第四歯 目が潤むのはドライアイだから
蛍の目は不思議な色をしている。
森を映した海の水面のような、碧色が美しい。
適度に潤いを帯びた虹彩に、兄は「蛍に見つめられると、全ての渇きを忘れるよ」と言った。
二人が育った城を囲む、砂漠を歩いていた熱い昼下がりだった。
しばしば歯の浮くようなセリフを口にするのは、一番上の兄。
蛍が、王家に久々に生まれた、後続争いに巻き込まれない姫君として蝶よ花よと育てられたにも関わらず「手綱を引きちぎって走る最速のじゃじゃ馬(二番目の兄の言葉である)」のように育ってしまったのは、実のところ兄のせいだと蛍は思っていた。
一番上の兄、愛華は、蛍より更に美しい目をして周りを虜にする。
時期王位継承が生まれた時から決まっていた愛華は、人を従わせる為の才能と威厳が皮をかぶっているような男だった。
若干10代の盛りであるはずの愛華は既にどの男よりも大きな言葉を育てており、
従者は彼の言葉を聴くために彼の周りに自然と集まった。
蛍より長い髪を一つに束ねて木陰に腰をおろし、木々の影を顔に落として年上の男女に国政を説く姿は城中に飾られたどんな絵画より高貴に見え
自分の「女としての魅力」でそれに勝つことはもはや不可能であると、蛍は判断したのである。悔しいと思う暇さえない幼き頃から。
愛華が城の中で時を過ごすことの多くなるにつれ、蛍は外の世界に出るようになった。二番目の兄の背中を追いかけてのことだった。
愛華から3年遅く、蛍より5年早く生まれた第二王子、涼風は、愛華がうっかり母の腹に忘れてきてしまったものを
全て拾ってきたような男だった。寡黙、強靭、豪放にして実直。
母譲りの深緑の瞳も、父譲りの太く固い髪も、3兄弟のうち涼風だけが持って生まれたことを、蛍は何度羨ましく思ったことか。
涼風は皇族仲間の視線に反して軍人の道に進んだ。文人の最たる兄が頭上にいたことを思えば選択の余地もなかったのかもしれない。
少年と青年の間にいる涼風の背中は既にどの男より大きく頼もしく、言葉と物腰で人を動かす愛華に対して涼風は熱い身体を誰より早く走らせ続く者を率いた。
時折恐れすら抱く愛華に対し、言葉少なな涼風の隣は不思議と居心地が良かった。
筆から墨汁が落ちるような、不器用すぎる涼風の言葉を余さず聴き届けることも、幼き蛍に可愛らしい使命感を与えた。
愛華、涼風、蛍。
三人の身体に流れる、栢野家族皇族の血。
汗が滴る砂漠地帯でも錆びないように加工された、特別な金具で出来た首飾りは、世界でその血が流れる彼らと彼らの父親にのみかけることを許された品である。
身一つで城を飛び出した際も唯一手放さなかったそれが、今どこにも見当たらない。
失ったのは、首飾りか、誇りか、兄との絆か。
湿った冷たい石畳を歩きながら、蛍の視界は波を飲んだように大きく歪む。
「もう、どうでもいい…」
とうに誰も居なくなった繁華街の裏道で、膝をつく。泥だらけのマントが今更どれだけ汚れても気にならない。
長い間せき止めていた涙が、ついに溢れるのを許そうとした折
ぱっと、目の前に金色の光が差し込んだ。
太陽の匂いがするような、短髪の少年が蛍の顔を覗き込んでいたのである。
闇夜のわずかな光をため込んだような金髪。
少年は、蛍のあいた口の前に真っ白いモノを差し出して言った。
「甘ぁいケーキ、一緒に食べよう?」
予想外に慰鶴登場www
ケーキは街一番の人気店で購入。恰幅の良いおばさんが作る、バタークリームがたっぷり乗った砂糖の塊みたいなケーキ。
夜なのに、何故慰鶴がケーキを持ってそこにいたのかは不明。
恐らくホールで買って食べたり分けたりしながらふらふらしていたんでしょう。
または誰か綺麗なお姉さんにもらって食べて帰る途中だったんでしょう。