第十三歯 盛りだくさん
屋敷の奥にある部屋で、蛍はホッとひと息吐いた。
「あの、慰鶴は大丈夫ですか?」
楊は振り向いて、小首を傾げた。
そういえば、慰鶴が撃たれたのは、彼女と合流する前のことだった。
「楊さん達がいらっしゃる前に、慰鶴が銃で撃たれて…私が無理を言って、姫魅に魔法で治してもらったんです」
「あらん」
楊は落ちついた様子で、湯飲みに茶を注いでいる。
「姫魅くんの魔法であれば、大丈夫だと思うけど…慰鶴くんはなにも言わない子だからん。念のため、検査を受けるよう伝えておくわん」
楊の裾から小さな蛇が現れて、するすると屋根裏に消えた。
「姫魅くんがねえ」
楊がふふっと笑う。
「怖い思いをしたのねん。蛍ちゃんは大丈夫?」
差し出された湯飲みを受け取り、蛍は「はい」と明るく答えた。
追いかけられるのは慣れっこですから!
あれ?あの時、賞金稼ぎを追いかけていたのは私で、狙われていたのは慰鶴だったような…
一国の王女にかけられた金額が霞むような、莫大な懸賞金をかけられた少年…気持ちに余裕ができて、急に気になってくる。
「慰鶴は何者なんですか?ゴールデントリガーって誰ですか?」
「ゴールデントリガー?」
「はい。慰鶴が探しているって…それに、慰鶴を撃ったのは、ゴールデントリガーに雇われた賞金稼ぎでした」
「それはおかしいわねえ」
楊が頬に手を添えて、宙を見上げる。
「彼はもう、いないわん。それは、慰鶴くんが一番知っているはず」
「え?じゃあ、慰鶴はいない人を探しているんですか?」
「そういうことになるわねえ」
呆気にとられる蛍に、楊が微笑みかけた。
「難しいお話は置いて、まずは身だしなみを整えましょうか」
「え?」
「姫魅くんを振り向かせるんでしょう?」
「あっ…お願いします」
楊は押し入れから木箱をいくつか取り出すと、蓋を開けて並べた。
蛍の前に、色とりどりの着物が差し出される。
「お好きなものをお選びなさい」
「いいんですか?」
躊躇する蛍に、「お下がりでよければ」と楊が優しく頷いた。
「着ていたものは、お洗濯するわねん。お風呂の用意もあるから、ゆっくりしていらっしゃいな」
「ありがとうございます」
蛍は伸ばした手を止めて、楊の顔を窺った。
「あの…姫魅はどんな色が好きですか?」
「蛍ちゃんが選んだ色かしらん」
「うーん…」と頭を抱える蛍に、楊はくすくすと笑っている。
「蛍ちゃん、大事なのは色ではないのよん?」
困り果てる蛍を、楊は急かすことなく温かく見守る。
蛍はやっとのことで、透き通るような水色に決めた。
「きれい」
蛍から笑顔が溢れると、楊も「姫魅くんも喜ぶわん」と微笑んだ。
「蛍ちゃん、今夜は泊まっておいきなさい」
「えっ?ええっと…」
「なにか用事があるかしらん?」
蛍はぶんぶんと首を横に振った。
「良かったわん。疲れたでしょう?今夜はゆっくりお休みなさい」
「ありがとうございます」
部屋を出ようとする楊の背に、蛍は問いかけた。
「どうして、こんなに良くしてくださるんですか?」
「まあ。蛍ちゃんは、魔法と男の落とし方を学びたいのでなくて?」
「そうですけど」
「師匠が弟子の面倒をみるのは当然よん」
納得のいかない蛍に、楊がウインクする。
「それに、困っている女の子を放っておけないの」
楊は目を細めて、「あたしを助けてくれた人も、同じことをしていたから」と呟いた。
蛍が聞き返すより先に、楊は「ごゆっくり」と部屋の向こうに消えてしまった。
☆ ☆ ☆
布団で寝たのは何年ぶりだろうか。
目覚めたときには、肩が軽くなっていて、今まで自分は何を背負っていたのかと疑った。
今朝、「蛍ちゃんに紹介したい人達がいるのん」と楊に連れ出され、蛍は屋敷にある広間に向かっていた。
ぼろ雑巾のような自分を見慣れていたので、着飾った自分に違和感がある。
「私は随分と、私を粗末にしていたのね」と蛍は苦笑して、窓に映る自分に「ごめんね」と小さく呟いた。
広間でまず目に入ったのは、奥に座っている入れ歯に顔をつけたような奇妙な生物だった。
しきりに歯ぎしりをしている。
