかった。黙ったまま、息子を凝視している。その顔には、奇妙な表情が浮かんでいた。

 ややあって、明は顔を上げた。


「俺には今、心の底から愛するひとがいる。それに友だちも二人いる。俺の、最高の友だちだ。この三人がいてくれる限り、俺はあんたみたいな怪物には絶対にならない」


 そう言うと、明は強化ガラスのすぐそばに顔を寄せる。

 ペドロの顔の間近に。


「俺は人間だ……あんたとは違う。俺は、まともな人間として生きる」


 そう言うと、明は看守たちに頭を下げる。そして面会室から出て行こうとしたが……。

 ドアの所で立ち止まり、振り返った。

「じゃあな、親父……もう会うこともないだろうが、元気でな」


 ・・・


「ところで鈴、普段は何してんの?」

 僕が尋ねると、鈴は暗い表情になる。

「別に何もしてない。ずっと寝てばっか」

「ふーん。テレビとかは観ないの?」

「テレビは観るよ。でも最近、何か嫌になるニュースが多いね。あっ、そういえばさ……」

 鈴はそこで言葉を切り、ためらうような表情を見せた。

「どうしたの鈴?」

「ねえ、昨日か一昨日のニュースだったと思うんだけど、ヤクザの事務所が襲撃されて、三人が殺されたって事件があったよね。これって、明の仕業じゃないよね? 明から、なんか話聞いてない?」

「今の明が、そんなことするはずないじゃない。考え過ぎだよ」

「そう、だよね……でも変なんだ。そのニュース見たとたん、凄く不安になって……あたしの知ってる人間が関わってる気がして……あんなこと出来るの、明ぐらいしかいないし」

 鈴は真剣そのものの表情で訴えてくる……彼女を安心させるため、僕は微笑んだ。

「明はその頃、飛行機に乗ってたはずだよ。それに、明にはそんな事する理由がない。そもそも明は今、純さんとイチャイチャするのに忙しくて、ヤクザを殺してる暇なんかないさ。お幸せに、としか言いようがないよ」

「なんだとぉ、それは腹立つな。あの明がイチャイチャするなんて、世の中間違ってるね」

 そう言いながらも、鈴の表情が少し明るくなる。

「そうなんだよね。明は自分からは言わないけど、純さんのことを聞くと、顔を真っ赤にして照れまくるんだよ。本当に、耳まで真っ赤になるんだよ……あの明が、さ」

「何それ、気持ち悪っ……うわぁ、やだやだ」

 口ではそう言いながらも、鈴は本当に嬉しそうだった。そんな鈴に向かい、僕は前から考えていたことを言ってみる。

「ねえ鈴、今度さ、二人で明の家に行かない?」

「えっ……」

 鈴の表情が暗くなる……僕は慌てて言い添えた。

「まあ、いつでもいいよ。僕は鈴が外に出られるようになるまで、何年でも通い続けるから」

「じゃあ、あたしが外に出られるようになったら?」

「その時は、いろんな所に行こう。明も一緒に三人で、鈴の行きたい所どこにでも……いや、純さんも入れて四人で出かけよう。いわゆるダブルデート、って奴さ」

 そう言うと、僕は自分にできる精一杯の爽やかな笑顔で鈴を見つめる……カッコ悪いんだろうな、と思いながら。恐らく、鈴は笑いながら突っ込むだろう。いや、むしろ笑って欲しかったのだが。

 しかし、彼女の反応は僕の想像と違った。

「あんた、本当に変わったね。別人みたいだよ」

 鈴は僕から目を逸らし、そう呟く。

「うん、変わったかもしれない。でもね、僕は変わりたくて変わったんじゃない。変わらざるを得なかったんだよ」

 そう言うと、僕は自分の両手を見つめた。

 あの日、僕はこの手で何人の命を奪ったのだろう。

「ボクサーの体がカッコいい、なんて話を聞くけど……ボクサーはなりたくて、あんな体になってる訳じゃない。ならざるを得ないんだよ。強烈なパンチを放つために筋肉を強化し、動きを良くするために脂肪を削ぎ落とす。その結果、ああいう体になっているんだ。あくまで試合に、相手に勝つためなんだよ。別にカッコいいとか、そういう理由であんな体になってるわけじゃない」

