第六歯 筋肉バカにも色々ある
次の日は珍しくよく晴れた。
この街に来て、もう10日が過ぎたが、蛍は初めて青い空を見た気がした。
蛍は足を止めて一軒の店の前に立った。
ウィンドウケースには、玩具のような彩りのケーキが並ぶ。蛍はそれを睨んでつぶやいた。
「ハイカロリー…」
店にはいるのか入らないのか、蛍は店の前を行ったり来たりとせわしない。向かいのドアマンは欠伸をしてそれを見ている。
なにも知らない人から見たら、蛍は今ダイエットの5文字と甘い快楽を天秤にかけている女の子だ。彼女くらいの年代なら、よくある光景だ。
身に纏った粗末な服が随分小汚ないが、この街では家出少女も珍しくない。
やたら姿勢はよい点のみが目立ち、意識に上がらない程度の微細な違和感を醸し出していた。
「この際情けない何て言ってられないわ。ええい、よし!」
ピシャリと頬を叩くと、蛍は慌てるドアマンを押しのけて店に入った。
街の喧騒に代わり女たちのはしゃぐ声が大きくなる。
店内は外よりも明るかった。大きな窓が朝陽を存分に差し込ませ、ドールハウスのような白い家具に当たって跳ねるからだ。
反射するのは光だけではない。女の子に男の子、マダムに老紳士が手より大きなケーキ、おもいおもいの声が天井にぶつかっては床に落ちた。
蛍はすぐに「彼」を見つけた。
彼は一番奥の窓側の席にいた。
その大きな背中を丸めて、筋肉のついた両腕ごとテーブルに突っ伏し眠っている。
昨夜は暗く分からなかったが、彼の髪はしっかりとした金色であった。短い直毛が、それぞれ意思を持ったように伸びている。
蛍は誰に気付かれるでもなく咳払いをすると、背筋を伸ばして彼に近付き
なるべく優雅に椅子を引いて向かい側に座った。
そしてもう一度、今度は聞こえるように咳払いをした。
彼の体がピクリと動く。慰鶴がゆっくりと顔をあげる間、蛍は高鳴る鼓動と勝手に大きくなる瞳を抑えるのに必死であった。
慰鶴は半分閉じたままの瞼をこすり、うっすらと口をあける。
「ん~......にゃあああ?あれ、だあれ?」
想像に反し耳に届いた、高く幼い声。
蛍は軽い衝撃を覚え、咄嗟に答えに詰まってしまった。
「ん~......むにゃむにゃ。あ~、楊おばさんの知り合いの子??ふぁ~」
<.........全然違うわ。>
先程まで目映いほど光に包まれていた店内に影か落ちる。店の上を大きな飛行船が通ったようであった。
「あ!大きな風船だ!見てみて、君、あれ!」
子供のように飛び上がり窓に張り付いた慰鶴の背中には、大きな鶴のアップリケが縫われていた。
人を小バカにしたような真ん丸の顔の鶴だ。
「本当、私はバカね......」
悠々と青空を泳ぐくじらのような飛行船を眺めながら、蛍は深い溜め息をついた。
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「っはぁ~~。」
隣にいたチェンが拭いていた眼鏡を落としそうになるほど、ネルは大きな溜め息をついた。
「っはぁあぁ~~~~。」
「しつこい」
チェンが眉間に皺を寄せ、ネルの頭をこずく。
「だってさぁ~。なあ、思春期の少年ってどうやったら心を開いてくれるんだ?」
「知らないな。生物で思春期なるものを持つのは人間だけだが、人間の生態は実に奥が深い。一般には子孫を残すための生殖器官の発達がホルモンのバランスに影響を与えるというが.....」
紫縁の眼鏡をキラリと光らせチェンは生物学の講義を始める。
ネルは適当に相槌を打ちながら、姫魅の顔を思い浮かべていた。
焼野原。
平和な会話とは裏腹に、二人が歩いている景色は悲惨なものだった。
蛍と慰鶴のまさかの展開は、まさかのスピードで幕を下ろしました。
チェンさん登場の巻き。