得たいの知れない生物に恐怖を感じたが、入れ歯の左側にイチの姿を見つけて、蛍はホッとした。
蛍がぺこりとおじぎをすると、イチはにっこり笑って手を振った。
入れ歯の右側に座るのは、鋭い眼光と犬耳が印象的な女性だ。
彼らの前に、動物の刺繍が施された12色の座布団が6枚ずつ、向い合わせに置かれている。
紫の席は空席になっていたが、蛇の刺繍から楊の座席と想像ができた。
他に緑の席が空席になっていたが、主が現れる様子はない。
「あらん、緑辰隊はまだ空席なのねん。あなたが苦戦なんて珍しいわねえ?」
「ええ、相応しい人物を探してはいるのですが…」
困った風に笑う青年の、美しい容姿と穏やかな雰囲気に、蛍は思わず見とれた。
「蛍は平和維持軍って、聞いたことあるかしらん?」
楊がくるっと振り向いて、蛍がはっと我に返る。
「えっ…ええっと」
「平和維持軍。蛍ちゃんは知ってる?」
「はい。創設者のジョニーを中心に、国を12の方角に分割して、平和の維持に努めている12の隊…」
古本屋の観光ガイドで、立ち読みした情報だ。
「彼らがその12隊の隊長よん。きっと蛍ちゃんの助けになるわん」
「さあ、座って」と蛍を促して、楊は紫の席に腰をおろした。
「カカカッ!!!ようこそ、蛍ちゃん。まずは自己紹介をしようじゃあないか!!」
(喋った…?!)
「僕が平和維持軍創設者にして、ジョニー魔法学校の校長を勤める、J・J・ジョニーだよ」
蛍は(え?嘘?!)と動揺して、先程の美青年にばっと顔を向けた。
爽やかなイケメンを想像していたので、てっきり彼がジョニーかと思い込んでいた。
落胆する蛍に、ジョニーが続ける。
「孫が世話になったようだね」
「え?お孫さん?」
「蛍、彼は慰鶴の祖父だ。私は慰鶴の母、サン」
「慰鶴のお祖父様とお母様?!」
「イチから聞いた。息子が迷惑をかけたようで、申し訳ない」
「とんでもない!ご迷惑をおかけしたのは、私のほうです!」
サンの凛とした空気に圧倒されて、蛍は恐縮した。
「あの、慰鶴は元気ですか?」
「ああ、朝食にホールケーキを平らげるほど元気だ」
「デザートはアイスケーキだっけ…考えるだけで、胃がおかしくなる。また会えて嬉しいよ、蛍ちゃん」
「イチさん!」
「昨日は、よく眠れた?」
「はい!」
イチは「そっか!」と嬉しそうに笑っている。
「あれ?サンさんとイチさんを含めると…」
12の隊長ということは、ジョニー含め13人のはずだ。
「ひい、ふう、みい…」と数える。
「空席を含めて15人?」
「平和維持軍は大きくふたつの部隊に別れるんだ。陰の部隊は俺が、陽の部隊はサンがまとめているんだよ。各隊の隊長は彼ら…」
イチの視線の先で、スーツを着た毛玉がうんうんと頷いている。
「我輩が灰子隊隊長を勤める、ジャックである」
「ネズミが喋った?」
「お嬢さん、我輩はネズミではないのだよ」
「チャックは…」
「着ぐるみでもないのだよ!」
ぶんぶんとステッキを振る彼は、どこからどうみても服を着た巨大ネズミだ。
「まあまあ。ジャックさん、落ちついてください。初めまして、俺は透牛隊隊長のカーネル・サンダースです」
落ちついた雰囲気を纏うイケメンに、(いい男!)と蛍の目が輝く。
「姫魅がお世話になりまして…」
カーネルが深々と頭を下げると、蛍の中で何かが割れる音がした。
「え?もしかして、姫魅のパパ?子持ち?嘘?!」
「くっ」とイチが笑いを堪える。
「ネルさんは姫魅くんの後見人ですよ。僕は水虎隊のイルカと申します。よろしくお願いします」
先程の美しい青年が、栗色の髪を揺らして、にっこりと笑った。
(うわあ、きれい。目があうだけで、ドキドキする)
イルカは隣でパソコン画面を凝視する青年に、目を向けた。
「チェンさんの番ですよ」
「白兎隊のチェン」
「チェン、おまえなあ…もっと言うことがあるだろう?」
「言うこと?」
「はて?」とチェンが考え込む。カーネルが「はあああ〜」と大きくため息を吐いた。
「白兎隊は医療を担当しているんだよ。体調が優れないときはチェンを頼るといい」