「はあ? ちょっと、何言ってんのか全然わかんないんだけど?」

 そう言いながら、足を器用に動かして僕の体をつつく鈴。彼女の足クセの悪さだけは、今も変わらないらしい。僕は思わず苦笑していた。

「まあ早い話、僕も変わらざるを得なかったって事だよ」


 鈴の家を出た後、僕はのんびりと帰り道を歩いていた。

 もしも鈴が、一生あのまま引きこもりを続けたとしても……僕は、彼女の所に通い続けるだろう。

 特殊な状況で結ばれたカップルは、長続きしない……何かの映画に、そんなセリフがあった。

 たぶん、それは正しいのだろうと思う。しかし僕らの状況は、あまりに特殊過ぎた。このセリフを考えた人は、僕らのような状況を想定していたのだろうか。

 そもそも僕と鈴との関係は、恋とか愛とか、そんなありきたりの言葉で語れるものとも、また違う気がする。

 あえて言葉にするなら、絆だろうか。

 呪われて血塗られた、忌まわしくも固い絆。

 その絆は、明との間にもある。

 一生消えることのない、三人だけの秘密の絆なのだ……。


 ・・・


 次の日の夜。

 日本屈指の任侠団体『士想会』の幹部である片岡は数人のボディーガードを引き連れ、廃墟と化した徳川病院の跡地に来ていた。

 暗闇の中にそびえる荒廃した病院はあまりにも不気味で、近所の人間も寄りつかないような場所だ。さすがの片岡も、入ることがためらわれた。

 しかも病院の周辺には、水溜まりのようなものがあちこちにできている。片岡とボディーガードたちは大声で悪態をつきながら、水溜まりを避けて歩いた。

 やがて片岡は立ち止まり、廃墟に向かって呼び掛ける。

「おいこら! ちゃんと来てやったぞ! ウチの者殺した奴の情報を教えんかい! どうせ隠れて聞いてんだろうが!」

 片岡は吠えた。しかし、誰も返事をしない。




 昨日、片岡のいる事務所に奇妙な封筒が届いた。

 封筒の中には、先日殺された組員三人のバッジと名刺が入っていたのだ。さらに、一枚の便箋も――

(この三人の組員を殺した人間を知っています。その情報を、百万円で売りますよ。もしその気があるのでしたら、徳川病院の跡地に午前零時にいらしてください)

 便箋には、そう書かれていたのた。




「しかし、何じゃこの水溜まりは! 何とかせえ! 早く出てこい!」

 片岡は、独特のダミ声でもう一度吠えた。

 ボディーガードたちは拳銃の安全装置を外し、いつでも撃てるよう準備をしている。

 その時――

 燃え上がる何かが、水溜まりに投げ入れられる。

 次の瞬間、水溜まりが一斉に燃え上がる。一瞬にして火柱と化した――

 そこに溜まっていたものは水でなく、油だったのである……片岡たちは、炎に囲まれる。

 直後、片岡とボディーガードたちの体に火が燃え移った。彼らは悲鳴をあげながら、体についた火を消そうとするが――

 そこに、幽鬼のような顔をした少年が現れる。

 それは、飛鳥翔だった。


 ヤクザ三人を殺した時、事務所から奪った拳銃を構える。

 翔は冷酷かつ残忍な表情で、片岡とそのボディーガードたちを次々と射殺していった――

 抵抗することも逃げることも出来ずに、次々と絶命していく男たち……みるみるうちに死体が重なっていった。

 数分も経たぬうちに、ヤクザを皆殺しにした翔。その瞳は宝石のように輝き、唇には微笑みを浮かべている。さらに、彼の表情は恍惚としていた。何かに取り憑かれているかのような様子で、翔は死体を眺めていた……。


 やがて火を消した後、翔は死体と化したヤクザの体を調べた。金目の物や現金、武器や携帯電話などを奪う。

 炎で焼かれてしまったために使い物にならない物もあったが……それでも、当座の軍資金としては申し分ないだろう。

 その後、死体を全て廃墟に隠した。ここなら、しばらくの間は見つかることはないであろう。だが、いずれは焼くなり溶かすなりして……死体を跡形もなく消し去らなくてはならない。

 死体がなければ、ただの行方不明だ……薔薇十字団の一人がそう言っていたのを、今もはっきり覚えている。

 それらの作業が終わると、翔は次なる獲物の品定めをするため、奪ったばかりの携帯電話をチェックし始めた。

 その時――

 いきなり天候が変わり、強い雨が降り始める。さらに雷が鳴り響き、強い風が周囲の木や、廃墟と化した建物を揺らす。

 それは、異様な光景であった。あたかも、悪魔が翔の凶行を祝福しているかのような……。

 翔は冷静な表情のまま、外に出て行った。そして、空をじっと見上げる。

 次の瞬間、ニヤリと笑った。


 雨に打たれ、不気味な笑みを浮かべながら闇夜に立ち尽くす翔。その姿には、昔のいじめられっ子の面影は何処にもない。

 まさに、阿修羅そのものであった……。


 ・・・


 僕は戦い続ける。

 薔薇十字団を、叩き潰すために。

 所属している全てのメンバーを殺し、その家族も皆殺しにするために。

 薔薇十字団と関わりのある者たちも、全て殺すために。

 あの日、死んでいった奴らの仇を討つために。奴らに誓った約束を果たすために。

 いや、嘘はよそう。

 僕の本当の目的は、命を抜き取ることだ。殺人の快楽と充実感とを、もっと味わいたい。

 もっと大勢の人間を殺したい。

 だから……この命が尽きるまで戦い、殺し続ける。


 たぶん、僕は狂ってしまったのだろう。

 でも、構わない。

 もう、まともな人間には戻れない。また、戻りたくもない。

 そう……僕は人間をやめる。

 そして、怪物になる。

 明のような、怪物に――





 《完》




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