第二十歯 ばあさんキラー
楊はおもむろにしゃがみ込んで、「お行き」と優しく呟いた。
彼女の裾から、小さな蛇の影が四方八方に散る。
じっと動かない楊に、男が怪訝な顔をして番屋から出てきた。
楊が甘美な声で、「ねぇ?」とイルカに呼びかける。
「どうかしましたか?」
楊の様子がおかしい。
振り返った彼女の、妖艶な眼差しにドキッとする。
「少し、休んでもいいかしらん?」
襟元をそっと崩して、楊はイルカの腕を抱き寄せた。
「ちょっとだけ…ねえ?」
楊が長い睫毛を伏せて、長屋に視線を送る。
彼女の細い指先が、イルカの首筋をなぞる。
「ふふ、綺麗ねぇ…めちゃめちゃにしてあ、げ、る」
イルカの耳元で、楊が言葉に吐息を含ませる。
柔らかい唇が耳に触れた。
「お手柔らかに」とイルカが微笑む。
楊は番屋の男を振り返り、、顔を覆うようにして髪をかきあげた。
「この辺りに、お茶屋はあるかしらん?」
「ええ、長屋の奥に」
視線の先で、「テ・アモ」と書かれた暖簾が揺れている。
男に礼を告げて、ふたりは寂れた茶屋に足を運んだ。
☆ ☆ ☆
「はぁん。イチ君なら、全力で戸惑ってくれるのに…かわいいお顔を真っ赤にして」
「おやおや。ご期待に添えなかったようですね」
楊がふふっと笑う。
暖簾を括るなり、ふたりは2階に通された。
臭いは強くなり、空気はますます淀む。
部屋には入らず、楊は廊下の壁を探っている。
カチッと音がして、壁がくるりと回転した。
下に伸びる階段が、暗がりの向こうに続いている。
「隠し扉ですか。魔法は使われていないようですが」
「この地域では、魔法は欲病と呼ばれているの。欲が蔓延しているから、魔法に呑まれて命を落とす人間が多いのよん。みんな、魔法を嫌悪しているわぁん」
「……」
イルカの笑顔が翳る。
「隠し扉はひとつだけですか?」
「いくつもあるわぁん。長屋は、隠し通路でひとつに繋がっているの。ただ、連れ込み茶屋テ・アモの隠し扉は特別」
「あはは、それは楽しみですね」
ふたりは指先に光を灯して、ひとひとりがやっと通れるくらいの階段を、ゆっくりと下った。
暗闇をずっと進んでいくと、「ボス」と達筆で書かれた扉に辿りついた。
ドアノブを回すと光が溢れて、思わず目を細める。
部屋は散らかり放題で、得たいの知れない品々が並んでいる。
壺から溢れる金銀に紛れるのは、人魚の鱗か。
大きな水槽にぷかぷかと浮いているのは、巨人の目玉だろう。
継ぎはぎのぬいぐるみが、縫い目を裂きあっている。
そのすぐ隣で、裂かれたぬいぐるみが互いをぐちゃぐちゃに縫いあわせている。
そのすぐ隣で、頭がふたつになったぬいぐるみと、顔がボタンで覆われたぬいぐるみが、ぶつかるなり互いを裂き始めた。
若い女がひとり、つまらなそうに煙草をふかして、綿が舞うのを眺めている。
彼女は手頃なぬいぐるみを握ると、火鉢に投げ入れて、真っ赤な唇を愉快に歪ませた。
「お久しぶりです。オオババ様」
楊が笑いかけると、女はふんっと鼻を鳴らした。
「下手な小芝居してまで、なにしにきたんだい?」
「あらん?ご存知でしたの?」
「バカにしてるのかい」
「いいえ。オオババ様、芝居でもしないと、会ってくれないでしょう?」
「あんたの頭は、お花畑になっちまったのかい?あんたはこのオオババの、一点の恥だよ。殺したくて、うずうずしていたさ」
「まあ!オオババ様が褒めくださるのは、初めてかしらん?嬉しいわぁん」
「ハッ!生け簀かないね。あの男にそっくりだ」
バンッ!と叩きつけたオオババの右手は、彼女のツクモらしきカメレオンを押し潰した。