チェンのパソコンをやれやれと閉じて、カーネルは言った。
「改めまして、紫巳隊の楊貴妃よん。お悩みはお姉さんがいつでも聴いてあ・げ・る」
「楊さん、誤りが含まれます。一般的にお姉さんと呼ばれる女性は、楊さんの年齢では…ッ!?」
黒髪をひとつ結びにした女性が、淡々と訂正する。
楊は笑顔のまま、ばしっと彼女の口を塞いだ。
「…黒馬隊のナギです。必要な物品等ございましたら、私が手配致します。お気軽にお申しつけください」
表情を少しも変えないナギの口元には、赤い手形が痛々しく残っている。
「ナギちゃん、それじゃあ気軽に話しかけられないよ!」
「何故です?」
まだ幼い少年から指摘を受けて、ナギは不思議そうに首をかしげた。
少年は「なぜって…うーんと…えっとお」と首をかしげている。
「わかんないけど、そーなの!まったく、みんな頼りにならないんだから…僕は桃未隊のメイト!困ったときは、メイトお兄さんにお話してね!」
「メイトさん、誤りです。お兄さんとは一般的に…」とナギが喋ると、メイトは彼女の口いっぱいに飴を詰めこんだ。
メイトはすっからかんになった巾着をひっくり返して、「せっかくプニャさんにもらったのに〜」と嘆いている。
蛍は「うん、ありがとう」と言ってから、慌てて「ございます」とつけ加えた。
「まあ、わんこよりは頼りになるな!」
がはは!と豪快に笑ったのは、金髪をオールバックにした渋い男だ。
「俺は金申隊のメロウだ、よろしく頼む」
「浦島くんだって、頼りになりますよ?」と答えたのは、メロウの隣に座る大柄の男だ。
ピチピチの皮ジャンがはち切れんばかりの胸筋、腕は丸太のように太くがっしりとしている。
星形のサングラスで目はよく見えないが、口元はへの字に曲がっていた。
「赤酉隊のプニャだよ」
(ぷにゃぷにゃというより、ガチガチ…)
「飴ちゃん、どうぞ」
彼の小指は、蛍の親指よりふたまわり大きい。
蛍に飴を握らせるプニャは、まるでお小遣いを握らせるおばあちゃんのような、どこか田舎の懐かしさを感じさせた。
「プニャさんのおっしゃる通りっすよ!じじいはわかってないっす!」
前髪を真ん中でわけた青年が、八重歯をちらつかせてメロウに吠える。
「銀戌隊の浦島桃太郎っす!よろしく!」
蛍の手をとり、ぶんぶんと振って、にかっと無邪気な笑顔をみせる彼は、人懐っこい仔犬を想像させる。
「トリは任せたっすよ」
浦島に背中を叩かれた男が、「ああ?」と睨みをきかせる。
「おれぁ、茶亥隊のチャコだ」
「よ、よろしくお願いします!」
恐る恐る話す蛍に、イチが肩を震わせて笑いをこらえている。
マスクで表情はわからないが、チャコは困ったようにポリポリと頭をかいた。
「イチさん。笑ってねえで助けてくんねえか?」
「笑ってない、笑ってない(笑)」
「蛍。顔こそ恐いが、チャコは優しい男だ」とサンが微笑む。
「べ、別に優しかあ、ねえべ」とチャコがぶっきらぼうに照れて、蛍はクスッと笑った。
「さて、本題に入るとしよう。蛍ちゃんは魔法を学びたいそうだね?楊から聞いているよ」
ジョニーが針金のように細い足を軸に、くるくると回る。
「そこで、君のジョニー魔法学校への入学を許可しようと思うのだが」
「ありがたいお話ですが、入学金や授業料の持ちあわせがなくて…」
「OK!この国は教育費がないんだよ。学びたければ誰でもカモン!」
「いいんですか?!」
「ああ。ただし、条件がある」とサンが言うと、ジョニーがパチンと指を鳴らした。
「実技は各隊に訓練生として、入隊してもらうよ。どの隊に配属になるかは、生徒の希望を考慮して決めるのだけど…蛍ちゃんには、透牛隊に入隊してもらう。いいかい?」
「わかりました」
「イエス!次に、わが校のオシャンティー寮に入ってもらうよ?きっと気に入ってくれると思うが、いいかい?」
「はい!」
今の蛍にとって、大変ありがたい話である。
「最後に!蛍ちゃんには、今から入学試験を受けてもらう!」
「今から?!」
「隊長達に集まってもらったのは、そのためでもあってね。なに、難しい試験ではないよ」