第二十八歯 飛行機の上で書いた
谷をこえる際、白い馬はドラゴンへと姿を変えた。
戦いの激しさを意味する閃光たちが、地上でパッパッと咲いては消えていく。
「私をおろしなさい!」
蛍は癒鶴に片手で抱かれた身体を精一杯引き離そうと叫んだ。
「姫魅も、私も、やっと兄さんの手がかりが得られたのに…」
お願い、追いかけさせて、と言いかけた蛍の腰を
「あのガリガリ男の狙いは俺たちだった」
慰鶴は更に強い力で抱いた。
ガリヴァーノンと接したのは数秒。ネルとイルカに対しながら、その視線が姫魅と蛍を追うのを慰鶴は見逃さなかったのだ。
「俺たちがいったら、ネルさんたちの邪魔になるだけだ」
姫魅は前を、咲蘭は後ろを監視しながら黙って二人の会話を聞いている。
先ほどまで蛍たちいた場所がどんどん小さくなっていく。
「お、ろ、し、て!」
なおももがく蛍を抱えたまま慰鶴はドラゴンの背中で立ち上がると
そのまま翼の先まで歩き蛍の身体を宙へ放り投げた…真似をした。
「きゃあ!」
ガクン!
バランスを崩したドラゴンが高度を落として旋回する。
高度は数百メートル。身体が宙に浮く瞬間、蛍はたまらず慰鶴の首にしがみついた。
体勢を崩した咲蘭が「バカなマネしないで!」と怒り、姫魅は慌てて指にともる魔法の光に力をこめる。
ドラゴンが吼え、驚いたアルパカが目を白黒させる。
「無礼者、何するのよっ」
「頭を冷やせ、蛍」
きっと睨んだ蛍の瞳を、慰鶴は更に鋭い視線でいなした。
「戦場をバカにするな。上司の指示は絶対だ。単独行動は仲間を殺すぞ」
一見静かながらいつもより深みを増したブルーの瞳。それが、怒りの渦を表面下に隠した水面のように揺れている。
蛍は思わず目をそらした。
思わず涙が浮かび、視界が滲む。
知らない土地で一人で生き抜いてきた。
自分のことも、大切な人も、
自分で守らなければ奪われてしまう。いつしかそれが蛍の信条となった。
だから今、ようやく出会えた涼風の姿を手放せばまた誰かに奪われてしまう。
そう思うと、怖い。
背筋が凍るほど怖い。
だけど―――
「蛍」
名前をよばれ、顔をあげた蛍の視線が姫魅と交差する。
その額には汗。4人を守るため、姫魅は必死に魔法呪文をつぶやいていた。
青白い顔をほころばせ、姫魅は言った。
「僕は、大丈夫。」
泣きそうな笑顔。
ふいに、トンと頭を叩かれるような衝撃のあと、
<私は今、この人たちも守らなければならないんだ>
そう誰かに言われた気がした。
温かさと鈍い痛みが入り混じった感情が胸を侵食していく。
弱虫、
言いかけた言葉は蛍の喉元で踵を返し、腹中へと落ちていく。神経を伝い、蛍の体内をめぐりはじめる。
「逃げた」「弱虫」「逃げた」「置いて逃げた」
冷たくなる掌。早くなる動悸。
蛍にシンクロして体温が下がったアルパカが、「ぶぇっくし」とくしゃみをした。
慰鶴の肩に顔をうずめて、蛍は言った。
「強くなりたい」
「俺もだよ」
「大切な人を、守りたい」
「ああ」
「勉強するわ、魔法のこと」
「ああ」
蛍は泣いていた。
その涙をぬぐうように、慰鶴はそっと髪を撫でた。
「これからだよ。俺たちの物語は」
☆☆
恐ろしく綺麗な人だった。
特別整った顔立ちというわけではないけれど、ふくよかな身体も、いつも笑っているような三角形の目も
イルカにはたまらなく美しく見えた。
「先生」
学生服を着た15歳のイルカは、擦り切れたノートを差し出した。
「宿題、やってきました」
先生、と呼ばれた女性はそれを受け取ると、頬を膨らませて怒ったマネをする。
「マ・ナ・ティー、でしょ」
白く柔らかそうな指が、パラパラとノートをめくっている。
ページの隙間から魔法陣たちがペリペリと浮かび上がり、対をなし、絡みあって
ポン!と花を咲かせた。
「まあ!今度はちゃんと解けているわね!凄いじゃない、イルカ君」
マナティーはパッと目を輝かせて喜んだ。
次の満月で、35歳。30歳から魔法教師になった遅咲きのマナティーは、
年の離れた子どもたちが若いうちから自由に魔法を学べる環境を整えたいといつも言っていた。
だから子供たちの成長は、いつも自分のことのように喜んでくれる。
イルカ少年は頬を少し赤らめると、そっぽを向いて何かをつぶやいた。
「ん?何かいった?」
「別に…何でもありません」
「そう。ところでイルカ君、前から言っているけれど、特待クラスに進む気はないの?
君なら、前から言っているけれど、魔法倫理学の教授を目指せると思うの」
「ありがとうございます。でも、僕は、魔法使いになりたいわけではないから」
マナティーは少し悲しそうな顔をしたあと、
「お金のことを気にしているなら、奨学金って手もあるわ」と続けた。
イルカは首を横に振る。
「僕はこの国で、公務につきます」
イルカが住む「ニャポネ」という国で、それは最も安定した収入を得られる職業だった。
随分昔につくられた法律を守り、身の丈にあった生活をし、国のために税をおさめるよう民を諭す。
といっても犯罪率も財政格差も世界で一番低いと呼ばれるニャポネだ。
公務者たちは、朝日が登りはじめたころ出勤し、沈むころ家に帰ることができる。
代わり映えしない毎日が一番よ、公務についていた父は、トロンとした眼で酒をすすりながら
いつだったかイルカにそう言ってきかせた。
一方の魔法使いなんて…体の良い軍人だ。いつ戦いに巻き込まれるか、分かったものではない。
争いを好まないニャポネ族のなかでも、典型的な平和主義のイルカ。もともと魔法なんかに興味はなかったのだ。
「でも、君はこうして、私の授業を受けに来ているじゃない」
イルカはムッと口をつぐみ、たじろぐ。
「それは…」
「わざわざ1時間もかけて、ここにきているでしょう?」
確かにその寺子屋は、イルカの家から随分離れた山の中にあり
わざわざ来ようと思わなければ、通える場所ではない。
「マナティー、分かっているんだから」
ぎくっ、と肩をすくめたイルカに、マナティーは顔を近づける。
「君、本当は…」
「先生、ち、近いです」
「マ・ナ・ティー。イルカ君は、心のなかでは、」
魔法に惹かれているのよ、そう言いかけたとき
マナティー、しつもーん!と、別の男子生徒が手をあげた。
「はぁーい、今いきまーす」と答えると、マナティーはどっこいしょと腰をあげる。
また後でゆっくり話しましょうね、とイルカに目くばせする。
「惹かれているのは、魔法じゃありません」
イルカは下をうつむいたまま、マナティーに聞こえない小さな声で言った。
すれ違うとき、マナティーが好んでつける香水が鼻をかすめ
イルカの周りでふわりと踊った。
まだ時々王家の言葉遣いが出てしまう蛍