オオババは深呼吸をするように、煙草を深く吸い込んだ。
鼻から煙を吐ききると、彼女はカメレオンの背にぐりぐりと煙草を押しあてる。
「ギャッ!」と悲鳴がして、煙草の火が消えると、カメレオンはゆらゆらと消えていった。
楊が頬に手を添えて、悩ましげに首をかしげる。
「ツクモはもっと大切になさらないと…ご自身を粗末になさるところも、お変わりないようねぇ」
「ふん、やかましいね。余計な世話だよ」
オオババは新しい煙草をくわえると、じろじろとイルカの品定めを始めた。
「そいつぁ、なんだい?」
「御守りかしらん?ふふ、非売品よん」
オオババが舌打ちする。
「楊さん、あの子は?」
「あの子だあ?小僧が!あたしゃ、齢2000年だよ」
オオババは乱雑な机に、乱暴に足を置いた。
「これは失礼。お若いですね」
「お黙り。客でなけりゃ、売り物でもないんだ。さっさと帰りな」
「オオババ様、お手を貸して頂けないかしらん?人探しをしているの」
「どの面下げて言うかね?あんた達、帰らないなら殺しちまうよ」
「どうせ、あんたは1度死んでるんだ」とオオババは肩を震わせた。
「僕を護衛に選んだ理由は、彼女ですか」
「ご明察」
イルカの肩に手を添えて、楊が耳打ちする。
「ガルディ王国で謀反があったでしょう?謀反人は、次期国王の第一王子」
「第二王子は殺害され、末の姫君は行方不明と聞いています」
「それが…第二王子は生きているって、噂になっているのよん。ガルディ国内では、一部の民衆が第二王子を真王に掲げて、徒党を組んでいるわぁん。オオババ様の耳は早いから、なにか知っているはず」
「聞きだして…できることなら、今後の協力も仰ぎたい、と」
「なにをこそこそしてるんだい?」と、オオババが苛立ちを露にする。
「ジョニーさんではないですが…歯が折れそうだ」イルカはやれやれとため息を吐いた。
☆ ☆ ☆
―2時間後。
ガリヴァーノンは「ボス」と書かれた扉を開いた。
オオババがうんざりした顔で振り返る。
「最近の若いのは、礼儀も知らないのかい。ノックをしな」
「ノックをしたら、入れないでしょう?」
「ノックがなくたって、入れるつもりはないよ。店じまいだ。さっさと帰りな」
「あはは、手ぶらでは帰れませんよ」
「知ったこっちゃないね」
オオババが落とした煙草の灰を、カメレオンがパクリと食べる。
使われていない灰皿の隣で、インクの切れた羽ペンが忙しく何かを書き続けている。鳥籠に捕らわれているのはなにかの手首だ。
額に飾られた絵の中で、男が拷問を受け続けている。
本棚には読める字が見当たらない。
ガリヴァーノンは部屋をぐるっと見渡して、クスッと笑った。
「先客がふたりですか。通りで機嫌が悪い」
「相変わらず、気味の悪い男だね。ガリヴァーノン。あたしはどうも、あんたが苦手だよ」
「オオババ様らしからぬお言葉ですね。もしかして、褒めてます?」
「どうだかね。あんたに任せるよ」
足元のぬいぐるみを蹴散らして、オオババはため息を吐いた。
「帰らないなら、さっさと用件を言いな」
「人探しをお願いしたく」
「誰だい?」
「ガルディの第二王子」
「死んだんじゃないのかい?」
「生きていますよ。生き返ったのかも」
ガリヴァーノンがおどけてみせる。
「ふん、笑えないね。あんた、マジシャンは諦めな」
「あはは…厳しい」
「あんたの依頼のほうが、よっぽど厳しいさ。死人を探すんだ。お代は弾むよ」
「助かります」
ピーピーと鳴き声がして、ガリヴァーノンの後ろから小さな龍が飛びだす。
龍はなにかを探すように、ぐるぐると飛び回っている。
「なんだい、うるさいね」
