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とある星物語 Returns   作者: さゆのすけ
32/35

第三十一歯 ありがとう

カーネルの震える声をドア越しに聞いて、姫魅は奥歯を噛み締めた。

盆を持つ手が震えて、カチャカチャと受け皿の上をカップがさ迷う。


(強くなりたい)


ふと蛍の顔が過って、姫魅は項垂れた。


(ううん、違う。僕は強くなれたんだ)


ひとりぼっちだった蛍と違い、魔法が使えない慰鶴と違い、姫魅は守られて生きることも、闘って生きることも選べた。

後悔が胸を締めつけるのは、姫魅が守られて生きていたからではない。向きあうことから目を背けて、生き方の選択を他人に委ねていたからだ。


「僕はもう逃げない」


姫魅は大きく深呼吸をして、ドアノブをゆっくり回した。


「お待たせ」


姫魅は努めて、明るく笑った。


「ああ、姫魅くん。ありがとう」

「うう…姫魅…」


振り返ったチェンの向こうで、ネルが悶絶している。

「なんだ。喋る元気があるなら、もっと塗っておくか」

「やめろ…チェン…おまえ…!」


薬瓶を抱えるチェンに、カーネルが声を震わせる。


姫魅はそっとドアを閉めた。


☆ ☆ ☆


「先生っ」


イルカの腕の中で、彼女は笑っていた。

記憶が薄れていくのをいいことに、笑っていたと思いたいだけかもしれない。


「先生じゃない…の…マナティー、でしょう?」

「そんなこと、今は」


マナティーの手が、イルカの頬に触れる。

ふっくらと優しい彼女の手は、凍ったように冷たい。


「イルカくん、あなたならきっと解ける…私からの、最後の、宿題…」


マナティーの声が、力を失っていく。


「あなたならできる…あなたは…本当は誰よりも…」

「ねえ?大丈夫?」と少女の声がして、イルカは目を覚ました。


鉄格子の向こうに、人影がふたつ見える。

頭を抱えているのは、赤い目の少年だ。メガネをかけた少女が、隣で心配している。

「痛いの?」と少女が訊くと、少年は大丈夫と言いたげに笑ってみせた。


「マナティー?」


少年の微笑みに、マナティーの面影が重なって、イルカは息を呑んだ。


キイィィと甲高い音がして、牢の扉が開く。


「私が手伝えるのはここまで」


イルカに繋がれた鎖を切って、少女はくるっと踵を返した。

彼女のポニーテールが、水面の月のように揺れる。


「宵狐のこと、頼みます」


少年が頷くのを確認して、少女は足早に立ち去った。

ピューイと鳴き声がして、小さな龍がイルカの肩で羽を休める。

龍が触れた瞬間、イルカの頭に(怪我は…)と声が響いた。

イルカが思わず、「かすり傷ですよ」と返す。


「……」

「……」


ふたりは目を丸くして、顔を見合わせた。


「声が戻りましたか?」


少年が口をパクパクと動かしてみるが、声が出る気配はない。


「あなたの魔法ですか?」

(違…)


龍がイルカから離れて、少年の言葉が途切れる。


「……」

「……」


困惑するふたりに、龍がゴロゴロと喉を鳴らす。

龍はイルカの頭に乗ると、嬉しそうに尾を揺らしている。


「どうやらあなたのツクモに触れると、あなたの声が聞こえるようです」

(こんなこと、初めてだ。僕のツクモは、イルカさんと僕を繋ごうとしている)

「おやおや、まあまあ。マナティー、あなたという人は…」


誰ともなく、イルカは呆れたように呟いた。


(マナティー?)


少年がハッとして、頬を赤らめる。


「マナティーを知っているのですか?」

(夢に…イルカさんとマナティーさんの…その…甘酸っぱい青春が…夢じゃなかったんだ)

「もしかしたらツクモがあなたに、僕の過去を見せたのかもしれません」

(ごめんなさい。イルカさんの記憶を覗いてしまったようで…)

「謝らないでください。僕はまた、マナティーに会えた気がします。サラマット」

(サラマット?)

「ありがとうという意味です。よろしければ、あなたをサラマットと呼んでも?あなたと出逢えたことが、僕は嬉しいんです」


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