2.
予定は未定でした。今日中に完結は無理そうです。
五月四日はほぼ一日、佳澄との買い物に費やされた。
小学校時代から何年も化粧だのおしゃれだのとは離れた場所にいた。基礎化粧品すら最低限しか持っておらず、スキンケアしてあるだけ男子よりマシといった状況だった。必然、買う物も多くなる。
「あんたはあたしと肌質近いから似たような色でいいはずよ。道具はあたしの使い古しでよければ帰ったらすぐ送るから――」
と、佳澄が張り切っていたからなおさらだ。佳澄は長年そういったことから離れていた妹が興味を持ったことが嬉しいらしかった。
結構な出費になったが、小遣いはほとんど使わず貯めていた。余裕はあった。
寮に戻ってから佳澄のレクチャーを受けた。慣れないうちからいろいろしようとするとけばけばしくなるから、ナチュラルメイクでそっと唇に色を入れたりする程度。学校にしていくとしても校則に触れないよう自身の経験も併せて教えてくれた。
それで十分だった。佳織はしっかりと華やかな化粧をして人目を惹きたいわけではなかったから。
姉が帰った翌日も化粧の研究に費やした。
六日、学校には化粧をせずに行き、帰りに本屋で池星輝が表紙の男性向けファッション誌を買った。ついでに集合店舗へ行き、整髪料と大きめのジーンズ、ベルト、シャツ、上着、底が厚めでも歩きやすそうな革靴を購入した。
―――
一か月後の休日。佳織は街を歩いていた。
その姿は一か月前とはまるきり別人だ。
伸ばしっぱなしにしていた肩下までの髪は整えられ、後頭部で結ばれている。前髪は整髪料で顔を隠さない程度に上げられている。
ファッションはシンプル。ジーンズに革靴。白いシャツの上に黒いジャケットを羽織る。
野暮ったい眼鏡を外した顔はうっすらと化粧をしている。眉毛を太目に描き、若干目じりを強調することで目を切れ長に見せている。
背筋を伸ばし颯爽と街を歩くと、通りがかった女性が佳織を見てひそひそと話をした。
嘲うような響きではない。むしろ逆で「今の人みた?」とはしゃいだような声が聞こえた。
佳織は今、男装していた。
もともと大きくない胸を精一杯潰し、胸の下に一枚、腰に数枚のタオルを巻きつけることで体格を補正。尻から足にかけてのラインを隠すのには苦労した。底が厚めの靴を履くことで身長を誤魔化し、佳澄に教わったことを基本に化粧を施すことで女性らしさを抑え、男っぽい顔を作った。髪を切ることも考えたが、あまり短くすると学校で目立つリスクが生じるので諦めた。
化粧と服装というのは偉大なもので、研究を重ねるほどに普段の佳織とはまったく違った人間に仕上がった。今の恰好が完成し鏡を見た時には思わず自分の顔に触れて確かめてしまうほどだった。
インターネットで調べたところ、女性と男性では歩き方や仕草が違うとのことで、学校で周囲を観察。ネットの情報と自分の調査結果を併用することでそれらしい動きを作った。
恰好が完成したことに満足するつもりだったが、完成してみると周囲がどのように見るのかも気になって、街へ出た。
自信はあった。今の自分は春秋佳織とはまるで違う外見をしている。
不安もあった。もしも男装だとばれて、同級生に見つかったら悪目立ちは避けられない。
葛藤した結果、自信と好奇心が勝り街を闊歩することにした。
―――
「私は、池星輝になりたい」
佳澄に協力を頼んだ夜。佳澄が寝静まった頃に佳織はぼそりと呟いた。
佳織は池星輝にあこがれを抱いた。
それはライブ会場にいた大半について言えることだ。あこがれなり好意なり興味なりを抱いているからライブに行った。
だが、佳織のあこがれは他の観客とはまるで違っていた。
好きだとか一緒にいたいだとか、歌を聞きたいとか、演技を見たいといったものではない。『池星輝になりたい』という同一化願望だった。
まずは顔立ちを整える練習から始めることにした。幸い佳織の顔立ちは整っている。丸みを抑えて唇を薄く、ノーズシャドウを入れて鼻を高く、目を大きくではなく切れ長にすることで男性味を付けると、それだけで見れる程度になった。
若干くびれた腰をごまかすためにタオルを巻く。大きくなくても胸があるとシルエットが女性味を帯びてしまうので全力で押し潰した。尻と太ももにもサラシを巻いた。服装がシンプルなのは懐事情だけの話ではなく、池星輝がシンプルな服装を好んでいたからだ。
出来上がったのは中性的な男性としての像。
佳織の目から見ても違和感はない。靴底を足してもやや小柄な点が気にかかったが、それでも悪くない外見だ。
男の長髪を見るたび鬱陶しいと思っていたが、佳織は髪の手入れをしていたため見苦しいとは思わなかった。
顔を上げて見る世界はこれまでと違って見えた。
前髪に遮られない視界は広く、底の厚い靴を履いたことで視線が少しだけ高くなった。
初めは内心びくびくしながら歩いていたが、好意的なささやきが聞こえてくると堂々胸を張れるようになった。自信がついたおかげか耳に入る言葉すべてが前向きな響きに聞こえる。
佳織にだって自尊心はあった。侮られるか無視されるか、気にされないか。そんな反応ばかりだった日々は佳織の自尊心を削っていた。
それが男装するだけでこうも変わる。
佳織のことをどうでもいいものと見るくせに、佳織が見た目を変えるとまるで違った目を向ける。
「なあんだ、意外とみんな馬鹿なんだ」
歩きながら、男の顔から出るにはやや高い声で呟いた。
好意的な呟きを聞くことで自尊心が修復された。
ちょっとした変装をするだけで自分の正体に、性別にすら気付けない周囲に対してほの暗い優越感を抱いた。
喫茶店に入るとテラス席に通された。佳織が佳織として入った時にはありえない反応。
近くの席に座った中学生くらいの少女たちがこちらをちらちら見ているのに気付いたので笑いかけると、彼女たちは顔を赤くしてはしゃいだ様子で会話に戻った。話しかけられそうな雰囲気だったのですぐに喫茶店を出た。
私にも演技の才能があるのかもしれない。
帰り道、佳織はそんなことを考えていた。
このお話はコメディ風味を想定していたのにコメディ味が入らない不思議。
そんなシリアスなオチにするつもりはないのですが。