「どうも部屋に入ってから、ツクモの落ちつきがないようで」
「殺しちまいな」
オオババの言葉に、ガリヴァーノンの背から少年が顔を覗かせる。
少年が襟元を広げてやると、龍は慌てて彼の服に逃げ込んだ。
ガリヴァーノンは少年に手を添えると、背中にそっと隠した。
「あんた、おもしろいのを連れてるね」
「ツクモなら、オオババ様もお持ちでしょう?」
「知ったこと聞くんじゃないよ。あたしがツクモなんざ、興味を持つと思うかい?」
オオババが煙草の火を消して、にやりと笑う。
「お代はガキだよ」
「これは預かり物でして、お渡しはできません」
「なら、諦めな」
オオババが、包帯でぐるぐると覆われたガリヴァーノンの目をじっと見つめる。
先に沈黙を破ったのは、オオババのほうだった。
「ふん、今日はつまらない客ばかりだね。いいだろう、探してやる。金は置いていきな」
「ありがとうございます。ああ、それと」
「まだ何かあるのかい?」
「先客の依頼は引き受けました?」
オオババの煙草を運ぶ手が止まる。
彼女は「教えると思うかい?」とガリヴァーノンを睨んだ。
「まったく本当に気味が悪いよ。その目で、なにを見ているんだい?」
「ネタばらしなんて、つまらないことはしませんよ」とガリヴァーノンが笑う。
「ふん、まあいい。あたしの客だ。殺すんじゃないよ」
「あはは、まさか!」
ガリヴァーノンは革袋を投げて寄越すと、「挨拶くらいはしておきますか」と言い残して、鼻歌を歌いながら部屋を後にした。
☆ ☆ ☆
「あんた、友達が多いようには見えないがね」
静けさが戻ると、オオババは天井を仰いだ。
ガタガタと板がずれて、埃が落ちる。
「バカッ!埃を落とすんじゃないよ」
「だったら、掃除しとけよ」
水色の短髪についた埃を払い、仏頂面の青年がひょいっと顔を出した。
オオババが豪快に笑う。
「涼風、仕事だよ。掃除しな」
「っ?!」
下に降りようとぶら下がった涼風が、しまったと後悔の色を顔に浮かべる。
思わず手をすべらせて、彼は大きな音と共に落下した。
「ってぇ」
「口答えするからだよ」とオオババはゲラゲラと笑った。
「バレないもんだな」と涼風は、さっきまで隠れていた天井裏を見上げた。
「バカ言え。あたしの魔法がなきゃ、あんたは今頃、ガリヴァーノンの餌食だよ」
「ばーさん、すげえな」
「バカにするんじゃないよ。何年生きてると思ってるんだい?」
「2000年」
「はん、知らないよ」
「知らねえのかよ」
「ミイラになりゃ、1も100も変わらないからね。2000年から先は、数えちゃいないよ」
「歳も姿もでたらめだな」と涼風は苦笑した。
「年を取るのに飽きちまったから、若返ることにしたのさ。どうだい?」
艶のある髪をかきあげて、真っ赤な唇から白い歯を覗かせる。
ポーズを決めると、スラッと長い手足が強調された。
「ああ、すげえ」
美人と言いかけて、涼風は言葉を飲み込んだ。
オオババのニヤニヤした顔が、癇にさわる。
「…ババアとは思えん」
「なんだい、そりゃ」
オオババは呆れた顔をして、ソファーに背を預けた。
「まさか川で拾った肉の塊が、金になるとは思わなかったよ」
オオババは「ほら、あんたのだ」と言って、涼風に革袋を投げた。
「いいのか?」
「あんたは、あたしのお気に入りだからね。あたしゃ、あんたのような生にしがみつく奴が好きだよ」
「そうか」
「それに…ガリヴァーノンが持ってきた金は、どうも呪われそうでね」
「お気に入りに、呪われた金なんか渡さねえだろ」
オオババがクククッと笑うと、涼風は困ったふうに頭をかいた。




